ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝荻(おぎ)のこゑ〟にも生かされて!

2021年09月25日 | 俳句

 もう9月も後5日、早いですね。今日の最高気温は27度と、外に出ると風がとっても爽やかで、果物も美味しいし、久し振りに秋を満喫しました!でも、我家の無花果は終ったし、柿は今年は不作で殆ど生っていません。ああ、栗を友人に頂いて…梨も買いました。それにバナナにプラムも…シアワセ!

 しかし、このところ俳句教室や句会がなく、俳句大会までなくなって、一番忙しいはずだった9月が一番暇な月になってしまいました。ある意味確かに追いまくられていた気持ちは楽にはなった気がしますが、その分気も抜けて…

 これは余りいいことではありませんよ。こういう状態が続くと何もかもが億劫になってやる気が起らなくなりますもの。もういい加減にこのような状況から脱出しなくては…、ファイト!

 ちょうどいいことに、宇部市…いや山口県はどこもでしょうが、やっと来週から公共施設の閉鎖が解除されて、自由に使えるようになりました。よかった!もう少しでボケかかるところでしたよ。(笑)

 ところで、この頃になると私には思い出す句があるんです。

  生かされて生くると知れり荻のこゑ

 私の句集『風聲』(ふうせい)に収めた、平成5年の作です。以前にも書いたことがあるかも知れませんが、季語は「荻のこゑ」で、初秋。荻の葉に吹く風の音のことです。荻は芒(すすき)によく似ていますが、湿地に群生するイネ科の大形多年草で、高さ1~2メートルになります。古来この荻のことを「風聞草」(かぜききぐさ)とも呼んで、歌に詠み特別の感興を覚えていたようです。

 それは、オギの語源が神や霊魂を招く意味の「招ぐ」(おぐ)から来ているといわれ、荻の歌にも招代(おぎしろ)として詠まれているものがあるということ。写真はお借りしました。ゴメンナサイ!

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 この上掲の私の句…今読み返しても何ともクサイ句ですよね。普通こんな句を誰かが詠んでいたら、私だって〝止めなさい!こんな箴言のようなクサイフレーズは…〟というでしょうね。なのにその時はこの句をみんながいいと、先生も採って下さったんです。

 その時の私はまだ駆け出しですから、俳句の何も分ってはいませんでした。

 実は平成5年の9月…私はC型肝炎のインターフェロン治療中でした。夏休みを利用し9月一杯の有給を貰って、10月から復帰という手筈で。初期のインターフェロン注射というのは1週間に1日おきで3本、それを6ヶ月間続けるという治療でした。今でこそ飲み薬だけで治療できるようになって楽になっていますが、初期の辛さは経験済みの方ならきっとお分かりになるでしょう。また医療従事者の方ならもっとよくご存じに違いありません。

 この薬には鬱病を発症させるという副作用があると言うことは、聞いてはいましたが、その頃は鬱病というものを私は全く知らず、先生も〝あなたは大丈夫でしょう〟と仰っていましたので、フウ~ン、そうなんだと、深く考えてもみませんでした。とにかく、治療中の発熱と倦怠感…というより自分の身体ではない、まるで鉛のような感覚、動かそうと思っても自分の意思が伝わらない身体…どうなってるのよ?テレビを見ようという気も起らないし、あれだけ好きだった相撲を見てももうどうでもいい…感動というより感情そのものが失せていくようで…。私って何?なんで生きてるの?というそんなことばかり。

 自分がどんどん壊れていってるという感じだけでした。それを主人に説明することも面倒で、もうどうでもいいと…でも、無性に涙だけは流していたような気がします。それが何故なのかではなく、ただ涙腺が緩んでしまったという感覚かな。

 自分で車を運転して週3回注射を打ちに病院に通っていました。途中このまま谷に突っ込んだら死ぬかも、でもそれでもいいかなあなんて…全く死への恐怖がなくて、そんな不穏なことを考えていたような気がします。そんなある日のこと、カーラジオから流れてきた…詳しくはもう忘れましたが、確か11時頃に始まる朗読の時間があったんです。そのとき流れていたのが癌に冒されてもうダメだという人の、最後まで生きようとして書き残した手記だったような。それを何気なく聞いているうちに、もう涙が溢れてきて…。〝自分は一人じゃない!みんなが心配してくれて、それで生きている、いや生かされてきたんだ…〟という思いが、心に突き上げて来たんです。その時荻が風に揺れながら、まるでガンバレと囁いてくれているように目に映りました。だから頑張らなくてはいけない…みんなを悲しませてはいけないんだと…。

 確かその朗読されていた本を、家に帰る途中すぐに本屋へ買いに行って読みました。その本は探せばまだどこかにあるとは思うんですが…、もう25年以上も前のことですからね。

 その後、そんな私の様子をたまたま同じ治療を受けたことがある同僚の先生が気がついてくれて、主人や先生などに言ってくれました。すぐにインターフェロン注射をを止め、鬱病の治療を1ヶ月ほどしたんです。それからまたインターフェロンを再開。でもその時は母が健在で、心配して1ヶ月ほど来てくれていましたので、何とか学校に復帰出来ました。でも、注射が終るまでの…その間の苦しみは忘れられません。その後また2回目のインターフェロン治療。その次はキョウミノCの点滴を毎日授業が済んだ後に半年間も。最後の3回目は薬と併用のインターフェロン治療。まあ、仕事をしながらの治療でしたからいろいろなことがあって、言葉では言い尽くせません。そうしてたくさんの人に助けられながらも最後のが効果があって現在に至っています。

 病気知らずと言われたのは結婚するまでの20数年間。それから出産して以後の私は病気漬けで…確かにみんなに〝生かされて…〟、今があるのです。

 だからこの句を見るたびすぐにあの時を思い出します。この句は類想があるとかなんとか、人はいろいろ言うでしょうが、それはそれで構いません。しかし、私にとってはあの時涙を流したその実感を詠んだことは間違いのない事実なんです。俳句とはそういう実感から生まれてくるものではと思っています。即ち、良いも悪いも私の俳句への開眼の原点はこれだったんですから。

 一度はきちんと書き残しておきたいことでしたので、ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。それから全てに感謝です。

 写真は、黄色の彼岸花、リコリスです。白、赤に遅れてやっと咲き始めました。それぞれの色で花言葉があるそうで、この黄色いリコリスの花言葉は、「悲しい思い出」「元気な心」「深い思いやりの心」「陽気」「追想」などがあるそうです。 「悲しい思い出」というのは、もともとリコリスは墓地によく植えられていたからという説がありますが、亡くなった人を偲ぶ心は、やはり悲しげなものでしょう。今日のテーマに相応しかったかしら?

コメント (10)
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