ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝冬の月〟を見ながら〝引き際〟ということを…!?

2023年11月29日 | 日記

 昨日はなんとも美しい月が皓々と出ていましたね。これはもう「冬の月」です。確か11月の満月はビーバームーンといって、一昨日の27日だったと。ところがこちらは雨で見られませんでしたので、つい気に留めていなかったのですが、昨日の美しい月でお婆ちゃんの亡くなった夜を思い出しました。そうです、今日の29日が月命日になります。あれから1ヶ月…早いというよりまだ1ヶ月というのが実感。

 この日のお月さまの写真です。雲がどんどんなくなって、とってもキレイでした。でも、どうしてこんな色が…スマホを新しいのに変えたからかしら?

 忙しい日々の暮らしに追われながらも…昨日おにぎりを作っていると〝炊きたての御飯でおにぎりが食べたい!〟とベッドから言ってたお婆ちゃんの声が聞こえてきました。この月の光を浴びる度にお婆ちゃんは蘇ってきて、私たちの中に生き続けています。

 このごろ〝引き際〟という言葉が気になっています。引き際というのは〝現在の地位や立場などから身を退く時に、その時宜や退き方をいう〟のだと。〝引き際が悪い〟とか〝引き際が肝心〟などとよく使われますが、人の引き際というのはその人を後々までズウッと印象づけるもののようですね。

 そう考えるとお婆ちゃんの人生の引き際は本当に見事でした。あれはお婆ちゃん自身がお膳立てしたのではと思うくらい。「後の月」と「月下美人」の咲く時になんて…こんな好条件はそうそうとは訪れないでしょう。お月さまが少しでも陰ったら…花の咲くのが1日でもずれていたら…そう考えたら、この偶然の一致は必然だったのではと思えてしまいます。

 これが義母の亡くなった夜に咲いた月下美人です。

 お婆ちゃんは、耳の悪い私が羨むほど良く聞こえてました。普通102歳といえば…体のあらゆるところが悪くて当り前。それなのにお婆ちゃんはどこといって困るようなところはなく、特に耳は特別いい。ある日お婆ちゃんのベッドの傍で看護師さんと内緒話をしていて、てっきり聞こえないものと思って話す看護師さんに、〝お婆ちゃんが聞いてるわよ〟と言うと〝嘘っ!〟と。だから、お婆ちゃんに今の話聞いてた?と確かめると〝うん〟ですって。だから何がほしい?と聞かれたら、私はいつも〝お婆ちゃんの耳〟と答えていましたものね。

 義弟たちが京都に帰る前の27日の夜、4人で来月の予定を話し合っていたのです。なぜかというと、11月は各地域の文化祭が毎週末に目白押しでその展示に、おまけに主人は陶芸展までが重なって、その準備やら後片付けやらで2人ともが出ずっぱりになるから。それでどうしても京都から毎週来て貰わないといけなくなるわねと…そういう話をしていたのを、お婆ちゃんはもしかしたら…いや耳のいいお婆ちゃんならきっと聞いていたのでは?…と私は思ったんです。だってその挙げ句の2日後なんですからね。亡くなったのは。

 これ以上みんなに迷惑を掛けたらいけん…介護疲れでみんながクタクタになったらいけん…ほどほどのところで…そう考えて自分が一番キレイに覚えておいて貰えるこの日を選んだのではと…。

 おまけに、この日の看護師さんはお婆ちゃんが大好きなお気に入りのNさんで、リハビリもして貰って、〝また明日もね〟と言って分かれたんですよ。もうお婆ちゃんには思い残す事が無かったのかも。私たちにも〝もう少し介護したかったのに…〟というぐらいの惜しまれ方で身を退くなんて…見事としか言い様がありませんよ。

 皓々とした月の光を浴びる度に〝お婆ちゃん、元気!そちらは寒くない?こっちはもう寒くって…あんなに暑かったのが嘘みたいよ!〟なんて、ついつい話しかけてしまいます。これからもきっと、いつまでも…

 私も、そろそろ自分の〝引き際〟を…人生とは言わないまでも、今の俳句生活の引き際を本気で考えないといけないかなあなんて…月を見ながらお婆ちゃんに話しかけてます。〝あんたももう年なんだからそろそろ辞めてのんびりしたら…〟といつも言われてましたからね。

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〝勤労感謝の日〟と〝餅拾い〟

2023年11月24日 | 日記

 今日はまた何と寒いこと。ゴミ出しに外へ出ると冷たい北風がビュービューと吹いて、震え上がってしまいました。見れば最高気温でも13度とか。昨日より10度前後の気温差は体に堪えますね。何だかお天道様に翻弄されているみたい!

 さて昨日は11月23日、国民の祝日の「勤労感謝の日」でした。まるで寒さを忘れたようなうららかな日和…そう、〝小春日和〟でした。何かちょっとでも力仕事をすると汗ばむぐらい。主人は久し振りに我家に戻って、植木の伸びきった枝などを剪っていました。私は私で溜まっている原稿などの整理。息子は休みなので朝寝を楽しみ…我家の猫たち・とろろ・こんぶも、今日はなぜかみんなが家にいるので、ごろごろと寝たり起きたり…長閑な時間がやっと戻ってきた感じです。お婆ちゃんがいたときはそれなりに気持が張り詰めていて、それはそれでやりがいのある時間でしたけどね。

 少しずつ以前の時の流れに戻りつつあるような…しかし、それは私にとっては問題かも。折角規則正しい生活が身に付いて良かったと思っていましたのに、また、またいい加減な暮らしに…だって楽な方に堕ちるのは早いんですもの。気をつけようっと!

 午後からは俳句教室のKさんから上棟式の餅撒きをするので来ませんかと誘われ、餅拾いに行ってきました。この〝餅撒き〟、昔はよくありましたが、最近は殆どありませんね。このKさん宅は昔造り酒屋だったとかで、百年前に建てられた家には立派な鏝絵があると。それを保存してあるというので見たいと思い、娘夫婦も誘って行ったのですが、その鏝絵は今はまだ見られないと。残念ですが、公開される時に見せてもらうことにして、今日は本気で餅拾いをするぞーッ!(*^ー゜)

 ところで、この宇部市では…いや、これは山口県のどこでもかも知れませんが、何かのイベントあれば必ずと言っていいほど最後には餅撒きがあるんです。だから先日のふれあいセンターでの文化祭でも餅拾いをしてきましたものね。

 香川県から引っ越してきた娘や広島からの義母も言っていましたが、宇部は何があっても直ぐに餅撒きをするんやねと。調べてみるとやはり餅撒きが多い県は和歌山と山口だそう。だって山口市阿東地区では、コロナ禍以来、4年ぶりこの23日に国内外から猛者がそろっての第10回餅ひろい世界選手権が開かれたんだそうです。記念大会ということでこれまでで最も多い1万個の餅が用意されたんですってよ。ヘエッ、知らなかった!

 さて、この日の餅撒きは宇部市でも中心部から外れた田園地帯。だからその地区の方々が結構集まっていて、昔ながらの餅撒き光景…やはり田舎はのどかでいいですね。こんなにふんだんに拾えたのは初めてかしら。街の方ではものすごい取り合いで恐ろしくって少ししか拾えないんですから。お菓子もたくさん撒いておられましたので、子どもたちも大喜び…楽しいひと時でした。早速ぜんざいにでもして食べようかなと、あんこを買って帰りました。

 このような昔ながらの行事やしきたりなど…まあ、お金は掛かりますが、それで人々の厄災が払われたり、また地域の人々の絆が固くなるのならイイコトだと思いませんか。それを特に実感するのは、お遍路巡りなどをする時なんですよ。こちらの秋穂にも八十八個所〝お大師参り〟がいつも春にあるんです。お婆ちゃんと何度も行ったっけ…お接待の蒸かし藷が美味しくて、お代りがほしいなんて言ってたわね、お婆ちゃん。今年もあったらしいですから、来年もきっとあるでしょう。だったら久し振りに行って見ようかな。

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お久しぶりです!先ずはお婆ちゃんのことを…

2023年11月19日 | 日記

 あっと言う間の11月、それももう後半で2週間もしないうちに師走に突入ですね。義母が亡くなってから三七日が過ぎました。早いようで遅いようで…

 いろいろとご心配して下さった方々にも失礼してしまいました。今までブログを書く気力がなかったわけではないのですが、余りの忙しさというか…まあ、事情が事情なので許して貰えるかななんて…でもこのまま何も書かずにいくとズルズルといきそうで…これはいけんとちょっと一段落したところでご報告がてら今の思いを綴ってみようと思います。その間フォローの皆さま方への訪問もままならず失礼してしまいました。お許し下さいね。これからまた頑張りますので、ヨロシク!

 さて、考えてみれば嘘のようなホントの出来事でした。誰の頭の中にもこれっぽっちもお婆ちゃんが死ぬとは予想していなかったんですから。もちろん年は年ですし、お医者様が仰るように〝何時死んでもおかしくない〟という状態だったのかもしれません。しかし、頭はしっかりしているし、食欲はあるし、一緒に歌ったり手遊びしながらリハビリも上向きだったし、介護のお手伝いをして下さるみんなに〝お世話になります〟〝ありがとうございました〟〝明日もよろしくお願いします〟といつものように言って別れ、その夜のことでしたから。

 〝お婆ちゃん、いいお月様よ。きっと今夜は月下美人が開くわ〟と話していたら…その月下美人の花が開くと同時にこれ以上無い美しい月光の中へ旅立っていった義母…哀しいというより茫然自失?…いや、そんな言葉では到底表せないですね。これは味わった人にしか分からないことかも。とにかく思考が…この事態をなんとかしなくっちゃという方向へだけ働きましたから。一瞬のことといえばそうかもしれません。全く予測の付かないことでした。そこが医学に疎い素人だったからでしょうか。せめて昏睡状態に陥ってとか何らかの兆候があってのことならいざ知らず、私たちには全くの予想外だったのです。いずれ死を受入れなければならないのは分かっていたのですが、余りにも元気で、まだ心の準備が整ってなかったのです。だって在宅介護で良い方向へ向かっていましたから、もう少しこのまま一緒にいられる時間が残っているものとばかり思ってしまったのです。

 もちろん遅かれ早かれその時が来ることは分かっていましたが、それは頭の中だけのこと。ベッドに寝てはいても目の前で普通に話が出来て、何か食べればおいしいと、手足を擦ってあげれば気持いいと喜び、そういう体温が直に感じられるという現実には死はまだ遠くにしかなかったんですね。だからショック!…これが一番妥当な言葉かもしれません。そのショックが大きかった分だけ立ち直りが遅いのでしょう。そう考えれば、全く予期せぬ事故や犯罪や戦争などで理不尽にも突然の死を迎えられた人々の遺族の方々の気持はいかばかりかと少しは実感をもって察せられます。

 今でも主人は義母宅にいて後の整理などを、私は相変わらずの通い妻で食事の用意をしに行ったり来たりの毎日です。玄関を入ると真っ先に仏壇へ行き、〝お婆ちゃん、どう? 今日のご機嫌いかが…〟と言うと、〝はい、今日も元気で、ご機嫌はいいですよ!〟と、いつも言ってた声が聞こえてきそうです。

 どんな時でも前向きで明るさを失わなかったお婆ちゃん、痛いとか苦しいとか、嫌なことは一言も言わなかったお婆ちゃん、いつも希望を持って次のことを楽しみに待って生きていたお婆ちゃん…みんな、みんな見習わなくっちゃね!頑張りますから天国から見ていてよ、お婆ちゃん…合掌

 写真は葬儀の時のもの。家族葬でこぢんまりでしたが、お婆ちゃんのこよなく愛した子・孫・曾孫までが誰一人欠けることなくの見送りでしたので、きっと最大の笑顔で旅立ったことでしょう。それにお婆ちゃんが日頃から手作りしていた大切なものや以前四国の八十八個所を一緒に巡ったときの朱印帳、それに朱印を全部押した袈裟も掛けてあげました。一番下の写真にある二つのボールはリハビリ用に買ってあげたもの。お婆ちゃんはそれを寝るときも離さず握っていましたので、手に握らせて納棺しました。きっと頑張り屋のお婆ちゃんですからあの世でもリハビリをして…今頃は天国を歩いているかも…ねッ、お婆ちゃん。

 

 

 

 

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