ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

ついに今日は〝大晦日〟ですよ!

2023年12月31日 | 俳句

 さて、さて、とうとう〝大晦日(おおみそか)〟を迎えてしまいましたね。今頃皆様には恙なく今年を締めくくって、また来年ヘ向けての夢を大きく胸にふくらませておられることでしょうか。

  大晦日定(さだめ)なき世の定かな  井原西鶴

 江戸時代前期の有名な浮世絵草子作家で俳人の井原西鶴の句です。この句は結構知られていますのでご存じの方も多いでしょうが、〝この世は定めのない無常な世の中であるのに、この大晦日だけはいろいろな世の定め(決まり事)を、みんな守って過ごしていることだなあ〟という、そんな句意でしょうか。ということは、昔も今も多少の違いはあっても大晦日という1年最後のシメの日には自分の身の回りや心の整理をきちんとつけて、いろんな縁起物などで新年を迎え、心機一転しようという気持ちになるということは変わらないようですね。

 私は、ナント最後の最後に昨日に続けてブログをUpしているんですよ。だって今月は23日までにたった1回しか書いていなかったんですもの。来年はこんなことにならないようにと…せめて週2回のペースを守っていきたいと、思いを新たにしての更新なんです。どうぞこんなブログですが、お見捨てにならずにまたご訪問して下さいませね。

 これで終ればブログも簡単なんですが、つい書き出すと止まらなくなる性分で、また、たまに書くものだからあれもこれもとてんこ盛りになってしまい、書いた後はしばらくは手を付けたくなくなるという、その繰りかえし。要するに切り替えるということが苦手なんです…というよりそもそも整理下手ですからそれが大いに影響しているのかも。

 さて、今日は2023年の大事な最終日…ということで、このところ恒例としています娘夫婦との、〝幸先詣〟ならぬ〝お節の先取り〟です。実は毎年年末から2日までは娘の旦那様の実家、高松へ帰るのです。それで我家のお節が食べられないということで、前日に食べて出掛けるようになったんです。

 注文したお節は30日に届いていますので、早速〝年取り〟をしているというわけ。去年まではお婆ちゃん宅でまた元旦にしていたので、そうすると私たちは2回も年を取っていたんですかね。イヤダ~!(笑)

  年取が済みて炬燵に炉に集ひ    高野素十

 まさに今その通り、お節を食べて炬燵に入って紅白を見ています…が、何とも面白くないですね。皆さんはいかがですか?歳とともに何を見ても何を聞いても…心が動かない。昔はあんなに紅白が見たかったのに。いつも大晦日には義母を中心に女性陣はお節作り、だから一日も早くお節を作らなくてよい身分になりたいものと願っていましたものの…思えばあの頃の方が楽しかったような…。ところで上掲句、季語が3つもあるなんて…どう説明すればいいのかしら。素十さん教えて下さい!  

 ところで、このところ毎年どこかにお節を注文しているのですが、今年は初めておせち料理専門店【板前魂】にしました。みんなの感想は、〝お節然としたものでなく、何時でも食べられそうな物が多くて、味もなかなかいい。和洋中があって飽きないし…〟というもので、なかなか好評。息子などは早々と来年もこれにしてなんて…鬼が笑うようなことを言ってましたよ。アッ、写真撮るのを忘れて食べてしまいました。ゴメンナサイ!それでは宣伝の写真を…

 板前魂の飛翔 特大八.五寸 和洋中 中華風三段重おせち 5人前

 明日は、また京都の義弟から送られて来たお節を頂くんですよ。これはお婆ちゃん家に義弟が毎年贈っていたものを、今回は我家へ送ってきたんです。キャンセルしてと言ったんですが、もしかしたらお婆ちゃんの生前にもう注文していたのかも。だからお節がだぶってしまって、まあ、その分料理しなくてもいいから楽なんですけどね。でも…飽きますでしょう…なんて言ったらバチが当りますよね。感謝して有り難く頂きましょう。なんとも贅沢な悩みです。

 では、これで今年のシメと致しますね。皆様一年間当ブログへのご訪問ありがとうございました。来年もよろしくお願い致します。皆様におかれましてはどうぞ良い年をお迎え下さいませ。

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わあ、とうとう〝小晦〟に!

2023年12月30日 | 俳句

 今日はもう12月30日。俳句では〝小晦(こつごもり)〟と言って、〝大晦日(おおみそか)〟に対しての前日を言うんですよ。

  家中のふたり働く小つごもり   黒田杏子

 この句の〈ふたり〉というのは、きっと杏子さんと写真家のご主人のことですよね。これは2005年に出版された第4句集『花下草上』に収録された句ですから、まだ倒れられる前のお元気な頃の作でしょう。今年の3月に突然講演先で急逝されたというニュースを見て本当にビックリしましたもの。84歳。合掌。

 黒田杏子さんは、大学時代より「夏草」の山口青邨に生涯師事されて、その没後、1990年に俳誌「藍生(あおい)」を創刊、主宰されています。自らを「季語の現場人」と名乗られ、それを作句の基本として平明な表現で季語を生かすという句風が特徴でした。また、全国の桜を30年にわたって巡り、それを詠み続けた「桜」の俳人としても有名です。

 私は、講師として来られた馬醉木同人研修会で一度だけお会いしましたが、TVなどでお見かけする通りのおかっぱ頭ともんぺ姿が印象的。でも、この時は8年前の倒れられて足が不自由になられた頃だったのか、講演の内容よりも車椅子で来られていたことの方をよく覚えているんですよ。(笑)

 さて昨日、例の如く〝…さんの1年前の記事〟が送られて来ましたが、それを見ると…。

 実は一昨日令和4(2022)年度・宇部市芸術祭の、〝感動と癒しの出会い~文化を次世代に~「うべ市民文芸集」〈第7号〉〟が、宇部市文化創造財団より送られてきたんです。その俳句部門の選者詠として、今年は〈古酒新酒呑みて生涯現役と〉という句を私は載せました。まさにこの句はお婆ちゃんを見ていて出来たものなんです。義母は普通はビールですがお酒なら何でも…先日の牡蠣クリスマスパーティーではワインが飲みたいと言い出して…主人と買いに行きましたものね。でもこんな生活がいつまで続くかは誰にも分りません。いつかは終りが来るということを考えるとコワイです。しかし、何が起きても後悔だけはしないような日々を送ろうと思います。私のモットーの〝あるがまま〟を貫いて…。

 今年はその〝コワイ〟ことが本当になってしまいました。だから、我家の最大ニュースは、勿論お婆ちゃんとの永遠の別れ。先日無事に四十九日も終えて、やっと少しは〝あるがまま〟の暮らしに戻りつつありますが、さて後悔の方は…?う~ん、今のところやれることは精一杯やったかなと…余り後悔はしていません。だからこれで年が越えられるということは有り難いことです。

 今年も、令和5(2023)年度・宇部市芸術祭の〝感動と癒しの出会い~文化を次世代に~「うべ市民文芸集」〈第8号〉〟が、宇部市文化創造財団より送られてきました。今年は〈秋麗や呼び合へる声山を縫〉という句を載せましたが、この句は恒例の吟行会で宇部市の〝白岩公園〟へ行った時のもの。この山は低い雑木山なのですが、やはり誰かがはぐれて見えなくなったりして、その呼び合う声が晴れた空によく響きましたね。

 さて、今年もその宇部市芸術祭の宇部市長賞を、我が教室のKさんの〈繰り返す九九の洩れくる青簾〉が受賞しました。おめでとうございます。詳しい報告もしないままで…遅くなってゴメンナサイ!

 今年はいろんな事が報告しないままで、たくさんの写真も眠ったままです。申し訳ない…でもいつか日の目を見るときが来ることを願って…待ってて下さいね。

 篠﨑圭二宇部市長さんから賞状と賞品を貰うKさん。ヨカッタね!

 

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きらら俳句教室…今月は第何回目だっけ?

2023年12月25日 | 俳句

 今日はクリスマスです…寒いのは寒いですが、雪は降りそうもありません。かといって日が照るでもなし、時々雨のちらつく曇り空の冴えないクリスマスです。

 ところで、先週の土曜日(16日)はいつも通り〝きらら俳句教室〟でした。朝の内は雨が降ったりしていましたがその内止んで、でもとにかく寒い日…防寒をしっかりして9時に出掛けました。きららでは今年最後の教室でしたので、1人欠席しただけで後は全員出席。

 みんな寒いのをものともせずに早速外へ。俳句はどんな条件でもそれをよい句材にして詠むのが〝俳人魂〟というものよ…などと強がりを言って、大して見るものもない葦原へゾロゾロと…。

 その前にセンターの入口に掛けてあったリース…あら、このリース素敵ねと誰かが言ったので見ると…松ぼっくりできれいに飾られてなかなか素敵です。それで直ぐに写真を撮ったのですが、そのままで…

 でも、ああ、よかった!この写真が今日のクリスマスに間に合って…。

 さて、ブログを見てみますと、9月に第5・6回目を書いて載せていますので、するとそれ以後に10月、11月があって、今回の12月が第9回目ということになるんですね。写真だけは撮ってありますので、それをまとめて簡単に…

 10月はそろそろ鴨たちが渡ってきて、季語としても〝初鴨〟や〝鴨渡る〟など。また尉鶲(ジョウビタキ)なども飛来していますので〝鶲来る〟とか〝小鳥来る〟などという季語も使えるようになりました。花では断然〝萩〟が今を盛りに咲いていましたが、これはやはり例年なら9月でしょう。約1ヶ月ぐらいのずれを感じましたね。だから萩を詠んだ句が多かったんですが、でも高点句は〈旅人の来ぬを待ちをり藤袴〉と〈来てはまた帽子拝借赤とんぼ〉でしたよ。

 11月はもう立冬が過ぎていましたし、鴨たちも殆ど渡ってきて湖を占領していましたので、冬の季語で〝鴨の陣〟として詠んだ句が多かったですね。また、この時は北風が吹いてとても寒かったような…。しかし、そんな風の中を小さな鳥が…よく見ると、それはナント燕(ツバメ)だったんですね。普通は9月の終わりまでには南へ帰っているはずなんですが…それで誰かが〝わあ、越冬ツバメよね!〟と…。すると、句会にも出ましたよ。〈ひゅうひゅうと風の鳴りをり冬つばめ〉という句が…みんなで大笑いです。高点句は〈身震ひしつつ踏み出す一歩朝時雨〉。これは外へ出たときの気持を詠んだんだと。それを採った人が多かったということはみんな同じ気持だったということなんですね。

 さて、さて、12月の〝きらら俳句教室〟ですが、句材は先月と変り映えしませんでしたが、鶚(ミサゴ)が杭の上で魚をむしっているのを、レンジャーさんがフィイールドスコープで見せてくれました。アッそうそう、先月は珍しい〝巴鴨(トモエガモ)〟が集団で湖に降りるところが運良く見られて、姿もしっかりとスコープで観察出来たんですよ。これは昔野鳥の会に入っていたとき、何度観察に出掛けてもなかなか見られなかった鳥なんです。スマホでは到底撮れませんから、しっかり目に焼き付けました。レンジャーのTさんに聞くと、もうあの日以来全く姿を見かけなくなったんですって。そうするとあの時は本当に運が良かったんですよね。この写真はお借りしました。ゴメンナサイ!

トモエガモ-見て歩き北九州発の画像

 今回の高点句は〈山帰来の実は寄せつけぬ薄曇〉と〈波まかせ風にもよよと浮寝鳥〉。後句を採った人にこの〈よよと〉というのはどういう意味だと?と聞くと、分からないけど面白いから採ったと。作者に聞くと〝風にも任せなんですが、それでは面白くないから〟という。でも〝何だかよろけてる感じがするんだけど、それじゃあ浮寝できないんでは?〟と言うと、作者も…よよよ…で終りました。(笑)

 ということで、〝きらら俳句教室〟の報告終わります。…ホントいうと、毎日のことが精一杯で以前のことはよくは覚えていないんですよ。ゴメンナサイ!

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四十九日が無事に終わりました!

2023年12月24日 | 俳句

 今日もまた1年前のブログ記事が届きました。それを見ると真っ白に雪が積っている写真が…、そして明日も雪マークなのでまさに〝ホワイトクリスマス〟だとも書いていますね。そうすると去年の方が寒かったのかしら。今年のは余りにも急激な寒波だったから身に堪えたというの?それとも我が身が更に老いたから軟弱になって余計に寒さを感じるようになったからとか…。何んにしてももう去年のことはすっかり忘れていて、今のことしか考えられなくなっているようです。ナサケナイ!

 ところで先日の日曜日、義母の四十九日の法要を済ませたんですよ。所謂〝満中陰〟で、菩提寺が広島市で墓もその寺の中にありますから納骨式も同時に終えました。当日は何と最強の寒波が襲ってきた日で、朝宇部を出発するときから雪がチラチラ…。山陽自動車道の周南市を過ぎる頃にはとうとう猛吹雪になって、これはどうなることやらと心配したのですが、どうにか広島に着く頃にはまたチラチラする程度になりホッとしました。

 歳時記などを見ると命日や忌日などを詠んだ句は結構あるんですが、この四十九日を詠んだのは意外と少ないんですよ。それ以上に満中陰で詠んだ句は少ない…というより有名な俳人の句では全く見当たりませんでした。

  鴉鳴く四十九日や塚の霜    正岡子規

 では、この〝満中陰〟というのがどういう意味なのか、皆様はご存じですか。実は〝四十九日の忌明けを迎え、死者が無事に成仏したこと〟を言うんだそうです。今まで何気なく使っていましたけれど、でもどうして亡くなった人が成仏するのに49日間というものが必要なのかしら?と考えると不思議です。今まではみんながそういうからそういうものだと思っていましたが…。ではこれが40日や50日とかではどうなのかしら?

 実際義母が亡くなってから四十九日目になるのは12月16日。ところが、この日が第3土曜日でしたので、私は朝からきらら俳句教室、午後宇部馬酔木句会と、手が外せない日。それで1日延してもらって日曜日にと頼んだんですが…、それがちょっと気になっていたんです。

 何故かというと、一周忌や三回忌などの法要は、絶対その日にしなくてもその日の前の方なら皆が集まりやすい日でいいと。それで都合のよい日を話し合って決めていましたからね。だから早めるのはちっとも気にならないのですが、遅くにすると言うのは今までに無くて、それはどうなんでしょうか。以前こういう法要は後に延ばすのはよくないと聞いたことがあるものですから。

 それで満中陰がなぜ49日なのかを調べてみました。 すると、仏教では人が亡くなるとあの世で7日毎に極楽浄土へ行けるかどうかの裁判が行われ、その最後の判決の日が49日目となるためなんですって。そのためにその判決が出る前に法要をして死者が無事に極楽浄土へ行けるように供養するということのようです。じゃあそうすると…お婆ちゃんにはもう判決が出ていて…でもお婆ちゃんが判決で地獄へ行くということは絶対にあり得ないし…ううん、これはどうしたもんでしょう。

 私の実家は浄土真宗ですから結婚するまではいつも〝南無阿弥陀仏〟と言って拝んでいたのですが、主人の家は法華宗なので、〝何妙法蓮華経〟というんですよ。しかし、これは宗派には関係なく、四十九日というものはどこでも同じようですから、それが過ぎてからするというのもね…特に私が原因だから気がとがめるんです。

 でもご住職にはその辺のことはお聞きして問題ないということで実施したんですよ。今までたくさんの法事には出席しましたが、私たちが施主ではなかったので言われるままという感じでした。それで施主側になったのが今回初めて。2年前の義弟の時はお婆ちゃんが施主でいろいろ指示してくれましたので、余り深く考えもせずにやってましたからね。

 こういう冠婚葬祭の決まり事などというのは自分では滅多にしないことで、何もかも初めてのことばかり。何をどうしていいのか戸惑ってしまいますよね。先ずはお布施はいくらぐらい包めばいいのかということから困ってしまいました。でも、これは義弟の時の記録がありましたので助かりましたが、たとえ記録を書き残していても年数が経ってしまうと相場も変わるでしょうから役に立たなくなりますよね。そういう点今はインターネットで直ぐに調べられて、これは本当に便利です。以前は人づてに聞いたりして判断していましたので、結構悩みました。定価というものがあるわけでもなし、場所場所でもみんな違っていたようですもの。

 だから香典についても様々、またその香典返しについてもいろいろ…こちらでは香典の額の半返しというのが相場になっていますが、皆様の所はいかがですか。これはどうも西日本に広まっていることのようですが、東日本や東北・北海道の方ではどうなんでしょう。こういうことは当事者になってみないと分からないことだらけですよね。次にと言っても今度は私たちがして貰う番ですもの。子どもたちによく教えておかないと…でも、こういう問題はもっと先に行けば、もう墓を守ったりする人もいなくなり、当然法事もしなくなると。そのうち葬式もしなくなるかも…なんて!

 ああ、こんなこと考えてると嫌になりますので、もう止めますね。とにかく、お婆ちゃんは無事に天国へ行ってますよね!そこできっと、お爺ちゃんたちにも逢って楽しく過ごしていることでしょう。ご住職様が仰いましたが、決まりに囚われるより、要はその亡くなった方のご冥福を祈るという気持の方が大事なんですよということ。私もその通りだと思います。

 では、お口直しに…法要の後出席者で会食をしましたが、そのお料理の写真をどうぞ。生前お婆ちゃんがもう一度行きたいと言っていた、江波山のシェ・ヤマライさん、そこのフランス料理を食べに行ったんです。夏やお正月に広島へ行くとみんなでよく食べに行ってましたから…ではお婆ちゃんも一緒にね…合掌。

 写真がうまくブログに載せられませんでしたので、その一部だけ…解決したら続きはまた載せますからね…ゴメンナサイ!ここは広島ですので、ナント言っても名物料理の牡蠣のオーブン焼き5種のオードブル、美味しかったですよ!

 写真の追加です。

 

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10日間以上も何をしてたの?

2023年12月11日 | 俳句

 12月に突入して早くも11日。うわあ…一体今まで何してたのよ!なんて叫びたい気分です。でもね~決してブラブラと遊んでたわけではないんですよ。

 前回書いたブログが11月29日、義母の月命日でした。それから来週の16日が49日、満中陰になるんですよ。早いといえば早いし遅いといえば…

 今は忙しさに追われて時間がどんどん過ぎていきます。どんな悲しみも時間が薬だとよく言われますよね。私も〈刻といふ万能薬や年暮るる〉と詠んだことがありますが、これはいつ頃だったのかしら?でもきっとその時は刻が私には一番必要だったんでしょう。

 では時間が過ぎさえすればお婆ちゃんの面影が薄れるのかというと、そんなことはありませんよ。何時でも近くで見守ってくれているような気がしますもの。

 私たち夫婦は今でも二つの家を行ったり来たりの生活を続けていますが、そのうちこの義母の家は処分しなければならなくなるでしょう、が、これも骨の折れることです。なんにしても年を取ると変化のないのが一番。とにかく生活の基盤は変えない方がいいんですけどね。

 さて、ではこの10日余りを振返って、一応記録として書いておきましょう。12月1日は月例の吟行会。12月4日、5日は俳句教室。7日は医大の検診、それが済んでから掛かりつけ医院でのコロナのワクチン注射。これがいけませんでした。もう6回目ということで副反応を軽く見ていました。腕の痛みは覚悟の上でしたが、微熱と全身の倦怠感…これもいつものことですからそのうちによくなると思っていたのですが、よくなりませんでした。それで、8日の整骨院やリハビリの通院をキャンセルして1日寝ていました。だって9日が午後と夜の部のダブル句会がある日でしたので。

 ところが、今度は目眩と吐き気でフラフラ。でも休むわけにもいかず、どうにか頑張ったんですよ。それでまた10日はダウン。これがワクチンからなのか、それとも何か他からなのか…気になって今日は病院へ行こうと。でも風雨が酷くってぐずぐずしていました。すると何とか目眩も吐き気も収まって…今こうやってブログを書いています。ブログはこれまでも何度か書きかけたんですよ。その度に途中で…意気地が無いんです。(笑)

 それでは、先日の吟行会での写真がありますので、それを報告しましょう。今回の吟行地は宇部市の万倉(まぐら)方面です。この日は急に寒波が襲ってきて、この写真を見たらその寒さが分かるでしょう。今にも雪が降りそう…でも降りませんでしたよ。(笑)

 先ずは宗方古墳へ。余りにも小さくて…訊ね訊ねてやっと田圃の中に見つけました。半分は壊されて…その古墳の上には石祠。茶の花が咲いていました。

 行く途中の穭田(ひつじだ)がこんなに伸びて、また稲刈りが出来るねなんて(笑)…今年がいつまでも暑かったからでしょうかね。

 次は主人が習っている陶芸教室の嶋本先生の陶房〝遊土〟を見学させてもらいました。20年前この古民家を買って陶房にされたんですって。ここでは灯油と電気の窯で焼くが、穴窯で焼くことも…それは北九州にあると。最後にお願いして轆轤を回すところも見せていただき…ありがとうございました。(写真の掲載は許可をいただいています)

 最後に山口県指定天然記念物の教善寺の山茶花を見に行きました。かつて寺の境内にあった旧万倉幼稚園園舎の裏手に生育していて、樹高約13メートル 目通り幹囲は約2.3メートル。樹齢は約450年と推定され、国内でも屈指の山茶花の木です。その樹高は、県内においては類例がなく、全国的にも最大級のもののひとつとみられています。寺の言い伝えによると、万倉の領主であった杉氏の家臣本田氏が九州で戦った際に持ち帰った種をこの地に蒔いたと言われています。花は白でちょっと小振りの花です。以前来た時にはもっと大きくて勢いがあったように思うのですが、やはり年々の風雨などで枝などが折れたりしたんでしょうね。

 昼食は久し振りの農家レストラン「つつじ」です。今までは吟行会が水曜日でしたので、その時はここは定休日。それが金曜日に変更しましたので今回はOKだったんです。その後厚南会館に戻って16時まで句会をしました。みなさん、お疲れ様でした。 

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