ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝明日香の風〟その4

2019年10月31日 | 俳句

 10月が終ります。明日からいよいよ11月…といっても陰暦では?

 歳時記で「十月」を見ていましたら〈十月や??さやに秋刀魚食ふ〉という石田波郷の句が目に止まりました。??何と読むのかしら?すぐに電子辞書の『新漢語林』で調べてみると、「顳顬」〝こめかみ〟でした。

 言葉は知っていましたが、今まで書いたことない漢字ですから…フウーン、なるほど〝頁〟は頭のことだから〝耳〟が三つ?…〝聶〟はささやくという意味だと。そうすると口でささやくから〝囁〟なんだ!頭で囁くのが〝こめかみ〟、即ち〝物を嚙むとき動く、目のわきの部分。また、その骨〟なんだと。やっぱり漢字は面白い!

 それにしても便利ですよね。昔なら重たい漢和辞典を引っ張り出して、部首と画数から探し出し…根気がいりましたから、時間が無いときは本当に弱りましたもの。俳句を始めた頃は、吟行の荷物の必需品が辞書…それも昔ながらの学生が使うもの、コンパクトなんですが、他に歳時記もいるし…で、一泊吟行などは荷物が重くって、フウフウ言っていましたからね。電子辞書になってからはいろんな種類の辞書が入っていますので、本当に便利です。今さらながらITの発達を痛感します。そういえば、私には絶対忘れられないのが昔の〝ガリ版〟…もう若い人には通じないでしょうが、…止めましょう。こんな話し出したらきりがありませんので、またの時にでも。

 では〝明日香の風〟のつづきです。

 〝甘樫丘〟を下りて、稲田の中の径を行くと、飛鳥資料館でも見ましたが、本物の〝亀石〟へ出ました。この亀石は今では明日香村観光のシンボルともなっていますが、何度見てもトローンとした目がナントモいえません。心がほのぼのします。

 最後は〝橘寺〟へ。ここは、聖徳太子の生まれた寺で有名です。当時は橘の宮という欽明天皇の別宮があって、その第4皇子の橘豊日命(たちばなのとよひのみこと・後の用明天皇)を父として、ここで572年に生まれたということでした。この〝橘〟が、昔中国から持ち帰った〝トキジクノカグノコノミ〟といって、今の蜜柑の原種になっています。ここには「二面石」という、飛鳥時代の石造物もあり、〝人の心の善悪二相を表したもの〟といわれています。更に太子の念仏精神を今日に生かすため念仏写経研修道場として再建された「往生院」がありますが、ここの格天井に著名な画家の絵が260点奉納されていて、寝転がって鑑賞して下さいと言われましたので、みんなで寝転がって見ました。それはそれは見事でしたよ。何が?そりゃあ本堂にみんながゴロゴロと寝て見ている姿ですよ!残念ながらスマホの電池切れで写真がダメ、残念!二面石は飛鳥資料館のものです。

 もう足はクタクタ…飛鳥川の水音を聞きながら坂を登り宿舎の祝戸荘へ3時過ぎに戻りました。ああ、疲れたあ! 途中に咲いていた〝野菊〟と? きっと以前載せた〝コルチカム〟だと思いますが…。疲れた心を慰めてくれました。

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〝明日香の風〟その3

2019年10月30日 | 俳句

 今夜はナントも寒い!行く前はこんなに寒かったかしら?新聞を見ると最低気温12度と。フウーン、そういえば昨夜家に帰るとき道路に立っていた気温表示板が14度になっていたっけ。

 27日からの馬醉木の鍛錬会解散後、伊良湖岬を回って昨夜帰ってきました。気が付いたら10月もあと一日残すのみなんですね。オソロシイ!こんなに日がドンドンと過ぎて、このまま突っ走っていけばもう年末ですよ。何だか自分で時間を早めているような…これが〝生き急ぐ〟ということなのかしら?だとすれば〝死に急ぐ〟とも…これはヤバイ!

 書くことは山ほどあるのに…頭の中がごちゃごちゃになってる。何から片付けようか…やっぱり〝飛鳥〟でしょうか。ハイ!

 「酒舟石遺跡」を過ぎて、次に向かったのは「飛鳥寺」です。ここは第32代崇峻天皇元年(588)蘇我馬子が発願し、第33代推古天皇4年(596)に創建された日本最初の寺。飛鳥に来れば必ずここの本尊「飛鳥大仏」を拝まなくっちゃ、でも私は初めてではないので…何回目かしら?

 飛鳥大仏(釈迦如来坐像)とは、推古天皇13年(605)、天皇が聖徳太子や蘇我馬子及び各皇子と誓いを立てて発願し、同17年(609)鞍作鳥(止利仏師)によって造られた日本最古の仏像です。左右で表情が違って見えるからと説明され、見比べてみますと確かに正面から見て左側が温和な感じがしました。入館料350円よ。

 日本最古の寺と仏には真っ白な芙蓉がよく似合います。歩いていく道には辻仏が…

  石どれも飛鳥の貌や冬日差  これは以前来たときの私の句、句集『甘雨』より

 次に「飛鳥資料館」。ここは一般270円なんですが、65歳以上という証明ができれば無料。もちろんみんな該当者ですから、ご心配なく。7世紀の日本の政治・文化の中心はこの飛鳥、その発掘資料を中心に分かりやすく展示されています。庭には亀石、猿石など、四季折々の木々も目を楽しませてくれます。さあここで、お弁当です。祝戸荘で作って貰ったおにぎり弁当を気持ちの良い風が吹く庭でいただきました…先程までしきりに鳴いていた鵙(もず)もどこかへ…

 腹ごしらえもできたし、いよいよCコース大詰めの「甘樫丘(あまかしのおか)」へ。途中中大兄皇子が造った日本初の時計として知られる漏刻跡の、「飛鳥水落遺跡」を見て行きました。この甘樫丘は、標高148mの丘陵で、丘全体が国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区となっています。丘の北側には甘樫丘展望台、南側には河原展望台が整備されていて、明日香村内や橿原市内の大和三山や藤原京などの風景を望むことができます。また『万葉集』などで歌われた植物が植えられた「万葉の植物園路」も整備されていますよ。

 登っていく途中に以前載せた志貴皇子(しきのみこ)の歌碑がありました。そこでちょっと休憩に一句をと、みんなが言うので…〈ワンゲル乙女の袖吹きかえす明日香風西京を遠みいたづらに吹く〉とパクってみせると、結構ウケました。エヘッ……ちなみに、〝西京〟とは山口市のこと。

 やがて展望台に着くと、Bコースの天香具山と畝傍山、Aコースの二上山がしっかりと見えました…〝ヤッホー〟聞えるはずないわね。赤い実はガマズミです。では、つづきはまた明日…オヤスミナサイ!

   

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〝18歳と81歳の違い〟

2019年10月26日 | 俳句

 今日は最低気温13度と、ちょっと寒いです。明日からまた3日間ほど出かけますので、ブログもお休みします。

 実は馬醉木の鍛錬会が岐阜県の多治見であるんです。宇部から3人で参加しますが、こういう会にはめったに参加したことがありませんので、どうなることやら…戦々恐々です。どんな方々が来られるのかも分からないし…コワイですよ。まあ、出たとこ勝負で、あがいてもなるようにしかなりませんもの。帰ったらまた報告しますね。

 というわけで、もう寝なくっちゃ!明日の朝は早いんですから…

 それで、〝明日香の風〟のつづきも帰ってからにしますね。ゴメンナサイ!

 おわびのしるしに…友人から貰ったのですが、これはもう何年か前に流行っていましたよね。私もこれを覚えて、みんなを笑わせるネタに使っていましたから、懐かしいです。でも今時は81才ではまだこうはならないのでは?今度は〝19才と91才〟にしなくちゃ!それで何か考えるといいかも。どなたか考えて!

 〝18歳と81歳の違い〟

 恋に溺れるのが18才     風呂で溺れるのが81才

 道路を暴走するのが18才   道路を逆走するのが81才

 心がもろいのが18才     骨がもろいのが81才

 偏差値が気になる18才    血圧・血糖値が気になる81才

 まだ何も知らない18才    もう何も覚えていない81才

 東京オリンピックに出たいと思うのが18才 東京オリンピックまで生きたいと思うのが81才

 自分探しをしている18才   皆が自分を探してる81才

 では、オヤスミナサイ。

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〝明日香の風〟その2

2019年10月25日 | 俳句

 さて昨日の夜の雨は…雷は?と、少しは気にしてもよさそうなものですが、またまたぐっすりと寝てしまいました。

 今朝はもう雨も止んでいましたが、どんよりと雲が厚い…それも黒い雲。また降るのかもと思っていましたら、午後からはナント晴れてきました。久し振りにフラダンスへ行きましたが、今日は暑い!でも窓を全部開けると〝爽やかな風〟が吹抜けていって快適でした。終ったら、これも久し振りのリハビリへ。

 では、〝明日香の風〟のつづきです。

 昨日の最後の写真に載せましたが、あの行燈(?)に書いてある和歌は、『万葉集』巻1・51の志貴皇子(しきのみこ)の次の歌です。

  采女(うねめ)の袖吹きかえす明日香風(あすかかぜ)都を遠みいたづらに吹く

 藤原京へ遷都された後、かっての宮だった飛鳥を訪れた志貴皇子が、〝采女のゆったりとした袖をひるがえすように吹く明日香の風は、都が遠いので、今では何のかいもなく、ただむなしく吹いているだけだよ。〟という意味で、昔を懐かしんで詠んだものです。〝采女〟とは古代、郡の少領以上の家族から選んで奉仕させた後宮の女官のこと。この歌を刻んだ歌碑もありました。

 志貴皇子は天智天皇の第7皇子で、青年期を飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)で過ごしたのです。この歌碑が建ってたところに「伝飛鳥板蓋宮跡」がありました。このあたりは、乙巳(いっし)の変(大化改新)のはじまりの舞台となった場所で、調査で飛鳥板蓋宮(皇極天皇)だけでなく、飛鳥岡本宮(舒明天皇)や、飛鳥浄御原宮(天武・持統両天皇)など、複数の宮が断続的に置かれたことが判明し、伝飛鳥板蓋宮跡から 飛鳥宮跡に名称が変更されたということです。現在復元されている石敷広場や大井戸跡は上層の飛鳥浄御原宮のものと言われています。ゆっくり見て、写真を撮りたかったのですが、時間がないと、アッという間に素通りです。やっぱり俳句の人と来ないとダメですね~。

 そこからすぐ近くにある「酒船石(さかふねいし)」へ。江戸時代の国学者・本居宣長の『菅笠日記』にも登場する、明日香を代表する謎の石造物。平らに加工された表面には、円、隅丸方形、楕円の窪みが彫られ、それらを直線で溝が結んでいます。酒造りに用いたと伝わることからこの名が付いたということですが、用途はいまだに分かっていないと。

 そこから今度は、まるで京都の嵯峨野のような竹林の道を下って、「亀形石造物」へ。この丘陵一帯に広がる遺跡は現在「酒船石遺跡」と呼ばれ、『日本書紀』にみられる斉明天皇の「両槻宮(ふたつきのみや)」ではないかといわれ、この場所で何らかの祭祀が行われていたものと考えられています。ここを見るには文化財保存協力金として300円いるというので、中に入らずに写真だけで我慢しました。だって、「飛鳥資料館」に行ったら、レプリカなんですが、全部あるんですって。

 竹林を過ぎたところにまだこのような紫陽花の花がたくさん残っていました。これはあの〝秋紫陽花〟というものなんでしょうか。でも、こんなところに誰かが植えたとも思えないし…。山などに行くとときどきこのような紫陽花を見ることがありますから、咲き残っていたのかもしれませんね。

 次は〝飛鳥寺〟なんですが、それはまた明日にでも…

 

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〝明日香の風〟その1

2019年10月24日 | 俳句

 今日は久し振りに朝から雨でした。シトシトシトシト…、ところが、午後の俳画教室へ出かける前、携帯に宇部市が大雨注意報20㎜と表示されました。エエッ、大雨?…車の窓を見ても大して降っていませんよ!ほら、駐車場から傘を差さずに走っていったけど、大丈夫だったじゃないの…と思いながら教室へ入りました。

 今日の俳画の画題は〝柿〟。枝になっている柿の実が一つと一枚の葉だけの絵です。柿の実の朱色以外は全部墨。ああ、柿の蔕(へた)は緑でしたが…だから結構難しいんですよ。柿の実も葉もたったの二筆で描くんですから。

 うん、まあまあの出来かしら。ここにお見せできないのがザンネン!さて、終って帰ろうとするとナント雨がザーザー、やっぱり大雨なの?と思いつつ、いつもの病院へ寄って薬を貰って帰りました。すると、帰りはとうとう土砂降り。携帯が鳴るので見ると、今度は豪雨注意報40㎜だって、これ、ホントならヤバイ!でも何だかウソみたい…この辺りで水害になった話聞いたことないし…〝まあ、いいか〟といつものごとく…。 

 それではそろそろOB合宿の〝飛鳥〟の話にでも…

 10月17日(木)は、15時30分に宿舎集合でしたので、定刻には今回の参加者42名が集まりました。私は昨年、一昨年と参加していませんでしたので3年ぶりの再会。いやあ、みんな変っていませんね~。昔(?)のまんまや~。

 宿舎の「祝戸荘」は、国営飛鳥歴史公園祝戸地区にあるコテージ風宿泊施設です。「太子」「草壁」「大津」など、部屋の全てに飛鳥に関係する名称がつけられています。私は以前にも俳句の研修会で来たことがありますので…でも食べたことしか覚えてなくて、ダメですね~こんなんじゃ俳句なんて詠めるわけな~い!

 私の部屋は「額田」、あの「額田王(ぬかたのおおきみ)」の名がついた女性4人の部屋でした。こりゃ俳句ならぬ和歌でも詠まなくっちゃ…でも、ワンゲルは〝歩く〟のが専門、残念だけど俳句のことは忘れて楽しみましょう。

 夕食はここの自慢の逸品、古代食〝万葉あすか葉盛御膳〟でした。

  にごり酒 、(いい) 米(赤米白米混)黒米(黒米白米混) 、(あぶりもの) 鴨肉・あまごの塩焼き・茄子煮びたし鰹かけ 、(あえもの) 炙り帆立貝柱の金山寺味噌あえ 、(あつもの) 黒米麺・山菜・生姜・稚鮎の甘露煮 、(なます) もずく・手長海老・柚子 、(にもの) とこ鮑・八幡巻・戻し椎茸の甘煮・ふきの煮物・銀杏・牛蒡の鰹煮 、(ゆでもの) 高菜の胡麻油いため・ごま豆腐・枝豆・里芋・山くらげの梅和え 、果子(かし) 蘇(古代のチーズ)・焼栗・山桃・白いちじく・果物  他に五穀米と若布の吸い物でした。スゴイでしょ!一応フルコースですよ。

 この古代食は、飛鳥時代の宮廷人や高級官僚たちの食事を復元した、いうならば当時の貴族の〝宮廷料理〟なんです。今の私たちではめったに口にすることができないご馳走なんですよ。だって年金暮らしの庶民ですから…

 藤原京や平城京での食生活は出土木簡などから分かっているんだそうですが、飛鳥時代については殆ど資料がなくて、藤原京の遺跡から出土した木簡をもとに想像を加えて〝飛鳥の宮廷の食卓〟として現代風に再現したものだと、支配人から紹介がありました。須恵器を模した酒器のにごり酒、朴の葉を敷いて盛られた山海の珍味…昔を思い出しながら懐かしく頂きました。特にあまごの塩焼きが絶品でした。ゴチソウサマ!後は学年別の懇親会…私たちの年度は10人参加で一番多かったんですよ。

 18日(金)は、合宿のメイン。A、B、Cの3コースに別れて8時30分出発です。私たちCコースは、祝戸荘~石舞台~飛鳥寺~飛鳥資料館~甘樫丘(昼食)~天武持統陵~祝戸荘まで、約10㎞の行程。

 お天気は、私が行くんだから大丈夫よ、な~んて言ってたら…ほら、バチが当たって天気予報は雨だって!でも、そんなこと気にしないもん、と朝までぐっすり…。行く前がちょっと寝不足でしたから。そしたら、見事に雨が上がって曇り…さらに、そのうち青空まで見えてきて、バンザイ!です。

 最初に行ったのは〝石舞台〟。ここは横穴式石室を持った方形墳で、築造は7世紀の初め頃と推定されていますが、いつ頃からか古墳上部の封土は失われ巨大な天井石が露出した姿です。被葬者は不明ですが、6世紀後半にこの地で政権を握っていた蘇我馬子の墓ではないかと言われています。

 〝石舞台〟という名の由来は、一般には石の形状からとされていますが、昔狐が女性に化けて石の上で舞を見せた話やこの地にやって来た旅芸人が舞台がなかったので仕方なくこの大石を舞台に演じたという話もあります。

 この〝石舞台〟には何度か来ましたが、以前は確かタダだったので自由に出入りができました。その時、この穴の中に何人入れるかなど言いながら記念撮影をしましたが、石の上に登っている人もいたような…。今では石の上に登ることは禁止され、お弁当などの飲食も遠慮して下さいと。外からは見えないようにしてありますので、入場料300円を仕方なく払いました。何だか…クヤシイ!

 でもやっぱり飛鳥はいい!一昔も二昔にも戻ったような気がして、吹き渡る風が違います。ここはまだ村なんですね。地名の時は〝明日香村〟と書くんですって。どっちの字もいいですね~。そういえば俳人にもいましたよ。〝野見山朱鳥〟(のみやまあすか)という、高濱虚子に師事して、「菜殻火」を主宰した福岡県出身の俳人です。

 曲がりくねった狭い道、バスの通るのがせいいっぱい…そんな道をリュックを背負っててくてくと歩く人たちの群が…私たちもそうですが…ビルや自動車の騒音がないのもいい。もう曼珠沙華は終っていたけど、残り花が一本咲いていました。あちらこちらに小流れの水音…水も澄んで、金平糖のようなかわいい〝ミゾソバ〟の花が、ほら…

 気持がだんだんと浄化されていくようでした。家々の入口には万葉の歌が書かれた行燈(?)が…これが〝明日香の風〟なんですね。ではこのつづきはまた明日…

 

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兼題は〝秋の暮〟

2019年10月23日 | 俳句

 昨日は、天皇陛下の「即位礼正殿の儀」が行われるので、国民が祝意を表するためとして今年限りの祝日となっています。だから、いずこも休日のはずなんですが、…

 ところが、ここのふれあいセンターは休みではないのです。ああ、これはどこのふれあいセンターも同じだと思うのですが、こういうコミュニティー関係の施設ではいろいろな講座が開かれていますので、普通の時でもお休みはないようですね。だから、土日などにはいつもの職員ではない臨時の方が勤めておられますもの。

 それで私たちもやれたんですが、実は俳句教室の日だったんです。13時30分からですので、13時からの即位の礼の様子は見られませんでした。帰ってニュースでは見ました…平安時代の絵巻そのもののようでと、アナウンサーが言っていましたが、皇后陛下や他の皇族の方々の十二単はまこと美しかったですね。でも、東京の方は雨がザアーザアーと…こちらではまあまあの天気でちょっと暑いぐらい、最高気温も25度でした。

 それはそうと、平成天皇の即位の礼、当然あったはずなのに…主人に〝何か覚えてる?〟と聞くと、〝いや、何も覚えとらん。仕事が一番忙しかった頃かいの~〟と。私も全く同じ、祝日で休みだったかどうかも…まだ30年ほどしか経っていないというのに…。それよりもしっかり目に焼き付いているのは、あの皇太子殿下の時の美智子様とのご結婚。もちろん装束の姿もですが、特にご成婚パレードの車に乗られた美智子様の姿が、まるで外国映画でも観るようで…ワクワクしながらテレビに齧りついっていましたっけ…アッ、その頃のテレビってまだ白黒でしたよね。

 まあ、その話はおいといて、今日の兼題は〝秋の暮〟でした。この季語には〝秋の夕暮れ〟と〝秋の末〟という意味がありますと、『角川俳句大歳時記』には説明があります。私が初心の頃は、〝秋の暮〟は秋の夕方で、晩秋のことではない。晩秋をいうのなら〝暮の秋〟にと指導を受けました。清少納言の『枕草子』でも、〝春はあけぼの…夏は夜…秋は夕暮れ…冬はつとめて…〟と、それぞれの季節で風情があるのはと、書いていますが、あれも秋は日暮れ時です。また、『新古今集』にも「秋の夕暮」と結んだ3首の歌があって、「三夕(さんせき)の和歌」として有名です。しかし、この3首もすべて〝秋の夕暮れ〟の風景を詠ったもので、秋の末という意味には使っていません。まあ、言わなくても秋という季節の持つ侘しさと一日が終ろうとする時間的な淋しさは重なってくるとは思いますが…。それは生きるもの全てがもつ寂寥感というものでしょうが。

  去年より又淋しいぞ秋のくれ

  鳥さしの西へ過ぎけり秋のくれ

 この2句とも与謝蕪村の句です。前句には両方の意味で曖昧さが感じられます。しかし、〈去年より又…〉という感慨に対して〈秋のくれ〉という一日の数時間を実感しているとすれば少し短すぎるような、更に冬という季節に繋がるものと考えるならば、秋の末の方が合うような気もします。この句には「老懐」という前書が付いているとか…。

 後句は〈鳥さしの西へ…〉ということですので、「西」は〝日が沈む方〟だと考えれば、当然夕方でしょう。ちなみに、「鳥さし」というのは、〝細い竹竿などの先端に鳥黐(とりもち)を塗って小鳥を捕え、それを売る人〟のことです。とすると、一日の仕事を終えた鳥さしが帰っていく状景を見ての句でしょうからね。

 そういえば、「夜の秋」という季語も、古くは「秋の夜」と同じ意味で、秋季として用いられていたらしいんですが、今では〝昼はまだ夏の暑さが厳しいのに、夜になると何となく秋の気配が漂う〟という、晩夏の季語になっていますもの。

 句会では、季語の動く…即ち「秋の暮」でなくてもいいという句が目立ち、結構難しい兼題でした。また、モチーフ的にも淋しさに繋がるもので処理している句、要するに〝即きすぎ〟ということも。でも今日は〝即位の礼〟の日なんだから、どんな欠点があっても〝恩赦、恩赦〟と言って、みんなで笑って終りました。休日なのに皆様お疲れ様でした。

 写真は、〝秋の暮〟の「柿紅葉」。こんなにキレイなのもありましたが、今年は葉も実も殆どダメですね。

 

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兼題は〝刈田〟

2019年10月21日 | 俳句

 今日は朝から溜まった句稿の選句と講評でバタバタ…午後からは俳句教室ですので、その準備と、ちょっと余裕がありませんでした。だから、外に出て空を見ることもなく出かけ、終って帰るとき、なんと雲一つない青空…〝うわ~こんなにキレイな空やったんやね!〟と。

 人間余裕がないと見えるものも見えないんですね。花水木も美しく紅葉が始まっていましたし、来る途中の銀杏並木も色付き始めていました。

 今日の兼題は〝刈田〟。稲を刈ったあとの田ですから、晩秋の季語です。

  待ちかねて雁の下りたる刈田かな       小林一茶

 よく知られた句ですからご存じの方が多いかも知れませんが、この句には「雁」と「刈田」と季語が二つ。どちらも晩秋の頃ですから問題はないのですが、さて、どちらも大きな季語ですので、どっちがメインでしょうか。ここはやはり「刈田」の方なんですね。

 初心の方によく聞かれます。歳時記に載っている例句に結構季重ねの句が多いのに、なぜいけないのかと。そうなんです。私も最初は不思議に思っていましたもの。ある意味これは一筋縄ではいかない問題ですから、私が〝こうだ!〟と断定できるほどの勉強をしていませんし、知識も持ち合わせていませんので、詳しくは書きませんが、経験上からいえば、季語を知り〝焦点を一つに絞る〟という俳句の基本を学ぶためのトレーニングだと考えて、初心の時は季重ねを避けた方がいいと思います。概ね昔の人の句には季重ねが多いんですよ。あの俳句革新を唱えた正岡子規も季重ねに関しては大様なところがあったようですから…。

 でも私が俳句をはじめた頃は、最初に季重ねを厳しく注意されましたから、なにも考えずにそういうものだと思って学んできました。今は自分で〝この季重ねは許せるが、これはやめた方がいいな〟ぐらいの判断で作っています。

 ところで、一茶の句…もう何年前でしょうか。鳥取の米子水鳥公園の方へ探鳥旅行で出かけたことがあります。その旅行のメインは〝白鳥〟と〝雁〟の観察でした。

 米子水鳥公園は、毎年シベリアからやってくるコハクチョウ観察での日本の南限となる公園なんです。多い時は千羽以上がやって来て、観察施設も整っていますので、白鳥を観るためにはここが一番近いところなのです。

 宇部には、〝白鳥湖〟が最大の売りだったときわ公園があります。そう、「…だった」という過去形なんです。話せば長くなって、ここでは止めますが、ちょっと簡単に…。とにかく私が宇部に来て一番感動したのがこの〝白鳥湖〟だったんですから。

 忘れもしません。平成23年(2011)2月、高病原性の鳥インフルエンザ感染によりコクチョウが死亡したことを受け、"常盤湖"で放鳥飼育するハクチョウ類358羽及びカモ類41羽を、一羽残らず捕えて殺処分が行われたんですよ。それを聞いたときはもう何も言葉が出ませんでした。それに携わっていた、当時野鳥の会会長だったSさんが涙を堪えきれずに挨拶されたのが今でも目に浮かびます。

 その後、慰霊碑も建てられ鳥たちの供養をし、また、平成29年(2017)5月、6年ぶりに常盤湖にハクチョウが復活しました。昭和55年にときわ公園から下関響灘ライオンズクラブに譲渡した ハクチョウの子孫で、 今までは下関市の深坂自然の森の深坂ため池で飼育されていたものです。親鳥2羽と雛6羽…今広々とした湖で悠々と泳いでいますが、昔を知っている者からするとそれが却って淋しくもあり切なくもあります。

 ちなみに、今日の宇部の新聞に〝コブハクチョウとコクチョウ4羽 神戸からときわ動物園へ〟の見出しが出ていました。それは宇部市民にとっても嬉しいことです。だって白鳥は宇部のシンボル的存在だったんですから。ああ、それらが繁殖してくれると…何年先になるか分かりませんが、そのうちだんだん増えて昔の面影を取り戻せる日が来るかも知れませんね。

 話が逸れてしまいました。本当は「雁」のことだったんですよね。米子水鳥公園のあと雁が来るという場所へ行って観察したのですが、それが刈田の中だったんです。殆どが〝ヒシクイ〟という雁の一種なんですが、もうかなり穭田(ひつじだ)になっていて、その穭には穂が出ていましたので、それを食べに水鳥公園から朝飛んで来るのです。それはそれはスゴイ数でしたね。カンドウものです。

 ところで、この「穭田」というのも季語になっていますが、稲を刈った切株からまた新しい茎が生えている田のことです。

 そういえば、今日の句会でも〝刈田を詠もうと見に行くと、枯れ色のところと緑のところがあって、これは緑の刈田を詠みました〟という人がいて、ビックリ。まあ、無理もないですよね。私も俳句をするまでは知りませんでしたし、漢字も読めませんでしたもの。でも、稲を刈った後の田には違いがありませんが…。そうすると前掲の一茶の句の〝刈田〟も〝穭田〟…?

 いや、いや、歳時記を見ると〈ひつぢ田や青みにうつる薄氷〉という一茶の句がありましたから違うんです。が、この句も季重ねです。メインの季語は〝ひつぢ田〟。だってこれを〈ひつぢ田…〉とすると、メインが〝薄氷〟になって春の季になってしまいます。だから切字の「や」でしっかり切ったのではないかしら。穭田は春にはあり得ませんが、薄氷なら寒い地方では穭田の頃にも張るかも知れませんもの。今のような地球温暖化の時代ではありませんから、江戸時代の晩秋の頃はきっと寒かったのでしょう。

 今日の写真は、…刈田と穭田を撮ってくればよかったですね。ザンネン!今度撮ってきますから、今日はこれでゴメンナサイ!〝キバナコスモス〟です。6月~11月まで咲く丈夫なコスモスですので、花言葉も〝野生美〟なんだとか…

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防府三田尻吟行~つづきで~す!

2019年10月20日 | 俳句

 今日は穏やかな秋日和。昨日の夕方に帰って来ましたが…やっぱり疲れて、一日ボーッとしていました。溜まったものがたくさんあるのに…。ブログも三日間空けてしまうと、リズムが狂ってなかなか書こうという気が起こりません。基本的にワタクシぐうたらなんです。だから…ゴメンナサイ!

 さて、奈良の三日間は大学時代のワンゲルOB会の恒例行事。だから、目的は山登り…ところが、今年は関西支部の担当で〝飛鳥を歩こう〟という企画だったんです。私にはもってこいの場所ですが、メインは登山なんですよ。でも、みんな高齢者になって、やれ膝が、やれ腰がと…挙げ句の果てには〇〇癌で手術をしたとか…確実に衰えが年々進んでいます。だからコースにも上級A・中級B・初級Cの三つが設けられていて、当然私はCコースで~す。

 しかし、ここ飛鳥周辺には高い山はありませんので、Aコースは二上山、Bコースが天香具山と畝傍山、Cコースは山じゃなくて甘樫丘へ。後はあちらこちらの史跡巡りでした。宿泊は二日とも飛鳥研修宿泊所「祝戸荘」。

 Cコースが一番楽なんですが、それでも今回24,000歩以上歩いているんですから、足の痛いこと、痛いこと!湿布を貼って寝ても膝が疼いて、疲れているというのになかなか寝つかれず…。というわけで、昨夜もまだ膝が痛くて何もする気がしませんでした。

 それはさておき、先日の防府三田尻吟行会のことが途中でしたので、それから仕上げましょうか。飛鳥はまた次にでも。

 萩往還とは、萩藩が参勤交代で利用した長門の萩と周防の三田尻を結ぶ全長約53㎞の街道です。その終点がこの三田尻の御茶屋「英雲荘」で、この後は御舟倉に常置されていた御座船に乗って大阪へ向かったということですが、この御舟倉跡には堀割の一部が残っているだけでした。

 毛利氏の家紋は、定紋(表紋)の一文字三星紋と替紋(裏紋)の長門沢瀉(おもだか)紋の二つが主に使われています。定紋は、毛利氏の遠祖にあたる平城天皇の皇子、阿保親王が皇親に与えられる最も高い品位(ほんい)である一品(いっぽん)を与えられたことを図案化し、オリオン座の中央に輝く「三武・将軍星」と呼ばれる「三つ星」を組み合わせて考え出されたものといわれています。屋根瓦など外部の目につくところは定紋ですが、家の内部などでは替紋の沢瀉(おもだか)がいろいろなデザインで用いられていました。襖(ふすま)や釘隠し、シャンデリアなどの沢瀉紋をよく見て下さいね。それから欄間にも…。奥方の部屋の引手金具は七宝焼などと、いろいろと贅を尽したものになっていました。庭には水琴窟、飛石には石臼を利用したりと…

 この沢瀉紋は、毛利元就が出陣の時、勝ち草といわれる沢瀉に勝ち虫の蜻蛉がとまったのを見て勝利を確信し、見事勝利を収めたということからの紋だそうです。

 昼食が防府天満宮の参道入口でしたので、句会が終ってから近くにある「山頭火ふるさと館」へ行って、展示を見た後「山頭火の小径」を歩きました。ふるさと館から山頭火の生家跡までの道なんですが、昔来たときとは随分変ったような…。こんな石畳も草鞋の跡もありませんでしたし、マンホールの蓋も…、懐かしい赤いポストがありましたよ。でもまだ整備中とかで途中で引き返し、4時半には宇部への帰途に着きました。これで吟行会はオシマイ!

 

 

 

 

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三田尻へ吟行会~御茶屋と御舟倉跡~

2019年10月16日 | 俳句

 今日の天気は本当に快晴だよ。ヤッター!最高気温も22度…実は定例の吟行会だったんです。

 今回の吟行先は防府市三田尻にある御茶屋「英雲荘」と「御舟倉跡」でした。

 例の如く参加者は8人、車2台で9時に、さあ出発です。まず御茶屋「英雲荘」へ。ここは、萩城下から三田尻間を結ぶ萩往還の終点として設置された萩藩の公館で、歴史上重要な役割を果した国指定の史跡です。藩主の参勤交代時や迎賓に使用され、幕末には多くの勤王の志士を交え、国事が談じられましたし、文久3年(1863)京都の政変で長州へ逃れてきた三条実美ら七卿もここに滞在しました。明治以降は毛利家の「三田尻別邸」として使用されていました。

 英雲荘の中心棟である〝大観楼〟は、当時としては珍しい2階建ての檜皮葺で、江戸時代後期の武家様式を今に伝える貴重な歴史的建造物です。承応3年(1654)萩藩2代藩主毛利綱広が設置したものですが、その後安永5年(1776)、7代藩主毛利重就の隠居場として大規模な改築工事が開始され、天明3年(1783)、その工事が完了。その時の状態がそのまま保存されているという、日本に二つしかない(もう一つを聞いたんですが…忘れました)御茶屋なんです。それで、平成元年(1989)には、萩往還関連遺跡三田尻御茶屋旧構内として、国の史跡に指定されたんです。そして、平成8年(1996)に修復保存作業が始まり、各棟を往年の姿に復元して、平成23年(2011)より一般に公開されました。

 私はここには何度か来ていますが、今日は平日なので観覧者もいないし、そのせいか、館長さんが丁寧に案内して下さってとても勉強になりました。おまけに帰りはお土産の栞まで頂いたんです。アリガトウございました。

 そうそう、面白い話があるんですよ。以前吟行に来た時、初めて来たYさんが、この大観楼の二階に掛けてあった軸に描かれた七卿落ちの絵を見て、〝この中の澤という公卿を妻の実家で匿っていたんですよ…〟と言いだして、ビックリしたんです。こんなに身近で歴史が実在していたなんて…。ほんと〝びっくりポン〟ですよ。そのときのいろいろな資料なども家に残っていると聞き、それは是非見せて頂きたい…ということで、すぐに話が纏まり、次の吟行はYさんの故郷、萩の大島へ出かけたんです。もう何年前の事かしら、懐かしい話です。実は奥様の実家が大島の庄屋さんだったんですって。ところが、その家に匿われていたという史実は、インターネットで調べてもどこにも残っていませんでした。???

 確かにいろいろな書き付けなどを見せて貰ったんですが…古文書の字がなかなか読めませんし…記憶が薄れて…。その頃はブログ書いてなかったので、折角行ったのに記録がなくて食べたことしか覚えていません。う~ん、いけませんね。もう一度詳しく聞かなくっちゃ。でも、もうその家も処分されたとか、手遅れかも知れません。もしそうならザンネン!

 さてその後、近くにある次の吟行地の三田尻御舟倉跡へ。この「御舟倉」とは、藩主が乗る御座船などがあった、毛利水軍御船手組の根拠地のことです。萩城築城開始の慶長16年(1611)、萩往還の整備にともない御舟倉が下松から三田尻に移され、周囲には造船や修理のための施設が設けられました。しかし、江戸時代半ばからは陸路での参勤交代が多くなり、周囲の干拓も進み、御舟倉と海は水路で繋がる形になり、文久3年(1863)11月に藩は、三田尻御舟倉を「海軍局」と改めました。現在は水路や通堀の一部を残すのみとなっていますが、警固町や局ノ内等の地名に往時をしのぶことができます。これもやはり国指定史跡となっています。

 やがて昼過ぎになりましたので、防府天満宮の方へ移動して、昼食と句会を〝うめてらす〟で行いました。句会が済んで、〝山頭火ふるさと館〟へ寄って、後少し〝山頭火の小径〟を歩きました。そして、5時過ぎに宇部へ戻って解散。ハイ、お疲れ様でした。

 写真がたくさんありますので、まず〝英雲荘〟の方から見て下さい。明日から3日間奈良の方へ行き留守にしますので、ブログも休みます。また帰ったら続きを書きますので、読んで下さい…ゴメンナサイ!

①正門 ②正門(裏側) ③御茶屋の説明板 ④明治天皇行在所の碑 ⑤門の上の魔除けの桃 ⑥玄関前 ⑦大観楼(2階建てのところ) ⑧大観楼の檜皮葺 ⑨大観楼額(三条実美の書)と襖 ⑩掛け軸(七卿歓迎の図) ⑪大観楼2階から見るみくり屋根 ⑫大観楼の2階から見る檜皮葺 ⑬急な階段 ⑭裏庭 ⑮座敷(殿の間)から見る庭

 

   

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兼題は〝木犀〟

2019年10月15日 | 俳句

 今日は雲の多い一日、でもやはり〝晴れ〟です。気温は21度と気持がよいのですが、なぜかしら風の強い日でした。

 午後からは、俳句教室を行っている会館での「人権学習」でした。この会館を使用する人は必ず1回はこの人権講座を受けないといけない決まりになっているんです。だから、私も例に漏れず…。だって、名前を書いて出さないといけないんですから、サボるとばれるんです。

 今回は、NPO法人山口女性サポートネットワークの小柴久子氏の、「夫婦の対等な関係とは~DVについて考えてみよう~」という講演でした。

 対等な夫婦とは…1、お互いに支配したり、されたりする関係ではない。2、お互いに適度な距離で、尊重し合える関係…ということ。そこから、サポートネットワークへの相談件数や相談内容など、統計資料をもとに、山口県の実態を説明されました。それをみるとやや減少傾向にありますが、DVの相談件数が30年度は254件と。他にこどもへのDVで一時保護したこどもが13件あったと。

 最近の子どもの虐待で、手遅れになって亡くなる悲惨な事件が続発しているのをみますと、山口県も例外ではなさそう。オオ、コワッ! 最後のしめくくりは、自分には関係がないと知らない顔をしないで、「あなたの支援を必要としている人が周りにいるかもしれません」ので、気が付いたら手を差し伸べてあげてください、ということでした。ハイ、是非そうしたいです。でも…私の周りには若い人や子どものいる家庭が…。ああ、そうだ、年寄のDVだってあるかも。気を付けましょう。

 その後は、リハビリへ。昨日が休みでしたので病院も多かったですね。さらに、美容院へも寄って帰りましたので遅くなりました。今夜は最低気温12度ですって。家の中でももう寒いくらい…今夜の月は雲で全く見えません。本当なら十六夜の月ですが、俳句で詠むときはこの「十六夜」は陰暦8月16日のことで、中秋の名月の次に出る月なんですね。これは俳句の上での約束事ですから、今日のような月を「十六夜」と詠んではいけないんですよ。だって、月の満ち欠けにおいて十六夜は毎月あるんですから、どの季節でもありうるでしょう。

 先日の兼題、〝木犀〟での句。殆どが香りを詠んでましたね。確かに、花を見るよりも先にその香りで開花を知りますもの。仕方がないと言えばそうなんですが…。

 ここで考えてみましょう。そう、誰もが知っているということは、〝木犀や〟と言っただけで分かるということなんですよ。わざわざ〝木犀の香や〟とか〝木犀の香るや〟とか言わなくても。17音しかないんですから、できるだけ無駄なことを言わない!これが俳句のコツです。いや、言わなければいけないときも、また敢て言うときもありますけどね。それはもっと上手になってからということです。

  木犀や同棲二年目の疊           高柳克弘

  浴後また木犀の香を浴びにけり       相生垣瓜人

 前句には〝香〟がないですが、〝疊〟とありますからこの句は部屋の中の景です。ほら、香っているでしょう。でも後句は、風呂上がりの後ちょっと庭にでも出てみた景でしょうから、〝香〟と言わなかったら花びらを浴びているようにもとれるんです。だってあの木犀の花はぽろぽろとよく零れますもの。だからここは敢て〝香〟と言ったんでしょう。

 句会では、〈木犀の花の御飯やまんまごと〉と〈遠き日のままごと遊びや金木犀〉という似た句が出ていました。どちらも初心者の句ですから問題はありますが、香りではなくて子供の頃の回想で詠んだのが手柄でした。〝ままごとは私の頃は「あかのまま」でしていたけど…〟と言うと、〝それもしましたが、金木犀の花びらでもしていたんですよ~〟と。ヘエッ、じゃあ匂いのいいご飯だったでしょうね。でも〈まんまごと〉はあまりいい表現ではないです。後の句も、〈ままごと〉が子どもの遊びのことですから中七を字余りにして言う必要はないです。そこで、〈木犀の花をご飯と遊びをり〉と〈金木犀妹(いも)とままごとせし日々も〉に。〈遠き日〉も言わずもがなですので削りました。

 写真は、〝花虎の尾〟、7月から9月頃咲きます。原産地は北アメリカでシソ科の花です。俳句では〝虎尾草〟と書いて、〝とらのお〟という夏の季語がありますが、これはサクラソウ科で山野に自生します。花穂の先が獣の尾のように見えるところから付いた名です。

  

 

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ランタナは〝協力〟の花ですよ!

2019年10月14日 | 俳句

 今日も雲はありましたが、よく晴れていました。今外へ出て見ますと、昨日と同じくキレイなお月さまですよ。

 この前の11日が十三夜なら、昨日のが満月とてっきり思っていましたが、なんと俳句カレンダーには今日が満月と書いてありました。エッ、どういうこと? おかしいと思って、満月カレンダーを調べてみますと、十三夜の月齢は12.4、今日14日の月齢は15.4…と。

 ああ、そうなんだ!月の満ち欠けの周期は平均約29.5日だから、その半分の約14.8日くらいが望 (満月) の月齢になるんだったと。だから、陰暦15日がイコール満月ではないということ、以前も調べたんだっけ。国立天文台では、陰暦15日とは、月齢14.0を含む日で、月齢15.0を含むのは陰暦16日なんですよ。

 まあ、昨日も今日もちょっと欠けた満月ということには変わりはないからいいか…、ああ、なんとややこしいこと! ツカレルッ…

 それにしても今回の台風禍は、まさに〝目を覆うばかりの惨状〟としかいいようがありません。この惨憺たる爪跡…今回は範囲が広いだけ復旧もさぞや大変なことでしょう。これでもか、これでもかと狭い日本国土のあちらこちらが痛めつけられて、これでもまだ足りないのでしょうか? やはりこれは私たち人間への天啓なのでしょうか?このところ余りにも多すぎますし、ひどすぎますものね。

 こういう様子を見てると、すぐに義母のことを思ってしまいます。あの終戦直後の9月に襲った枕崎台風。実家の11人を一度に亡くし、一人で遺体を掘り出しては、その場で荼毘に付したという話。その濁流の中で1人だけ生き残った叔父さん(義母の弟)の話も。こういう災害が起きるたびに、まだ今の方がましよねと言います。今のような自衛隊もいなかったし、機械類もなかったし、そもそもが男性は戦争に行って死んだか、生きていてもまだ帰ってこないかで、残っているのは女と年寄と子どもだけ。助けを呼ぼうにもどうすることもできずに…泪なんか一滴も出なかったよという話です。だから義母は〝両親や兄弟たちの寿命を私と弟が貰っとるんじゃろうか〟と呟きます。(以前にもこの義母の話書いたような…もしそうなら、ゴメンナサイ!)

 だって、義母も叔父さんも本当に元気なんですもの…でも、そうやって生かされる人は生きていけるんですから、これが運命なのかなとも思ってしまいます。

 ああ、こんな暗い話もう止めましょう…なにかいい話ないのかしら。そうだ、ラグビーワールドカップの1次リーグ4戦目が昨日行われて、スコットランドを28対21で下し、初のベスト8進出を決めたんですよね。な~んて言ってますけど、私全くラグビーが分からないんです。エヘッ! だから今まで見たこともなかったし、見ようとも思わなかったのに…。きっかけは前回のW杯で南アフリカとの奇跡的な勝利、その時の五郎丸選手などがテレビで余りにも騒がれるものですから、少し興味が湧いたんです。更に、今回日本で開催されると宣伝されていて…でもやっぱり分からない!新聞などでいろいろ解説してはいますが、本気で読まないし…。でも、分からないながらもやっぱり勝てばウレシイ!日本が活躍するのは、なんであろうとウレシイですよ。20日の決勝トーナメント初戦は因縁の南アフリカとの対戦ですが、さて勝敗の結果は???

 こんな話していると、ほら、もう来年のオリンピックの活躍が待ち遠しくなりますね。でも7月24日~8月9日ですよ…台風は大丈夫なんでしょうか?この辺りには例年一つや二つは大抵来ていますもの。コースも最近は関東方面へ向かうことが多いからちょっと心配です。最後もまた、また、台風の話になってしまいました。ゴメンナサイ!

 写真は、かわいい〝ランタナ〟の花。これで少しは気分を直して下さい。和名では「七変化」と言いいますが、俳句での「七変化」は紫陽花のことです。だってランタナは季語にはなっていませんし、開花期も⒌月~11月と長いんです。また、小さい花が一箇所にまとまって咲く様子が一緒に何かをしているようにみえるため、「協力」「合意」といった花言葉を持っています。

 これからの日本はもっともっと「協力」しあって、復興へすすまないといけませんね。さあ、みなさん、ガンバリまっしょ!

 

 

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〝台風19号〟…俳句どころじゃありませんよ!

2019年10月13日 | 俳句

 夕べは早く寝てしまいました。テレビでは一日中台風19号の情報を流していましたが、それを横目にご飯を食べて…夜9時過ぎのことです。エエッ、なんでこんな遅くに、と思うでしょう?でも毎月の第2土曜はそうなんです。

 実は、前日の金曜日も俳句教室、昨日は午後からの教室と夜間の句会のダブル…、殆どが添削教室ですので、連続すると本当に疲れます。事前の添削も時間を取るので疲れますが、当日句の添削はその場での集中力が必要ですので、ほとんど私の持っている体験データをフル稼働させて行います。それで、終ったときはグッタリなんです。だから家に帰るともう俳句の顔は見たくありませんので、頭から俳句のことは一切排除してしまうんです。そういうわけで、時々期日の迫っているものがあったり、会合が重なっていたりすると、次の予定を確かめずに寝てしまったりするので、ついポカをしてしまうんですけどね。

 こちらでは午後からの教室に出掛ける時、多少風は吹いていましたが、まあ雲は多くても一応〝晴れ〟でした。だから部屋の中もまだ暑くてエアコンが入っていましたものね。午後の部が終り、夜の部が始まる5時少し前、主人が〝今伊豆半島辺りに上陸したみたいだぞ~〟と言いながらやって来ました。アッ、そうか…ともう台風のことがすっかり頭から抜けていたんです。でも、また句会が始まると、申し分けないんですが8時過ぎまで頭が俳句オンリーになってしまうんです。

 夜の句会には主人も参加していますので、9時過ぎ2人で帰ってすぐにテレビをつけました。まあ、予想以上に大変な様子!関東方面は台風に丸呑みされているじゃあありませんか。こちらは…風も収まったようで、見ると庭の箒などが飛ばされたりしてはいましたが、玄関や周辺に吹溜まっていた落葉がキレイに吹払われて、まるで掃除をした後のよう…却ってアリガタイなんて…エヘッ

 句会場のセンターを出た時に空を見あげると、雲が多いものの隙間から時々月がちらりと…十四夜月です。そのうちどんどん雲が逃げていって、こんなにキレイな月になりました。何だか今台風と闘っている関東の方々には心苦しいのですが…でも、パチリと写真撮ってしまいました。ゴメンナサイ!

 というわけで、気にはなりつつも、体の方が優先で早々と寝てしまったのです。そのためか、いや、やっぱり気になっていたからか、4時過ぎに目が覚めて、テレビを見て、また、またビックリです。今回は風はもちろんでしょうが、それ以上に豪雨による川の氾濫です。あの千曲川や多摩川、阿賀野川、阿武隈川などの堤防が決壊して、一面水浸しの様子やヘリコプターで救出の映像など…去年も倉敷で見ましたが、何度見ても心が痛みます。特にあの東北大震災以来(?)、災害状況を刻々と放映するため、用のないときは日がな見ていましたから。もう目に焼き付いてしまったんです。

 もし宇部が災害などで報道されようものなら、夜明を待ちきれずに母が電話してきましたね~。遠い昔の話になってしまいましたが、これ、いいことなのかしら…。今は何かあれば弟が心配して電話を掛けてくれます。アリガタイ!そう思うと、災害の当事者は言わずもがなですが、その関わりの方々の心配も…また、もし亡くなったりした方があれば…と、思いが広がります。

 今回は広範囲に亘っていて、東海・関東甲信越・東北の13都県にレベル5〝命を守って〟の大雨特別警報が発表されていたんですね。今日13日の朝9時前にはすべて解除されていましたが、なお、多くの地域で大雨警報に切替発表となっているほか、その他の気象警報、土砂災害警戒情報、氾濫発生情報などの指定河川洪水予報や避難情報が出されている地域もまだたくさんあるということです。気を付けて下さい。

 被害に遭われた方々には心からのお見舞いを申し上げます。

 こんな時に悠長に俳句の話など書く気もしませんので、句会の様子などはまた次にでも…。ちなみに、兼題は〝木犀〟と〝照葉〟でしたが、どちらも難しい季語でしたね。

 

 

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今日は〝十三夜〟なんですよ。でも…

2019年10月11日 | 俳句

 昨日は雲一つない〝快晴〟、まさに〝秋晴〟でした。今日も…といいたいところですが、雲が多くて、でもカラッとした一応〝晴れ〟でした。

 実は、気象庁では公式には〝晴天〟という言葉を使わないで、〝晴れ〟と〝快晴〟の2つの言葉しか使わないということ、みなさん知っていました? 私は全く知りませんでした。でもどういう風にこの2つの言葉を使い分けているのかしら。ちょっと調べてみました。

 それは、雲の割合に違いがあって、〝晴れ〟は、気象観測では雲の割合が2から8割で、降水がないときのことをいうのだそうです。しかし、観測用の天気予報では快晴や薄曇りも晴れとするんだそうですが。 

 では〝快晴〟はどういう時に使うのでしょうか? 気象庁における観測上の快晴の定義は、空全体に占める雲の割合が1割以下で降水がないときに快晴とみなすということ。しかし、天気予報では観測上とは違って、快晴の場合も晴れとして扱うようです。

 つまり、気象庁は快晴と晴れの区別をして使いますが、天気予報では区別をしないで使っているということなんです。ややこしいですね。

 要するに、昨日は雲が1割以下で〝快晴〟、今日は雲が5、6割ありましたので〝晴れ〟。しかし、どちらにしても〝秋晴〟と言っていいんでしょうね。ところが俳句に〝秋晴〟を詠むときは、どこまでも青く澄みわたり、〝天高し〟のような雲一つない〝快晴〟を何となく想像してしまいます。だから雲が8割も占めているような空には、どうしても言えないような気がしますが、どう思われます?

 なぜこんな話をするのかというと、実は今日の句会の兼題が〝秋晴〟だったからなんです。しかし、句会の話はまたにして…ほら、台風が近づいてきているでしょう。先程もテレビのニュースで、大型で非常に強い台風19号が土曜日の夕方から夜にかけて東海または関東に上陸する見込みと…それでその台風に対する十分な対策を…と呼びかけていました。勿論鉄道関係は計画運休、飛行機やフェリーなどは欠航、高速道路も通行止め、各商店街などは閉店の貼紙、コンビニの棚は殆ど売切れの状態…と、まあ、本当に見ているだけでも大変です。

 私がまるで他人事のように言っているみたいに聞えますか。決してそんなことはありませんよ…だって私の子供の頃は里の九州で、結婚してからは山口で、毎年台風シーズンになれば、どうか無事に過ぎてくれますようにと、心から祈っていたんですから。

 先日の15号で被害を受けた方が、〝天にまかせるしかないですよ!〟と、ナントモいえないような笑顔で応えておられたのを見て、その気持よ~く分かりますもの。ほんとにそんなことしか言えないんです。被害が少しでも軽いことを心から祈っています。

 ところで、今日は〝十三夜〟なんですよ。陰暦9月13日の月のことで、中秋の名月に対して〝後の月〟と。また、枝豆や栗などを供えて祀るので、〝豆名月〟〝栗名月〟などともいいます。ちなみに、「芋名月」は陰暦8月15日の中秋の名月のことですよ。

 ちょうど句会の帰りに寄ったスーパーで、「お月見団子」を売っていましたので買って帰りましたが、月は写真の通り…。台風の影響で風も少し出ていましたが、だんだんヒドくなるのでしょうか。

  やはらかく重ねて月見団子かな        山崎ひさを

 この句の通りの軟らかくて、中に小豆餡の入った団子でした。今夜はお月様が余りキレイに見えないので、お先に頂きました。ゴメンナサイ!

  写真は、スーパーの屋上からの夕空と20時過ぎの十三夜、お月見団子です。

 

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兼題は〝爽やか〟

2019年10月09日 | 俳句

 今日は水曜日、健康体操の日でした。とてもいい天気でしたが、昨夜の寒かったこと、見ると最低気温16度だったんですって。ああ、こうやって一日一日と秋が深まっていくのだなあと…でも、その前に台風19号ですよ。

 台風情報によると、明日10日(木)朝の時点でも猛烈な勢力を維持する予想で、このあとは進路を少しずつ北寄りに変えて、12日(土)から13日(日)早朝に東海から関東にかなり近づき、上陸するおそれがあるとか。その段階でも中心付近の最大風速は40m/s前後、最大瞬間風速は60m/s近いらしく、暴風域が広いため、接近前から暴風が吹き荒れますなどと、恐ろしいことを言っています。

 その進路を見ると、以前の予想より少し西寄りで北上するようすなので、九州や山口は進路から外れそう…ウレシイ!と思う反面、また関東方面、特に千葉の方に被害が出るのではと思うと、とても気の毒になります。まだ復旧してないところがたくさんあるのでしょうに。

 ところで、昨日は俳句教室でした。兼題は〝爽やか〟で、秋の季語。これは基本的には大気が澄み切って、遠くの山々などがくっきり見える秋という時候の特色を表す季語です。しかし、気持ちがよくてすがすがしいという気分的なものにもよく使われます。

  爽やかに山近寄せよ遠眼鏡         日野草城

  夕方の顔が爽やか吉野の子         波多野爽波

 前句は、山がくっきり見えるという大気の爽やかさです。何もしなくても秋はくっきり見えるのですが、この句は更に望遠鏡で見て、もっともっと山を近寄せて見せてくれと…遠眼鏡を擬人化して詠んでいます。それほど良く澄み渡っていたということでしょうか。後句は、夕方の下校の時かしら。とても爽やかな表情をしていた子の様子を詠んだ句でしょう。その解放感にあふれた様子は、「吉野」という土地柄のもつ爽快感でもあるのです。春の吉野は桜でにぎわいますが、今は秋の吉野。静かで落ちついた山のたたずまいも爽やかに感じられてきます。

 では、句会に出た句をみてみましょうか。やはり〝子らの挨拶〟〝見守り隊〟〝通学路〟などの定番の句材が何句も出ましたね。こういう朝の登校風景を詠もうとすれば、どうしてもありきたりになります。絶対いけないというのではありませんが、2、3年も経てば、「朝→登校→挨拶=爽やか」、即ち「1+1=2」というお決まりの句を詠むのは、そろそろ卒業してもいいのではと思うのですが…

 中におもしろい句がありました。〈爽やかや飲み薬なく満ち足りぬ〉という句。十分に言い得ていないのでやや理解しにくいですが、でも何となく興味の湧く句です。

 〝今までどこか悪くて薬を飲んでたのが、治ったから飲まなくていいの?それで満足したということ?〟と聞くと、〝いいえ、治りませんよ。飲んでも飲まなくても同じだから止めたんです〟と作者。〝エエッ、それじゃあ自分勝手に止めたの?〟すると、横から薬剤師のMさんが、〝それは、よくないですよ!ホントよ…〟と。

 聞くところによると、そのお医者様は毎月レントゲンを撮り血液検査をし、何種類も薬をくれるんですって。〝どうしてこんなに毎月しないといけないのですか?〟と聞いても納得いく説明をしてくれなかったらしいのです。そこで先生が替わるというきりのいいところで、行くのを止め薬も止めたんですって。それで、それ以後はなんともないの?と聞くと、ほら、このとおり元気ですよ…と。一体何の病気だったの???

 確かに町医者ではそういうところがありますね。私も、1週間前に医大で検査したのでと、その結果を持って行っても検査項目が違うからと言って、また血液を採られます。やっぱりいい気はしませんが、お医者様にはそれなりの理由があるのでしょうから…仕方なくです。さて、この句〈すつぱりと薬やめたり爽やかや〉と直しましたが、これではまるで麻薬か何かのような感じになりますね。まだ酒とか煙草ならいざ知らず、薬はいけません。ではと、〈すつぱりと薬断り爽やかや〉としてみましたが、どうでしょう? ウウン、まだまだですか。こういうのって難しい!また、考えてみます。
 
 写真は、昨日帰る時の〝鰯(いわし)雲〟。秋の季語で、〝鱗(うろこ)雲〟や〝鯖(さば)雲〟とも言います。
 
 
   
 

 

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〝神輿が川を渡る?!〟(後編)

2019年10月08日 | 俳句

 今日は最高気温も24度と、随分涼しくなりました。これが普通なのではと思うのですが…、でも、ついに来たか!という恐ろしいものが近づいています。そうなんです。〝台風19号〟、忘れもしませんよ。オオ、コワッ!

 私の記憶に残っている恐怖の台風は、平成3年の〝19号〟と平成11年の〝18号〟です。どちらも9月の下旬頃だったかしら。どっちがどっちかは忘れましたが、一つは隣の家の瓦が飛んできて、我が家の二階の窓を…勿論雨戸を閉めていましたからそれをブチ抜いて、そのため部屋中が風雨でワヤクチャ。掃除をするにもガラスの破片だらけで…ああ、あれは一生忘れられませんよ。それともう一つは、長~い停電。先日の千葉ほどではなかったですけどね…。

 そういえば、19号は青森の林檎が軒並やられて、それで〝りんご台風〟と言われていましたね。そう、そう、その時の被害を少しでも助けられるものならと思って、落ちたけど食べられるという林檎を買ったような気がします。

 というわけで、とにかくこの番号の付いた台風にはトラウマがあるんです。今回の19号も大型で猛烈な勢力といっていますし、そのコースが日本列島を嘗めていくようなのでよくありません。神様、仏様…どうぞお手柔らかにお願いします。アーメン、なんて言ったら叱られますか…ゴメンナサイ!

 〝もうゆるしてください…〟なんて書こうとしたら、すぐにあの〝結愛ちゃん〟のことが思われて、もうあれは言語道断ですよ!

 ああ、スミマセン。とんでもない話にそれそうなので…もうこの話はやめて、昨日の続きに戻りますね。 

 〝川渡御〟を見届けて、その後、これも行ったことのない水分神社の本殿へ行ってみました。この本殿には宇部市指定天然記念物になっている推定樹齢300年以上のスダジイがあります。小さい神社ですが、歴史は古くその謂れも聞きました。その名のとおり、田畑の耕作に欠かせない水の分配を司る神様を祀っていて、秋期大祭では、白装束の担ぎ手が、深いところでは肩まで水に浸かり、厚東川の対岸まで神輿渡御するんです。その境内のスダジイの巨木は、案内板によると、かつては地上2mほどの高さで2幹に分かれ、大きな樹冠を誇っていたようですが、平成3年(1991)9月の台風(これが例の19号ですよ)で東側の幹を失ってしまったんですって。根元付近の太さに比べ、4mほどの高さでは極端に細くなっているように見えるのはそのためでしょう。しかし、それから28年、失った幹のところから生えた枝が成長して、以前の姿は知りませんが、今の姿も十分に堂々としていました。

 宇部市に何十年と住んでいるのにまだまだ知らないことだらけです。機会があればまた来年も見に来たいと思っています。

 その後、みんなで仲間のSさん宅に寄りました。こんなに美味しいものをご馳走になったんだから、お礼に句会ぐらいしなくっちゃね~と、私が〝吟行句3句〟と言うと、口ではワアワア言いながらも、まあみんなもう馴れたものです。

 一つここで注意!この時の季語に「川渡御」「渡御」「神輿」が出ましたが、これらは全部夏の季語。だから、そのままでは吟行句になりませんので、「秋の…」と付けないと。また、「幟(のぼり)」が出ていましたが、これは端午の節句のものですから、これも「秋祭の幟」と言わなくてはいけませんね。他に秋の季語の「数珠玉」や「椎の実」が出ていたので、〝見てきたようなウソを言って…みなさんホントに上手になりましたね~〟と褒めると、〝ほら、これ!〟と言って、ポケットからコロコロ出して見せてくれて…。ウウ~ン、私が見てなかっただけなんですね。これは、これは大変失礼しました。ゴメンナサイ!

 写真は、水分神社と絵の描いてある格天井。スダジイの大樹。駐車場へ行く途中、橋の上で神社へ戻ってくる神輿に出会いましたが、その橋の欄干には宇部市のシンボル、ペリカンの〝カッタくん〟がデザインされていました。今まで歩いたことがなかったので、これも初めて。そして、最後はこの辺りの田圃風景です。

 

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