ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

いざ〝文學の森の吟行句会〟で宗像へ!

2023年05月31日 | 俳句

 今日でとうとう5月も終りますね。ナント早いこと…というより早すぎますよ。これじゃあ何かを成さんと思っても何も仕上げないままに終りそう!

 とにかく何にしてもやりたいことがあれば今のうちにやっておかないと、やれぬままに人生の幕が下りそう…なんて思ったかどうかは?とにかく初めての体験を昨日してきましたので、今日は5月の締めくくりとしてこれを書いておきましょう。

 実は「文學の森presents吟行句会」の第1回〝星野高士先生(「玉藻」主宰)と巡る〟福岡・吟行ツアーのCコースに参加したんです。文學の森のYさんからたってのお願いと誘われ、娘と2人での参加でした。折しも昨日は豪雨になるかもという悪天候の中、厚狭から新幹線で博多駅へ。集合の9時前に着いた博多は…なんと雨は小降りで傘も要らないぐらい。貸切バスに乗って出発する頃にはどうも雨が止んでるみたい!ウッフッフやっぱりなんて…行先は鎮国寺(ちんこくじ)と宗像大社(むなかたたいしゃ)です。その後レストランでバイキングの昼食をとり、海の道むなかた館へ移動しての句会でした。

 鎮国寺は、九州西国霊場第31番札所で、弘法大師が開いたとされる名刹。宗像大社とは釣川をはさんで向い側にあり、境内も広く立派な伽藍には目を見はります。季節季節には美しい花や紅葉などが境内を彩ると。前日に福岡地方は梅雨入りしたとのことで、今は紫陽花や睡蓮・花菖蒲などが見ごろでした。

 宗像大社は、日本神話に登場する日本最古の神社の一つです。御祭神は、天照大神の三女神で、沖津宮(2017年、世界文化遺産に登録された沖ノ島)、中津宮(大島)、辺津宮(田島)にそれぞれ祀られ、この三宮を総称して、宗像大社といいます。特に年間180万人の参拝者が交通安全祈願などで訪れることでも知られている有名な神社です。

 鎮国寺では降っていなかった雨が宗像大社に着くと急に時雨のような細かな雨が…。これを〝糸雨(しう)〟と詠まれた句が出ていて、〝小雨(こさめ)〟〝霧雨(きりさめ)〟〝細雨(さいう)〟などは知っていましたが、ナルホドとまた一つ勉強になりました。

 本殿を参拝する…右側が星野先生で左側が娘の後ろ姿です。

 家に家紋があるように神社にも御神紋があるんだそうです。宗像大社の御神紋は、御神木の楢(なら)の木の葉と実をあしらった文様で歴代の宗像大宮司家の家紋としても使われてきましたが、それは裏紋として使われ、表紋は皇室の御紋である十六菊花紋を勅許を受けて使用しているのだそうですよ。

 そういえば、このご神木を登り龍のごとくと詠んだ句が出ていましたね。それはそれは見事な木で、こんな楢の木を私は初めて見ました。

 バスに戻ろうとしたとき、境内では新郎新婦の撮影会が行われているようす…もしかしたら前撮りなのかも。どうぞ末永くお幸せに!ネッ…

 さて、このような他結社での句会というのは初めてなので、どういう風にされるのかというのが非常に興味がありましたし、またホトトギス系の「玉藻」の方々がどんな句を詠まれるのかということにも関心がありました。更には雑誌などでお名前や顔は存じ上げている星野高士先生にもお会いしてみたくって…。ちなみに星野高士先生は、高浜虚子(曾祖父)・星野立子(祖母)・星野椿(母)という、いわば日本俳句界の…馬に喩えるなら(失礼!)…サラブレッドの様な方なんですよ。

 そんな場に参加するのですから戦々恐々としていましたが、反面野次馬根性もあったりと。しかし、参加してみるとそんなことなどどこかへ吹っ飛んで、まるで以前からのお仲間のような…和気藹々とした吟行会でしたし、句会もスムーズに運び、星野先生の気さくでユーモアあふれるお人柄など、とっても楽しく満ち足りた気分で終ることができました。それで、最後に星野高士先生とご一緒した記念に写真を撮っていただいたんですよ。その後またバスで博多駅まで戻り、そこで解散する時などはなんだかとても名残惜しいような…そんな気分でした。

 今回参加して、結社や流派などの違いなんて同じ俳句という文芸を学んでいる立場の者にとっては取るに足りないことだということを、身を以て実感致しました。

 一昨日の29日には、Aコースの〝太宰府天満宮の吟行句会〟やその夜のBコース〝懇親会〟があって、それに参加された方もいらっしゃったようですので、その時からの雰囲気が続いていたのでしょう。皆さんとても和やかでした。私たちのようにこの日だけの参加も他におられましたが、全く違和感なく溶け込めて…本当に楽しく有意義な1日でした。句会にも〈超結社の…〉などという句が出たりして…

 また、主催者側の文學の森のT社長さんや営業のAさんにも初めてお会いでき、親しくお話させていただけたことも嬉しい限りでした。

 皆さま本当に有り難うございました。これからは結社などという壁は取り払って、俳句同好者としての輪をどんどん広げて外へも出て行かないといけないなあとつくづく思うことでした。外は広~い広い世界ですもの!またガンバロウ!

 句会は1人3句投句、25人の参加でしたので締めて75句の5句選でした。しかし、俳人協会佐賀県支部長のO先生や俳句大学学長のN先生、作家檀一雄氏のご長男で玉藻のT先生には特選1句を含む10句選、星野先生には好きなだけの入選句と特選8句、更に天地人の3句の選とその選評でした。最後はそれぞれの特選句や天地人賞に賞品が出て、そのうちの人賞を星野先生から我が娘が頂きました。行く前は参加したくないと言いながら渋々付いてきた娘でしたが、帰りは笑顔で汽車に乗ることが出来、本当に有り難うございました。

 今日は星野先生を初め希望者で、T先生のおられる能古島へ行かれるのだとか…そこでまたおいしい物でも食べて句を詠まれるのかしら…いいですね。羨ましい!それにしても星野先生のなんとタフなこと…これにもビックリでした。

 皆さま、いろいろとお世話になり、心からの感謝、感謝です。

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ついに断行!何をって?それは読んでのお楽しみ!

2023年05月29日 | 俳句

 今日は朝からどんよりと曇っていてちょっと気分も沈みがち…午後からは雨の予報ですから益々です。それに明日は博多へ出かける予定もあるというのに、この雨は明日にかけて更に酷くなるという。だからユーウツ! 

 ところで今日はもう29日、5月もついに残すところ2日になってしまいました。今月からブログ更新を最低週2回にすると決めたのに、今日のを入れても6回…、いやいや来月からは絶対ガンバローと。(笑)

 さて昨日は私の好きな小説家・堀辰雄の忌日、「辰雄忌」だったんですよ。昭和28年に亡くなりましたが、堀辰雄といえばすぐに『風立ちぬ』と『菜穗子』という小説が浮かびます。

  (にれ)に降る雨の白さよ辰雄の忌   足立公彦

 あれはもう20年以上前になるかしら?「馬醉木」の結社探鳥会が軽井沢で開催され、〝軽井沢・佐久平・堀辰雄〟などという憧れの名称に誘われて、Nさんと初めて参加しました。そこでは一生忘れられないような出来事があったんですが、それを書いてると時間がいくらあっても足りませんので、ここは堀辰雄文学記念館のことだけ…

 昔のことなので記憶がぼんやりしていますし、またこの時は吟行場所が多くて時間的な余裕もなくゆっくり見学できなかったのですが、その中で焼き付いている映像が辰雄が晩年を過ごしたという住居。その部屋の様子や庭の楡の木など。そして、その時爽やかな風が吹いて来て…ああ、これが〝風立ちぬ〟なの?なんて思ったことかしら。

 この庭の楡が、辰雄の長編小説『菜穂子』のプロローグとなる「楡の家」の楡の木なんです。この小説は辰雄の唯一の本格的長編物語で、「楡の家」と本編「菜穂子」を合わせた2編から成る堀文学の到達点といわれる晩年の代表作です。

 あの時はまだ働いていたでしょうから…とにかく慌ただしい探鳥会だったような。それで退職したら今度はゆっくりこの軽井沢に来よう、そして佐久平も歩いてみたいななどと思っていましたが…今では夢のまた夢となって、とっても残念!

 以下に堀辰雄文学記念館の説明と写真を、軽井沢町の案内から紹介しますね。写真で見ると何だか昔よりとっても奇麗に整備されたような気がしますが…

 明治37年東京に生まれ、昭和初期に活躍した作家 堀 辰雄は、大正12年19歳の時に軽井沢を訪れて以来、毎年のようにこの地を訪れるようになり、軽井沢を舞台とした数々の作品を残しました。昭和19年からは追分に定住し、この地に建てた家で昭和28年に49歳で亡くなりました。
 この記念館は、軽井沢をこよなく愛した作家、堀 辰雄に関する資料を展示・保管する文学館です。館内には、原稿・書簡・初版本・遺愛の品々が展示され、堀 辰雄の生涯と文学の背景を知ることができる展示室、辰雄が晩年を過ごした住居、愛蔵書が納められた書庫があります。閲覧室では堀 辰雄の関係書籍を閲覧することができ、この記念館を訪れることにより、堀 辰雄の文学に触れることができます。                                       また、記念館の周辺は堀 辰雄ゆかりのエリアで、散策を楽しむこともできます。

堀辰雄文学記念館の様子

軽井沢追分の堀辰雄 文学記念館
 
信濃追分「堀 辰雄 文学記念館」へ立ち寄って 2013.8.10 ...

 あらら…今日のテーマは〝ついに断行!…読んでのお楽しみ!〟でしたよね。いつの間にか話が逸れてしまい…ゴメンナサイ!ではそろそろ本題に入りましょうか。

 実は先日の月1回の不燃ゴミの日のこと。捨てきれずにいたものをついに思い切って捨てたんですよ。な~んだそんなことかと思わないでくださいね。私にとってはまるで手足をもがれるような(ナント大袈裟な!)…気分なんですから。(笑)

 下の写真は、娘が新築祝いにくれた時計です。ですからもう18年以上使っていたもの。所謂鳩時計で、鳩は出て来ませんが、鳥が好きだというので鳥の鳴き声で時間を知らせてくれます。また太陽時計で電池切れはないのですが、とうとう鳴かなくなり、鳴くとしてもあらぬ時にカッコーなんて…狂ってしまいました。アンティークで振り子の音が好きと買って貰ったのに。そのまましばらくは飾りとして掛けたままにしていたのですが、やはり正確な時計がないと何かと不便ですものね。

 次の置き時計は、嘗て担任をしていたクラスの卒業記念に頂いた想い出のもの。裏を見ると、少し消えかかっていますが〝平成十年度三年三組卒業生一同〟とあります。ということはこれも25年前のものということですよ。

 この時計は電池を替えれば今でも中の白鳥がクルクル回りますが、なんせ時間が合わせてもすぐに遅れるようになって…日頃この時計を見て行動していましたので、つい遅れているのに気づかず、困ったことが起こったりしたんです。それで、泣く泣く捨てることに。すぐに新しいのを買いましたから全くの不要品なんですが、これもそのまましばらくは納戸に…それをやっと思い切って捨てたんです。(; ;)ホロホロ

 ところで、このクラスの生徒たちは今どうしているのかしら?今でも音信があるのは1、2名ほど…他のみんなは?でもきっとそれぞれにいいお母さんになって幸せに暮らしていることだと…心から信じていますからね。

 それにしても前の家を新築したときに先生方から貰った壁掛け時計も…結構いいものでしたし、全く狂わなかったので、そのまま前の家に残して娘夫婦が今も使っています。考えてみるとその時計は46年以上にはなると…なのにまだ健在ですよ。嘗ての日本の時計はサスガですね。最近のは殆どが中国製だとかで…それで品質がイマイチなんですかね。でも安いから壊れてもすぐに買換えたりして…それが今度はゴミの元に…これも大きな社会問題ですよね。特に資源のない日本では何につけても大切に長く使用しなくっちゃ!みなさんも使い捨てをせずものを大切にする生活を心掛けましよう。さあ、ガンバロウ!

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〝捨てる神あれば拾う神あり〟ですよ!?

2023年05月25日 | 俳句

 一昨日からいやな事が続いて起こり少々気が滅入っています…といっても、ちょっとした行き違いから起きたこと。この際しっかり自分の言動を見直して改めなくてはと、これをいい教訓として肝に銘じましょう!

 そんないやな気分を払拭してくれたのは…〝捨てる神あれば拾う神あり〟という諺。そうなんですよね。人生には良いときも悪いときも必ずありますもの…

 だから今日はその〝拾う神〟の話でも。当然それはいい話に決まっていますが…実は20日の土曜日のことです。この日は朝から〝きらら俳句教室〟、午後からは〝宇部馬酔木句会〟と、非常に忙しい日だったんです。ここでもちょっといいことがありましたが、それはまた今度にして…このダブル句会の後の夜にも集まりがあったんです。

 それは嘗ての職場の後輩が同僚たちとの焼肉パーティーへ誘ってくれたこと。コロナもやや収まったので久し振りに集まって飲もうと。もちろん私の出版の祝も兼ねてると。総勢11人…でも私が知っているのは3人だけで、後は初めての人ばかり。でも、全く心配はいりませんでした。みんな国語の教師という共通の話題がありますので、あっと言う間に打ち解けられましたもの。

 自己紹介もそこそこに肉がどんどん焼けてきて…積もる話もあったりして食べるのが追いつきません。楽しい時間があっと言う間に過ぎて、お腹も満ち足りた頃、お花のプレゼントが…。あれ、二つもくれるの?と思ったら、若い女性のO先生も出版されたのだとかで…ふたりへのお花でした。ピンクと黄色の花…ピンクは若い人にと、私は黄色を頂きました。皆さまありがとうございました。

 しかし、私が本を差し上げたのは3人だけ…でもその人たちが宣伝してくれていたおかげか…是非読みたいと。中にはAmazonで探したんですよという先生も。アリガタイことです。〝じゃあ、差し上げますから読みたい人は手を挙げて…〟と言うと、全員がハ~イと…。みんな若いんです。羨ましい!

 特に、俳句を是非やりたいという先生や授業の中で取り入れたいので指導して欲しいという先生もおられて…ウレシイ悲鳴を上げました。何だかとっても楽しみ!最近はまたあちらこちらの教室でも新しい方が増えてきたりして…。

 というわけで、昨日『目からウロコ』を8冊ほど学校へ届けてきました。読んで下さって少しでも生徒たちへの俳句指導に役立てていただけたら…幸せです。

 更に、文學の森「俳句界」5月号の〝この本この一句〟のコーナーでは、拙著『目からウロコ』が採り上げられていました。書いて下さったのは、かしまゆう先生。お名前しか知りませんでしたので、調べてみましたら「まがたま」主宰、俳人協会会員、よみうりカルチャー横浜講師/句集『Tシャツ』ということが分かりました。折角ですので、その文章を備忘録としてここに掲載しておきたいと思います。

 本書はブログ「ちわきの俳句の部屋」から抜粋したエッセイ集。ブログ「ちわきの俳句の部屋」は、「馬醉木」の若手投句欄「あしかび抄」の選者に任命された作者が年々減ってゆく若手の投句者を増やすべく平成二十九年二月に開設したもので、出版までの五年余りの更新回数はなんと二千回超、現在も更新中であるという。

 あとがきに、「ブログには『俳句の部屋』というタイトルを付けていますが、俳句以外の日々の出来事や地域の行事など種々入り混じっていますので、その中から俳句を学び始められた方々に〝目からウロコ〟と思って頂けるような部分を中心に抜粋したつもりです」とあるとおり、平明な話し言葉で季語や俳句の基本について丁寧に綴られており、この一冊が歳時記であり、俳句の入門書でもある。常に読者を近くに感じながら書かれた文章はいずれもあたたかで、俳句の知識のない人も気軽に楽しく読める好著。

 特に印象に残ったのは、「怪我の功名」の章。作者の句〈時雨雲一握の空持ち去りぬ〉は「まるで人生の負の時代がまとめて押し寄せてきたよう」であった時期の作で「大袈裟にいうなら〝絶望感〟というものを詠んだ」ものだという。災いを象徴する「時雨雲」、しかし時雨だからすぐに過ぎ去っていく……ここに希望がある。そして「一握の空」の詩情の豊かさ。これこそ詩の力と思う。しかし作者は「この時の私の偽らざる心境をただ必死に五七五にしただけで、季語も深く考えずに即けて詠んだような」もので、この句の手柄については「知らず知らずのうちに身についてきたものだったのでしょう」と実に謙虚。日々の精進の大切さを説き、読者へエールを送る。

 このように立派に書いて頂き身に余る光栄と、心から感謝、感謝です。本当にありがとうございました。やはり〝捨てる神あれば拾う神あり〟でしょう。皆さまもどんなに辛く苦しいことがあっても、この気持ちを持って…ほら〝夜の明けない朝はない〟とも言うし…、頑張りましょうね。

 今日の写真は、〝紫露草〟。花言葉は『ひとときの幸せ』『尊敬しています』『快活』などです。しかし、〝露草〟なら秋の季語として例句もたくさんありますが、紫露草では歳時記には載っていないんです。そこで例句でもないかしらと検索してみると、なんとトップに出たのが2018/09/13付の私のブログ「俳画〝ムラサキツユクサ〟」だったんですよ。そこにこの花のことは詳しく書いていますので、よろしかったらどうぞ。

  では、今日はこれで…オヤスミナサイ!

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昨日は〝小満〟でした!!

2023年05月22日 | 俳句

 今日は曇りですが、午後から雨と。また黄砂も降ってちょっと蒸し暑い日です。だからでしょうか、何となく体がだるくて、今一つ体調がよくありません。何がどうだということではないんですけれど、物憂くて心が沈みがち…

 春ならこういうのを〝春愁〟とでもいうのでしょうが、この風薫る良き気候の初夏にはそんなメランコリーな季語はありませんね。もし今日のこの気持ちをしいて詠むとしたら…〈不毛なる心に夏の黄砂降る〉なんちゃって…でもこれちょっと言いすぎかしら。

 さて、昨日の5月21日は「小満」でした。歳時記の説明では、二十四節気の一つで、陰暦四月の中。万物しだいに長じて満つるという意味だと。

  小満や根づきし色の大棚田   古市枯声

 上掲の句はまさに〈根づきし色〉が〝小満〟を物語っていますね。でもやや即きすぎかな。このような時候の…特に二十四節気や七十二候などの季語を使って詠むというのは非常に難しいです。単純にその日がそうだからとして使うと、その必然性を問われますもの。忌日の季語を使うのと同じなんです。ただその日だからというのでは絶対にいけませんからね。気をつけましょう。

 季語というものは単にその時期や季節などを伝えるだけのものではないのですよ。その季語が持っているあらゆる情報を理解して、その上で自分が句に描こうとする世界を更に深めたり広げたりしてくれるような季語を選ぶのです。よく言う〝季語が利いている〟とか〝季語と響き合っている〟とか言われるようなものを選択して下さいね。

 例えば、歳時記の例句にある〈小満やどの田も水を湛へをり 小島雷法子〉とか〈小満の人影ふゆる田に畑に 太田嗟〉などの句は、確かにお上手なんですが、僭越ながら言わせて貰えるならちょっと即きすぎではと…、私は思うのです。エラそうに…ゴメンナサイ!

 ではどのような句がいいのかというと…〈小満のみるみる涙湧く子かな 山西雅子〉という句。これは一元俳句ですが〈小満〉と〈みるみる涙湧く子〉には何ら繋がりが見えません。この子には今きっと何か悲しいことか悔しいこと…要するに何か涙が出てくるような出来事があったのでしょう。それも〈みるみる〉という措辞で、今まさにこの子の目から涙があふれ出る瞬間を言い止めています。そして、それがたまたま小満の日だったということ。

 しかし、この涙するような経験からこの子はきっと何かを学び、心の豊かな人に成長していくに違いない…と、作者はそんな思いでこの子を見つめたのではないでしょうか。そこには子の成長を温かく見守る心…いうなら万物を育てる自然の心をもうけとめたように感じられます。このように〝小満〟だから…という因果的なものを全く感じさせずに、子の描写だけで季語の本意を伝えられているというところがサスガなんです。

 だからこのような幅の狭い季語(この日だけというように限られるもの)には、できればこの句のように大きな深い視野へと繋がることによって、いうならば生きるということへの真(まこと)を見つけての人生を詠んでいけたらいいなと、私は考えているのです。

 もちろん何でも〝言うは易く行うは難し〟ですからね。(笑) ああ、私ももっともっと勉強しなくっちゃ…、はい、分かっています。それじゃあ、またガンバロウっと!

 写真は〝定家葛(ていかかずら)の花〟で、仲夏の季語です。ラジオ体操に行く途中の家の垣根になっていました。

  虚空より定家葛の花かをる   長谷川櫂

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ちょっと遅れましたが〝母の日〟のことなど…

2023年05月18日 | 俳句

 一昨日は車中の温度が31度まで上がってビックリしましたが、昨日はナント…34度ですよ…ハンドルももう熱くて持てませんでしたね。

 今日の朝はどんよりと曇っており…午後からは明日にかけての雨予報、最高気温も24度とか。朝の内は風もあって涼しく、ラジオ体操が気持ちよくできました。

 さて、さて、昨年のあなたの記事は…と殆ど毎日のように届くのに、今年のブログアップ率のナント低いこと。1週間に2度ならまだいい方で1度も書かないときがあったりして、顔を合せる近くの方以外からは、病気では?と思われたりして…ゴメンナサイ!ただ忙しいだけだと…イヤ、これは理由になりませんよね。以前と同じなんですから。要するに歳を取って動きが鈍くなったということと自分の怠惰な心だけなんです。これからは自分に少し厳しくして、箍を嵌めないと緩みっぱなしになりますもの。最低週2回は更新するように…と決めましたので、よろしくお願いしますね。

 では取り敢えず今日は14日の…ちょっと遅ればせの〝母の日〟のこと。今年の子ども2人からのプレゼント…書き残しておかないとね。娘からは何も言わずに薄紅色の八重のクレマチス〝春姫〟が届きました。昨年の息子から貰った青紫と並べたらとっても色合いがステキ。だから来年も咲かせられるようにガンバロウ…と!息子からは紫陽花…これは私が所望したのですが…とてもカワイイ八重の〝星あつめ〟です。

 では義母には何をあげたかって?実は母の日仕様のケーキを私が買ってあげて、みんなで食べることに。でもこれは主人の母なんですから、〝あなたも何かお婆ちゃんにあげたら…〟と言うと、そそくさと買物に出かけて…はい、とピンクの紫陽花を…。おまけに今日の献立だよと言って、焼きそばを作ってくれました。(笑) それは何でもいいんですけど…とにかくみんな、みんな〝アリガトウ!〟の1日で、ゴチソウサマでした!ああっ、ケーキもピンクの紫陽花も…写真撮るのを忘れました。ゴメンナサイ!

 ところで、毎年この〝母の日〟が来るたびに思うことは…やはり私の〝母〟のこと。今振返ってみても、母からはいい歳になってもして貰うことばかりだったような。もっと母が元気なうちに色々なことをしてあげれば良かったなあと今更ながら後悔するばかりなんです。

 今我家の床の間には2つの手形の色紙があります。1つは実母、もう1つは義母。それぞれの卒寿のお祝記念として作り、子どもたちで持っています。最初のは弟の発案でしたから手形だけなんですが、義母のは私の発案で、〈暖かや卒寿の母の手のゑくぼ〉という句も入れました。

 どちらも大きな手…特に実母は農作業を95歳過ぎまでしていましたので、力強くて…手の握り合いこをしたらいつも私の方が負けましたものね。

  除夜詣(じょやもうで)包む母の手やはらかき

 この句を詠んだ後、平成28年の5月の連休には母の白寿のお祝もしましたが、秋の初め頃から体調を崩し、何とか元気になってほしいと〈病む母を醒ませよ法師蟬一途〉と詠んだものの、11月16日未明母は100歳を目前に息を引き取りました。

 次の句は、その時を詠んで句集『甘雨』に残したものです。

  もう笑まぬ顔に紅差す霜の朝 (平成28年)

  出棺の一笛へ虹時雨たり   (  〃 )

  骨壺の温きを抱けば笹子鳴く (  〃 )

  来る年へ母のともしび繋ぎけり(  〃 )

 あれからあっという間に過ぎて、母の七回忌を昨年済ませました。義母にはまだまだ元気で頑張ってほしいと…出来れば来年もまたその次も〝母の日〟のお祝ができるようにと心から願っているんですよ。

 では、また…これからもブログ頑張ろ~っと! 

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約束のお婆ちゃんとのお出掛け!

2023年05月12日 | 俳句

 5月の連休にお婆ちゃんを何処かへ連れて行くという約束…息子が4日なら空いてるから行ってもいいよと言いましたので、その日に決定。

 さて、どこへと考えて防府市大平山の躑躅(つつじ)を見に行こうということに。その後お昼を道の駅〝潮彩市場〟で食べようと…10時前に出かけました。

 ところが、主人が途中に鯉幟を川に流している所があるのでそれを見ていこうと…。鯉幟を川に掛け渡して空に泳がせている景は今ではあちこちにあるので、ちっとも珍しくはないのですが、ここのは川の中を鯉幟が泳いでいるという。

 行ってみると確かに…。〝山口県下有数の河川「佐波川」の広い川幅を利用し、鯉のぼりを水中で泳がすアイデアから生まれた「こいながし」。水中を色鮮やかに悠々と泳ぐ約120匹の鯉のぼりと周辺に連なる山々の緑が相まった美しい風景を見に、市内外から多くの見物客が訪れます〟との触れ込み。同じ佐波川の下流では百匹の鯉幟が空を泳いでいましたが、これは「佐波川こいわたし」と言うんですって。

 開催が3日~5日ですから多いのは当然、でも橋が狭くて一方通行だし、そこを歩く人も一杯で大混雑。もうコロナなんか誰も気にしている様子はなく…こんな田舎でもそうなんですから、日本全国どこでも連休はこんな風だんたんでしょうね。

 次に行った大平山というのは、防府市の最高峰で標高631.3m、その山頂からは、防府平野や瀬戸内海を見渡せ、日によっては九州の国東半島までも望むことができます。

 さらに山頂公園には、「展望広場」「芝生広場」「遊びの広場」「多目的広場」の4つの広場があり、アスレチック遊具や、コンビネーション遊具などが設置されていますから孫でもいればとても喜ばれるところなんですが、私たち大人には山頂からの大パノラマと躑躅の花が目的。5月には、約10万株の躑躅の花が咲き誇り、満開時にはピンクのじゅうたんで覆われたような風景が広がると。調べると3日・4日に「大平山つつじまつり」が開催されるということも。

 一枚目はその観光案内の写真なんですが、てっきり今年は何もかもが早めですのでもしかしたら躑躅ももう遅いかな?と思って行ったら…あら、あら残念!まだ5分から6分咲きですって。この日の様子はその下の2枚の写真です。

大平山のつつじ

 部分的にはとてもキレイでしたが…

 この大平山には以前ロープウェイがありましたが、1959年の開業から2014年まで赤字が続き、加えて設備の老朽化が確認されたため、惜しくも2015年に運行が廃止されました。現在は、使わなくなったゴンドラが無料開放されていて、気軽に見学することができます。

 この日はまあまあの天気でやや曇り。ゴールデンウイークの最中ですから、山頂の駐車場も当然一杯です…でも、我家には強~い味方がありますから大丈夫!それはお婆ちゃんの障害者手帖。勿論これがなくても102歳の高齢者がいると言えば、どこでも優先的に一番近いところに駐車させてくれますがね。

 山頂はさすがに風が強くて…躑躅の咲いている所まではちょっと歩かないといけませんでしたから、お婆ちゃんは手押車を押して…。でも、多少のアップダウンがあったので大変。坂があると私でも息が切れますから推して知るべし…ここに車椅子があるといいのにと思いましたが残念ながら…。とうとう途中のベンチまで来て〝私はここで待ってるから貴方等だけ行ってきなさい〟と言い出すお婆ちゃん。すると…急に見えなくなった息子が車椅子を押して戻って来ました。〝どこにあったの?〟と聞くと〝ロープウエイの事務所に…誰もいなかったけど、自由にご利用下さいと書いてあったから…〟と。

 さすがは我が息子、ようやった!…と、ちょっと見直しました。主人は〝もう少しだから頑張って歩こうよ〟と叱咤激励…。でもねえ、それは過酷というものでしょう。お婆ちゃんの歳まで生きてたらきっと分かると思うけど…ねッ。

 最後の目的地、道の駅〝潮彩市場〟でも今日はきっと混雑していているだろうと、…案の定でした。特に食堂の方がズラリと並んでいて…並ぶのが嫌いな主人が他へ行こうと言うのを、どこに行っても同じだからとブラブラしながらここで待つことにしました。下の写真はここから見た先程の大平山です。

 いよいよオーダーストップの2時半が…そこでやっと入れて無事お昼にありつけました。主人と息子は「よくばり定食」、私とお婆ちゃんは「大海老フライ定食」。見れば本当に大きな海老が二つ…お婆ちゃんも無事に完食しましたよ。随分待たされたからものすごくお腹が空いていましたものね。はい、美味しかったです!

 これでお婆ちゃんをよそ行きを着てどこかへ連れて行くという約束が…アッ、折角の姿の記念撮影を忘れていました。これは残念!

 

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この連休、一体何してたの?

2023年05月07日 | 俳句

 とうとう5月の大型連休が今日で終りますね。でも、私はブログも書かず一体何をしてたんでしょう。我ながら情けない!…とは思いますが、今思えば1日、2日は連続の俳句教室だったし、4日はお婆ちゃんとの約束でのお出掛け。昨日今日は一日中大雨でしたので…家に籠って作句ほか家事もろもろ。その間のちょっとの休みは…そう、私だけの愉しみの時間だったんですよ。実は私の密かな愉しみは韓ドラなんですが、これは主人や息子から嫌われますし、日頃は忙しいと、また見始めると一気に観ないと気が済まないたちで後が大変なの。それでガマン、ガマンなんですが、こういう連休の余裕のある時に纏めて観るんです。というわけで私にもいろいろと事情があるんです。要するにブログ更新の優先順位がどんどん下がったためということなんで、ゴメンナサイ!

 だからせめて今日ぐらいはブログ書かないと…また忙しくなったら1週間なんてすぐに過ぎるし、読んで下さる方々にも申し訳ないですものね。

 ところで、この春の大型連休は〝ゴールデンウイーク〟〝黄金週間〟などと言われて久しいのですが、かって勤めていた頃は確かに〝ゴールデン〟…金ぴかでした。しかし、今や年中無休の身…何の予定もない1週間なら、これは鈍色かな?いや〝シルバーウィーク〟かしら。見ればこんな句が…

  師の忌のほか黄金週間予定なし     安住敦

 この〈師の忌〉というのは、小説家で俳人の久保田万太郎の忌日、昭和38年5月6日のことでしょう。安住敦は、1946年万太郎を擁して念願の「春燈」を創刊。以後編集人として同誌の赤字解消・刊行継続のために孤軍奮闘し、1963年に万太郎が没すると、「春燈」の主宰を継承した人ですから。

 ところで、なぜこの春の大型連休を〝ゴールデンウイーク〟というのでしょうか。またいつ頃から言われるようになったのかしら。皆さまご存じですか?

 それは、1951年(昭和26年)に上映された映画『自由学校』がきっかけとなり、映画会社が春の大型連休を『ゴールデンウィーク』と命名したという説が有力のようです。因みに、何故『ゴールデン』かというのは、ラジオの聴取率が高かった時間帯である『ゴールデンタイム』に習い、名付けられたとされています。

 また、9月の敬老の日や秋分の日によって作られる連休を『シルバーウィーク』と呼んでいますが、これも、1950年代に映画業界が作った言葉だといわれています。当時は11月3日の文化の日付近で使われていましたが、あまり定着せずに廃れてしまい、その後、2000年台に再び話題となり、9月の連休によく使われるようになったとか。でも、『日本国語大辞典』には11月3日前後の休日の多い週となっていましたよ。

 この〝シルバー〟ということばも、本来の意味は〝銀・銀色〟ですよね。なのに日本では白髪の色から連想した〝老齢の・高齢者の〟などの意味で用いられています。例えば〝シルバーエイジ〟〝シルバーシート〟〝シルバーマーク〟〝シルバーパス〟など。他にも〝シルバー産業〟〝シルバー人材センター〟などでも。

 何でも1番が〝金〟、それに次ぐ2番手を〝銀〟というのは世界中で納得でしょうが、〝高齢者〟という意味は日本だけの用法のようですから外国の人と話すときは気をつけないといけませんね。

 ところで、お婆ちゃんとの約束通り4日には息子の運転で、防府市の大平山へ躑躅を見に出かけましたが、それはまた長くなりますので次に報告しますね。今日はここまで…

 ああ、5月2日は〝八十八夜〟でしたね。私はついうっかり忘れていましたが、〈我庭に歌なき妹の茶摘かな 正岡子規〉のごとく主人が庭に出て何やらゴソゴソと…我家のお茶を摘んでいるところでした。やはり今年は八十八夜ではもう遅すぎたようで、新芽がすっかり伸びきっていました。

 この写真の5倍ほど茶葉を摘んで、早速自家製の新茶に…ハイ、主人がしました!(^0^)

 昨日の5月6日が〝立夏〟でしたし、明日からはコロナもインフルエンザと変らない疾患になるのですから、これからは〈働いて遊ぶたのしさ夏来る 吉田小幸〉という句のような健康な日本であり続けたいものですね。

 写真は、ジャーマンアイリスで、今年はこれでもう終りです。下のクレマチスは昨年の母の日に息子がプレゼントしてくれた物。今年も咲いてくれました。アリガトウ!

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