ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

今度はレトロな門司港へ、Let'sGo!

2021年12月31日 | 俳句

 昨日から全くPCは開かず(だって開くと何もできなくなりますので…)、大掃除や家事万端にいそしんでいました。さらに今日は、午後から娘夫婦が婿さんの実家の高松へ行くというので、それでは一足先にお節をいただいてから行くようにと言うとすぐにOK…ということで、朝からバタバタして、先ほどやっと送り出したところなんです。ああ、疲れた!

 ただ今12時過ぎ。ということは、今年も後半日になったということ。今日は朝から日が照ったり曇ったりと、でも最高気温は4度で暖かくはありません。今やっとPCを開き、今年最後のブログを書いています。

 先日の〝巌流島〟へ行ったところで今年が終ったんでは、けじめがつきませんよね。きちんと最後を締めくくらないと…。では、〝門司港〟へLet'sGo!

 私たちは、フリーパスを持ってるので、〝巌流島〟から〝門司港〟へも自由です。船着場に着くと、早速門司港名物「焼きカレー」の匂いがあちらこちらからプンプン…。ついお腹がグ~ッと…でも、ガマン、ガマン!

 下の写真はお借りしました。スミマセン!

レトロの街門司港 焼きカレー 5箱セット 中辛1.5人前

 ところで、なぜ門司港が「焼きカレー」の発祥地と言われるのかということ…調べてみると、次のように…。

 明治から昭和のはじめにかけ、海外との貿易港として栄えた門司港には数多くの洋食店が建ち並び、それと同時に西洋と東洋の良さが混在したハイカラなメニューが生まれました。諸説はいろいろとありますが、「焼きカレー」を始めたのは昭和30年代の門司港にあった喫茶店といわれています。当時、余ったカレーをグラタン風にオーブンで焼いたところ、実に香ばしく、美味しく仕上がったので、のちにお店のメニューとして出し、お客さんから好評を得たという逸話が残っています。また庶民の味、家庭料理としても広く浸透しました。現在では、ご飯の上にカレーとチーズや玉子などをのせ、オーブンで焼いた「焼きカレー」が、門司港発祥のご当地メニューとして親しまれていますと。

 では、〝門司港〟ってどんなところ?…この写真もお借りしました。

【門司港レトロの楽しみ方完全ガイド】観光やデートにおすすめの情報や周辺情報も満載!のカバー画像

 福岡県北部の関門海峡に面した町で、門司港が明治時代初期に開港してから120年になります。しかし門司港レトロには明治から昭和初期にかけて建築された、趣ある建物が今でも残っています。そしてそのレトロな美しい景観は国土交通省の都市景観100選を受賞をしているほど。対岸の下関市唐戸や巌流島等との周遊ルートとして多くの観光客で賑わう福岡屈指の人気観光地になっています…と。

 私たちはここにも吟行で何度か来ていますし…時間的に余り余裕がありませんので、先ず〝JR門司港駅〟へ。駅前広場に横山白虹の文学碑がありました。

 〈和布刈る神の五百段ぬれてくらし〉(わかめかる かみのいほだん ぬれてくらし)

 横山白虹(本名健夫)は、明治32年東京に生まれ、第一高等学校、九州大学医学部卒業の医学博士。「九大俳句会」を創設、吉岡禅寺洞門下、「天の川」編集長。小倉北区にて俳誌「自鳴鐘」を主宰創刊、現代俳句協会会長やその他の役職も多く務めた人です。
 門司港駅前にある文学碑は和布刈(めかり)神社で行われる和布刈神事の様子を表した(神官がわかめを刈りとる様子)銅像と、それを表現した白虹の句です。

 この駅は、大正3年(1914)築の九州最古の木造駅舎。昭和63年12月には鉄道駅舎で初めて国の重要文化財に指定されました。木造二階建ての駅舎は、ネオ・ルネッサンス様式と呼ばれるデザインです。

 そんなレトロな門司港駅舎などを見学して、それからちょっと疲れたので3時のおやつでもと…喫茶店に入ってコーヒーとケーキを注文。しかし、そのままで終らないのが私たち…その喫茶店で早速ミニ句会です。1人2句で…と言うと、〝短冊などないし…〟と言う者が…。すると、〝は~い、ここに持って来てま~す〟と。ナンと、みんな良く分ってるね、サスガ!

 こうやってちょっとした機会を掴まえてどこででも出来るのが俳句の良さです。だから、とても勉強になったとみんな喜んでいました。こうやって膝をつき合わせて細々と指導が受けられるチャンスなんてそうそうはないんですからね。そうですよ。出来ることなら私も指導してもらいた~い!今になって思えば、色々言って貰えていたときが一番充実していたし、俳句を詠むのも楽しかったですものね。それは指導する側になってから始めて分ることで…。初心の頃は何もかもが知らない事ばかりなので珍しくって、まさに〝勉強してる~〟という実感があり、生き生きとしていたような気がしますよ。イヤ、イヤ、勿論今も生き生きしていますけど~ねッ!(@^▽^@)

 この日は日曜日ということもあってか、あちらこちらでコスプレの人たちが…イベントでもあったのかしら?一人だけ写真を撮らせて貰いました。また、この門司港のマスコットキャラクターの〝じーも〟クンも…

 さて、ここには他にも見所がたくさん有るのですが、今日はもう時間切れ。帰りの船の時間を見て、さあ下関へ。もちろんお土産には〝焼きカレー〟を買ってね。今度は巌流島には寄らずに直接唐戸へ行きますので5分で着きます。この門司港~唐戸までの切符を別に買えば400円…ということは300円のお得ということになりました。

 4時過ぎ海響館で待っていたMちゃんと合流、ここで友人たちと〝さよなら〟をして、それぞれの帰途に着きました。これでオシマイ!

 この一年間このブログを訪問して下さった皆さま、また、〝いいね〟などの励ましやコメントなどを下さったりと、お付き合いして下さった方々、誠に有り難うございました。来年もまた頑張りますので、よろしくお願い致しますね。

 

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今日は、さあ〝巌流島〟へLet'sGo!

2021年12月29日 | 俳句

 とうとう後2日で今年も幕を閉じ、新しい令和4年が始まりますね。一体どんな年になるのでしょう。コロナのオミクロン株が今後どうなるのかなど不安な材料がたくさんありますし、北京の冬季オリンピックなども…。しかし、さしあたっての私の不安は、1月29日東京での〝馬醉木創刊100周年記念大会〟が無事開かれるのかということ。だってもう飛行機やホテルなどは手配済なんですから…困ります。 

 さて一昨日の朝は起きてビックリ!確かに夜は-1度と…でもこんなに真っ白になるなんて思ってもいませんでした。初雪ではないんですが、積った記念に写真を…と思いつつ、余りの寒さでかなり溶けた10時過ぎのものですが。

 昨日は、ラジオ体操が今年の最後だというので行って、お土産を貰って帰りました。エッ、何を貰ったかって?ウッフッフ…お菓子ですよ。

 午後からは、今年最後の俳句教室がまだ残っていましたので、それが済んでから新年を迎える準備をしようと…、でも、またこうやってブログを書いています。主人に睨まれそう…(@^▽^@)

 実は今年中に書いておかなくてはいけないことが一つあるんです。それは先日19日の日曜日、福岡の友人が一緒にどこか吟行へというので、こちらの友人も誘って、下関の〝巌流島〟へ行ったことなんです。

 11時に下関の唐戸で合流し先に食事。友人の娘・Mちゃんは巌流島へは行かず海響館(水族館)を見学するとということに。それで私たち4人は関門汽船の一日乗り放題のフリーパスを買って、いざ〝巌流島〟へ…です。

 ここでちょっとお得な情報を…。この巌流島へ行くには下関側・門司港側からと二通りあって、どちらから行っても所要時間は10分、往復運賃900円です。ところが、下関~巌流島~門司港のトライアングルフリーパス(1日乗り放題)は1000円なんですよ。たったの100円の上乗せでどちらからでも何度でも行ったり来たり出来るんです。だからもし行かれる方はこれを買って朝早くから1日遊ばれるといいかもですよ。

 さて、その巌流島ですが、皆さまよくご存じのあの有名な、二刀流・宮本武蔵と剣豪・佐々木小次郎の決闘が行われた島です。それは1612年(慶長17年)、江戸時代初期のことですが、敗れた小次郎の流派の名が「巌流」といったそうで、その名前から巌流島と呼ばれるようになったと言われています。

 そもそもは、関門海峡に浮かぶ無人島で、正式名称は船の形に似ていることから「船島」、大きさは10万㎡です。もともとは1万7000㎡ぐらいで、明治以降に何度も埋め立てられて、今では6倍にもなったんだとか。嘗ては島の隣に岩礁があり、船の難所としても恐れられていた所なのです。

 昔から関門海峡は幅が狭く、1日に4回も潮流が変化するという難所でしたから、さらにここに岩礁があっては航行する船もきっと大変だったことでしょう。あの豊臣秀吉もこの岩礁で船が座礁したことがあったんだそうですよ。

 今はこの岩礁も爆破され、埋め立てられて島の一部になっているとか。また戦後は人が住んでいて、30世帯ほどあったらしいのですが、今はその痕跡はどこにも見当たりませんでした。

 意外と知られていないことが…私もここに来るまで知らなかったのですが、慶応3年(1867)、龍馬は下関伊藤助太夫家を借りて亀山社中(後の海援隊)の拠点を置き、お龍はここで妹・起美と日々を過ごすようになり、下関滞在中、龍馬とお龍はこの巌流島で花火を打ち上げたり、歌会に出席して楽しんだんだそうです。

 船着場の傍には「舟島神社」がありました。
 

 島の少し奥まった所に、「佐々木巌流之碑」がひっそりと佇んでいます。島の埋め立て完成を記念して明治43年に建立されたのだと。

 広々とした展望広場まで来ると、あの有名な武蔵と小次郎の決闘の像が建っています。なかなか格好いいでしょう。〝風雲急を告げる〟ような感じで……

 この武蔵像は2003年4月、小次郎像は2002年12月に建立されました。宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘を行ったという砂浜も再現され、武蔵が巌流島に渡る時、乗ったであろうと思われる小舟まで再現されていました。 

 船着場へ戻るとき「巌流島文学碑」があります。画家・古館充臣氏が書いた武蔵と小次郎の姿が描かれたイラストと、村上元三作「佐々木小次郎」の一説が刻まれた舟型の石碑です。

 上の碑は、2018年12月に山口県下関市で行われた「第31期竜王戦七番勝負第7局」の開催を記念して、羽生善治竜王と挑戦者・広瀬章人八段(いずれも当時)の手形をかたどった銘板です。3勝3敗で迎えた最終局を翌日に控えた12月19日に、二人が「決闘の聖地」として知られる同島を訪問したことを記念するもので、2019年3月に除幕し、「小次郎・武蔵像」の前に設置されていました。

この島に二人降り立ち闘ひしむかしの男恋ほしかるかな   

 この歌碑は、直木賞作家・古川薫氏の妻で、歌人・森重香代子さんの歌を薫氏が書いたもの。石碑の底に「古川と私の爪などを埋めました」と森重さん。

 この島には休憩所とトイレぐらいで、本当に何もありません。食べ物やお土産などを売っているお店も一つもありませんので、1時間も見学すれば十分かな。それにこの日は雪催いの風の強い日でしたので、早々に引き上げて門司港へ渡ることにしました。

 島には、まだ紫陽花が枯れずにこんなに…、また椿の白と肥後椿(?)が満開で綺麗でした。

 また、この島には何も邪魔するものがないので見晴らしが良くて、関門海峡と海門橋が真正面にすっきりと見渡せます。

 では、その続きは、…長くなりましたので、またにしますね。これで今年のブログは…いや続きを書いて終りになるかしら。 

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今年はクリスマスパーティーをしました!

2021年12月26日 | 俳句

 昨日、一年前の24日に書いた記事が送られて来ていました。それを読むと、〝ああ、サボり癖がついちゃった!〟というタイトルで、まるで今年の様子のように書いていますね。ということは、全く進歩していないということ!いや、まだ去年の方がマシみたいです。20日に書いてからのようですから。今年は17日ですから1週間以上も空いたんですものね。

 さて、今日のクリスマスパーティーは、COCO'Sの〝クリスマスパーティーセット〟と〝クリスマスケーキ〟。ネット予約なら20%OFFですからお得なんです。内容はクリスマスローストチキン・クリスマスツインピッツア・クリスマスポテト・シェアサイズカリフォルニアタコサラダで、2~4人前ということなので2セット。ケーキも小さいので2つ…これで全員7名ですので足りるかしら…ということで、もう一つ本格ピッツアマルゲリータとチキンを追加しました。後は飲み物ですがそれはお婆ちゃんが用意すると…

 さて、さて今から料理を取りに行って、そのままお婆ちゃんちへ…ですから、帰ってきてからこの続きを書きますね。お楽しみに!

 と、ここまで書いて、息子の運転で山口宇部空港にあるCOCO'Sへ。今日はクリスマスなので空港もイルミネーションが…

 でも出入り口の…冬桜かしら、とても綺麗で薔薇の花も咲き残っていて、一歩入ればシクラメンのお出迎え。そして手製のクリスマスツリーなど、目を楽しませて貰いました。これ役得です!

 でも時間が無いので急いで品物を貰って、お婆ちゃんちへLet'sGoです。ところが、みんなお腹が空いて待ち構えていましたので、すぐに料理を広げて乾杯!と。

 それで、全く料理の写真を撮るのを忘れて、それならせめて最後のケーキだけでもと思っていたのですが、これも…みんなに切って取り分けたりといろいろ世話をしていたら…何一つ撮っていませんでした。ゴメンなさ~い!

 せめてこのパンフで我慢して下さいね。

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 今夜はちょっとお酒も入っていたので、家に戻って女子のフィギュアスケートのフリーを見ていたら眠くなって…ダウン。夜中に起きてこれを書いていたら何度も停電して…そのままになってしまいました。

 まあ、もうすぐ102歳のおばあちゃんが〝おいしい!美味しい!〟と言って、私よりもたくさん食べてくれたのが一番嬉しかったですよ。〝エエッ、まだ食べるの?〟と、ホント心配するぐらい。来年もこのままできっと大丈夫みたいです。よかった!では、また…

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小野湖の鴛鴦(おしどり)はどこに?

2021年12月25日 | 俳句

 昨夜は気温2度と冷え込み…なんて書いてますが、10時前には殆どぐっすりと寝ていました。クリスマス・イブだというのに…

 そういえば昨日の午後はフラダンスへ、その後久し振りにリハビリへも行ったんだっけ。すると天気予報通り帰る時は雨が…結構の降りでした。午前中は確かに晴れて太陽も燦々と気持ちよかったのに…なんですよ。

 今月は何もかもが早めになっていて、俳句教室も添削も俳誌への原稿なども…昨日で大凡片付いたという安堵感から夜はドッと疲れが出たのでしょう。今朝見れば不在着信が13件も…ゴメンナサイ!

 あら、あら大変!折角撮らせて貰ったクリスマスの写真も…今日載せなくては手遅れになります!(*^ー゜) 

昔作っていたシリーズ① 折り紙のクリスマスオーナメント。今年 ...

 ところで、今日は最高気温は9度、夜は-1度まで下がると。では、もしかしたらホワイトクリスマスとかに?でも今は(午前10時すぎ)太陽が出ていて見るからに暖かそうですけどね。実は今夜はおばあちゃんちでクリスマス会をするんです。例年は牡蠣パーティーですが、今年はちょっと見つけたテイクアウトの料理で…それはまた次に報告しますからね。

 さて、長いこと間が空いてしまいましたが、今日は先日の小野地区への吟行会の続き…

 二の丸様や秀就公の生誕の地を見た後、この財満家の所領地を桂家が貰い受けて治めたという桂家の墓を見に行きました。そう、第11代、13代、15代の内閣総理大臣を勤めたという桂太郎の先祖です。桂太郎は皆さまご存じでしょうが、次に簡単に…

 桂太郎は、1848年(弘化4年)~1913年(大正2年)の長州藩出身。日本の陸軍大将で、政治家。山県有朋の下で軍制改革を推進、陸相。3度首相となり、日英同盟締結・日露戦争・韓国併合条約締結などに当る。第一次憲政擁護運動によって下野後、立憲同志会を組織。公爵。(広辞苑)

 幕末から維新にかけて活躍する桂小五郎(後の木戸孝允)も桂太郎と同じく、この桂広澄・元澄の一族なんです。それで、小五郎は、11歳年下の桂太郎に目をかけ、太郎のドイツ私費留学を官費留学に切り替えるために尽力したり、陸軍へ入れて大尉に任官させるなどしたんだと。太郎も駐在武官となって赴任したドイツから毎月欠かさず「木戸尊大人様閣下」という宛名で小五郎に手紙を出し、珍しいものが手に入ると木戸夫人宛てに贈ったといっています。

 その代々の墓を東京の方へ移そうとしたものの、この墓だけは大きすぎてここに置かれたままになり、今ではこのように荒れ果てているのだと。

 ここはこれで一応終えて、次はメインの鴛鴦の探鳥に小野湖へ。湖畔を歩くこと30分…結局見つけることができずに昼食場所へ。当番さんは事前に行われた探鳥会にも参加して下見してくれていたんですが…残念です。野鳥というものはいつも同じ所にいるとは限りませんもの…観察するのには根気が要ります。ブログなどで鳥の写真を拝見して楽しませて頂いていますが、これを撮影されるにはどれほど大変なご苦労があっただろうなあ…と思いながらいつも拝見しているんですよ。感謝です!

 途中見えた水鳥は…鴨でしょうか、光ってスマホではダメでした。湖畔に佇むのは青鷺…他に見れるものとしては、電柱のねずみ返しとビナンカズラの実ぐらいかな。〝ねずみ返し〟とは、地支線を伝ってねずみ等小動物が登り備品を噛みちぎる被害を防ぐためのもの。〝ビナンカズラ〟はさねかずらともいい、その実は秋の季語です。〈さねかずら婆がうなずき歩きけり 大石悦子〉

 その後、ランチを食べにいったのはこの近くにあるイタリアンレストランの「サルワーレ」。小野湖の自然に囲まれたログハウス調の店内で、ピザやパスタなど安心安全にこだわった自然の食材を使い家庭的な料理を提供しくれるお店です。 

サルワーレ店舗写真

 そこで 食べたのが〝生野菜とスモークタン〟のピザなどのセット。マスターのオススメ通りとても美味しかったですよ。写真はちょっと写りが悪いのですが… 

 〝特殊なつけダレに一週間漬け込みスモークしたものを生ハムのような薄さにスライスそれを生野菜の上にふんだんに乗せたピザ、ここでしか食べることのできない美味しい逸品です〟とは、お店の宣伝文句。

 それから「アクトビレッジおの」で、4時過ぎまで句会。終了して外へ出るともう薄暗くなって…ああ、今回も…疲れました、いや楽しかったです!オシマイ!

 

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今回の吟行は?歴史の秘話を尋ねて…

2021年12月17日 | 俳句

 今日は午後からK俳句教室の日でしたが、天気予報通りの暴風雨となり、帰る頃にはチラチラと白いものまで…そう、初雪でした。でももう寒くって、寒くって…初雪の気分なんて全くありませんでしたね。 

 昨日も午後から雨が久し振りにザーザーと降ってイヤな天気でした。ところが、一昨日のナンと暖かで風もなくよい日和だったこと!なんて書くと…そうなんです、定例の吟行会でした。いつもの第1水曜日が、都合の悪い人がいて第3水曜日に変更になったんです。

 さて、今回の目的地は宇部市小野地区。ここは宇部市街から北東に27㎞離れた中山間地域。基幹産業である農業の中でも特徴的なのはお茶で、小野茶園は、「西日本一の規模を誇る大茶園」とも言われています。

 また、平成17年にダム湖100選に選ばれた宇部市の水源「小野湖」は、豊かな自然に囲まれ、知る人ぞ知る日本でも有数のオシドリの飛来地となっているんですよ。また、湖と隣接する環境教育と交流の拠点施設「アクトビレッジおの」を活用して、毎年夏期には交流ボート大会が開催され、市内外から多数の参加があるという、そんな大自然の恵みを四季折々にたっぷり味わうことができる所なんです。

 もちろん吟行の一番の目的は〝鴛鴦(おしどり)〟の観察なんですが、こればかりは絶対観られるという保証はありませんので、その前にもう1箇所、当番さんが吟行するところを用意してくれていました。

 それは、「毛利秀就(ひでなり)公誕生の地」といわれている所で、そこには出産に用いられたという、今でも綺麗な湧き水がたゆまなく注いでいる「産湯の池」、毛利輝元の側室・二の丸様とその子を毛利家の後継者問題のお家騒動から守るために作られたといわれる「穴蔵(隠れ穴)」などがあります。

 この二の丸様の隠棲と出産の役を命じられたのが、ここ長門の国小野村の代官であった財満就久(ざいまなりひさ)で、ここにその館があったということなんです。そして、その子孫の方々がその史跡をずっと守ってこられて、今に伝えているのだと。

 以前にも見学に来たことがありますが、今回はそれが単なる伝承ではなく実証されたというお話やその資料までも見せていただきました。

 その資料というのが、下松市在住の県地方史学会理事、田村悌夫さん(84)と宇部市の毛利秀就公誕生地史跡保存会の平山智昭会長(91)の共著「長州藩初代藩主毛利秀就公 誕生の真実追究 総括版」です。

 平山さんは元小学校長で、毛利輝元の子で広島城で生まれたとされる秀就が、実は宇部市小野で生まれたことを小野に残る史跡などを長く研究して突き止め、この真実を世に広めようと秀就公と徳山藩の初代藩主、就隆の母でもある「二の丸」様や二の丸を守った財満家ゆかりの現地の史跡を整備して石碑も建立したのだそうです。田村さんは平山さんの小野誕生説を知り、その活動に協力したのだと。

 今回の「毛利秀就公」はA5判244ぺージ。これまでの平山さんらの研究の成果と活動を一冊にまとめたもの。田村さんは前書きで、「小野村誕生説を定着させ、日本の歴史を正したい」と本書の出版の目的を述べ、今年2月に平山さんと一緒に防府市の毛利博物館の柴原直樹館長を訪問し、広島誕生説、小野村誕生説とも「保留」と言われたと紹介しています。

 ところで、二の丸様というのは、毛利家家臣児玉元良の娘・周姫(かねひめ)のことで、初めは杉元宣の妻、後に毛利輝元の側室。広島城二の丸に住んだために「二の丸殿」と呼ばれた人で、初代長州藩主毛利秀就、初代徳山藩主毛利就隆、吉川広正正室の竹姫の生母。法号は清泰院(せいたいいん)。

 「古老物語」によると、幼少の周姫が自宅門前で遊んでいたところ、美少女故に通りがかった輝元の目に留まり、その後、輝元はしばしば元良の広島時代の自宅を訪問するようになる。輝元のこの行動を快く思わない元良は、天正12年(1584)に13歳の周姫を杉元宣に嫁がせた。しかし、輝元は諦めることなく佐世元嘉らに命令し、強奪して側室とした。これに立腹した元宣は、天正17年(1589)の大坂の豊臣秀吉への直訴を計画するが、事の重大さに気付いた小早川隆景により野上庄沖にある大島の船隠で殺害された。

 不本意ながらも輝元の側室となった周姫は、広島城二の丸に住み「二の丸殿」として輝元の寵愛を受けるが、輝元正室である南の方には嫡男がおらず、その嫉妬を恐れていたことから、(通説では秀就を広島城で生ん.だとされる)、懐妊後に密かに長門国の小野村(現・山口県宇部市)の財満就久の屋敷に匿われ、密かに出産したという説もある。(Wikipediaより)

 下の写真が財満家館の跡地に建って、史跡を伝えている家。ここの庭に「産湯の池」、裏山には「隠れ穴」があります。

 また、また、長くなりましたので、今日はここまでにしますね。ではオヤスミナサイ!

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〝梶返天満宮〟と〝菅公御手洗の池〟

2021年12月13日 | 俳句

 昨日も最高気温は17度と暖か。でも空模様の方は曇りで洗濯日和にならなかったのが残念!だって今日からは急に気温が下がり、しばらくは10度前後だそうですからきっと寒いでしょう。まあ、当然かも…だって今年ももう3週間を切りましたものね。それにしてもビックリでした…って何が?

 実は土曜日は午後からフォーユーの俳句教室。夜も同じ所で句会でしたから、帰りが8時過ぎ。それで主人と何か食べて戻ろうと…食事を済ませて久し振りに夜の常盤公園の傍を通って帰ったんです。見ると公園の駐車場が観光バスやら乗用車で一杯!最近このあたりを通ることがなかったので、気がつかなかったのですが、何で?と驚いたんです。そういえば今年も〝TOKIWAファンタジア2021〟が開催されていたんです。そこで調べてみますと…

ときわ公園の冬を彩る中国地方最大級のイルミネーションイベント。今冬も昨年同様に、公園内にアートな空間が出現。アーティスト・中山晃子さんによるアートパフォーマンス「Alive Painting」をはじめ、全国で活躍するアーティストが手がける光と音のアートが夜の遊園地のあちこちできらめく。また、点灯期間中は遊園地が夜間営業し、観覧車からの夜景とともに光の世界が楽しめる。〟と。2021年11月28日~2022年1月16日 18:00~21:30(開場は17:30~)で営業していたからなんですね。(12月31日・1月1日は休業)

 次の写真は、お借りしました。機会があれば私も余り寒くないときに観に行きたいと思いますが…。

 参加アーティスト/中山晃子『Alive Painting』 (ARS ELECTRONICA deep space 8Kでの展示の様子)

参加アーティスト/中山晃子『Alive Painting』 (ARS ELECTRONICA deep space 8Kでの展示の様子)

TOKIWAファンタジア2021のイメージ

サンタクロスロード2021のイメージ

祈りの木々たち2021のイメージ

 このイベントには、コロナ禍の前に2、3度行ったことがありますが、これほどじゃなかったような。確かに年々いろんな趣向が凝らされて豪華にはなっていたようですが、コロナのことでつい関心がありませんでした。いつのまにこんなにと…オドロキです。

 また、昨日は、これも久しぶりに大型ショッピングセンターへ買物に…。本当にこのところ嘗ての賑わいが戻りつつあるんでしょうね。こんなに人が集まって…ちょっと不安にはなりましたが、まだマスクと消毒は皆守っています。でも大丈夫なの?油断して〝後の祭り〟にだけはなりたくな~い! 

 さて、先日の「梶返天満宮」についてですが、天満宮というからには、もちろん菅原道真公を祀った神社です。なぜこんな所にあるのかという疑問には、「天満宮由来」が答えてくれました。それによると〝延喜元年(901)春、菅公が左遷されて筑紫に赴かれる際、海沿いに下ってちょうど周防灘を通ろうとする時、たまたま暴風が西方に襲ってきて、舟が進めなくなった。船頭は、舵をここの浜に返して風を避けた。そして、この地で舟出の準備を再度整え九州へ向った。その後二年、道真公は太宰府で薨じた。この村の人々は、公の徳を仰ぎ慕って、神社をこの地に建て流謫の地で亡くなられた公の霊を鎮めたのである。〟という。

 最初は舟が着いた所ということから着森(ちゃくのもり)天神と呼ばれていたのが、後にこの故事にちなんで「舵返」と名付けられ、更に今の「梶返」の字となっています。それでか、このあたりの地名は東梶返、西梶返と呼ばれているんですよ。

 昔はこの天満宮のあるすぐ下まで舟が入っていたなどと、今では想像もできませんが、西側の沢地はかつては舟ヶ崎という地名だったそうです…が、神社に掲げてあった由来では下の写真のように…。読むと微妙に違っていましたが、私の貰った神社のパンフとどっちが正しいのでしょう。こういう伝承的なものというのは???ですものね。

 写真は、注連縄を外した神社と由来の看板。

 また、天満宮には付きものの牛の像がありました。こちらは太平洋戦争で軍に供出された銅像を、平成二年に地元の方々が復元されたんだそうです。

 ついでに、私の作った注連縄を神牛さんに飾ってみました。(^_^)

 更にもう一つ、「菅公御手洗の池」について。天満宮から少し下ったところにあります。道真が上陸した時に手を洗われたという山辺に湧いた浅井戸で、千年の間絶える事無く…だとか。でも以前見たときは確かに水があったような気がしますが、今回は全く干上がって何もありませんでした。これも伝承ですからね。果たして真偽の程は???

 もちろん道真らしく梅の木が植えてありましたし、ドウダンツツジの紅葉がまだ残って、とても綺麗でした。

 

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〝梶返天満宮〟の注連縄の掛け替え

2021年12月10日 | 俳句

 今日の天気予報は曇り後晴れ、最高気温は17度と…なら気持ちの良い日和になるのかしらと、ラジオ体操へ…。するといつも見えている工場の煙が真っ直ぐでした。こんなに風が吹かないと体感温度が随分違います。

 主人は朝からゴルフへ出掛けましたので、きっと久し振りのいい気分を味わっていることでしょう。私は午後からフラダンスです。

 ところで、昨日は薬が切れるのでいつもの病院へ。その後はリハビリへ行こうと思っていましたのに…。看護師さんから先に心臓の検査をしますからねと言われ、心エコ-から心電図、レントゲンなど、一通りの検査。おまけに骨粗鬆症の検査までと予定外でした。血液検査は先月しました。その時来月に検査すると言ったはずですが…だって。すっかり忘れていたんですね。何ということ!こんなことじゃ先が思いやられますよ。

 まあ、結果は前回と余り変化がないので、このまままた様子を見ましょうと。でも、心臓に悪いから塩分だけは減らして下さいよですって。更に骨粗鬆症もありだと…ウエ~ン!

 さて今日は、5日の日曜日、近くの「梶返天満宮」で注連縄の掛け替えがあるというので、俳句仲間と一緒に見学に行った時のことを…。

 写真をたくさん撮りましたので、この「梶返天満宮」については次に書くことにして、今回は注連縄を作るところから掛け替えるところまで見て下さい。

 さて、この地域の氏子の方々が集まって、8時頃から始められたのでしょうか。私たちが9時30分頃着いた時には、もう中学生も20人余りが来ていて、それぞれの作業が始まっていました。

 まず今年の新藁を水で濡らして木槌で叩く作業を中学生達がしていました。

 次はその藁を一握りずつの束にしてくくります。それを私たちも手伝いました。

 今度はそれらを集めて一本の太い縄にしていきます。神社には大木が何本もありますので、それに結びつけて4、5人で4m(?)ぐらいの縄に綯っていくんです。

 その出来上がった太縄の鬚のように飛出した余分の藁を鋏で切ってキレイに仕上げます。その手伝いもしました。更にそれを3本合わせて綯っていき、大注連縄にするのです。

 最後はその注連縄を神社に掛けるのが大変!でも、さすがは毎年実施されているだけあって、手際よく掛け終わりました。拍手!

 その時私たちも残った藁を貰って自宅用の注連縄を手伝って貰って作りました。生徒達は掃除をしたり要らぬものを燃やしたりして後始末…これで無事に神社の年用意が出来ましたので、新年が迎えられます。ご苦労様!

 知らなかったのですが、取り外した今年の注連縄はご神木や手水舎などに掛けて、再利用し次の年に焼却するのだと。

 これも知らなかったのですが、綺麗に揃えて残してある藁がありましたので、何にするのかと聞くと、注連縄の下に下げる飾りなんだと。今日はもう作らないので残してあるのだそうです。去年のを見せてもらいましたが、〝これは何というんですか〟と尋ねると、〝しめのこ〟ですって!ヘエッ、面白い!

 最後は地元の方々と参加した中学生全員で記念撮影をして、お開きでした。聞いてみると参加したのはこの地区の中学校の水泳部の生徒達で、教頭先生が引率して来られていたのでした。〝子どもたちにはいい体験になりますね〟と、申し上げ、是非こういう伝統を守れる人に育って欲しいし…出来れば俳句などにも興味を持ってもらいたい…なんて、厚かましく売り込みましたら、大いに共感して頂いて嬉しかったですね。教頭先生よろしくお願いしま~す!

 ついでに写真をブログに載せてもいいですかと聞くと、OK!というお返事を頂きましたので…アリガトウゴザイマス!

 考えてみれば、こういう季語の宝庫といってもいいような伝統は、是非これからもずうっと絶やさずに引継いでもらいたいものです。ちなみに季語を挙げてみると〝注連作り〟〝注連綯(な)う〟〝注連飾る〟それに〝年用意〟〝焚火〟〝縄綯う〟〝藁仕事〟なども。しかし、〝新藁〟や〝藁打石〟などは秋の季語、〝注連縄〟や〝注連飾〟になると新年ですから気をつけましょうね。

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今日は…無題です!

2021年12月08日 | 俳句

 昨日12月7日は、二十四節気の一つ、「大雪」(たいせつ)でしたね。11月22日の「小雪」(しょうせつ)に対して、雪が多いという意味です。

 でも、こちらではこの3、4日は15℃前後と、それ程寒くはありませんので、「大雪」という季語は今一つピンときません。これは北国などでも言えることのようで、やはり全国的な地球温暖化の影響なんでしょうか。

 6日は義母に会いに京都から義弟夫婦が来ましたので、一泊で湯田温泉へ行っていました。母も6月に退院してからなかなか以前のようには体調が戻らなかったのですが、夏過ぎた頃から徐々に快復してきて、最近は元気を取り戻しています。それに今はコロナも落ち着いていますので、この際とばかりに計画して実行したのです。

 日頃は余り食べられない母なのに、この時は私よりもたくさん食べて…オドロキ!千人湯という大浴場へも夜と朝と2回行きましたし、朝食もしっかりと食べて…。これはきっと2年ぶりにみんなの元気な顔が見られたお陰でしょう。コロナ禍でどこへも出掛けられないし、逢いたい人にも会えないということが高齢者にとってどんなに生きる力を奪っているかということでもあるのではないでしょうか。

 実はこの時は朝から私の方が体調が悪くて、食が進まないのを却って心配してくれたりして…全く反対でしょう。でも義母がこんなに元気になるなんて、これは本当に嬉しい誤算でした。宿の人も101才という義母の年齢を聞いて、びっくりしていましたものね。

 7日は午後から俳句教室でしたので、私は娘や息子と一足先に家へ。その時はもう最高に気分が悪く悪寒までしてきて…挙げ句のはてに頭痛が…それで薬を飲んでやっと出掛けました。どうにかこうにか無事に済ませて5時過ぎに帰宅。その後はもう…バタンキューでした。だから殆ど一日何も食べずに、そのまんま…朝の4時過ぎまで…よく寝ました。

 もしかしたらコロナかも?と思ったんですが、熱はないし、じゃあ食あたり?それも私だけですもの…ね。そういうわけで今日もまだぐずぐずして調子が戻らずラジオ体操も休み、なんともシャンとしません。

 というわけで…ブログも今日はこれでオシマイ…もう寝ますね。写真もなくてスミマセン!

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〝きらら俳句教室〟令和3年度第8回目で~す!

2021年12月06日 | 俳句

 昨日は久し振りの晴天…、でも気温は低かったので手足が冷たい!朝から近くにある〝梶返天満宮〟の注連縄作りを、仲間と見に行ったんですが、それはここでは置いておいて、一昨日の今年最後の「きらら俳句教室」のことを先に書きましょう。

 今年度は9月がコロナ禍のために中止になりましたので、今回が第8回目。いつもは第3土曜日が、12月だけは教室が他の行事とダブって、第1土曜日に変更になったんです。そのため来られない方がいらっしゃって、出席は11名。おまけに司会担当のレンジャーIさんも用があって欠席だと。それで急遽レンジャーのWさんがピンチヒッターです。

 いつも通り9時30分から30分ほど俳句の話…今回は陽暦と陰暦のことなどを。特に新年の季語は昔の風習などから季語になっているものが多いので、こんがらがって迷う人が結構いますものね。

 10時から外へ出て吟行。先月から2週間しか経っていませんので、余り変ったものは…ああ、パンダ鴨といわれている〝ミコアイサ〟が来ているということでしたが…?遠すぎて分りませんでした。他には…珍しい言葉を教えて貰いました。「食痕」(しょくこん)と言うんだそうですが、鳥が猛禽に食べられその羽が散らばって残っている様子。これはカモメの羽で、食べたのはハヤブサかなんかだろうと。ホント、羽以外のものはみんな食べたんですね。何も残っていませんでした。自然の営みでは仕方の無いことだと分っていても、そういうのを実際に見るのはイヤです。時々「野生の王国」などで、ライオンなどが大きなシカなどを追いかけて食べるところなど…見たくない!そんな時はすぐにチャンネルを替えるんですよ。

 もう一つ、滅多にお目にかかれない鳥が…〝ヤツガシラ〟です。芋の〝八頭〟は秋の季語ですが、鳥のヤツガシラは季語になっていません。結構大きな鳥で約26㎝、日本へは迷鳥として稀に見られます。最近は長野県などで繁殖もしているとか。このきらら浜へは前日から来ているそうです。近づくとすぐに飛び立ちますので…写真はスマホでは無理!実は私は随分前に北海道でこのヤツガシラに出会い堪能しましたのでビックリはしませんでしたが…。初めて見ると感動しますよ。まさに奇遇、ラッキー!写真は野鳥図鑑よりお借りしました。下の文章はきらら浜〝観察速報〟より。

ヤツガシラ - 日本の野鳥識別図鑑

 昨日の雨がまた寒気を連れてきました。今日は風が冷たくて寒かったですね。そんな折、ビッグニュースが。昨日、園内でヤツガシラを撮影した来館者がおり、その時は飛んだということだったので、すぐにいなくなったのかと思っていたのですが、今日も確認されました。しかも一日中です。
 ヤツガシラは主に日本海沿いや日本海の離島を通過し、瀬戸内側で確認されることはほとんどありません。ということでヤツガシラというだけで超珍しいのに、この時期となると、超がいくつ付くでしょうか。20m四方もないような狭い芝生の部分にいたことも驚きです。そんな狭い場所でもかなり気に入ったのでしょう。飛んでもすぐに戻ってきて、せっせと地面から餌の昆虫?をほじくり出していました。さていつまでいるでしょうか。ちなみに園内では2006年4月以来、15年8か月ぶり2回目です。(2021.12.4)

ミコアイサ (2018.12.31) - 日本の野鳥識別図鑑

 数日前から淡水池にミコアイサが飛来していて、これでレギュラー組のカモは揃いました。飛来数が少なかったり、飛来頻度が低かったりする種はいますが、とりあえず例年通りです。残すはツクシガモのみ。飛来するなら来月以降でしょう。
 淡水池のミコアイサは、これまでメスタイプのみでしたが、今日は明らかなオスが1羽交じっていました。…(中略)…過去の記録13羽を更新するでしょうか。(2021.11.25)

 これ何だと思いますか?木の実がたくさん…鳥の糞なら大き過ぎる!猿かしら?親指ぐらいの太さでした。レンジャーのWさんに聞くと、カラスが食べ過ぎて吐き出したものだろうと。ヘエッ!猫は草など食べてよく吐きますけど、鳥もそうなんですかね。知らなかった。

 こういう天気のよい日には湖のあちらこちらにたくさんの鴨たちが気持ちよさそうに…こういう水に浮いたまま眠るのを〝浮寝鳥〟(うきねどり)といって、冬の季語なんですよ。水に浮かんでいるだけなら〝水鳥〟でいいでしょう。真鴨や小鴨などの個体名でも鳰(かいつぶり)でも冬の季語ですが、よく見かけるのに大鷭(ばん)がいます。これは夏ですので要注意。鷺も鷺だけでは季語になりませんが、〝白鷺〟〝青鷺〟になると夏の季語です。だから鳥を詠むときは必ず歳時記で確かめて用いましょう。実際そこに居るからでは季語にならない場合や季節が違う場合なども多々ありますからね。

 最後の2枚は〝ハマヒサカキ〟の花と実。この実は昨年の実で、花と実が同時に見られる珍しい植物なんです。下のはレンジャーWさんの〝観察速報〟より。

 こういう風の強い日には、現在開花中の花の香りが漂ってきます。この時期に咲く花は少なく、グミ(ナワシログミとマルバグミ)とハマヒサカキくらいですが、どれも香りが非常に強く、しかも個性的です。その香りは、グミ類が甘く、ハマヒサカキがガスのような、一般的には「臭い」と感じられ、正反対なのがおもしろいところ。強烈な個性ゆえ、どちらも苦手だと感じる方もいるかもしれません。ただ昆虫には大人気で、常にアブやハエ、ハチが訪れています。強烈な香りは彼らを引き寄せるために不可欠なのでしょう。人間には少々刺激が強いこの香り、初冬ならではの香りとして楽しんでみてください。(2021.12.1)

 さて、11時から句会…今日の最高点句は〈冬晴や遠き山並冴えるなり〉でした。ここで、ちょっとおさらい!作句の基本的なポイントの一つは…と聞くと、〝必要のない限り季重ねをしない〟と。そう、みんな分っているんです。ところがやはり初心者、知ってる季語が少ないので知らずに季重ねをしてしまうんですね。

 ハイ、この句もそう…。〈冴えるなり〉の〈冴ゆ〉が冬の季語、〝寒さが極まって透明感あるいは澄明感が醸し出された状態〟をいうんです。確かにこの日は寒かったし、晴れていて遠くの山が綺麗に見えていましたけどね。しかし、〈冬晴〉の季語だけで山並みがくっきり見えるのは十分に伝わります。「冴ゆ」というのは、この日よりももっと気温が低く身を切られるような寒さ、それでいてキレイに晴れ渡っているときに使うものなんです。ここは下五を何か山並みの具体的な描写に替えましょう。

 というわけで、今年最後のきらら俳句教室も無事12時過ぎに終りました。ご苦労様でした!

 いつもは午後から宇部馬酔木の句会があり忙しいのですが、今回はありませんので、のんびりと道の駅〝きららあじす〟で買物などをして帰りました。

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いよいよ師走へ…今年最後の紅葉を!

2021年12月03日 | 俳句

 昨夜は冷えましたね。最低気温3度だったそうですから。これからまだまだ冷える夜が続くのでしょう。こうなったらもう炬燵を入れるしかない…でもまだ頑張ってるんですよ。(^_^)

 そろそろギブアップしてもいいかな…。だって一昨日から12月なんですものね。11月末締切りの原稿がやっとのことでセーフ…。これで12月になったらブログを書く気になっていましたのに、ホッカリして気が抜けたのでしょうか、いつもすぐに寝てしまいます。

 ところで、この〝十二月〟、それだけでも季語ですが、他に〝師走(しわす)〟〝極月(ごくげつ)〟〝臘月(ろうげつ)〟〝春待月(はるまちづき)〟〝梅初月(うめはつづき)〟など。変ったところでは〝乙子月(おとごづき)〟〝三冬月(みふゆづき)〟などというのもあって、本当にいろんな言い方があるんですよ。しかし、〝十二月〟は陽暦ですが、他のはみんな陰暦12月の異称なんですね。

 しかし、〝師走〟だけは陽暦の12月でも使います。でも、〝春待月〟や〝梅初月〟は、やはり陰暦でないと使えませんよ。2022年の旧正月は2月1日だそうですから、ちょうど陽暦の1月が旧暦の12月に当るんです。そうなると、すぐに2月4日が立春だから〝春待月〟なんてのもぴったりでしょ!今の陽暦の12月に使うと、その後に寒が来るし、だから当然春はまだ先で、梅もまだかな…という感じ、しっくりきませんものね。

 その点では、〝極月〟は〝年の極まる月〟だからだし、〝臘月〟は、〝臘〟というのが〝冬至の後、第三の戌(いぬ)の日に行う祭り〟のことなので、それを行う月、即ち年の暮になるということからです。だとすれば、次の句のように陽暦でも使えそうですね。

 エレベーターどかと降りたる町師走  高浜虚子 

 極月の人々人々道にあり       山口青邨

 臘月や檻の狐の細い面        原 石鼎

 それぞれに味わい深いものがありますね。同じ意味だからと言って、入れ替えたり音数だけで使ったりすると、その味わいは途端に薄れてしまいます。どの句にもやがて来る新年への思い入れや過ぎ去る年への感慨が込められているんですから。特に石鼎の句などは、〝戌の日〟の祭のイメージがあるので、檻の中の狐の顔が恨めしそうで、戌の顔と重なっていよいよ細く見えたのかもしれませんね。ほら、この味わいは師走や極月では感じられないでしょ!

 それにしても、今朝はビックリ!6時半過ぎに突然地震速報が出て、山梨に震度5弱の地震が…と驚いてニュースを見ていましたら、今度は9時半ごろ、和歌山北部でまた震度5弱の地震発生と…。この忙しい師走になって、こうも立て続けに…それも結構大きな地震が発生するなんて…。この二つの地震は全く関係がないそうですですが、そうなると全国何時どこで地震が発生してもおかしくない!ということになって、それもコワくなりますね。

 また、コロナはコロナで、新変異株の〝オミクロン〟がじわりじわりと、魔の手を広げようとしている感じ。これで無事に年が越せるのでしょうか。どうか2022年が歴史に残るような…いや、悪い意味でですよ…そんな年になりませんようにと、心から祈らずにはいられませんね。

 写真は、今年最後の紅葉をどうぞ!前4枚は我家の〝おたふく南天〟(2枚)〝満天星躑躅〟〝楓〟。後は隣家の紅葉とピラカンサスです。キレイでしょ!

 

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