植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

富山県南砺市「増山城址」②(No.1174)

2017-12-25 04:19:49 | 日記


加賀藩ゆかりの地を訪ねる2017 南砺エリア-2

◇富山県南砺市「増山城址」②(No.1174)

10月7日(土)金沢ボランティアの会まいどさんの16期グループ「よるまっし16」の加賀藩ゆかりの地を訪ねる2017に参加しました。心配された雨も現地ではやみ、山城で有名な増山城址、義経岩・義経伝説、勝興寺、守山城祉を訪ねました。

■写真は一の丸



〇増山城沿革

貞治 元年(1362) 二宮円阿が和田城(増山城の前身)を警固する。
永正 3年(1506) 芹谷の合戦(般若野の戦い) 長尾能景が一向一揆勢力と対決し、討死する。
永禄 3年(1560) 長尾景虎が越中に侵攻し、富山城主神保長職が追撃に逢い、増山城に落ちのびる。
永禄 5年(1562) 神保長職が再起した為、再び上杉謙信が増山城を攻め、長職は降伏した。
永禄11年(1566) 増山城の神保長職が上杉氏と結び、一向一揆と戦う。
元亀 3年(1572) 一向一揆勢力が増山城に拠る。
天正 4年(1576) 上杉謙信が増山城を攻略。上杉氏武将・吉江宗信が守る。
天正 9年(1581) 織田勢による増山城の焼き討ち
天正11年(1583) 佐々成政が越中を平定する。
天正13年(1585) 佐々成政が増山城を普請する。豊臣秀吉が越中に侵攻し、佐々成政が降伏する。増山城は前田氏の領有となる。
天正14年(1586) 上杉景勝が上洛途中、中田で増山城主・中川光重の饗応を受ける。
元和 元年(1615) 廃城

■写真は一の丸からの砺波平野



■写真は石垣跡



〇二の丸

ここが主郭であり、鐘撞堂は増山城で一番高く標高127m。

■写真は二の丸





■写真は二の丸神水鉢



■写真は鐘撞堂跡

参考資料:宮武利男氏、ホームページ他

(つづく)


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