植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

金沢城公園巡り9 菱櫓レポート(その1)

2012-12-31 04:29:58 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その126(No.237)

◇金沢城公園巡り9 菱櫓レポート(その1)

平成13年7月に完成した、延べ床面積1894.23平方メ
ートルの復元建物で、石川門や三十間長屋と同様、鉛瓦
や海鼠塀が外観の特徴です。

3層3階の菱櫓と橋爪門続櫓を2層2階の五十間長屋で
つないでいます。これらの建物は、戦の際に二ノ丸を守
るための施設で、石落しや鉄砲狭間となる格子窓、白塗
漆喰壁や海鼠壁で防火構造になっている。外壁がその強
固さを示しています。菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓、
橋爪門続櫓は二ノ丸大手の橋爪門枡形を見張る物見櫓、
五十間長屋は武器等の倉庫でした。

■写真は右から菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓



■写真はライトアップの菱櫓



復元にあたっては、伝統的な木造軸組工法に加え、階段
昇降機やエレベーターなどを設置し、二階まではバリア
フリーとなっています。
建物そのものが展示物で、内部の建物構造がわかる工夫
やコンピューターグラフィックス映像、各種の模型、発
掘調査出土品、音声ガイドなどを備えた展示施設となっ
ています。

■写真は菱櫓(二の丸広場より見る)

平成13年(2001年)に復元された菱櫓は、当時は大手
と搦手(からめて)を見張る物見櫓(ものみやぐら)と
して重要な役割を果たしました。
その名の通り、建物の平面が菱形(内角が80度と100度)
になっており、死角を少なくし視野を大きくする効果が
あります。 建物に使用されている100本の柱にも菱
形が用いられており、建設には非常に高度な技術を要し
た。



■写真は菱櫓1階



■写真は柱組立前



■写真は組立後(菱形になっている)

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金沢城公園巡り8 二の丸広場他レポート

2012-12-28 04:37:32 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その125(No.236)

◇金沢城公園巡り8 二の丸広場他レポート

◇切手門
江戸時代は加賀藩主が暮らした御殿の最も奥にある大奥
の通用門だったとか。

■写真は切手門



◇旧陸軍第六旅団司令部庁舎
明治31年に建てられた木造平家建て、床面積196平方メ
ートルの建物です。当時は、陸軍本省が各師団建物の設
計をしていたため、、全国に同様の建物が建てられまし
た。ここは、藩政時代には側室の住まい数奇屋敷があっ
た場所だったそうです。金沢大学時代には、教育開放セ
ンターとして利用されていた。

■写真は旧陸軍第六旅団司令部庁舎



■写真は通風孔の五芒星マーク



◇二の丸広場
二ノ丸は城内中央の郭で、 周囲が530m。利家が入城
して本丸には藩主とその家族が住み、二ノ丸、 三ノ丸、
西ノ丸、北ノ丸の周辺に藩の重臣たちの邸宅があった。
ところが慶長7年(1602)の天守閣焼失以降しだいに城
の中心は二ノ丸へと移され、藩主の居館として二ノ丸御
殿が整備されていった。 この豪壮な御殿は120年余
存続したが、宝暦9年(1759)の城下の大火の類焼で、
城内の殆ど全部が焼失した。その後の再建は二ノ丸御殿
を中心に行われ、明治14年(1881)に焼失するまで、焼
失と再建をくり返しながら、金沢城の中核としてその威
容を誇っていた。

■写真は二の丸広場



■写真は江戸後期の二の丸御殿推定図(1860頃)

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金沢城公園巡り7 河北門レポート(その2)

2012-12-25 04:55:12 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その124(No.235)

◇金沢城公園巡り7 河北門レポート(その2)

○櫓内部(2階)
櫓部分内部の壁や床などには檜の一種である能登ヒバが石
川門同様に用いられています。

■写真は二の門、一の門より菱櫓、五十間長屋を見る



■写真は二の門内部



■写真は二の門桁



■写真は二の門内部より菱櫓を見る



■写真は枡形内部壁



■写真は枡形内部より二の門



○一の門
 一の門は、三の丸に入るための最初の門であり、幅4.7m
高さ7.4m総欅造りで、脇土塀を海鼠壁仕上げとし、土塀の
内部側には隠し狭間が設けられています。戦の時には狭間
外側の海鼠壁を破って鉄砲狭間として使えるようになって
います。

■写真は一の門



○ニラミ櫓台
 宝暦の大火で焼失した河北門は石川門と同様に2 層の櫓
がありましたが、安永元年に再建された河北門では、出し
(出窓)付きの土塀によるものとなり、これを復元してい
ます。

■写真はニラミ櫓台

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金沢城公園巡り6 河北門レポート(その1)

2012-12-21 04:47:32 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その123(No.234)

◇金沢城公園巡り6 河北門レポート(その1)

金沢城の大手門から入り、河北坂を上がったところに位置
する「三の丸の正面」であり、金沢城の実質的な正門です。
金沢城の建物の大半が焼失した宝暦の大火(1759)の後、
安永元年(1772)に再建されました。再建された河北門は、
明治15年頃に無くなるまで金沢城の実質的な正門として
の役割を果たしていました。

■写真は河北門全図(当時イメージ図)



■写真は1830頃の河北門図



約130年ぶりに甦った河北門は平成19年11月に着工、
平成22年(2010)4月まで約2年半の歳月、15.6億円
ををかけて完成しました。
復元にあたっては、現存する絵図、古写真、文献及び埋蔵
文化財の調査結果を踏まえて、史実を尊重し、日本古来の
伝統工法によって、戸室石による石垣積み、漆喰仕上によ
る白壁、軸組をはじめとする木工事及び屋根鉛瓦葺きなど、
構造・仕上部材の細部にわたり石川の匠の技が発揮されて
います。

■写真は三の丸広場から見た二の門



○ニの門
枡形内部側が二の門の正面となり、石落し付きの出し(出
窓)が設けられています。門扉、柱、梁には厚さ3㎜の鉄
板(帯鉄)が鋲で止められていて防御性を高めた装飾が施
されています。

■写真は二の門扉



■写真は桁



発掘された二の門基礎石を使用した。(右角の基礎石)

■写真は二の門基礎石

河北門ホームページ
http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kanazawajou/kahoku_gate/index.htm


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金沢城公園巡り5 三の丸広場他レポート

2012-12-18 04:28:15 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その122(No.233)

◇金沢城公園巡り5 三の丸広場他レポート

◇三の丸広場
三ノ丸は石川門、河北門の内部の郭を指し、利家が入城
した後、 重臣の居邸が建てられたが、その後、これらを
城外へ移し、高知番所、物頭番所が置かれた。
高知番所とは、人持組という身分の高い武士が宿直して
警備に当った所で、物頭番所は物頭の役をしたものが宿
直して警備に当る時に使用した所。
北側から東側の周囲には藩の初期だけで、直ぐに廃れて
しまったと云う。北側から東側の周囲には九十間長屋が
造られ、弓や筒等が保管してあった。

■写真はライトアップの三の丸広場



復元した橋爪一の門や鶴の丸土塀、橋爪橋、内堀石垣と
一体的にライトアップ施設が整備されています。三の丸
広場でのナイトイベントや四季行われるライトアップに
是非ご覧ください。

■写真は五十間長屋



◇内堀(二の丸広場東側)
内堀の復元にあたっては、菱櫓等の櫓台石垣の修築を行
いました。菱櫓等を支えていた石垣は、高さが11.7mあ
ります。長い年月と度重なる火災を経て、緩みや孕み、
割れなどが随所にあり、天端石も約30cmの高低差が生じ
ていました。今回、石垣として不都合な部分約1200平方
メートル、石の総数3,766個を取り外し、再使用3,108個、
新石658個で積み直しを行いました。

■写真は内堀



◇土橋門
土橋門は、三の丸の北西にある門で、左右の掘り割りを
はさんで、土橋で北の丸と三の丸をつないでいたので、
この名が付いた。
土橋門は、城内への通用門として需要な位置にあり、虎
口を形成する櫓台も重厚なものである。

■写真は土橋門石垣



■写真は土橋門石垣(左側)

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金沢城公園巡り4 石川門レポート(その2)

2012-12-14 04:09:04 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その121(No.232)

◇金沢城公園巡り4 石川門レポート(その2)

重要文化財に指定されている現在の石川門は、天明8年
(1788)に再建され。高麗門の一の門、櫓門の二の門、続
櫓と二層二階建ての石川櫓で構成された枡形門です。

■写真は二の門(枡形内部より見る)



■写真は二の門(二の丸広場より見る)



■写真は二の門扉



■写真は二の門の桁



■写真は二の門と石川櫓(三の丸広場より見る)

現在は平成25年(2013)3月まで修復工事を行っており
内部は来年レポートします。

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金沢城公園巡り3 石川門レポート(その1)

2012-12-11 04:30:36 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その120(No.231)

◇金沢城公園巡り3 石川門レポート(その1)

■写真は金沢城公園地図



■写真は石川門一の門と石川櫓



*この写真では枡形に対して一の門が直角にないのがわか
る。石川櫓がひし形になっているのでこうなっています。

■写真は石川門航空写真



■写真は1830年頃の石川門

兼六園に向かい合って建つ石川門はかつては搦手門(から
めてもん)と呼ばれる裏門でした。 二層の菱櫓と複数の
門が組み合わされた枡形(ますがた)と呼ばれる複雑な構
造になっており、敵が進入してきたときに勢いを鈍らせる
目的で設けられたものです。 白く見える屋根瓦には鉛を
使用。溶かして鉄砲弾に作り変えるための工夫だったとも
言われています。



■写真は枡形内部の石垣(右と左は年代が違います)

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金沢城公園巡り2 明治以降の金沢城

2012-12-07 04:33:56 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その119(No.230)

◇金沢城公園巡り2 明治以降の金沢城

城址は明治以降、存城とされて軍施設が置かれたため建物
の一部を残して撤去され、第二次世界大戦後には金沢大学
が平成7年(1995)まで置かれていた。平成8年(1996)よ
り金沢城公園として一般公開を開始した。

平成13年(2001)には、古絵図や古文書などをもとに菱
櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓を出来る限り忠実に復元。3
年4か月と総工費46億円をかけて、安政の頃の景観を現
代に蘇らせました。
復元にあたっては、石川県内の熟練した宮大工たちが日本
古来の工法で建設しました。 釘を一切使っていない伝統
的な木造軸組工法は一見の価値あり。 職人たちの卓越し
た技術を垣間見ることができます。明治以降に建てられた
木造城郭建築物としては全国最大規模である。

河北門は平成19年11月に着工、平成22年(2010)4
月まで約2年半の歳月、15.6億円ををかけて完成した。

■写真は河北門



三十間長屋、鶴丸倉庫が江戸期、明治時代の旧第六師団指
令部が現存しており、また金沢城は石垣の宝庫と呼ばれ江
戸時代初期からの石垣を楽しむことができる。

*石垣巡りは平成11年9月5日より9回にわたりレポー
 トしている。
●アドレス(その1-9)
http://blog.goo.ne.jp/kanazawa-uechan/e/0d9ebabcb686dfec3eafe888060dc1ef

次回から石川門より廻る道順で紹介します。

■写真は三十間長屋


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金沢城公園巡り1 金沢城の歴史背景

2012-12-05 04:34:33 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その118(No.229)

◇金沢城公園巡り1 金沢城の歴史背景

今日から金沢のシンボルである金沢城公園を10回以上に
なると思うが紹介します。

金沢平野のほぼ中央を流れる犀川と浅野川とに挟まれた小
立野台地の先端に築かれた、戦国時代から江戸時代にかけ
ての梯郭式の平山城である。

この地は天文15年(1546)から加賀一向一揆の拠点で浄
土真宗の寺院である「尾山御坊(おやまごぼう)」であっ
た。寺とはいうものの大坂の石山本願寺(大坂御坊)と同
じく石垣を廻らした城ともよべる要塞でもあった。

■写真は石川門



織田信長が天正8年(1580)に一向一揆を攻め落とし、跡
地に金沢城を築いて佐久間盛政を置いた。その後に盛政が
賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉により滅ぼされ、秀吉は金沢城を
前田利家に与えた。
金沢城は天正11年(1583)に前田利家により本格的な建城
が行われ、文禄元年(1592)から改修工事を始め、曲輪や
堀の拡張、五重の天守や櫓を建て並べた。明治2年(1869)
まで加賀藩前田家14代の居城として置かれた。
度重なる火災により、石川門と三十間長屋以外の建物は全
て消失してしまいました。

兼六園は、加賀藩五代藩主前田綱紀が金沢城に付属してつ
くらせた大名庭園である。

■写真は菱櫓、五十間長屋、橋詰門続き櫓

金沢城公園ホームページ
http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kanazawajou/kahoku_gate/index.html

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金沢長町武家屋敷跡冬の風物詩「こも掛け」

2012-12-03 04:22:52 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その117(No.228)

◇金沢長町武家屋敷跡冬の風物詩「こも掛け」

長町武家屋敷跡の土塀のこも掛け作業が12月1日よりは
じまり、城下町の風情を残す界隈は、冬の装いとなった。
3日までに民家や施設の895mに取り付けられる。わら
を編んで作ったこも(薦)は1枚幅3.6m高さ95Cm。



こも掛けは、雪から土塀を保護するもので、浸透した水分
の氷結による損傷や、付着した積雪による土の剥がれを防
いでおり、毎年12月から翌年3月まで設置され”金沢の
冬の風物詩”となっている。



■各写真は長町武家屋敷跡の「こも掛け」

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