植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

秋の兼六園、金沢城公園散策

2013-10-30 04:33:48 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その211(No.355)

◇秋の兼六園、金沢城公園散策

10月26日久しぶりに兼六園を散策した。紅葉は11月
半ばになりそうで、11月16~17日、23~424日
金沢城・兼六園ライトアップ秋の段が開催される。

■写真は色づきはじめたことじ灯篭





■写真は不老坂のサンザシの実



■写真は初夏満開のサンザシ



■写真は秋の石川門

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にし茶屋街・寺町を歩く④完 成学寺、神明宮、雨宝院、室生犀星記念館

2013-10-28 04:50:31 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その210(No.354)

◇にし茶屋街・寺町を歩く④完 成学寺、神明宮、雨宝院、室生犀星記念館

にし茶屋街・寺町を約90分の観光ウオークを組んでみた。
距離は約3.5キロくらいなので、手軽に楽しめる。ただし
にし茶屋資料館、忍者寺など入館するとプラス70分が必
要になる。

11)犀川芭蕉の碑
昭和33年(1958年)4月、小松砂丘連中建立。

 あかあかと 日は難面(つれなく)も あきの風

■写真は芭蕉句碑



12)成学寺(じょうがくじ)
高養山成学寺は浄土宗のお寺です。天保4年(1647)松平
又右衛門夫人が、三代藩主利常に請うて梵宅上人を招き、
もと玉泉寺の寺領に亡夫の菩提所として建立したのが起こ
り。境内には「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」の金
沢で一番古い(宝暦5年(1755))の芭蕉の句碑がある。
江戸初期の建築様式が見られる本堂は貴重な建物で、成学
寺の塀の上にのった風神、雷神の石像がユニーク。

■写真は成学寺山門



■写真は芭蕉句碑



13)神明宮(しんめいぐう)
金沢旧五社の一で、古来神明宮と称し、全国七神明、又は
三神明の一と云われ、通称は、お神明(しんめい)さん。
加賀の大社として、歴代藩主、庶民の信仰厚く、祓宮(は
らいのみや)として知られ、春秋のあぶり餅祭は全国只一
の特殊神事。又、当宮の左義長は金沢の左義長の元祖である。

あぶり餅神事は300年以上続き、5月15~17日、10
月15~17日に行われる。
樹齢1000年といわれる大ケヤキは樹高33m、幹周7.8m、
樹幅25mで金沢市指定保存林の第1号。

■写真は神明宮拝殿



■写真は神明宮大ケヤキ



14)雨宝院(うほういん)
高野山雨宝院は真言宗のお寺です。天平8年(736)白山
開山の泰澄大師が創建。その後文禄4年(1595)雄勢上人
より再興。享保18年(1733)焼失。改築後大正11年
(1922)に犀川の洪水で流失。昭和21年(1946)室生犀
星などの寄付で復旧。金比羅大権現を本尊にしています。

室生犀星が雨宝院の住職の養子になって幼少を過ごしたこと
でも知られ、雨宝院では室生犀星に関連した品が展示されて
いる。雨宝院には10の願いをかなえてくれるという「子安
地蔵尊」や迷い子を保護するための「まよひ子石」や「延命
地蔵菩薩尊」があります。室生犀星記念室は有料です。

■写真は雨宝院



15)室生犀星記念館
金沢三文豪のひとり、室生犀星の生家跡に建つ記念館です。
平成14年8月1日、犀星の誕生日に開館した。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの…」の詩(「小景異情
 その二」)で知られる犀星はこの地で生まれ、すぐ近く
の寺院、雨宝院で育ちました。
館内では、はじめて犀星を知る人でも、犀星の生き方やそ
の文学世界の魅力と出会い、ふるさとや命に対する慈しみ
の心への強い共感を呼び起こしていただけるものと思う。

■写真は室生犀星記念館



詳細は当ブログ下記ページで
http://blog.goo.ne.jp/kanazawa-uechan/e/dba053a71f56726f27517defca1a2529
http://blog.goo.ne.jp/kanazawa-uechan/e/991e8b9886dd06ff73bb2839b8856cc8
http://blog.goo.ne.jp/kanazawa-uechan/e/4e71f1737fdbcc0d45aad35f03d47917

■写真は室生犀星

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にし茶屋街・寺町を歩く③ 伏見寺、松月寺、長久寺、W坂

2013-10-25 04:39:26 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その209(No.353)

◇にし茶屋街・寺町を歩く③ 伏見寺、松月寺、長久寺、W坂

にし茶屋街・寺町を約90分の観光ウオークを組んでみた。
距離は約3.5キロくらいなので、手軽に楽しめる。ただし
にし茶屋資料館、忍者寺など入館するとプラス70分が必
要になる。

7)伏見寺(ふしみじ)
行基山伏見寺は真言宗のお寺です。はじめは石川郡山科村
にあり元和元年(1624)に快存和尚が現在地に移した。
金沢の地名発祥にまつわる芋掘藤五郎ゆかりの寺で平安初
期に作られた阿弥陀如来像は国指定重要文化財です。

■写真は伏見寺



8)松月寺(しょうげつじ)
瑞亀山松月寺は曹洞宗のお寺です。斉藤刑部宗忠が白峰和
尚のために越前堀井庄で創建したが、初代藩主利家に願っ
て、元和2年(1616)に現在地に移る。
土塀を壊して枝を道路側に出している松月寺の桜は小松城
中から移植され国の天然記念物に指定されている。山桜で
ソメイヨシノの1~2週間遅れで咲く。

■写真は松月寺





■写真は満開の桜



9)長久寺(ちょうきゅうじ)
鶴雲山長久寺は曹洞宗のお寺で、慶長13年(1608)白山
に建立。高畠石見守定吉の後室長久院のために栖覚寺を郊
外にある大豆田高畠氏の下邸に建て長久寺と改めた。その
後二回移転し、延宝4年(1676)に野田寺町覚源寺の遺祉
である現在地に移り長久寺建立。前田利治の三女で利家の
妹津世の菩提寺でもある。
樹齢400年を越えるギンモクセイやケヤキなど由緒ある
樹木が多く春には桜も咲きます。芭蕉句碑は昭和63年
(1988)建立。

 秋涼し 手毎にむけや 瓜茄子 (芭蕉の句碑)

■写真は長久寺



■写真は長久寺芭蕉句碑



10)W坂(だぶるざか)
石伐坂は藩政時代からの名前。その形状からW坂坂とも呼
ばれる。 藩政時代には「く之字坂」「清立寺坂」「吹屋
坂」とも呼ばれた。 距離: 73m 高低差: 5.65m.
井上靖の小説「北の海」W坂と紹介されている。

■写真はW坂



二人は橋を渡ると、かなり急な坂をじぎざぐに登って行った。
「この坂はW坂というんだ。W字に折れ曲がっているでしょう」
杉戸は説明してくれた。・・・・・・・・

■写真はW坂の井上靖文学碑

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にし茶屋街・寺町を歩く② 願念寺、妙立寺、国泰寺、六斗広見

2013-10-22 04:28:08 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その208(No.352)

◇にし茶屋街・寺町を歩く② 願念寺、妙立寺、国泰寺、六斗広見

にし茶屋街・寺町を約90分の観光ウオークを組んでみた。
距離は約3.5キロくらいなので、手軽に楽しめる。ただし
にし茶屋資料館、忍者寺など入館するとプラス70分が必
要になる。

□寺町の概況
寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称
である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流
域にあたるこの地に寺院が集められた。
忍者寺として知られる妙立寺を始め、66の寺院が立ち並
び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野
町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統
的建造物群保存地区(重伝建地区)」の名称で国の重伝建
地区として選定されている。
重伝建地区指定は構築物161件、工作物30件、環境物件8件
となっている。

■写真は願念寺山門



3)願念寺(がんねんじ)
木一山願念寺は真宗大谷派のお寺で、創建慶長年間、万冶
2年(1659)現在地に移転。一笑(いっしょう)の菩提寺。
小杉一笑は金沢における蕉風の先駆をなした俳人。元禄2
年(1689)7月金沢入りした松尾芭蕉は一笑が前年の
霜月6日死去したことを知り慟哭(どうこく)。22日こ
こ願念寺で催された追悼会で、芭蕉は「塚も動け・・・」
とその悲しみを詠んだ。 この前々年(貞亨4年)近江の
人尚白が撰した「孤松集」に一笑の句が194句も入集されて
いる。芭蕉句碑は昭和42年建立。

■写真は願念寺芭蕉句碑



 つかも動け 我が泣く声は 秋の風 (芭蕉句碑)
 心から 雪うつくしや 西の雲 (一笑辞世句碑)

■写真は願念寺一笑句碑



4)妙立寺(みょうりつじ・忍者寺)
正久山妙立寺は日蓮宗のお寺で、寛永20年(1643)、三代藩主
前田利常の命により創建。日蓮聖人の尊像を安置し加賀前田家
の祈願所として、歴代藩主をはじめ身分や宗派を問わず多くの
人々が参詣した。
寺町寺院群の中心に位置する。戦略的には寺院群は、金沢城の
防御の一環として現在地に移築されたもので、その中心司令部
的な役目をもって建てられている。内部には隠し部屋、隠し階
段、落とし穴、切腹の間といった種々の仕掛けが施され、23の
部屋、29ヶ所の階段と4階7層からなる複雑な建築構造を有し、
忍者寺の名で親しまれている。

詳しくは妙立寺紹介ページ
http://blog.goo.ne.jp/kanazawa-uechan/e/2ad1d9bdd65049bf70174f5769ec54d4
http://blog.goo.ne.jp/kanazawa-uechan/e/63e271a79b94f8b9accf7a4c4b7cca59
http://blog.goo.ne.jp/kanazawa-uechan/e/37fc56c50948aeea1ca4db04406433ac

■写真は妙立寺



5)国泰寺(こくたいじ)
摩頂山国泰寺は金沢の寺町寺院群にある臨済宗のお寺です。元
々は高岡の臨済宗国泰寺派総本山の関連寺院だったそうです。
国泰寺の裏のほうに樹高16メートルのイチョウの大木のある
樹林がある。高峰譲吉の菩提寺でもあり、元和2年(1616)に
現地に移転してから大火からも逃れ金沢城下の寺院の中でも古
い様式を残した寺院です。

■写真は国泰寺



■写真は高峰譲吉



6)六斗広見(ろくとひろみ)
広見というのは、藩政時代、延焼を防ぎ大火としないための町
づくりの一つとして設けられたものであり、金沢のあちこちに
あった。地名は加賀国住人林六郎光明の郎等六動太郎光景に由
来し、ここから六動林、六斗林、六斗になったといわれている。
金沢には何箇所かあり、六斗の広見はその中でも最も広い、と
言われている。

■写真は六斗広見

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にし茶屋街・寺町を歩く① にし茶屋街、にし茶屋資料館、西料亭組合事務所

2013-10-18 04:54:18 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その207(No.351)

◇にし茶屋街・寺町を歩く① にし茶屋街、にし茶屋資料館、西料亭組合事務所

にし茶屋街・寺町を約90分の観光ウオークを組んでみた。
距離は約3.5キロくらいなので、手軽に楽しめる。ただし
にし茶屋資料館、忍者寺など入館するとプラス70分が必
要になる。

■写真はにし茶屋街



□にし茶屋街の概況
金沢の情緒が色濃く感じられる3つの茶屋街の一つ。にし
茶屋街は文政3年(1820)に集め町割りをし、今でも料亭
が軒を並べて趣ある一角を作り上げている。
夕刻近くに通りを行けば、出格子が美しい茶屋様式の2階
建ての家並みからは三味線の音色が流れ、芸の町金沢の夜
を粋に演出しています。茶屋街中程の華の宿では茶屋様式
の建物を無料で見ることができます。
現在にし茶屋街では5軒営業しており、21名(金沢3茶
屋街で計44名)の芸妓がいる。

■写真はにし茶屋街



■写真はにし茶屋街



1)にし茶屋資料館
作家島田清次郎が父の死後祖父が経営していた「吉米楼」に
身を寄せ、青年期を過ごした。この「吉米楼」跡に、茶屋家
屋を再現。1階は清次郎に関する展示、2階は朱色の壁に金
屏風、ぼんぼりなど茶屋座敷も再現している。観光ボランテ
ィアガイド「まいどさん」が常駐し、周辺散策の案内も行い
ます。

■写真はにし茶屋資料館



■写真はにし茶屋資料館1F



■写真はにし茶屋資料館1F座敷



2)西料亭組合事務所
大正11(1922)年の建築物で、当時のままの姿を留める国の
登録有形文化財。現在、芸妓衆の稽古場兼管理事務所として
使用されている

■写真は西料亭組合事務所

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小立野丘陵北側寺院めぐり⑥完 田井菅満宮原神社、椿原天

2013-10-16 04:37:19 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その206(No.350)

◇小立野丘陵北側寺院めぐり⑥完 田井菅満宮原神社、椿原天 

まいどさん16期生の勉強会で小立野丘陵北側の寺院をめ
ぐった。

16)田井(たい)菅原神社
ご神体は、田邊左衛門という者が菅原道真より賜った自画
像と伝えられる。後の喜兵衛の代に田邊家は三代利常より
代官を拝命。明治期に田邊邸内に神社が建てられ、明治13
年(1880)、田井の生産神となった。

■写真は田井菅原神社鳥居



菅原道真公が大宰府へ左遷される途中、河内の国の道明寺
(大阪府藤井寺市)の叔母覚寿尼を訪ねてお別れの挨拶に
うかがった際、旧知の田邊左衛門(さえもん)に自画像を
授けられました。

「風流の はじめや奥の 田植頃」の芭蕉句碑がある。芭
蕉が元禄2年(1689)奥の細道の旅で、同年7月金沢に立
ち寄っているため、金沢の地に芭蕉の句碑が見られます。
当社の石碑には、側面に明治21年3月下旬と建立年月を刻ん
でいます。従って、最初からこの地に、置かれたものでは
なく、当年に奉納という形で移されたと伝えられています。

■写真は田井菅原神社芭蕉句碑



初詣では、古文書に則り、加賀藩主献上鏡餅の再現をして
います。
■写真は田井菅原神社加賀藩献上の鏡餅



17)椿原(つばきばら)天満宮
椿原天満宮は菅原道真を祀り、1297年京都北野天満宮
よりお招きされました。前田利家が加賀藩主になり椿原天
満宮を前田家の祈願所とした。椿原天満宮には一向一揆の
州崎兵庫のとりでの跡もあります。椿原天満宮では3月に
椿が見事に花を咲かせます。椿原天満宮は金沢五社のひと
つです。

■写真は椿原天満宮鳥居



■写真は椿原天満宮参道



■写真は椿原天満宮拝殿



■写真は椿原天満宮拝殿祭壇



■写真は椿原天満宮菅原道真公碑


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小立野丘陵北側寺院めぐり⑤ 馬坂不動、五人扶ちの松、善行寺

2013-10-13 04:32:28 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その205(No.349)

まいどさん16期生の勉強会で小立野丘陵北側の寺院をめ
ぐった。

◇小立野丘陵北側寺院めぐり⑤ 馬坂不動、五人扶ちの松、善行寺

13)馬坂不動(うまさかふどう)
天神町から石引町へ上る馬坂の途中には馬坂不動寺がある。
馬坂をあがった所にある高源院の関連施設です。

■写真は馬坂不動



■写真は馬坂不動祠



14)五人扶ち(ごにんぶち)の松
藩政期与力の吉川牛右衛門(130石)の庭の松。13代藩主
斉泰が兼六園に移植を希望したが、150軒の移転が必要
と分かり頓座、年寄奥村栄実が斉泰に進言しあっさり了解
し松に五人扶侍(一人扶侍は一人一日五合)与えた。

■写真は五人扶ちの松



15)善行寺(ぜんぎょうじ)
真宗大谷派善行寺は、もとは道場であったが、明治12年
(1885)に寺号の公称許された。大きな人には大きく見え、
小さい人には小さく見える身の丈地蔵がある。

■写真は善行寺山門



■写真は善行寺本堂



■写真は身の丈地蔵

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小立野丘陵北側寺院めぐり④ 瑞雲寺 献珠寺 高源院

2013-10-11 04:55:21 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その204(No.348)

◇小立野丘陵北側寺院めぐり④ 瑞雲寺 献珠寺 高源院

まいどさん16期生の勉強会で小立野丘陵北側の寺院をめ
ぐった。

■写真は瑞雲寺山門



9)瑞雲寺(ずいうんじ)
曹洞宗瑞雲寺は宝円寺に隣接している。寛正6年(1465)
州山が越前府中(現武生市)にて建立。天正18年(1590)
三代蘭室が金沢に来た際、初代藩主利家の家臣寺西宗与が
開基となって木ノ新保に移る。明治19年(1866)現在地
に移る。金沢市保存樹に指定された赤松がある。

■写真は瑞雲寺本堂



10)献珠寺(けんじゅじ)
臨済宗献珠寺は慶安4年(1651)、加賀藩士・横山式部長治
の妻(海元院)が、母(献珠院)のために母の帰依僧遠山
を招き建立。献珠院は初代利家の娘・肅姫の娘にあたること
に因んでの命名である。無住の時代を経て元禄(1688-1704)
末年、妙心寺の嵩山を招き臨済宗に復した。

■写真は献珠寺



11)高源院(こうげんいん)
曹洞宗高源院は開山の春尭和尚が初代利家の息女・福姫の
縁類となったことを感謝して寛永18年(1641)、大豆田に
建立。福姫の戒名より高源院と称した。万治2年(1659)当
地に移転。金沢西国29番の霊所。毎年7月1日には「一ツ灸」
が執行される。

■写真は高源院



12)馬坂
宝町と天神町を結ぶ坂。昔、小立野と田井村を往復する農夫
が使った馬道である。坂の途中には不動尊が鎮座している。

■写真は馬坂

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小立野丘陵北側寺院めぐり③ 宝円寺

2013-10-08 04:29:06 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その203(No.347)

◇小立野丘陵北側寺院めぐり③ 宝円寺

まいどさん16期生の勉強会で小立野丘陵北側の寺院をめ
ぐった。

■写真は宝円寺山門



8)宝円寺(ほうえんじ)
曹洞宗護国山宝円寺は前田利家が建てた前田家の菩提寺で、
もともと福井県武生市にあったが前田利家が金沢に移った
天正11年(1583)に大透和尚を金沢へ招き、護国山宝円
寺を新たに建立した。宝円寺には藩主一族の位牌が安置さ
れており、利家の自画像と髪を納めた御髪堂がある。墓場
は本堂の100mほど後方にある。



■写真は宝円寺本堂



■写真は宝円寺本堂屋根の梅鉢紋



■写真は宝円寺地蔵



その後宝円寺は藩公から毎年二百二十余石の供養米を寄進
されるまでとなり、前田藩累代の菩提寺となり、曹洞宗全
寺院の触頭とせられた。当初の寺地は、今の兼六園東隅で
あったが、元和6年(1620)現在地11,600坪の替地を賜り
移転し、華麗なる伽藍建ち並ぶその様は誠に人の目を驚か
せた。
宝暦9年(1759)の大火で類焼し、同12年復興した。明治
元年(1868)2月28日、不幸にも寺内からの失火にて再び
全伽藍を失い、今の本堂と庫裏を造営し現在に至る。
平成24年8月13日付にて、宝円寺山門及び築地塀一棟、宝
円寺庫裡一棟、宝円寺本堂一棟が、国の登録有形文化財に
指定された。

■写真は宝円寺細野燕台の墓



□御影堂と御髪堂
秀吉の死後、慶長4年(1599)2月利家が家康を伏見の城
に訪れる際、万一を思い宝円寺象山和尚に「画像と髪」を
託し、後に地中深くうめさせたという。

■写真は宝円寺御影堂と御髪堂



■写真は宝円寺代々住職の墓



■写真は宝円寺俵屋宗達の墓

宝円寺ホームペジ
http://www.gokokuzan-houenji.jp/

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小立野丘陵北側寺院めぐり② 安楽寺、永福寺

2013-10-04 04:42:33 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その202(No.346)

◇小立野丘陵北側寺院めぐり②

まいどさん16期生の勉強会で小立野丘陵北側の寺院をめ
ぐった。

■写真は安楽寺山門



5)安楽寺(あんらくじ)
浄土宗法真山安楽寺は慶長7年(1602)越前の脇田兵部重
季がこの地に僧・立空等摂を招き開山。3代藩主利常の小
姓脇田猪之助の位牌と代々の墓がある。脇田直賢は前田家
2~5代藩主に仕え、1500石を拝領し、小将町の玉泉
園の作庭者でもある。

■写真は安楽寺本堂



6)永福寺(ようふくじ)
曹洞宗万松山永福寺は加賀藩老臣・奥村永福が天正年間
(1573~92)、初代藩主利家より寺地を拝領し建立。永福
は利家の兄利久に仕え、利家が前田家を相続したのち利家
に仕えた。天正12年(1585)佐々成政の攻撃を受けた能
登末森城を守将として死守したのは有名である。

■写真は永福寺門



■写真は永福寺本堂



7)木曽坂
木曽坂の名称は、木曽谷の山坂に似ているので名づけたと
いわれているが、木曽義仲ゆかりの樋口が故郷木曽谷を偲
んででつけたという説もある。

■写真は木曽坂石柱

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小立野丘陵北側寺院めぐり① 松山寺、鶴林寺、雲龍寺

2013-10-01 04:34:57 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その201(No.345)

◇小立野丘陵北側寺院めぐり①

○金沢三寺院群とは
ひがし茶屋街から卯辰山山麓に位置する卯辰山山麓寺院群
には現在でも43の寺や5神社が集まっている。金沢では
金沢城を囲むように、寺町、小立野と3つの寺院群が今で
も残っている。

○小立野寺院群
江戸時代に一向一揆対策のために寺院が集められた。小立
野寺院群もその1つで、金沢城築城の際に、戸室山に産
出する戸室石を運んだ道は「いし曳きの道」といわれてい
ますが,「いし曳きの道」の両側の兼六園下から天徳院に
かけての小立野台地周辺には多くの寺院があり小立野寺院
群と呼ばれている。小立野台地は高台のため,馬坂や八坂,
嫁坂など趣のある坂も多い。 「いし曳きの道」を由来とし
た石引という町名も残っています。

■写真は八坂



まいどさん16期生の勉強会で小立野丘陵北側の寺院をめ
ぐった。

□コース
兼六園小立野口~八坂~松山寺~鶴林寺~雲龍寺~安楽寺
~永福寺~木曽坂~宝円寺~瑞雲時~献珠寺~高源院~
~馬坂~馬坂不動~五人扶ちの松~善行寺~田井菅原神社
~椿原天満宮~小立野下馬フラットバス停

1)八坂(はっさか)
古くはこの辺に樵(きこり)が使用した幾筋もの坂があっ
たという。八つあったかどうか定かではないが、多くある
こという意味から「八坂」といったのではないかとのこと。
長さ50m、傾斜12%と金沢の中でも急な坂道の一つ。

2)松山寺(しょうざんじ)
曹洞宗円通山松山寺は慶長4年(1599)横山山城守長知が
創建し、丹波国氷上郡の円通寺住職・融山泉祝を招いて開
山した。
長知の父・長隆は加賀藩初代藩主・前田利家の府中(現武生
市)時代の家臣。松山は長隆の戒名である。

■写真は松山寺山門



■写真は参道と本堂



3)鶴林寺(かくりんじ)
曹洞宗雲松山鶴林寺は大乗寺3代・明峰和尚の弟子大智。
延元年間(1336~40)石川郡吉野谷に祇陀寺を建立。後年
越中(富山県)守山に再興。さらに金沢八坂に移り、3代
藩主利常の命で鶴林寺と称するようになった。

■写真は鶴林寺山門



■写真は鶴林寺本堂



子安地蔵尊は前田家の奥方たちが安産祈願したといわれる。

■写真は子安地蔵尊



4)雲龍寺(うんりゅうじ)
地図にも載っていない寺。入山禁止

■写真は雲龍寺門

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