植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

冬の金沢2014 その4 主計町茶屋街

2014-02-28 04:35:09 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その234(No.401)

◇冬の金沢2014 その4 主計町茶屋街

○主計町茶屋街概況

1869年(明治2)に開かれた茶屋街。ひがし・にしともに、大店
の旦那衆の社交の場として栄えた。国の重要伝統的建造物群
保存地区に指定。浅野川大橋から中の橋までの浅野川南岸に、
美しい格子戸の料亭が立ち並んでいる。五木寛之の小説にも出
てくる太郎がある。

■写真は主計町



■写真は「季なり」



五木寛之さんの小説に出てくる鍋料理の店。

■写真は鍋料理太郎



■写真は太郎看板



■写真は川沿いの椿



■写真は「ギャラリー鏡花」



■写真は中通り



■写真は主計町事務所

この記事をはてなブックマークに追加

冬の金沢2014 その3 ひがし茶屋街(2)完

2014-02-26 05:03:48 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その233(No.400)

◇冬の金沢2014 その3 ひがし茶屋街(2)完

○ひがし茶屋街の概況

ひがし茶屋街は文政三年(1820)に加賀藩がこの近辺に
点在していたお茶屋をここに集めて町割りしたもので、
今でもキムスコ(木虫籠)と呼ばれる美しい出格子がある
古い街並みが残り、昔の面影をとどめています。灯とも
し頃にもなれば、今でも軒灯がともる茶屋から三味線や
太鼓の音がこぼれてきます。

■写真は藤とし



■写真は二番町2



■写真は工芸店「今日香」



■写真は1番町



■写真はコージュ



■写真はひがし茶屋街休憩館



■写真は浅野川大橋

この記事をはてなブックマークに追加

冬の金沢2014 その3 ひがし茶屋街(1)

2014-02-24 04:43:35 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その232(No.399)

◇冬の金沢2014 その3 ひがし茶屋街(1)

○ひがし茶屋街の概況

ひがし茶屋街は文政三年(1820)に加賀藩がこの近辺に
点在していたお茶屋をここに集めて町割りしたもので、
今でもキムスコ(木虫籠)と呼ばれる美しい出格子がある
古い街並みが残り、昔の面影をとどめています。灯とも
し頃にもなれば、今でも軒灯がともる茶屋から三味線や
太鼓の音がこぼれてきます。

■写真は圓長寺



■写真は自由軒



■写真は二番町1



■写真は志摩



■写真は街燈



■写真は懐華楼

この記事をはてなブックマークに追加

◇冬の金沢2014 その2 長町武家屋敷跡(2)

2014-02-21 04:42:12 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その231(No.398)

◇冬の金沢2014 その2 長町武家屋敷跡(2)完

○町名の由来
長町は前田八家の1つ長氏の屋敷があったことから名
付けられました。
現在の長町武家屋敷一体は長氏、村井氏をはじめ上級
武士から中級、下級武士などが住んでいました。現在
では、当時の武家屋敷は殆ど残っていませんがその中
で中級武士だった野村家邸は当時の武士の邸宅の様子
を伺うことができます。

■写真は桑嶋家長屋門



○土塀のこも掛け
こも掛けは、土塀に染み込んだ水分が凍って土がひび
割れたり剥がれたりするのを防ぐため、金沢市が86
年から毎年行っている。わらを編み込んだ「こも」を
約50軒、約900メートルある土塀につるしている。 

■写真は長町武家屋敷跡土塀群2



■写真はこも掛け



■写真は長町研修塾



■写真は本田屋看板



■写真は長町鞍月用水

この記事をはてなブックマークに追加

冬の金沢2014 その2 長町武家屋敷跡(1)

2014-02-18 04:27:18 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その230(No.397)

◇冬の金沢2014 その2 長町武家屋敷跡(1)

○町名の由来

長町は前田八家の1つ長氏の屋敷があったことから名
付けられました。
現在の長町武家屋敷一体は長氏、村井氏をはじめ上級
武士から中級、下級武士などが住んでいました。現在
では、当時の武家屋敷は殆ど残っていませんがその中
で中級武士だった野村家邸は当時の武士の邸宅の様子
を伺うことができます。

■写真は長町老舗記念館



○土塀のこも掛け

こも掛けは、土塀に染み込んだ水分が凍って土がひび
割れたり剥がれたりするのを防ぐため、金沢市が86
年から毎年行っている。わらを編み込んだ「こも」を
約50軒、約900メートルある土塀につるしている。

■写真は長町大野庄用水



■写真は長町武家屋敷跡土塀群1



■写真は鏑木商舗の灯篭



■写真は大屋家門



■写真は大屋家門の松

この記事をはてなブックマークに追加

新幹線開業PRキャラ「ひゃくまんさん」(No.396)

2014-02-14 04:57:31 | 日記


◇新幹線開業PRキャラ「ひゃくまんさん」(No.396)

石川県北陸新幹線開業PRマスコットキャラクター「ひゃ
くまんさん」は石川県の郷土玩具であり、縁起物の「加
賀八幡起上り」をモチーフに、石川の多彩な文化をギュ
ッと凝縮し、百万石の豪華絢爛さをイメージさせるデザ
インで、開業PRキャッチコピー「いしかわ百万石物語」
を象徴するキャラクターとして作成された。

■写真はいしかわ観光特使交流会に出演



輪島塗のおひげ、金沢箔を施した眉や、松・花の中心部
分、加賀友禅柄の菊やぼたん、色彩には赤・黄・緑・紺
青(こんじょう)・紫の九谷五彩を使用し、全国に誇る
石川の伝統工芸の技術が取り入れられている。

■写真は正面(ひゃくまんさんパンフより)



また、全身には、兼六園のことじ灯籠や白山、能登キリ
コなど、県内各地域の観光資源が描かれており、県内の
マスコットキャラクターを代表するような風格を備えて
います。

■写真は右





「ひゃくまんさん」は、平成27年春の北陸新幹線金沢開
業に向けて、県の広告塔として、石川県の魅力や北陸新
幹線開業をPRするため活動しています。

■写真は後
■写真は左



2月5日日経MJ「異形ゆるキャラ異常な存在感」で取
り上げられ「ひゃくまんさん」が掲載された。
このところ人気上昇中!!

■写真は2月5日日経MJ



加賀に一国一社の八幡宮が鎮座していたころ、その社前
に住む有徳な翁が八幡さん(祭神応神天皇)のお生まれ
の時、真紅の錦で包んだという産着姿になぞられて、子
ども達のために、この「加賀八幡起上り」を作り与えて
育成と多幸とを祈ったことに起こるといわれている。

■写真はモデルになった加賀八幡起上り

この記事をはてなブックマークに追加

「せい月」よるまっし16会新年昼食会

2014-02-12 04:33:02 | 日記


金沢の観光スポットグルメレポート その13(No.395)

◇「せい月」よるまっし16会新年昼食会

1月25日(土)金沢観光ボランティアガイドの会「ま
いどさん」16期生の新年会をせい月で開催した。

会費:3,000円(飲み物別)

■写真は玄関



日本料理「せい月」は長町武家屋敷に隣接する奥座敷。
四季折々の旬の素材を生かした懐石料理のお店で、主
人は「四條流包丁儀式」師範の継承者でもあります。
「包丁儀式」は日本王朝時代の厳粛な儀式であり、平
和な大宮人の風流優雅な気分と生活の一端を表現した
社交儀式。

■写真はお迎えの女将さん



■写真は廊下



■写真は庭



■写真は座敷








■写真は料理

住所: 金沢市長町1-5-14
電話: 076-233-2044

せい月ホームページ
http://nihonryouri-seigetsu.com/index.html

この記事をはてなブックマークに追加

珠姫の菩提寺天徳院(てんとくいん) (2)完

2014-02-10 04:48:38 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その229(No.394)

◇珠姫の菩提寺天徳院(てんとくいん) (2)完

金龍山(きんりゅうざん)天徳院は曹洞宗の寺院で、元
和9年(1623)に加賀三代藩主前田利常公は正室珠姫菩
提のため、小立野台に4万坪の広大な敷地を定めて天徳
院を創建した。

○珠姫の略伝

珠姫は、加賀藩三代藩主前田利常公の正室で、慶長4年
(1599)3月江戸幕府第二代将軍徳川秀忠公の次女とし
て生まれ、名前は珠子、幼名を子々姫といった。

同年、前田家では藩祖利家が亡くなり、二代藩主利長公
が加賀の国へ戻り藩政を治めていた。その間には、前田
家が徳川を討つという噂が流れ、将軍家康公は大変驚き
軍勢を集めて前田を攻めようとした。この情勢を聞いた
利長公はすぐに国家老を派遣して、前田家が徳川幕府に
刃向かう計画は一切無いことを説明、その証としてやむ
なく利長公の母、お松の方(芳春院)を人質として江戸
に送り代わりに珠姫を嗣子利常の嫁として受けることを
約束した。

抹茶は500円(受付でチケットを買う)

■写真は茶室



■写真は抹茶





慶長6年(1601)珠姫さま3歳のとき加賀の国(金沢)
へお輿入れになり14歳で結婚、その後10年間に3男
5女を立派に育てられた。珠姫さまは利常公の妻として、
将軍秀忠公の娘として前田、徳川両家の融和のために心
を尽くされたが、元和8年(1622)春、夏姫出産後7月
3日に亡くなられた。御歳24歳であった。

その年の8月8日、城外小立野の地で荘厳に葬儀が行わ
れ、遺骨を金沢と高野山に分骨して各に一寺を設け、戒
名の『天徳院殿乾運淳貞大禅定尼』にちなんで、いずれ
の寺院も天徳院と称した。

珠姫さまの生涯は加賀百万石の危機を救いその繁栄に尽
くした、まさに良妻賢母、日本女性の鏡として今も金沢
市民に敬愛され親しまれている。(ホームページより)

■写真は庭園



■写真は鎮守堂



■写真は鎮守堂の天狗



■写真は総門右の出世観音

天徳院ホームページ
http://www.spacelan.ne.jp/~tentokuin/

この記事をはてなブックマークに追加

珠姫の菩提寺天徳院(てんとくいん) (1)

2014-02-07 04:40:29 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その228(No.393)

◇珠姫の菩提寺天徳院(てんとくいん) (1)

○天徳院の歴史

金龍山(きんりゅうざん)天徳院は曹洞宗の寺院で、元
和9年(1623)に加賀三代藩主前田利常公は正室珠姫菩
提のため、小立野台に4万坪の広大な敷地を定めて天徳
院を創建した。

寛永元年(1624)初代将軍徳川家康公が崇敬した巨山泉
滴和尚を千葉県長安寺よりお招きし、天徳院第一世開山
とした。
寛文11年(1671)珠姫(天徳院殿)の遺骨は天徳院境
域より野田山に改葬された。

■写真は総門



元禄6年(1693)五代藩主綱紀公は四代藩主光高公50
回忌供養のために、親交の深かった明(中国)の僧、黄
檗宗五代管長高泉和尚に委嘱して着工から10年の歳月
を要して天徳院の全堂宇をすべて明朝式に造営建築した。

■写真は山門



明和5年(1768年)2月に山門、総門、御霊堂、宝蔵な
どを残して本堂、庫裡その他多くの講堂を焼失。現在は
山門を残すのみである。
明和6年(1769)12月には、十代藩主重教公がわずか
70日間の突貫工事で本堂、庫裡などを再建した。

■写真は山門の仁王



山門は元禄6年(1693年)建立の二重門。
文化財
 羅?羅像(木造、江戸時代)
 見返阿弥陀立像(木造、江戸時代)
 梵鐘(1863年作)

■写真は線香台



本堂内部は撮影禁止でした。

■写真は本堂



本堂の仏殿左には珠姫と利常、子どもなどが登場する
からくり人形劇がある。珠姫を理解できる素晴らしい
内容のもので、必見!(ただし上映時間があるので時
間に注意)

■写真はからくり人形(ホームページより)

天徳院ホームページ
http://www.spacelan.ne.jp/~tentokuin/

この記事をはてなブックマークに追加

冬の金沢2014 その1 兼六園(3)

2014-02-04 05:05:20 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その227(No.392)

◇冬の金沢2014 その1 兼六園(3)

○兼六園の概略
兼六園は、江戸時代の回遊林泉式庭園の特徴を今日
に残す代表的名園で、水戸の偕楽園、岡山の後楽園と
ともに日本の三名園と称されている。築庭は延宝3年
(1676)加賀5代藩主綱紀に始まり、約170年を費やした。

宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六勝を兼ね備
えるという意味から命名された。

季節ごとの花や樹木が見事なレイアウトで何回訪れて
も楽しまさせてくれる。ただし雪の兼六園はタイミン
グを合わせるのがむつかしい。

■写真は瓢池(ひさごいけ)



■写真は翠滝と海石塔





■写真は三芳庵(みよしあん)と灯篭



■写真は噴水



■写真は噴水付近の曲水

この記事をはてなブックマークに追加