植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

北国街道・富樫館跡 中世の歴史に触れる-2 喜多家 ①

2018-11-19 05:32:45 | 日記


石川の観光スポットレポート (No.1427)

◇北国街道・富樫館跡 中世の歴史に触れる-2 喜多家 ①

10月27日のボランティアガイド「まいどさん16期生」”よるまっし16会の勉強会で野々市市の「北国街道・富樫館跡 中世の歴史に触れる」に参加した。



〇国指定重要文化財 喜多記念館

喜多家はもとは高崎姓を名乗った越前武士で、江戸中期に禄を離れ加賀に移住しました。その後野々市で灯油の製造販売を生業とし、屋号を油屋といい幕末からは酒造業を営んだ旧家です。
明治24(1891)年野々市の大火で罹災し、現住居の新築にあたって金沢市材木町の醤油屋の主屋を買い求め移転、同年11月に完成しました。



構造手法から推測すると19世紀中ごろに造られたようです。平面は通り土間式で、土間沿いは前面に板敷きの帖場(みせ)、奥に5間通しの広い「おえ」があります。
土間境は間仕切りを作らず、上がり框(かまち)だけで開放的になり、広い空間を演出しています。

■写真は外観







通りに面した外観は、細い縦格子や庇(ひさし)の「さがり」、二階の妻にみられる腕木に支えられた袖壁など、加賀の町家の典型的なものであり、また建物自体も上質で、石川県で遺存する町家の中では年代も古い貴重なものです。

〇喜多家概要
・概 要:間口八間 桁行22.4m、染間16.1m 二階建、切妻造、桟瓦葺(元は板葺)
・重要文化財:1971.12.28 指定
・喜多家の元所有者は加賀長者番付にのった醤油商「たいや惣兵衛」のものと伝えられる。

■写真は通りにわ



〇囲炉裏の灰形

おえの間上り縁に囲炉裏があって、敷かれた灰に灰形が描かれ、枯山水の庭にも見えます。加賀藩で盛んな茶の湯から灰形の造形につながったといわれ、その灰形は茶事をいそしむ人でもうなるほどの技である。



囲炉裏には自在鉤が吊るされ、その上に大きなケヤキの鉤(そらかぎ)が吊るされている。

■写真は囲炉裏の灰形



〇立涌模様(加賀暖簾)

立涌は水蒸気が立ち涌いて登っていく様子を表している文様で、平安時代以降、公家を中心に使われだした。

■写真はおえの間と立涌模様加賀暖簾

参考資料:片岸恵治氏資料、インターネット(野々市市他)

撮影日:2018.10.29

(つづく)