散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

西郷どん・新しき国へ・いきなり登場した山縣有朋とは何者か・山縣有朋と帝国主義の時代

2018年11月04日 | ドラマ
「西郷どん」の感想ではありません。いきなり登場してきた「山縣有朋」についてです。

長州出身・奇兵隊を率いる・明治になって陸軍卿・兵制改革を行う・総理大臣も経験・公爵となる・文字通りの日本のドンとなる・もらった勲章数知れず・でも国民には全く人気がなかった。

山県有朋は「日本軍閥の祖」なんて有難くない名前をちょうだいしながら、当時も、昭和時代も、そして今も、「全く人気がない」人間です。葬式は国葬だったが、参列する人民はほとんどいなかった、というのもどうやら事実のようです。

森鴎外の「舞姫」に出てくる「天方伯」のモデルとして、文学部系の学生の間ではちょっとぐらいは有名です。

むろんNHKの「八重の桜」にも「坂の上の雲」にも出ていました。「明治陸軍のドン」なのですから当然です。古くは西田敏行さんがその若い頃を演じました。あの山県はなかなかよい、です。でも全然人気がない。トホホ。

若い頃は山県狂介と名乗り、奇兵隊を足場にして活動しました。狂介と名乗ったのは、「なかなか狂うことができない」たちだからです。慎重の上にも慎重。高杉から「みそ徳利」(動かない。出ないことへのからかいです)と呼ばれていたようです。

ボロクソに言われてきた山県ですが、近頃、「彼はアジア主義者の側面を持っていた」という人がいます。アジア主義とはここでは、「清国、朝鮮国、日本」が共に近代化しかつ連携し、「欧米列強に対峙する」という意味です。

これは明治政府の要職にいたものなら、誰でも多かれ少なかれ持っていた考えで、山県有朋にも当然そういう側面はあったでしょう。勝海舟も福沢諭吉もそれを夢想していました。そして伊藤博文はやや多量に、山県はやや少なめに、この考えを持っていたと思います。(詳しくは書きませんが、脱亜論は福沢の失望感の裏返しです)

「いまさら言うべきことでもないかな」と思うのです。

しかし、ウィキペディアの山県の解説をみて、ちょっと驚くというか、不謹慎にも笑ってしまいました。

以下引用です。

また有馬は明治末期から山縣の死の前後まで「否定の対象」として語られていた山縣が、大正11年の死から昭和戦前期にかけて「否定の対象としても忘れ去られ」、第二次大戦後の軍国主義批判のなかで批判的にとらえられ、「軍国主義者」「帝国主義者」「反動」「ファシスト的」「巨魁山縣有朋」など著しくマイナスの評価を与えられ続けたと指摘する。
しかし近年、イデオロギー的文脈から切り離した山縣の実像に迫る分析がジョージ・アキタ、伊藤隆らにより試みられている。そこからは、下関戦争や三国干渉の苦い経験を経て列強への警戒感をもち続け、欧米人対アジア人の「人種戦争」を憂慮する「日中提携論者」であり、アメリカとも対立すべきでないと説く「外交的にきわめて慎重な姿勢をとり続けた政治家という、従来の軍国主義的人物像とは異なる山縣の姿が浮かび上がる。

笑ったのは「否定の対象としても忘れ去られ」の部分。つくづく嫌われ者だと思います。(もっとも坂本龍馬だって明治16年までは、完全に忘れられていましたが)

山県は風雅を好みましたが、政治的には一貫して慎重派であり、リアリスト(現実主義者)でした。だいたい「山県はファシスト的」とか聞いたことがありません。学者さんだけの世界の話ではないでしょうか。

上記の文では「軍国主義者」「帝国主義者」と言葉が並んでいます。
「軍国主義者」という言葉のイメージはたぶん受け手によって全然違うでしょうが、どうやらジョージさんたちは「盲目的国粋主義者ではなかった」と言いたいようです。「みそ徳利の山県」が、そんな人間でないのは当然です。そんな人間なら、今でも同じような傾向を持つ一部の人限定で、もっと人気がでています。

彼はリアリストです。当時の「リアル」は「帝国主義」です。だから彼は現実を分析し、「日本の必要」に応じて「帝国主義的な」行動をとったのでしょう。帝国主義者ではなかったかも知れませんが、現実が彼に帝国主義的な人間であることを要求したのです。むろん「やりすぎ」ました。そして人間に対して公平でもなかった。汚職で逮捕されかけたこともあります。

全てが時代のせい、とは言いません。帝国主義の時代と彼の資質が、ある種の化学反応を起こして合体し、「あの嫌われ者の山縣」が出来上がったのだと思います。

「西郷どん」第41話感想・「新しき国へ」・山縣有朋の登場・明治帝は天子様?・どこまでも優しい久光

2018年11月04日 | ドラマ
「西郷どん」、本日の放送、「新しき国へ」

相変わらず、歴史上の重要な出来事が「さらー」と薄っぺらく流れていきます。あれじゃあ中学生が見たら、どうつながるのか全然わからないでしょう。

ます岩倉使節団のことが取り上げられます。岩倉使節団のことなら、もっと描くことはあるだろうに、「天子様」(ナレーションでも天子様と言っていた。)のミコトノリのシーンにやたらと時間をかけて、しかも桂小五郎がお声を聞いただけで「泣いたり」してました。「終戦の御前会議の様子」みたいでした。なんなんだろ。幕末においては志士は天皇を「玉」(ぎょく)と呼んでいました。明治になっても桐野(半次郎)などは、「天皇陛下」を「てんのうかいか」と読んで笑われていました。

明治6年、西郷は下野し、多くの薩摩人がそれにつき従って下野します。中将だった半次郎も下野します。中将や少将というのは当時少なく、当然「天皇、天子様が任命した職」だったわけですが、「そんなの関係ねえ」というのが桐野(半次郎)たちの意識でした。

つまり天皇というか天子様?は見捨てられたわけです。

この「痛い体験」が陸軍トップの山縣有朋の「危機感」につながります。彼が中心となり、西南戦争直後の明治11年には軍人訓誡、さらに明治15年には「軍人勅諭」が出されます。

「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ」という宣言です。これが「統帥権の独立」につながり、明治期はそれでもそこそこのバランスはとれていたのですが、昭和になって「政府は軍隊の軍事行動には干渉できない」という悲劇的な状態が生じてしまいます。昭和8年段階までには、日本には「総理」「軍令部総長」(海軍)、「参謀総長」(陸軍)という3つの権力がバラバラの状態で存在することになりました。しかも宮廷勢力という第4の勢力もありました。大きな権力が3つもしくは4つもあるのです。「国のかじとりが少なくとも3人」。それでは国がまともな方向に行くわけがありません。

「極東軍事裁判」の被告は「共同謀議」という罪状で裁かれることが多かったのですが、ある被告は「共同謀議とはお恥ずかしい限りだ。政府はこうしろと言い、陸軍はこうすると言い、海軍も同じで、てんでバラバラ。もし共同謀議なんて高度な政治行動がとれていたら、もう少しはまともに戦えたはずだ。」と言っています。

で、なんで山縣有朋の話をしているかというと、ドラマの中で何故か急に半次郎が山縣有朋に「キレている」シーンが登場するからです。「いきなり」です。「翔ぶが如く」でもこのシーンはありましたが、「キテて」はいません。半次郎だって一応は中将です。篠原らと「問い詰め」に行ったのです。怒ってはいました。話題は汚職ではなく、国民皆兵でした。様々な布石があって、半次郎たちが山縣を追い詰めるシーンが登場するのです。「いきなりキレている」なんて「下品なシーン、漫画みたいなシーン」は登場しません。なおこの昔の大河では山縣有朋は役所の部屋の奥に隠れており、対応するのは緒方直人さん演じる西郷従道でした。

たしかこんな感じ。
桐野(半次郎)「信吾どん。百姓を軍人にして、武士の誇りを奪うような真似をしたら、たとえ大西郷の弟であっても、オイは許さん。」
信吾(西郷従道)(ご意見は一応聞きましたよと流す感じで)「おやっとうさんでした」(お疲れ様でした。さっさと帰れ、兵制改革に逆らうならオイも桐野を許さんという意味)

桐野と従道がそれぞれの「つわもののの信念」をかけて、バチバチと対峙する緊張感溢れる名シーンでした。西郷どんの「キレた暴走族の若者」のような桐野とは全く違います。

話を山縣と天皇、天子様?に戻すと、山縣有朋はその後も「あの手この手で天皇を飾って」いきます。「荘厳で重々しく近寄りがたい天子様」に仕上げていくのです。

つまり山縣有朋というのは「昭和につながるその後の日本の歴史を決定づけた男」です。天皇を「現人神にした人間だ」と言ってもさほど間違いではないでしょう。なるほど、今回描かれたように、明治5年には大規模な汚職事件も起こしています。それでも「軍制改革ができるのは山縣有朋しかいない」ということで、彼は陸軍のトップに座り続けます。参議であった西郷もそれを支持しました。ちなみに「兵制改革」における彼の部下は西郷従道でした。

韓国では伊藤博文が大層な悪者ですが、韓国に方は責めるなら伊藤より山縣有朋を責めるべきだと思います。なんと大正11年まで生き、陸軍の、というより文字通りの「日本のドン」として軍隊にも政界にも強烈な影響力を持ち続けます。松下村塾出身者では伊藤博文とならんで、もっとも権力を持った人間です。しかもその権力を思うままに使った人間でもあります。森鴎外の「舞姫」の中に天方伯という人物が登場しますが、モデルは山縣です。ちなみに森鴎外は小説家ですが、本業?は軍医です。軍医としても最高の階級まで上りつめています。

山縣有朋の葬儀は「国葬」でしたが、参列する国民はほとんどいなかったと言われています。調べてみると、どうやら都市伝説ではなく事実のようです。とにかく嫌われていました。

でも山縣有朋がいなければ兵制改革(国民皆兵)はできなかったのです。なぜなら長州の大物である村田蔵六(大村益次郎、こぶ平ちゃんが演じていた)は、薩摩の海江田がはなった刺客によって既に暗殺されていました。残ったのは大村の弟子である山田顕義です。山田顕義にも兵制改革はできたでしょう。しかし彼は岩倉使節団の一員なのでこの当時日本にいません。しかも少し年上である山縣有朋とは全く「そり」があいません。山田顕義は司法省に転身し、やがて法律の学校を作ります。それが今の「日本大学」です。

なんだか「西郷どん」のことより、山縣のことが中心になっています。まだまだ書きたい内容はありますが、やめます。

ドラマ後半はなんと「久光が西郷を励まし」、「やれるところまでとことんやれ、それでだめなら薩摩に帰ってこい」とか言ってました。なんでそうなるのだろう。「演出上の問題」なんでしょうが、何を演出したいのか、それが分かりません。この段階では久光の西郷に対する怒りは頂点に達していて、三条実美に西郷弾劾状を送りつけたり、西郷の罪状を並べ立てたりしていました。西郷にとって「不忠者」と言われることが「死ぬより辛い」ことだと知りつつ、それを言いづづけたのです。今の主君に対して忠義のない西郷が、斉彬に対して忠義の心を持っていたはずはないとまで言いました。これはもう「早く死ね」と言われているのと同じことです。世の中には演出上の問題としても、ついていいウソとついてはいけないウソがあると思います。
怒りの花火打ったと思ったら、西郷に「がんばれ」。二重人格なのか。このドラマ、そのシーンに合わせて「テキトーにキャラを変える」ものだから、しかもたった1話の中でも変えるものだから、理解できないセリフの連続です。この脚本家は「頭がおかしい、か、天才」です。

朝鮮王朝入門・初期朝鮮・李氏朝鮮・六龍が飛ぶ・龍の涙・大王世宗・根が深い木

2018年11月04日 | ドラマ
初期朝鮮王朝「超入門」です。自分の頭の整理の為に書いています。

1、朝鮮王朝を建国したのは李成桂(りせいけい、イ・ソンゲ)で、それは1392年、日本で言えば室町幕府の成立から60年ほど後である。滅亡は日韓併合の1910年である。

2、朝鮮王朝の基礎を作ったのは李成桂の五男のイ・バンウォン(李芳遠)であり、彼は三代目の王である。

解説
初代のイソンゲという人は、もともとは高麗王朝の将軍で、李氏朝鮮の建国に関してはかなりの「ためらい」も持っていました。建国後は政治の権力そのものは腹心のチョンドジョンが握っていました。彼は決して「ぎらぎらした権力の権化」などではなく、そもそも真面目な学者でありました。王は権威の象徴として君臨し、政治そのものは優秀な宰相が行うべきというのが彼の考えでした。
そこで、王権の強化によって支配すべきとするイ・バンウォンらと対立が起こります。イ・バンウォンは父を軟禁し、皇太子(後継の王、世子)に決まっていた異母弟の八男を惨殺、チョンドジョンらも粛清して、王権を奪取します。王には兄である次男をつけ、その後自分自身が王になりました。

3、イ・バンウォンは次々と外戚(妻の親族)や功臣(有力家臣)を殺し、王権を固める。そして三男イドを四代目の王として即位させた。

4、この4代目の王がイド世宗であり、ハングルのもとを作った人物である。

5、朝鮮には「朝鮮王朝実録」という書物があり、朝鮮王朝のことは「そこそこ正確に」把握することができる。

この時代(朝鮮建国時)を描いた作品としては以下のものがあります。

・龍の涙・・・朝鮮王朝実録に基づいており、かなり写実的。正確に歴史を反映しようとする意図がある。180話以上あって非常に長い。
・大王世宗・・・歴史の流れはそこそこ正しく描いているが、人物のキャラ設定は「ほぼフィクション」である。全ての人物を「立派に」描き過ぎている。
・根が深い木・・・世宗のハングル創生にまつわるミステリーもの。ただし「王権か宰相か」という問題を巡っては、かなりシリアスなセリフが多く登場して、おもしろい。
・六龍が飛ぶ・・・朝鮮建国時の、宰相チョンドジョンと王の五男イ・バンウォンの「親交と決裂、そして戦い」を描く。基本フィクションである。ただし大きな歴史の流れはおさえている。