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明治維新最大の功労者

2018年02月02日 | ドラマ

私はこのブログで西郷のことをあまりよく書いていませんが、そうではなく、「西郷どん」というドラマが今の時点では好きになれない、というだけのことです。その評価はいずれ変わるかも知れません。良い方向に変わってほしいと思ってます。

さて

西郷が、特に幕末において、一定の貢献をなしたことは大きく評価できると思います。明治以降はどーかなという感じですが。明治以降なら西郷より大久保のほうがずっと偉いように感じます。

明治維新最大の功労者は誰でしょうか。

西郷でしょうか、竜馬でしょうか。桂でしょうか、村田蔵六でしょうか。勝海舟でしょうか。大久保でしょうか。

あえてこの中から選べというなら、桂小五郎、大久保利通、勝海舟かなと思います。むろん西郷、竜馬、村田の貢献も大ですが、西郷は大事な時期に島流し状態ですし、村田は政治家ではなく学者であり近代軍学家です。好き嫌いを言うなら村田蔵六が一番好きですが、維新最大の功労者とは言えません。「竜馬が維新の仕掛け人なら、村田は仕上げ人」、もし、維新というものが正義であるとするなら、村田はその正義に花を咲かせる仕上げをしました。中国では花さかじいさん、のことを花神といいます。蔵六は花神の役割を果たし、急ぐように死んだのかも知れません(この部分、司馬さんの受け売り、というよりほぼ完全コピーです)

以下も司馬さんのコピーと言えばそうなのですが、司馬さんも書いている通り、維新最大の功労者は「徳川慶喜」だと僕も思います。

慶喜は勝海舟を嫌っていた、と言われますが、そうなのでしょうか。むろん冷遇はしました。そして鳥羽伏見で負けてから勝海舟という「切り札」を切ります。小栗上野介を切り捨て、勝海舟を起用するのです。勝が冷遇されていたのは公然たる事実でしたから、官軍としても勝を憎む心情はありません。まさに最後の切り札として温存されていたからです。

無血開城が山岡鉄舟はじめ、多くの人間の努力の結果ということはわかっていますが、やはり最後は勝海舟がまとめた、勝海舟の「えぐい感じ」は好きになれませんが、それは認めないといけないでしょう。

しかし徳川慶喜の恭順方針がなければ、勝だって動きようはありません。慶喜が起用しなければ、勝には交渉権がありません。勝の起用自体、慶喜の功績です。

徳川最後の将軍になった時、慶喜は幕府制度ではもうどうにもならないことを分かっていたでしょう。

しかし彼はまあ田舎武士です。

「徳川宗家を継いだ以上、できるところまではやる。しかし自分も徳川政権も滅びるだろう。自分は滅びても死んでもいいが、徳川政権の店じまいだけは、なるべく混乱なくやらなくてはならない。自分が死んでも、徳川が政権を失っても日本が残ればそれでいい。徳川宗家は一大名として名を残せばそれでいい」

「彼がそう考えていなかった」という資料はいくらでもあるでしょうが、「実際の行動としては」、そのように行動し、実際そうなりました。仮に彼がそう考えていなかったとしても、彼はそう行動したのです。

大阪城からの脱出、敵前逃亡なんて「よほどの信念と覚悟」がないとできません。

江戸のもどってからも、彼はその気になればいくらでも戦えました。箱根の関で官軍を迎え、そこを幕府海軍が砲撃する。もっと簡単に、官軍がいなくなったすきに大阪湾に日本最強の幕府海軍を回し、大阪に上陸する。そして京都を制圧する。

この作戦をとられたらどうにもならない。天皇をかついで逃げるしかない。官軍の作戦担当である村田蔵六ものちに、というより、江戸進軍の前に、その事態を想定し、「官軍はそれをやられたら勝てない」ことを認めています。西郷のみが江戸攻撃を主張し、結局徳川慶喜は大阪上陸作戦を却下しました。幕府にもその作戦を進言する者はいたのですが、慶喜は負けを選択しました。西郷が最後の輝きを持ったのはこの時でしょう。

しかしその輝きも、徳川慶喜の英断を前提にしなければ、ただの暴論に変わってしまいます。

誰にも評価されず、卑怯者扱いされ、勝てる戦を行わない。こんなことができる政治家はおよそ日本史に存在しません。

ただ徳川慶喜一人が、それをなしました。

維新最大の功労者は徳川慶喜です。反論や批判はいくらでも想定できますが、私はそう思っているし、その考えは今後も揺らぎません。



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1 コメント

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グローバルサムライ (ひるがえる錦の御旗)
2024-02-29 03:15:14
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズムにんげんの考えることを模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。どこか日本らしさの感じられる多神教的なものへの回帰とでもいうべきなのだろうか。

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