散文的で抒情的な、わたくしの意見

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「峠」における河井継之助

2019年05月14日 | 戊辰戦争
河井継之助という人は戊辰戦争時の長岡藩の家老(もともとは低い身分)で、ガトリング砲という連射砲を駆使して、新政府軍を大いに悩ませた人物です。

長岡藩を永久中立(国)にして、旧幕府軍と官軍の関係を仲裁する。この新潟の極めて小さな藩の家老が、そうした雄大な構想を抱いていた、と「峠」という作品ではそう描かれています。

「峠」の作者は司馬遼太郎さんです。

以下は引用です。


継之助は、この戦争の意義について考えつづけた。

美にはなる。

ということであった。人間、成敗の計算をかさねつづけてついに行きづまったとき、残された唯一の道として美へ昇華しなければならない。「美ヲ済ス」それが人間が神に迫り得る道である、と継之助はおもっている。

考えてもみよ。

と継之助は思う。いまこの大変動期にあたり、人間なるものがことごとく薩長の勝利者に、おもねり、打算に走り、あらそって新時代の側につき、旧恩を忘れ、男子の道を忘れ、言うべきことを言わなかったならば、後世はどうなるのであろう。

それが日本男子か。

と、おもうにちがいない。その程度のものが日本人かとおもうであろう。知己を後世にもとめようとする継之助はいまからの行動はすべて「後世」という観客の前でふるまう行動でなければならないとおもった。

さらにまた。

人間とはなにかということを、時勢におごった官軍どもに知らしめてやらねばならぬと考えている。おごり、高ぶったあげく、相手を虫けらのように思うに至っている官軍や新政府の連中に、いじめぬかれた虫けらが、どのような性根をもち、どのような力を発揮するものかを、とくと、思い知らしめてやらねばならない。

必要なことだ

と、継之助は考えた。長岡藩の全藩士が死んでも、人間の世というものは続いてゆく。その人間の世界に対し、人間というものはどういうものかということを、知らしめてやらねばならない。

引用終わり。

むろん河井継之助の「美しさ」は一部の日本人しかもう知りません。「北越戦争」も、ほとんどドラマになったことはありません。(大河ドラマ、花神では詳しく、また最近では中村勘三郎主演でその生涯が描かれています、八重の桜でもちらりと)。さらに書けば、北越戦争で随分と長岡藩士が亡くなったため、河井はその墓を破壊されるほど憎まれもしました。

それでも僕が河井が好きなのは、「峠という作品を読んでしまった」からでしょう。

もっとも、読み方によっては「死の美学」にも読めます。「日本帝国の玉砕賛美のようだ」と読む方もいるでしょう。司馬文学は自らが体験した「日本帝国軍のどうしようもない愚かさの否定」を出発点にしていますから、そういう読みは違うと思うのですが、そのことをここで強弁する気にはなりません。

ただ、上記の文は何度読んでも名文だ、とそう思うのみです。