散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

豊臣は本姓か・源平藤橘・徳川次郎三郎源朝臣家康

2019年11月30日 | 鎌倉幕府
日本の本姓は源平藤橘の4つであると、私は「間違った知識」を持っていましたが、調べてみると色々あります。「菅原、紀、清原・小槻」、ほかにも色々あるようです。

紀貫之が「きつらゆき」ではなく、「きのつらゆき」なのは紀が本姓だからということになりそうです。

もっとも本姓など、すでに戦国期において「ほとんど意味のない」ものとなっていました。豊臣秀吉は「本姓みたいなもの」を政治的に利用し、豊臣という姓を源平藤橘を無視する形で、いろいろな人間に配ります。源だろうが藤原だろうが「とにかくお前は豊臣だ」というわけです。

これは極めて変則的でしたから、その後、また意味を持たない本来の状態にもどります。

ウィキペディアなどを見ると、司馬遼太郎さんさえ「秀吉が姓を羽柴から豊臣に変えた」と「間違ったことを書いている」などという記述があります。

なんでもかんでも司馬さんの足をすくうことを考えているアホな歴史学者が記述しそうなことです。

そもそも「本姓」が形骸化しているので、豊臣が「本姓か名字か」は微妙です。豊臣という姓を天皇からもらったのは本当だから「本姓」でいいという人もいるでしょう。

すると「おかしなこと」が生じます。

秀吉は「羽柴藤吉郎豊臣朝臣秀吉」、「はしばとうきちろう、とよとみのあそん、ひでよし」ということなります。

すると「豊臣政権」は「豊臣政権ではなく」、「羽柴政権」と言わなくてはいけなくなります。

徳川家康の名乗りは「徳川次郎三郎源朝臣家康」です。そして我々は「源幕府」「源政権」とは言いません。「本姓」は使わないのです。足利政権だって同じです。足利の本姓は「源」です。

この法則に従うなら、「豊臣政権」という呼称はおかしく、「羽柴政権」ということになります。

でもそうは言わない。すでに「本姓と名字の区別など形骸化」していることを知っているからです。だから「羽柴から豊臣に変えた」というのは「完全な間違いでない」、どころか、学者はみんな「豊臣」を「名字扱い」してきたのです。

さて、徳川家康。

最初は「藤原」を名乗っていました。本姓なんてどうでもいいのです。どうとでもなる。新しく豊臣という「本姓みたいなもの」を創設だってできる。実にいい加減です。朝廷のいい加減さに即して、いい加減になっているのです。

政権をとった段階では「源」でした。そして「将軍は源氏しかなれない」という間違った説が流布します。「藤原将軍」「親王、天皇の子供将軍」だっていくらでもいます。

そもそも「幕府は源氏しか開けない」という表現が変です。「幕府」なんて言い方、当時はしてないからです。一般的になるのは江戸も相当後期になってからです。

つまり「幕府を開くぞ」という表現が「ありえない表現」なので、「幕府は源氏しか開けない」という表現も「当然成立しない」のです。「幕府」という呼称を使っていなかったからです。

朝廷なんて実にいい加減な組織なわけで、原理原則なんてあった言う間に覆してきました。そんな朝廷を前提にして「幕府は源氏しか開けない」なんてのは変な話です。「開けない」わけないし、「そもそも幕府を開く」という概念がないし(例えば足利幕府の人間が、自らの政権を幕府と呼称したことはない)、百歩譲って「源氏しか開けない」なら、「源氏になればいい」だけの話です。簡単です。「源氏だ」と名乗ればいいのです。秀吉は源氏になれなかったから幕府を開かなかったわけではなく、幕府を開くという考えもないし、幕府という概念が一般的ではなかったし、開く必要もなかったから開かなかっただけです。