散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

岡田版・白い巨塔・キャストと演出を採点

2019年06月01日 | 白い巨塔
必ずしも役者の評価ではありません。演出が演技を大きく左右するからです。例えば僕は寺尾聰という俳優が好きです。でも「この作品の演出では50点」だと思います。
それから「当然個人的な好き嫌い」が入っています。

財前五郎(岡田准一/ 唐沢寿明)

唐沢さんを100点として、岡田くんは65点。でも第五話で+10点で75点。

脚本で損しています。四話まではただの出世欲の塊でした。そんな物語ではないのです。作品の質の違いが、そのまま主人公の評価になっています。
まあオーバーな手振りは良くなかった。しかしこれも演出の問題。とにかく設定と演出で損しまくりです。

里見脩二(松山ケンイチ/江口洋介)


江口さんを100点とすると、松山さんは50点。でも第五話で+25点で75点。

里見は財前の「飾り」ではないのです。二人で主役なのです。今回はワキでした。信念の人、里見の凄さが表現できていない。財前が里見とともに何をしようとしていたのか、その理想を描かない。
そういう脚本なのだから、非常に損をしています。そうでなくともあのインターンみたいな感じはいただけません。佐々木さんの肝不全を知って驚いていた。そんな馬鹿な。肝臓を疑っていたのではなかったのか。とにかく設定がダメダメなので、松山さんもダメに見えてしまいます。まあ、そもそも好きな俳優さんじゃないというのもあります。

ただし第五話は良かった。里見を反白い巨塔の社会派の医師として評価するのではなく、普通の先生、「優しくて穏やかで親切な先生」として評価するなら、素晴らしい演技でした。

東教授(寺尾聰/石坂浩二)

寺尾さんは好きです。でも石坂さんを120点とすると、寺尾さんは50点。演出がひどすぎる。第五話で+5点で55点。
「品格がない」わけです。それに尽きます。「大学教授に必要なのは腕だけでなく、品格、人徳だ」とこっちが言いたくなります。

大河内清作(岸部一徳/品川徹)

品川さんを120点として岸部さんは70点。ギリギリ合格です。個人的には品川さんの大河内教授が大好きなのです。次元を超えた存在感を持つ大河内。それを品川さんは見事過ぎるほどに演じた。財前を見つめる時のあの表情。毅然として神々しくさえある。品川大河内こそ影の主役ぐらいに思っています。
岸部さんは最初は50点ぐらいでしたが、裁判のシーンで盛り返しました。でも品川さんのあの「古武士のような凄み」には誰も太刀打ちできないと思います。

財前又一(小林薫/西田敏行)


西田さんも小林さんも100点。西田さんはアドリブが多そうです。いずれにせよ両名ともうまい。

柳原雅博(満島真之介/伊藤英明)

設定の深みが違うので比較はできませんが、伊藤さんを95点として85点ぐらいか。演出設定で損しています。人がいうほど満島さんには惹かれませんでした。とにかくダメな医師だなという感じの方が強くしました。ただし演技はうまかった。設定で損しているだけです。最後は原作通り高知の無医村にいく。付いていく野田華子さん。たぶん原作ではついていかない。二人のラブシーンは良かった。「すみません」「いいえ」といって抱き合うというか深い関係になる。「昭和40年代以前の男女」みたいでした。

亀山君子(美村里江/西田尚美)

ミムラさんは十分に合格点です。私は西田さんが好きだし、設定も柳原との関係も、唐沢版は魅力的過ぎます。ちなみに西田さんは120点です。西田さんは「白夜行」でも「看護婦」をしていました。

佐々木庸平(柳葉敏郎/田山涼成)

田山さんを100点としてギバちゃんも100点。田山さんも実にうまい。ギバちゃんも文句なしです。

佐々木よし江(岸本加世子/かたせ梨乃)


岸本さんはうますぎます。でもかたせさんも頑張っています。かたせさんはそもそもグラビア出なのに、よく演じています。岸本さんを100点としてかたせさんは90点。

財前杏子(夏帆/若村麻由美)

夏帆よくやったと思います。設定というかイメージが、かなり違う。両名とも90点です。

野坂(市川実日子/山上賢治)

市川さんの演技は十分過ぎるほど合格点です。しかし設定が残念。かっこいい登場の仕方だったのに、ただの野坂教授。狡猾に立ち回るいつもの野坂教授。市川さんを起用したなら、設定を変えないと。

花森ケイ子(沢尻エリカ/黒木瞳)

黒木さんを100点として沢尻さんは79点。沢尻さん、母性がない。セクシーなのに異常な童顔。最初の清純路線にもどったほうがいいと思うほど童顔。帰蝶をどう演じるのか。

黒川キヌ(市毛良枝/池内淳子)


どっちも100点です。安定度抜群。

鵜飼裕次(松重豊/伊武雅刀)

設定がまるで違うのです。伊武さんは白い巨塔の象徴。松重さんはちょっと悪いだけの内科医。最後はいい人にすらなります。松重さんの演技は95点。設定は50点。
伊武さんは100点。悪いやつでっせー。態度は柔らかく人当たりもよく、それでいて実に狡猾。

佃友弘(八嶋智人)

八嶋さんをなんでここに。役者の無駄遣いかな。前は片岡孝太郎、大歌舞伎役者の息子です。終戦のエンペラーで昭和天皇を演じています。どちらも100点ですが、八嶋さんは存在が薄かった。

金井達夫(長谷川朝晴)

唐沢版の奥田達士さんは東派的なところもあり、財前の「犬になりきって」はいません。今回の金井准教授はほぼ存在感0。評価不能。

東政子(高島礼子/高畑敦子)

見栄で生きる女性を演じさせて高畑さんに勝てる人はいない。可愛げもある。高畑さんを100点として高島さんは78点。

東佐枝子(飯豊まりえ/矢田亜希子)

矢田さんは準主役でした。設定が違うのです。矢田さんを90点とすると、飯豊さんは85点。飯豊まりえさん、初めて見たけど麻生久美子さんに似ている。
矢田さんが何故90点かというと「若くて美しい女の自然な自己中心性」が出てしまっているからです。なんでも自分を中心に考える。里見にも意外とぐいぐい迫っていきます。
飯豊まりえさんは控えめで原作に近いのでしょう。最後、里見に愛を告白?しますが、日本から離れることを前提とした「さよならの告白」でした。まっすぐな目線に好感が持てます。松山さんの何とも言えない表情も良かった。

船尾徹(椎名桔平

圧倒的な存在感。椎名桔平は100点。

菊川昇(筒井道隆/沢村一樹)

沢村さんは矢田さんのお見合い相手でもありました。もっとも沢村さんは「違いが分かる男」で、自分の置かれた状況を冷静にみる目を持っていました。筒井さん、どうも存在感が薄かった。沢村さん100点として筒井さん80点。

関口徹(斎藤工/上川隆也)


関口弁護士ーー。設定がおかしいだろ。普通の弁護士じゃないか。人間的課題を持った人なんですけどね。設定で斉藤さん70点。上川さん100点。

国平幸一郎(山崎育三郎/及川光博)

及川さん100点。山崎さん70点。鋭さが違う。

鵜飼典江(浅田美代子/野川由美子)


設定がまるで違う。野川さんは婦人会のドン。浅田さんは合格点。野川さんは95点。

岩田重吉(石松了/曽我廼家文童)

岩松さんが好きなので90点、人の好さそうな岩田だった。時効警察の係長と同じ雰囲気だった。悪さは曽我廼家が遥かに上。なかなかしたたかな男でっせー。

亀山富治(松尾諭)

100点。3分ぐらいでとんでもない存在感。設定がいい。

裁判長(モロ師岡)

モロさんでしたね。モロさんには裁判長ではなく、教授の一人をやってもらいたかった。もちろん100点。

音楽

唐沢版を200点として、岡田版は20点。音楽の違いが一番大きい。


白い巨塔・大河内教授について書く・品川徹さん

2019年05月31日 | 白い巨塔


唐沢版の大河内教授について書きます。

浪速大学医学部病理学教授です。おそらく鵜飼の前任の医学部長です。学士院恩賜賞受賞者でもあります。財前死後、解剖をするのもこの方です。

1、一番好きなのは財前に「何も言わない」シーン

基礎(臨床ではなく病理学のこと)の票は大河内が握っていると思った財前は、大河内に「相談」に行きます。教授になりたいわけでなく、医療の発展の為に教授になって力を発揮したいとか言います。が、大河内教授は何も言いません。5分ぐらい財前がただ話し、大河内は何も言いません。無表情で眺めているだけです。

このシーンが最高です。

そこに里見がやってくる。大河内は里見に講演を依頼する。だが「断ってくれてもいい」と言う。そして財前に向かって「もし本当にやりたくないのなら、まわりくどい遠慮はいらん。辞退したまえ。」と言います。あくまで里見と話しているのです。財前は歯が立たないことを自覚し、部屋から出ていきます。

何も言わない演技で、ここまで緊迫した雰囲気を作れる。すごいとしか言いようがありません。

2、裁判では公正無私

・がん転移は死の直前に起きたものではない
・起きた時期を確定はできないが、手術以前であったことはほぼ間違いない
・手術をしたということは、転移の発見が不可能であったからと考えるのが妥当
・しかしもし、全身状態を確認せず、局所的な手術に踏み切ったとすれば、臨床医としての自覚に著しく欠ける

大河内が発言するだけ不利になると思った及川弁護士は「解剖医の意見は必要ない」と反対尋問をしません。財前に不利な証言もしていますが、誰も責めません。それほど巨大な存在と言えます。

3、里見に対して極めて理解がある

真実を証言したことで職場を追われた里見の身を案じ、近畿がんセンター第一診断部次長(唐沢版では千成病院内科医長)のポストを紹介する。岡田版では「関西がんセンター」であったが、大河内が紹介したとされてなかったような気がします。

4、最後に財前の願いを叶えるのも大河内である

財前の願いとは「解剖して医学の発展に役立てて欲しい」というものです。解剖室の前で、財前の遺体を引き受けるのも大河内です。ただし岡田版では大河内がいなかった。


まあ、実際は観てもらうしかないのです。むろんスーパーマンではない。前任の医学部長でありながら、大学の改革には成功していません。孤高過ぎる側面もあります。里見の未来の姿という感じもあります。品川さん演じる大河内の凄さについては、これはもう本当に観てもらうほかありません。文字では表現できません。

岡田版・白い巨塔に感謝する・いいところを書く

2019年05月30日 | 白い巨塔
いだてん、を見ていないので、ネタに困る感じもあります。そういう時に「現代ドラマの大河ドラマ」とでもいうべき「白い巨塔」をリメイクしてくれたことに大いなる感謝です。ついでに唐沢版も早送りながら見たので、楽しめました。

感謝の気持ちで岡田版の「いいとこ」を書きます。

1、音楽にもいいところが

私は音楽に詳しくないのですが、ピアソラ風の部分はいい。ピアソラなのか兼松さんの作曲なのかはわかりません。「ラビリンス」という桜井幸子さんのドラマを思い出しました。

2、里見先生の優しさと自然体

社会派ドラマとして「見ない」ならば、里見先生は自然体でいい感じです。江口さんは財前とともに主演なので熱かった。
特に最終話。なんで他の病院の内科医がずっと財前専属で診ているのか、という疑問は残りつつも、実にいい先生だった。ヒューマンドラマとしては最終話は大成功です。
柳原に対しても学位の面倒をみると実に親切。東佐枝子の告白を、それとわかりつつ、自然に受け止め受け流す感じも良かったと思います。

3、柳原先生

伊藤英明さんは、本当のことを言った後もずっとオドオドしてました。満島さんはふっきったように信念を取り戻し、原作通り無医村に行きます。
その前に野田華子と深い関係になるのですが、「すみません」「いいえ」という演出。野田華子さんの包容力、母性が魅力的でした。
昭和の昼メロみたいでしたが、実は昭和の昼メロを見たことがないので断定はできません、ただ「懐かしい感じ」がしました。

4、東佐枝子

矢田亜希子さんは好きですが、唐沢版の佐枝子さんはデリカシーに欠ける部分があります。奥ゆかしさにかけている。自然と自己中心的なのです。で、里見妻は苦悩します。
飯豊まりえさんの佐枝子は奥ゆかしい。最後に日本から出ていくことを前提に(田宮版ではネパール)、里見に愛を「遠まわしに」告白します。
「そこには里見先生のような方もいるかも知れない」
少しまごつく松山さんをまっすぐに見つめ、「さようなら、里見先生」、、、実にいい演出です。

5、亀やん 地に生きる庶民

風と共に去りぬの主人公は、最後に「タラの大地とともに生きる」ことを誓います。
この亀山君子の旦那、町工場の亀やんはまさに「大阪の大地とともに生きる庶民」です。
人間は金でなんとなると思っている財前又一の首を締め上げ「正々堂々生きてきた俺はお前らみたいなやり方は大嫌いなんじゃ!」と叫びます。
地とともに生きる庶民の正直さ、清廉さを象徴していました。

というわけで、いいとこも多い。岡田版白い巨塔に感謝です。

財前教授の総回診です。白い巨塔。現実にはどうなのか。

2019年05月30日 | 白い巨塔
特に唐沢版では、総回診がクローズアップされます。毎回、教授の総回診ですという出だしで始まります。

長いこと大学病院に入院したことはありません。家族もない。だから実際が分かりません。

実際の外科医が書いたものを読むと、総回診はある、そうです。

ただし
①アナウンスはない
②横に広がるなんてありえない
③先頭は教授ではない
④階段ダッシュで教授を追いかけたりはしない
⑤厳粛な雰囲気ではない
⑥患者の前で治療方針を論議したりしない

そうです。

横に広がらないのは「通行の邪魔」だから。リハビリで歩いている人。点滴つけて歩いている人がいるわけです。横に広がったりすると「先生邪魔」と看護婦に注意されるそうです。

実際は「細長く縦になって、廊下のはしを歩く」そうです。カルテはノートパソコン、ノートパソコン載せて歩く姿は僕も総合病院で見たことがあります。

患者の前で論議をしない、なんてのは当然ですね。そんなことされたら不安で仕方なくなる。

手術で「メス」とかもないそうです。メスは丁寧な扱いが必要だし、そもそも「メス下さい」「メス返します」と敬語を使うそうです。特にメスは落としたりすると怪我をするので、下さい、返しますと貴重品のように扱うようです。

前に小さな手術を局部麻酔で受けました。そういえば医師と看護師の会話はなかった。自然と計画通り器具を渡して返していたのだと思います。

開けてみたら術前診断と違って病巣が広がっているなんてこともほぼないそうです。むろん急に術式を変えたりもしない。ほぼ計画通りの病巣で、計画通りに手術をこなすようです。

「細長く縦になって歩く」のは当然ですね。病人がヨロヨロ歩いているのだから、広がるわけがない。しかしそれでは「ドラマにはならない」わけです。

白い巨塔の感想を、沢山書いて思ったこと。

2019年05月30日 | 白い巨塔
私のように、基本的に文字だけで、考察や感想を書いている人間は少ないようです。

・ツイッターの感想が多い。
・ツイッターの感想を「まとめ」ている方も多い。
・白い巨塔に特化して、画像を用いながら、考察や感想を書いている方も多い。
・最後は宣伝につなげる方も多い。

「文字だけで」感想を書いている方の意見を参考にしたかったのですが、少ないですね。

私もツイッターのアカウントは持っていますが、ほぼ使いません。字数制限が面倒だからです。

あと画像もどうもうまく載せられません。テクニックの問題です。

ネットは進化してるのか、退化しているのか、と考えました。

白い巨塔・遺言のパロディ・同意はしないが面白い

2019年05月30日 | 白い巨塔
どなたかの投稿の中におもしろいものがありました。
わたしはジャニーズにはこだわらないので、同意はしませんが、面白いので転用させていただきます。

フジテレビへ

このドラマをもって僕の局としての最後の仕事とする。
まず、僕の失敗を解明するために、TBSに本作の視聴をお願いしたい。
以下に、ドラマについての愚見を述べる。
ヒットドラマを考える際、第一選択はあくまでジャニーズである
という考えは今も変わらない。
しかしながら、現実には僕自身の場合がそうであるように、
キャスト決定の時点でミスマッチや設定との齟齬をきたした作品症例
がしばしば見受けられる。
その場合には、脚本を含む設定改変が必要となるが、
残念ながら未だ満足のいく成果には至っていない。
これからのドラマの飛躍は、ジャニーズ以外の起用の発展にかかっている。
僕は、君がその一翼を担える数少ない局であると信じている。
能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。
君にはドラマの発展に挑んでもらいたい。
遠くない未来に、ジャニーズよる主演がこの世からなくなることを
信じている。
ひいては、僕の屍を解説の後、君の月9の一石として役立てて欲しい。
屍は生ける師なり。
なお、自らドラマ製作の第一線にある局が上手く映像化できず、
五夜連続で死すことを心より恥じる。                     

テレ朝

なお、原文は以下の通りです。

里見へ

この手紙をもって僕の医師としての最後の仕事とする。
まず、僕の病態を解明するために、大河内教授に病理解剖をお願いしたい。
以下に、癌治療についての愚見を述べる。
癌の根治を考える際、第一選択はあくまで手術であるという考えは今も変わらない。
しかしながら、現実には僕自身の場合がそうであるように、
発見した時点で転移や播種をきたした進行症例がしばしば見受けられる。
その場合には、抗癌剤を含む全身治療が必要となるが、
残念ながら未だ満足のいく成果には至っていない。
これからの癌治療の飛躍は、手術以外の治療法の発展にかかっている。
僕は、君がその一翼を担える数少ない医師であると信じている。
能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。
君には癌治療の発展に挑んでもらいたい。
遠くない未来に、癌による死がこの世からなくなることを信じている。
ひいては、僕の屍を病理解剖の後、君の研究材料の一石として役立てて欲しい。
屍は生ける師なり。
なお、自ら癌治療の第一線にある者が早期発見できず、手術不能の癌で死すことを心より恥じる。

白い巨塔・最終回・感想・おぼろげに見えてきた脚本意図

2019年05月28日 | 白い巨塔
それにしても我ながらこの作品が好きです。もう何本もブログに感想を書いています。

私は、どうも社会派ドラマとしての「白い巨塔」にこだわりすぎた気がします。そこにこだわらないなら、脚本意図はおぼろげに見えてきます。

ただ「おぼろげ」です。

・なんで里見が財前の治療するのだろう。(唐沢版ではしない。というか他病院の医師である里見が仕事を休んで財前の治療をするのは強引な設定である。)
・どうして東があんなに財前に寄り添うのだろう。
・そもそも財前の罪とは何なのだろう。
・なんで財前はあんなに弱気になり、不安を訴えるのだろう。(唐沢版では死に至るまで強気)

岡田版でそれを考えると、岡田版における財前の罪とは、

つまりは「執刀医が患者に寄り添わなかった罪」だということが「おぼろげ」に見えてきます。

唐沢版では「説明をしなかった罪」でした。

唐沢版、弁護士の関口は途中で「裁判の争い方を変え」ます。「難しい医療議論をしても水掛け論になる。もっとも大切なのは、財前が患者と家族にきちんとした説明をし、選択をさせたかだ」と気がつくのです。

唐沢版の場合は「はっきりと気がつくシーンが描かれている」ので、わかりやすい。当時はまだ説明責任という言葉は今のように多用はされてはいない時代だったかなと思います。

しかし今回はそういう「気付き」のシーンはなかったと思います。

それでも最終回を見るに、「とにかく里見は最後の最後まで財前に寄り添う」わけです。こんなセリフもあります。

東「ずっと僕が往診に来るから」
財前「執刀してくれた医師がみてくれるというのは、こんなに安心なものなんですね」

白い巨塔というと「現代医療に切り込む」という社会派ドラマを期待します。しかし今回はもっと「原点にもどった」作品だったような気がしてきました。

非常に簡単にいうと「優しいお医者さんが必要」ということです。「親切なお医者さん」でもいい。

実際問題としても、現実に医者によって「親切、親切じゃない」ははっきりしているように思います。「安心を与えてくれるお医者さん」が望まれているように思います。

財前は最終回では「親切なお医者さん」に変化しています。

そして自分が患者となり「親切なお医者さん」、里見と東に治療されながら死んでいきます。最後のシーンはベッドにいる財前を、里見がそっと「見守る」シーンで終わります。

主題を「親切で優しく、患者に寄り添う医者が必要」ととらえれば、この脚本の「意図」もおぼろげに見えてくるような気がします。

岡田版「白い巨塔」・まとまりなく感想を

2019年05月28日 | 白い巨塔
白い巨塔については7つぐらい感想を書いています。良かったらトップページに戻ってお読みください。「考察的」なのが多いのですが、ここでは「まとまりのない感想」を書きます。

1,岡田、頑張ったけど。

最終回は頑張ったけど、この作品、医療に斬り込んでいない。患者に「寄り添うことの大切さ」を訴えている。白い巨塔じゃないのだよな。「医者は患者に寄り添わないと」という主題。それはそれで非常に大切なんだけど、別の作品になってしまった。

白い巨塔の象徴である鵜飼教授はなんかいい人。最後には里見と一緒に財前の手術を東に頼みにいく。唐沢版から見れば天地がひっくり返ってもありえない。「大学病院の意味ないプライド」を描かない。それじゃあ白い巨塔ではない。鵜飼は他病院の内科医である里見に治療させるなんて絶対ない。手術は専門医として東に依頼もできようが、内科はありえない。

そもそも東はどっかの医院長のはずだし、里見にも仕事はある。それらをずっと休んで、財前専属で治療する。そんなこと普通の感覚でもありえない。

脚本のわきが甘いというか、誰でも気がつく矛盾に目をつぶれという台本。面白くないとは言わないけど、荒が目立つ。

最後の岡田さんの死。頑張ってるんだけど、なんで背もたれがあの傾斜角度なんだ。体がずり落ちていて、変な姿勢で亡くなった。「荒が多すぎる」のだよ。

2、金井准教授、熱心に治療していたけど。

佐々木さんの治療。金井准教授が熱心に診ていた。影薄いので准教授に見えないが、診ていた。で、金井は財前不在時の「全権を握っていた」はず。じゃあどうして「肝臓の影」を柳原は言わない。柳原はずっと気がついていたのに、なぜ現場責任者の金井に言わない。里見は里見で、どうしてルートを通さない。「正式に金井准教授に自分の見解を述べて、検査を求めればいい」。それを小物の柳原に意見するだけ。文書で申し入れよ。鵜飼教授は今回はいい人だし、肝臓に影があったと言えば認める。唐沢版ですら「影があるのになんで手術なんかした」と怒っていたのだ、あの伊武さんですら。

里見は金井の前で触診だってしていた。なぜ言わない?

このぐだぐだの二人、里見と柳原が死期を早めた。そりゃ、もう手術をした段階で、というか手術をしてことによって、佐々木さんの余命はなかったのだが、とはいえ、肝臓を疑っていた二人が、責任者である金井に何も言わない。脚本に荒が多いなんてもんじゃない。この二人が早期に殺したという風にしか見えない。

こういう「ありえない設定」を採用されると、疑問の方が先にきて、ドラマにのめり込めない。そりゃ唐沢版も似たり寄ったりだが、それでも「里見を外科から締め出す」ぐらいの設定はしていた。それから柳原、伊藤英明は圧力で錯乱状態だったから、苦しいながら一応の「説明はつく」台本になっていた。

3、名誉教授のピエロ白塗りはなんだったのだ。

おそらくあの白塗りに意味はあったのだろう。しかし編集でカットになった。だから見ている人間には全然意味がわからない。少しぐらいは前提を説明せよ。ナレでもいいから。雑過ぎる。

4、女性教授も意味ないな。

野坂教授。設定を女性に変えたのに、キャラに変化はなく腹黒い。女大河内教授にしたら深みが出たはず。それが無理なら米倉涼子にして男性陣を斬らせる。設定変えてキャラ同じが一番悪い。

5、「悔しいなあ、お前ほどの才能のある医者が気づけなかったなんて。」

里見の言葉。よくとれば「動転して子どもに戻ってしまったのか」、、、でもこれは「言わない方がいいセリフ」、沈黙で表現してほしい。

最期の「これが死か」もいらないな。小学生じゃないのだから、言わなくても行間は読める。というか行間を読ませてほしい。

十分に楽しませてはもらったけど、粗雑過ぎる。疑問のオンパレード。十分に楽しませてもらったからまあいいけど、演出はホント酷かった。

白い巨塔・最終回・感想・白い巨塔は描かない・タンカを切る亀山

2019年05月27日 | 白い巨塔

1、もがき苦しんで死んでいく岡田・財前

唐沢版はある意味「美しい死」なのです。最初から財前は「諦めている」からです。里見に「僕に不安はないよ、、ただ、、無念だ」と言います。

今回の岡田版では財前は「生きようと」します。生きる可能性を追求します。東教授の執刀も積極的に頼むし、里見の治療も望みます。

美しい死ではなく、リアルな死です。ただし最期は死を覚悟して受け入れています。

どうしてこういう描き方になったのかについて多少考えるところもありますが、うまくまとめられないので、以下「おもいつくままに感想」を書いていきます。

2、白い巨塔に踏み込まない演出

唐沢版では里見の治療は受けません。「大学教授の僕が小さな民間病院の医師の治療を受けることは、組織が許さない」と言います。その組織こそが白い巨塔であり、その象徴が鵜飼教授です。財前は白い巨塔を自分のものにしようとしながら、一方ではその醜悪さに気がついてもいます。里見を新しい大病院に呼び寄せようとしますが、見方によっては、財前は白い巨塔を乗っ取った上で、理想を求めようとしたともとれるのです。白い巨塔に挑もうという姿勢もなくはない。死を「無念だ」というのは、そのせいでもあります。

今回の鵜飼教授は伊武雅刀さんと違ってわりといい人なのです。白い巨塔に「踏み込まない」という演出意図は明らかです。社会派ドラマにするつもりは最初からなかった。「軽さ」はこんな面にも表れています。

岡田くんも唐沢と同じく最期に鵜飼に向かって「出て行け」と言いますが、観ている人間も、鵜飼の松重さんも「なぜか分からない」はずです。だって松重さんはなんとなくいい人だからです。

伊武雅刀は最後、見下すように笑みを浮かべて財前の病室を去りますが、松重さんは「なんで僕が出ていくの」という感じです。彼が白い巨塔を象徴してはいないからです。

里見と共に新しい医療を目指すなんて設定もありません。里見は反白い巨塔の象徴のはずなんですが、そこを深く描きません。

3、財前の死因

病気は怖いのであまり書きたくないのですが。原作では胃がん、唐沢版では肺がん、今度が膵臓がんと合併症
どんどん「見つけにくいがん」になっていきます。まあこれぐらいで。

4、敗訴後、逃げ回る財前

敗訴後、岡田財前はマスコミから逃げ回り、その渦中で倒れます。
これは唐沢版が良かった。

「何が悪い、わたしは患者を治そうとしたんだ、何が悪い。国立大学の医者だから厳しく責任を問うとはなんだ。法の前には何人も平等ではないのか」と言いながら倒れます。

里見「もう話すな財前」
財前「里見、君の指示は受けんよ」

非常に見どころのあるシーンです。しかし今回の財前は敗訴後、特に病気発覚後、非常に弱気になります。そして救いを求めます。

今回は「財前は病気になって急に弱くなる。しかしその不安を親切な医者である里見と東が支える。患者に寄り添うことが大切」という風に描きたかったのでしょう。敗訴後、強気が消えていきます。

5、タンカをきる亀山夫

ネットでも話題になっていますが、町工場の男である亀山夫が財前又一たちを斬り捨てます。

正々堂々 生きてきた俺はお前らみたいなやり方は大嫌いなんじゃ!

スカッとするシーンです。こういうタンカを里見などにもきらせれば良かったのに。

6、スポンサーや医師会、薬会社の圧力はあるか

白い巨塔に踏み込まない理由。スポンサーが気になりました。損保会社かな。わざわざ岡田くんをCM起用してました。あとホンダ。ソフトバンク。日清オイリオ。タケモトピアノ。トヨタ。ライオン。花王。

まあ「製薬会社はないんだな」と思いました。花王、ライオンは多少製薬的ですが、歯周病のCMをうってました。

白い巨塔というのは非常に狭い意味では「医局員制度」です。「教授が王様で、医局員は奴隷状態」。実態としては、どこまで改善されているのか。多少は改善されているようです。

しかし広い意味で言うなら「白い巨塔とは現代医療制度そのもの」です。当然「製薬会社の力」も大きいわけです。

白い巨塔に踏み込むというのは「医師会、大学病院、製薬会社の問題点を指摘する」という行為でもあります。そこまでの踏み込みがテレ朝になかった。


あとは追記します。

白い巨塔・感想その4・唐沢版について

2019年05月26日 | 白い巨塔
白い巨塔・岡田版の悪口を随分書いてきました。とくに脚本です。なんか違うなと思えるのです。

まずは鵜飼教授の設定が変なのかなと思います。唐沢版では白い巨塔の象徴として実にいやな演技をしてくれています。それが松重さんの場合は、なんかユーモラスです。俳優を責めているわけじゃなくて、この点が唐沢版と岡田版の脚本の違いの「キモ」のような気がします。

財前と里見の関係性も違います。お互い尊敬しあっている。そこが描かれていないというか、薄いですね。

里見の島流しを知っても、財前にあまり変化がありません。唐沢版だと実はとても気にしていると描かれます。

以下、基本唐沢版のお話です。

里見には部下もいます。部下というか医局員。佐々木蔵之介さんが演じる竹内です。ドライな人間で、大学病院の醜さも飲み込んでいる人間です。

里見が大学を去ると知って、散々悪態をつきます。先生のような馬鹿を受け入れてくれる次の病院などないとまで言います。

しかし最後にはこう言うのです。「やめないで欲しい。先生の代わりなどとてもできない」。里見のことを深く尊敬しているのです。

こういう具合に、表面的には批判をしていても、心の底では尊敬している。そういった人間関係が多く描かれます。

柳原の理解者もいます。亀山君子で西田尚美さんです。未婚という設定で、柳原とは多少恋仲でもあります。これが実に魅力的な女性であるし、最後の証言のカギを握る人物でもあります。岡田版だと原作に近いのか、既婚です。さほど柳原ともからみません。これは惜しいですね。

東教授のことも財前は実は尊敬しています。最後に自分の手術を頼む。まあこれは岡田版でもそうなるでしょうが、今までの描き方で、寺尾東教授は「手術執行の体力もない」となっているのです。大丈夫かなと思います。

財前は里見と対立し、しかしそれでも、一度は断った少女の手術を引受け、少女の命を救う。そんなヒューマンな面も描かれます。

里見は大学病院を去りますが、財前には彼を引き戻そうという計画もありました。しかし病に倒れます。

人間の描き方が重層的です。やはり半年ぐらいかけないと無理な作品なのかも知れません。

以下、唐沢版の雑感
・石坂浩二さんの東教授は、実に似合っている。
・矢田亜希子がまさにお嬢様だ。
・上川さんの関口弁護士、登場段階では詐欺師的なことをやっている。が、裁判で彼も更生する。
・伊藤英明と西田尚美の関係が非常に素敵である。

白い巨塔・感想・里見、僕に不安はないよ、、ただ無念だ 

2019年05月26日 | 白い巨塔
白い巨塔唐沢版には財前が里見に自らの診断を求めるシーンがでてきます。ドラマ史に残る名シーンです。

大学病院は財前の症状が末期であることを財前に対して隠します。しかし気がついた財前は別の病院にいる里見に診断を求めます。

里見「君の診断は正しかったよ。転移も起こっている。」
財前「それで余命は」
里見「長くて三ヶ月だろう」

里見「おれは君を助けたいんだ」
財前「おれは助からないよ」
里見「おれが君を助けたいんだ。君の不安を受け止めたいんだ」

ここでドラマ史に残る名セリフが。

「里見、ぼくに不安はないよ、、ただ、、すまん、、、ただ無念だ」

財前には里見と手を組んで「がんセンター」を運営していこうという構想がありました。

ただ単に「裁判に負けたから無念」というわけではないのです。財前は「白い巨塔の権化」ですが、批判も実は秘めており、見方によっては大学病院の体制「白い巨塔」「白い虚塔」に挑もうとしていたとも言えます。「見方によっては」です。

それが自らの死によってできなくなる。それが無念なのだと私は考えました。

最後の死のシーン。うなされるままに鵜飼教授を「出て行け」と怒鳴りつけ、手を上に伸ばす。その手を里見が握りしめます。鵜飼を突き飛ばして、握りしめるのです。

それを見た西田さん、財前又一は「みんな病室から出よう」と言います。財前と里見の強い絆を財前又一は実は知っていたわけです。東教授以下みんな去り、鵜飼も侮蔑の笑みをたたえて去ります。

鵜飼が象徴するものは、言うまでもなく「白い巨塔」「白い虚塔」です。財前は最後の最後に「白い巨塔」の象徴である鵜飼を拒否し、里見と手を握り合います。

唐沢版白い巨塔の録画を見直していますが、疲れます。自然と泣いてしまうし、胸が揺すぶられるし、感動で疲れるという状態になります。岡田版の感想はこちら

白い巨塔・第四夜・感想その3・大河内教授・岸部一徳の名演技

2019年05月26日 | 白い巨塔
第三夜までで「大河内教授・岸部一徳はミスキャスト」と書きましたが、前言撤回です。第四夜ではいい味だしてました。

そもそも「悪人ばっかり、善人の里見は弱い」というこのドラマにあって「強い善人」は大河内教授だけです。「救い」みたいな存在です。

ただ「善人」とも言い難いのです。研究者として医者として「ひたすら客観的」なわけです。

裁判で大学側に不利な証言をするのは里見も大河内も同じですが、大河内は責められません。教授だからでもありますが、大河内に「作為」がないからです。

証言はひたすら客観的で「わからないことはわからない。しかし財前が術前の全身状態に疑いがあるにもかかわらず、全身検査をしないで局所だけを手術したのであれば、注意義務を怠ったと言わざるを得ない」というのが主旨です。

過失とも言わず、注意義務怠りと言っています。

どっちにも偏らず、真実だけを追求しようという大河内を、あのクセが強い岸部一徳さんが、堂々と演じてなんの違和感もありませんでした。あの何考えているか分からない無表情が活きていました。

そして解剖を研究目的だという弁護士を、きっぱりと斬り捨て、医学を何もわかっていないと叱りつけます。

ミスキャストではなかった。岸部一徳はやはり名優でした。

白い巨塔・第四夜・感想その2・里見と柳原の過失

2019年05月26日 | 白い巨塔
この脚本だと「里見と柳原の過失のほうが目立ってしまう」と昨日書きました。☆他にも沢山書いています。

今回の白い巨塔には脚本家が三人います。どうやら僕が指摘している「矛盾」に誰かが気がついたようで、「作中で作中の設定をつっこむ」セリフが沢山でてきます。

まずはICUの医者が柳原に言います。

「こんなになるまで一体お前は何をやっていたんだ」

そして帰国した財前は柳原にこう言います。

「馬鹿の一つ覚えみたいに私のいうことを守らず、なぜ准教授の金井に相談しなかった。君は担当医として何をやっていたんだ」

その通りなわけです。柳原にはやるべきことがあったはずです。ドイツの財前にメールを送る。また准教授の金井に相談して肝臓の生検をやる。もっと早くICUに入れる。財前より上の鵜飼に相談する。

それが「絶対にできないほど財前に圧迫を受けていた」という伏線が「ない」のです。この脚本だと「柳原はそれができたはずだ」という感じになります。財前自身が柳原を「馬鹿みたいにだた俺の命令を守って失敗した」と言っているわけです。もっと柔軟に対応してくれたほうが財前にとっても良かったわけです。

柳原がそれをしないで忖度ばっかりだから、結局財前は「隠蔽」という悪の道に踏み込まざる得なくなります。

さらに里見について財前側の弁護士は言います。

「里見先生が肝臓を疑っていたのなら、なぜそれを家族に言わない。これは里見の過失ではないのか」

岸本加世子さんは「里見先生は親身になってくれました」と反論しますが、その反論では里見は守れません。里見が家族に言い、家族が強く肝臓の検査を求める。そうすれば結果は多少変わっていたはずです。

里見や柳原が悪いとか言ってるわけではありません。
この脚本だと「里見と柳原の過失の方が財前より大きく見える」と言っているのです。作中人物である柳原や里見を責めても意味ありません。脚本に矛盾が多いと言いたいわけです。

ネットでは柳原かわいそうという声が多い。「かわいそう」なのは「隠蔽を財前に強制される」からですが、そもそもその原因を作ったのは柳原ということにこの脚本だとなってしまいます。

柳原と里見はベストを尽くしたが、大学の体制と財前に行動を阻止された、となっていないのです。もちろん肝臓の病気がたとえわかったとしても「手術をした時点で既に手遅れ」なのですが、それにしても柳原の設定はどうも矛盾が多い気がします。

どうも三人の脚本家も気がついていたようで「作中で作品の矛盾をつっこむ」という変な事態になっていました。

もっとも、唐沢版では里見は裁判において「結局は財前の独断を許した自分と大学にも責任がある」と言っています。そこまで狙って「故意に里見と柳原の過失を強調した」なら、私の指摘は的外れということになります。

さらに書くと唐沢版でもこの点は似たり寄ったりです。財前の医療過誤とするなら、もう少し脚本に工夫が必要だと思います。



白い巨塔・第四夜・感想その1・夏帆がホラー

2019年05月26日 | 白い巨塔
この感想1は短く書きます。

第四夜、存在感のなかった夏帆が急にホラー的怖さをかもしだしていました。

あの女には子どもは産めない、だってあなたの妻ではないから。

そう言いながら赤ワインをグラスに注ぎ続けます。

沢尻対夏帆のバトル

沢尻も急に財前を批判したりして、黒木瞳にあった財前を包み込む母のような雰囲気を捨てています。

「変なところで脚本をいじくっている」というのが男である私の印象です。

もっとも唐沢版の記憶がふたしかです。たしか財前の死の前は妻から黒木瞳さんを呼び寄せて財前に合わせたと記憶しています。

妻対愛人に興味はありません。

しかし女性からしてみれば、これはこれで理解可能な、共感できる構図なのかも知れません。

でもあくまで男としても私の感想だと、「こんな構図はいらない」となります。

短い時間なんだから描くべきはそんな点じゃないだろと思います。感想2はこちらにあります。

海堂尊・ブラックペアン・ジェネラルルージュの凱旋・白い巨塔

2019年05月25日 | 白い巨塔
そんなに健康な方ではないので、医療ものが大好きというわけではありません。不安になるので嫌いかも知れません。

それでも最近のドラマでは二宮くんの「ブラックペアン」とかは好きです。原作は海堂尊で、現役のお医者さん。研究者。でもドラマは原作とは違うようです。

ブラックペアンは水戸黄門みたいなドラマで、最後に二宮くんが登場して一件落着です。印籠代わりが彼のメスさばきです。

とはいうものの、基本は抑えています。二宮くんはスーパードクターですが、最後の最後に失敗をします。失敗をすることによってより医療を極めるという方向に向かう感じになります。彼の師である内野さんも失敗をしてスーパードクターになったという設定です。二宮くんがだめ医者から巻き上げた金は全部寄付していたことも明らかになります。

「医は仁術」「人間は間違え、そして成長する」という基本を抑えているため、後味が良いのです。

ジェネラルルージュの凱旋も同じ海堂尊です。ジェネラルルージュと言われる緊急救命医も「ひとくせある」人間ですが、結局は「医は仁術」を目指していたことが明らかになります。彼が大学病院の体制に逆らうのはそのためでした。

白い巨塔はやや複雑です。里見は「医は仁術」を実践しようとしています。が財前は「実はいい人だった」とはなりません。

それでも「人は助ける」わけです。ドラマでは過失で患者を死なせますが、救った人間のほうがずっと多いことは、見る側にもわかっています。

田舎出で、貧しい家庭。母には優しい。自ら白い巨塔の醜悪な戦いに飛び込みますが、更に醜悪な人間たちがそれを後押ししたり、妨害したりします。

教授や出世を目指さなければ、彼は天才外科医としてもっと違った人生を歩めたかも知れない。がんも早期発見できたかも知れない。彼も被害者なのではないか。悪いのは財前というより「白い巨塔そのもの」「大学病院・現代医療の体制そのもの」なのではないか。作者はそう訴えているようにも感じます。財前は死にますが、更に醜悪な人間たちはしぶとく生き残ります。栄えると言ってもいい。ワルの財前にそれなりの魅力を感じる人が多いのは、彼もまた医療制度という怪物と戦っているということを「なんとなく感じる」からかも知れません。

里見も財前もそれぞれが信じる医療の道を極めようとします。しかし財前は死に、里見は大学病院を去る。大学病院に彼らの居場所は結局はなかったのかも知れません。

とは言うものの、我々は医療制度に助けられてもおり、制度が絶対の悪というわけではない。「しかしもっといい制度にできるのではないか」という作者の声を私は感じます。

山崎さんは社会派で、海堂さんはエンタメ風と感じる方がいるかも知れませんが、海堂さんは現役の医学研究者でしかも声高く社会的な発言もしています。そもそも現代医療の矛盾との戦いが、海堂さんの原点のような気がします。