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「麒麟がくる」 明智光秀の死をもって戦国が終わるという考え方

2018年11月02日 | ドラマ
戦国時代のはじまりについて諸説があります。応仁の乱と言ってしまえば簡単ですが、そうなりません。諸説があるのです。

では「戦国時代の終わり」はいつでしょうか。いくつか説があり「信長が足利義昭を京から追放した1573年。」「足利義昭が秀吉の保護下になり最終的に将軍職を辞した1588年」「大坂城落城の1615年」などです。

では、こんな考え方はどうでしょうか。

「光秀の死とともに、ひとつの時代が終わる。戦国と呼ばれ、乱世と呼ばれた時代、一介の油商人山崎屋庄九朗が、美濃一国の主、斉藤道三となりえた時代、
尾張のうつけと呼ばれた悪童が、天下の権を握りえた時代、人が力と知恵の限りを尽くし、国盗りの夢と野望を色鮮やかに織り成した時代は、ここに終わりをつげる。」

大河ドラマ「国盗り物語」の考え方です。小説の方にはこんな叙述はありません。大河ドラマ「国盗り物語」は「光秀の死をもって戦国時代は終わる」という発想を持って作られました。
つまりは「下克上の時代の終わり」ですね。「下剋上の終わり」とする考え方は同意ができます。

むろん異論はいくつでも出せます。秀吉の天下取りだって下剋上じゃないか、とか。

ただ秀吉の場合は、下剋上の相手がいません。織田信長も信忠も死んでいます。あえて言うなら清須会議で決まった三法師でしょうが、有名な三法師君はその後、豊臣政権下で織田秀信となり、岐阜中納言として他の大名とは別格の扱いを受けます。ただし関が原で西軍だった為に没落。織田秀信自身、秀吉が自分の天下を奪ったとは考えていなかったと思います。

なるほど秀吉は織田家を追い抜きました。しかし織田信孝以外に主だった織田家の人間を殺したりしません。織田信雄も生きのこりますし、織田有楽も生き残ります。市は織田家出身ですが柴田家の人間です。それに市が降伏すれば秀吉は喜んで許したでしょう。

それと、織田家の天下を奪ったというのもおかしな話で、本能寺の時点では織田家は天下をとってはいません。だから、下剋上のイメージが薄いのです。

では徳川の天下簒奪は?徳川は確かに豊臣に臣従しましたが、家格はもともと徳川が上です。徳川も氏素性は頼りないものですが、それでも秀吉よりは上です。

油売りとされた斎藤道三(最近は親子国盗り説が流行しています)が美濃を奪う。

尾張のたわけが「天下をめざす」

つまり「人が力と知恵の限りを尽くし、国盗りの夢と野望を色鮮やかに織り成した時代」、それを戦国時代とするなら、光秀の死をもって戦国が終わるという考え方も、成り立つと思います。

「麒麟がくる」はおそらく「光秀の死を持って戦国が終わる。秀吉、徳川の時代は秩序を作る時代であり、もはや近世となっている」という思考で作られるのでしょう。明らかに「国盗り物語」がこの作品の土台となっています。設定がそっくりです。ただし「最近のつまらない学説に従う」そうなので、信長も道三も「かなりつまらない人間」として描かれることでしょう。おそらく、信長が従来の光秀のような人物になり、光秀が従来の信長のような革新的人物になる。つまり「キャラが入れ替わる」と思います。

さて、

「仁政をなす王の前に現れる聖獣である麒麟」が明智光秀の前に現れるというのは、単純に考えるならおかしな話です。王でもないし、自分の領地以外では仁政もしていません。

しかし、よく考えるなら、本能寺の変がなければ、あの秀吉による素早い天下統一はなかったし、秀吉の天下統一がなければ、徳川の平和も来なかったと考えられます。

信長があのまま「敵対勢力殲滅作戦」を続けていたら、あと15年はかかったでしょう。しかも天下統一後も各地で「反乱」も続く。つまり「南北朝時代」のような「悲惨な時代」が到来したとも考えられるのです。

「結果的に」という前提なら、明智光秀は戦国を終わらせ、秩序をもたらした。彼の前に「麒麟」があらわれても、そう考えるなら「理解はできる」発想です。

ただし、ドラマ「明智光秀、神に愛されなかった男」のように、光秀が「自分が討たれ、討った人間によって平和がくる」と「計画して行動」した。そんな設定をされてしまうとしたら「いくらなんでもトンデモでしょ」と苦笑するしかありません。