遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

「普及版完本 原爆の図 THE HIROSHIMA PANELS」 共同制作=丸木位里・丸木俊 小峰書店

2022-08-22 22:56:47 | レビュー
 何十年か前に、丸木夫妻の共同制作による「原爆の図」を数点写真で見たことがある。その時、丸木美術館があることを知った。だが、そのままに留まった。
 本書が目に止まり、改めて読み、見つめてみることにした。タイトルに「普及版完本」と題されている。つまり、本書は「原爆の図」という象徴的な作品だけにとどまらない。丸木位里と丸木俊、位里は日本画家で水墨の名手、俊は洋画家というジャンルの異なる2人が共同制作した全作品が収録されている。共同制作作品に関しての完本である。本書の末尾には、「丸木位里・丸木俊 略年譜」がまとめられていて、共同の仕事の他に、それぞれの単独の活動と作品の年譜もパラレルにまとめられている。
 英文のタイトルが併記されている。つまり、本文は日本語と英語のバイリンガルで記されている。本書は日本だけではなく、世界に向けて発信された本である。2000年7月に第一刷が刊行された。

 本書の外形から入ろう。24.8cm×24.8cmというサイズで、分厚い表紙であることもあり、厚み27mm。202ページの本。作品と関連文章だけにしぼると、「原爆の図」は7~91ページの前半にまとめられ、それ以降に制作された作品群が92~165ページに続く。つまり、絵とそれに直接関係する文章は全体で159ページのボリュームになる。

 「原爆の図」が15連作の作品だったことを遅ればせながら本書で初めて知った。作品には第○部△△△というタイトルがつく。簡略にすると、<幽霊、火、水、虹、少年少女、原子野、竹やぶ、救出、焼津、署名、母子像、とうろう流し、米兵捕虜の死、からす、ながさき> というタイトルが順に付いている。

 丸木夫妻が共同制作で「原爆の図」の作品群をなぜ描いたのか、なぜ描かざるをえなかったのか。号泣が聞こえて来るような悲惨な姿、怒りを感じさせる一方でおぞましさすら感じさせる作品を次々と描いたのか。その理由の一端を本書から理解できた。
 位里は広島県の生まれ、俊は北海道の生まれである。「原爆の図」と題した冒頭文で、位里は、原爆によりおじとめい2人をなくし、妹はやけどし、父は半年後になくなったと記す。そして知人友人を多く失ったと。3日目に東京からはじめての汽車で広島に入る。爆心から2キロちょっとの所の家は半壊で焼け残っていたが、大勢のけが人がその家にたどりつき家中いっぱいに倒れていた。9月初めに東京に帰ったと記す。それまでの期間、明記はないが、丸木夫妻は現地でやけどをした人々の世話、息絶えた人々への対処など、現地での救援活動に明け暮れたのだろう。「広島では戦争が終わろうが終わるまいが、考える力を失っていたのです。原爆の図を描き始めたのは3年も経ってからのことです。」「17才の娘さんには17才の生涯があった。3つの子には3年の命があった、と思うようになりました」と記している。そして文末に記す。
「絵でさえも一生かかって描ききれない程の人の数が、一瞬間に一発の爆弾で死んだということ、長く残る放射能、今だに原爆症で苦しみ死んで行った人のこと、これは自然の災害ではないということ。
 わたくしたちは描きながら、その絵の中から考えるようになりました」と。
 広島入りして、現地で凄惨な状況を実際に経験した画家の魂が、その状況を如何に伝えるかという内的衝動に突き動かされたのだろう。写真家は写真にその一瞬を凝結させ、詩人は詩で訴え、語り部は実体験を伝えようとしてきた。画家として絵筆でその事実と思いを如何に伝えるか。それが15連作となったのだろう。そう思う。

 川北倫明氏は「丸木夫妻作『原爆の図』」という一文を寄稿する。これら屏風連作は「今日の日本が生んだ代表的美術作品であり、世界に類をみない記念的制作といってよい」と述べ、2つの決定的な意義がこの作品にあるという。一つは「この絵の主題の決定的な貴重さ」、もう一つは「この記念的作品の表現形式が民族古来の伝統に立って、その長所を十分に生かしていること」だという。

 読了後にネット検索して知ったことだが、丸木美術館のホームページを見ると、「原爆の図」の全図が公開され、発信されている。各作品と本書で各作品の冒頭に付されているメッセージとの双方を閲覧できる。まず一度ご覧いただきたいと思う。

 丸木夫妻の共同制作は、「原爆の図」の連作だけには留まらなかった。それが後半の作品群である。
 もう一つの「ひろしまの図」(広島市現代美術館蔵)からはじまり以下の作品が続く。作品名を列挙する。丸木夫妻の問題意識の広がりもうかがえることだろう。
  「南京大虐殺の図」
  「アウシュビッツの図」
  「三国同盟から三里塚まで」(ブルガリア国立美術館蔵)
  「水俣の図」
  「水俣・原発・三里塚」
  「おきなわの図」(8連作)
  「沖縄戦の図」    ⇒ 沖縄の佐喜眞美術館に常設展示
  「原爆 - 高張提灯」(大阪人権資料舘蔵)
  「沖縄戦 - きゃん岬」
  「沖縄戦 - ガマ」 付記:ガマは鍾乳洞が自然壕として使われたことをさす
  「沖縄戦」[読谷村3部作]
  「地獄の図」     (ブルガリア国立美術館蔵)
  「どこが地獄か極楽か」
  「足尾鉱毒の図」

 これらの作品が創作されたことについて、「いざ旅立とう 『原爆の図』以下の共同制作へ」という見開き2ページの寄稿文で、針生一郎氏は次のような解釈を記している。
「『原爆の図』(の連作プロセスで:付記)・・・丸木夫妻が制作を通して思想的に深化していったことは疑いない。
 したがってその延長で、広島・長崎への原爆投下は日本軍の南京・マニラ大虐殺など、加害殺戮に対する当然の報復だ、という主として外国からの批判を受けとめ、夫妻が『南京大虐殺の図』や日本と同盟関係にあったナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の象徴としての『アウシュビッツ』、さらに戦後にもつづく戦争ともいうべき『三里塚』や『水俣の図』に進んだのも当然である」と。 p171
 丸木夫妻の共同制作の最後が「沖縄戦の図」となる。

 「三国同盟から三里塚」という作品の冒頭メッセージの最後の部分が私には強烈に印象深い。ご紹介しておきたい。
 「三国同盟から原爆や戦争や公害、それに三里塚闘争まで、時間も場所もちがう悲劇を集めて描いてありますが、結局はみんな同じだということです。権力というばけものにみんながいじめられているということです」 p112

 「権力というばけもの」それが、今この時点でも、蠢いているのではないか。
 そんな思いにとらわれる。

 本書は、絵画作品を通じて「原点」を考える一冊になる。

 ご一読ありがとうございます。
 
本書に関連して、ネット検索した事項を一覧にしておきたい。
原爆の図 丸木美術舘  ホームページ
  原爆の図  ⇒ 第1部~第15部の全図公開
原爆の図丸木美術館 :ウィキペディア
原爆の図 丸木美術館  YouTube
常設展「沖縄戦の図」  :「佐喜眞美術館」
加害の実相に目を向けた丸木夫妻 対話を重んじる姿勢が絵を描かせた :「情報労連」
南京大虐殺  :「コトバンク」
三里塚闘争  :ウィキペディア
足尾銅山鉱毒事件 :「コトバンク」
沖縄戦  :ウィキペディア
【そもそも解説】沖縄戦で何が起きた 住民巻き込んだ「地獄」の戦場 :「朝日新聞」
沖縄戦の概要  :「内閣府」
沖縄戦の実相  :「沖縄市」
アイスバーグ作戦  :「沖縄県公文書館」
終戦特集~太平洋戦争の歴史~  :「JIJI.COM」
アウシュビッツ  :「ホロコースト百科事典」
【海外男ぼっち旅】1人アウシュビッツ【ポーランド/ガイド/かかった金額】YouTube
映画『アウシュヴィッツ・レポート』予告編   YouTube
『アウシュヴィッツのチャンピオン』本編映像  YouTube

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『原爆写真 ノーモア ヒロシマ・ナガサキ』 黒古一夫・清水博義 編 日本図書センター
『ヒロシマの空白 被爆75年』  中国新聞社  中国新聞社×ザメディアジョン
『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』  堀川惠子  文藝春秋 
『決定版 広島原爆写真集』「反核・写真運動」監修 小松健一・新藤健一編 勉誠出版
『決定版 長崎原爆写真集』 「反核・写真運動」監修 小松健一・新藤健一編 勉誠出版
『第二楽章 ヒロシマの風 長崎から』 編 吉永小百合 画 男鹿和雄 徳間書店


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