折にふれて

季節の話題、写真など…。
音楽とともに、折にふれてあれこれ。

たそがれてエッセル堤 By空倶楽部

2023-03-29 | 若狭 越前 越中

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで


今回の空倶楽部は、三国港エッセル堤の蔵出し写真で参加。

  
   2022.11.27 16:26    SONY  α7R3   E150-500mm F5-6.7 (256mm  F7.1 ,1/60sec ,ISO100)

 

四季を通じて撮影に訪れる三国港。

沖合に向かってアーチ状にせり出すエッセル堤が魅力で

ふだんは遠目に全景を収めることが多い。

けれどもその日は海が荒れていて、

潮風も強かったので渚から少し下がった場所に三脚を据え、

望遠レンズで景色を捉えてみることにした。

まずはエッセル堤を境にして荒れた海と静かな海が

まるで同居しているように見えた。

望遠レンズで風景の奥行きが圧縮された結果だが、

次いで、水平線近くの海が盛り上がり、

堤を飲み込むかのように迫ってくる。

広角レンズを使って静かな風景を撮ることが多いので

自分の目には望遠効果がとても新鮮で、

躍動感のある絵に見入った次第だ。

ただ...。

春の陽気には似つかわしくない、寒々とした絵だったかもしれないが。

 

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不忍 春を待つ風景

2023-03-26 | 日常の中に

「今さら」という感もあるが、二月に訪れた上野不忍池。

     不忍池(東京都台東区) 2023.02.12 16:00   Sony α7R2  Planar 50㎜ (f/5.6 , 1/80sec , ISO100) 

 

一面冬枯れの蓮、また陽がかなり傾いた頃で

あたりは寒々とした雰囲気が漂っていた。

だが、その中で。

辯天堂と参道に並ぶ露店が醸す風景だけが少し違って見えた。

その日はあちこちで春を探してきたが、

ここ不忍池にも、こそっと春がやってきているように感じたのだ。

 

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サンセットビーチ

2023-03-19 | 若狭 越前 越中

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで


福井県三国海岸。

愛称の「サンセットビーチ」に「なるほど!」と頷きつつ眺めた夕焼け。

        2023.03.11 17:35     Sony α7R3   FE24-70㎜/f2.8 GM2 (63㎜  f/8,1/100sec,ISO100)    

 

その日は黄砂が舞ったせいか

雲が見当たらないにもかかわらず

空が赤く染まってくれた。

実は、陽が傾きだした頃から多分そうなるだろうと

期待してもいたので、得意満面にこの景色に向き合った次第だ。

ただ、望遠レンズを用意しなかったことを悔やんだのだが。

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湖北菅浦 「何もない」風景

2023-03-12 | 近江憧憬

久しぶりに訪れた湖北菅浦。

     菅浦(滋賀県長浜市)2023.03.11 10:34am  Sony α7S2  FE2.8 16-35 GM 

 

季節ごとに様々な表情で出迎えてくれる菅浦だが

この時期は拍子抜けするほど何もない。

いや、あえて出迎えてくれたといえば、

湖畔の八重桜の枝にわずかに膨らんだ蕾くらい。

その枝越しに静かに寄せる琵琶湖の波を眺めながら

ふと思い出した映画のワンシーンがあった。

それは菅浦がロケ地となった「男はつらいよ」の第47作「拝啓 車寅次郎様」で

寅次郎(渥美清)がマドンナ役の典子(かたせ梨乃)に出会うシーンだ。

 

典子は都会に住む主婦で写真が趣味。細々と貯めた小遣いで撮影の旅に出ることを生きがいにしている。

菅浦の湖畔で撮影を楽しむ典子に寅次郎が声をかける。

 寅次郎: ナニ写すんだい? 水ばっかりで何もありゃしねえじゃねえか。

 典子 : 何もないからいいのよ。 ただ水と光だけ。

 寅次郎: へえー。 そういうもんかねえ。

 

そう、水と光だけ。

けれども、その中には

向き合った人だけにしかわからない空気の香りや季節の気配、

そして穏やかに流れる時間が潜んでいるのだ。

 


まだ3月も前半というのに、この日の陽気は4月中旬並みだったとか。

その陽気に誘われて。そしてあり余る時間をふんだんに使いながら

湖北、越前海岸と撮影旅を楽しんできた。

その道中、車内に流れたロイ・オービソンの艶やかな声が

旅の終わりまで心に残った。

A Love So Beautiful Roy Orbison

 

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隅田川暮色 By空俱楽部

2023-03-09 | 語りかける街

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで


空倶楽部、3月のお題は「日没後の空」

今回は2月に訪れた東京は隅田川の風景で参加。

       2023.02.11 19:30 Sony α7R3  Planar f1.4/50㎜ ZA (f/1.4 , 1/60sec , ISO2500)    

 

新築地橋の灯りが、そして、屋形船が起こす波が

なんとも艶めかしい色に川面を染め上げてくれた。

 

 

 

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雨晴、夜明け前

2023-03-06 | 若狭 越前 越中

夜明け前の雨晴。

     2023.03.05  5:42AM Sony α7S2  FE2.8 16-35 GM (16㎜ ,f/16,5sec,ISO1250) 

 

雨晴に着いたのは午前2時30分。

撮影準備をして3時から星空を撮るつもりだった。

というのも、午前4時頃には中天に天の川がかかり

ヴェガ、アルタイル、デネブと言った一等星が

銀河とともに雨晴を飾る、と思ったからだ。

天気は夜明けまで快晴の予報、洋々と出かけたのだが...。

ところが、そううまくは行かなかった。

ところどころ星は見えるものの、薄いながらも大きな雲が空の大部分を覆っていたのだ。

失望して帰りかけたのだが、たまたま声をかけられたカメラマンとの会話で思いとどまった。

その方は宇都宮から450キロの道のりを駆けて来ていたのだが

雨晴はこれで3回目、今日こそ冠雪の立山を背景に雨晴を撮る、と意気込んでおられた。

それに比べて、金沢からなら60キロ、わずか1時間の距離。

それで思った。「この恵まれた時間をもう少し大切にするか」と。

そして夜明け前。

この光景に出会い、ほんのりと染まり始めた空を眺めながら

「案外いい時間だったかも」と、清々しい気分で

雨晴を後にしたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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お化け煙突はどこだ!  続き

2023-03-03 | オトナの遠足

「お化け煙突」の話が続く。

 

地下鉄千代田線の町屋駅から北に20分ほど歩くと隅田川に出る。

そして、尾竹橋を渡ったところ、帝京科学大学キャンパスの一画に

「お化け煙突モニュメント」がある。

円筒のモニュメントの上半分が「お化け煙突」の一部。

煙突の解体後、当時近くにあった小学校の滑り台の台座に転用されたそうだが、

小学校が廃校となった後、ここでモニュメントして残されたという。

また、その足元では当時の写真とともに「お化け煙突」こと

千住火力発電所の概要や歴史も紹介されている。

 

「お化け煙突」の1/20スケールのモニュメント。

一節が1mほどで四節だから4m。

つまり、煙突の高さは80mほどあったようだ。

この高さは30階近い建物に相当する。

当時、東京タワーは別格として、

これだけの高さの建造物はそう多くはなかったはずで

今で言うランドマーク的存在だったのだろう。

さらに4本の配置を角度を変えながら眺めると

見える本数が変わるという「お化け」の由来も理解できる。

 

 

 

さて、「お化け煙突」が実際に建っていた場所はこのあたり。

右に見える帝京大学千住グラウンドからその奥にある東京電力資材置き場にかけて

「お化け煙突」があったようだ。

 

「お化け煙突」こと千住火力発電所は大正15年に稼働開始。

戦時中も空襲の被害を受けることなく稼働を続けたが

施設の老朽化、また豊洲に新しい火力発電所が建設されたことなどから

昭和38年に稼働を停止、翌39年に解体されている。

昭和39年は先の東京オリンピックが開催された年。

当時の私は8歳。小学校三年生だった。

前回の記事では東京で過ごした学生時代に「お化け煙突」を探したことを書いた。

受験で上京する新幹線の車中、

新横浜を過ぎたあたりからは車窓に顔を押し付けるように

東京の街並みに目を凝らしていた。

さらにそれからの4年間。都内の見晴らしのいい場所では

決まってそれらしい煙突を探したものだった。

だが、その時。「お化け煙突」はすでになく、

そのことを知らずに記憶の中の風景を探し求めていたのだ。

 

「お化け煙突」は山手線からも見えたというから、

私の年代を含む多くの人がその存在を知っていて、

しかも愛着をもってその姿を眺めていたことだと思う。

煙突が解体されると決まった時、

地元の人たちによる「お別れの会」が開催されたとの記録がある。

奇妙な話だ。

なぜなら、今の時代、火力発電所はその社会的な必要性はともかく、

近隣住民にとっては迷惑施設に他ならないからだ。

けれども、近隣の人たちにとっては、その「迷惑」を差し引いてなお、

「お化け煙突」は親しみの存在だったのだろう。

近くを散歩する年配の方、お二人に声をかけてみた。

お二人とも懐かしそうに「お化け煙突」のことを話してくださった。

「お化け煙突」は記憶の中の風景でしかなかったが

実際にそれを見ていた人たちの話を聞くことでその輪郭がはっきりとした。

それで満足だった。

 

小一時間ほど辺りを散策した後、

もうここに来ることも無いだろう、帰りかけたのだが...。

隅田川を渡ったところで足が止まり、

そして、対岸を振り返っていた。

大きく広がる空に、もう一度「お化け煙突」の記憶を重ねてみたくなったのだ。

その日の東京は快晴。澄み渡る冬空の青さが目に痛いほどまぶしかった。

 

 

 

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お化け煙突はどこだ!

2023-03-01 | オトナの遠足

子どもの頃、もう60年近くも前に

心の奥底へ刻まれたある記憶。

だが、その記憶は大人になるにつれて次第に薄れ、

ふたたび思い出すことなどないはずだった。

ところが、ふとしたきっかけがその記憶を呼び戻した。

ここがその記憶の場所。

「お化け煙突」はここにあったのだ。

 

小学校に入って間もない頃だったと思う。

子供向けの科学雑誌で「お化け煙突」のことを知った。

東京のどこかに、広い空を突きあげるように高い煙突が立っていて、

もくもくと煙を吐いている。

煙突は4本あるのだが、あるところではそれは1本に見え、

またあるところでは2本になったり、3本になったりもする。

ひし形に配置された4本の煙突が見る場所によって重なり合うだけのことなのだが

威圧するような巨大さ、そして「お化け」という形容が芽生えたての好奇心を煽ったのだ。

ところがどういうわけか。

その強烈な印象にもかかわらず

「お化け煙突」の本当の名前も場所もまったく覚えていなかった。

その時から10年以上も経った東京での学生時代。

「お化け煙突」のことはまだ覚えていて、

東京タワーなど高い場所に昇ると見渡す景色に目を凝らしたものだった。

けれども、ついに「お化け煙突」を見つけることはできなかった。

そして、卒業とともに東京を離れ、

就職、結婚、子育てと日々の生活に追われるうちに

その記憶は次第に薄れ、思い出すことさえなくなっていった。

 

ところが。

ある偶然からその記憶が突然目を覚ましたのである。

それは今から10年ほど前のこと、「お化け煙突」を知ってから50年近くも経ってからだった。

その頃、一緒に仕事をしていた建築設計者の名刺の裏にこんなプリントがあった。

   

その人が務める設計会社が関わった塔建築が図解されていて

当時、竣工間近だった東京スカイツリーのほか、東京タワーなど名だたる塔建築が並んでいる。

それぞれの塔建築に興味がわき、調べ始めたところ、

日本の塔建築の構造設計には内藤多仲という建築家が大きく関わっていることを知った。

さらに内藤多仲氏の略歴を探し出し、読み進めるうちに

驚きのあまり思わず声を上げそうになった。

記事には氏が構造設計に関わった建築物の写真が載っていたのだが

その一枚が子供の頃、目に焼きつけた

あの「お化け煙突」だったからだ。

      

千住火力発電所。それこそが「お化け煙突」の正体だったのだ。

 

続く。

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