折にふれて

季節の話題、写真など…。
音楽とともに、折にふれてあれこれ。

伊吹山  眠るが如く

2020-12-31 | 近江憧憬

前回の記事から3時間後の事。

伊吹山の話題が続く。

 

この日は西高東低の気圧配置が強まったいわゆる冬型の気候。

湖北は雨雲が次々に押し寄せ、目まぐるしく天気が変わった。

車の中で待機しつつ、雨が止んだら写真を撮る。

そして、降ってきたら次のスポットへ移動し待機する。

そんなことを繰り返していたのだが...。

 

  滋賀県長浜市 2020.12.20  10:27am   Sony α7R3  F2.8G/70-200㎜ (135㎜, f/9,1/160sec , ISO125)

 

雨雲が大きく割れたのか、ある一瞬、大きな晴れ間が広がった。

その時、行く手の真っ青な空に現れたのが伊吹山だった。

そしてそれは、その朝に眺めた荒々しさとは

打って変わった穏やかな表情を見せていた。

青い空と紅葉を従え、滑らかな雪肌をまとった伊吹。

その姿はまた厳しい冬を迎え、長い眠りに着こうとする様にも思えたのだった。

 


湖北の旅の最中、車の中でずっと聴いていたのが

EAGLES    LIVE FROM THE FORUM 2018  だった。

5年前にグレン・フライがなくなった時、

「もうイーグルスとして活動することはない」

と当ブログで書いたことを覚えているが

グレンの息子ディーコン・フライを擁するという

はなれわざ(?)で復活を果たした。

そのライブ盤が「LIVE FROM THE FORUM 2018」だ。

オリジナル楽曲がほとんどで耳障り良く楽しむことができ

今年最後の選曲もその音源からと思ったのだが...。

 
  Eagles  Take It Easy

やはり、グレン・フライのボーカルは何物にも替え難い。


さて、今年も最後となりました。

コメントを下さった方はもちろん、

ご訪問いただいたすべての方に心より感謝申し上げます。

ほんとうにありがとうございます。

そして、来年もどうかよろしくお願い申し上げます。

      良いお年をお迎えください。

                                      juraku-5th

 

 

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伊吹 荒ぶる神の山 By空倶楽部

2020-12-29 | 近江憧憬

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで


 

部屋のカーテンを開けた瞬間、

思いもよらぬ光景に目を奪われた。

窓の外には今までに見たことのない猛々しい伊吹山が

迫りくるようにそびえ立っていたからだ。

 

 滋賀県長浜市 2020.12.20 7:13am   Sony α7R3  F2.8G/70-200㎜ (200㎜ , f/5.6 , 1/320sec , ISO100)

 

まだ薄暗い夜明けの空に

赤く染まる雲を従え、霧と雪をまとった

武骨な岩肌が「ぬっ!」と現れる。

「神が棲む山だ!」

ファインダーを覗き込みながら内心呟いていた。

 

ところで...。

神と言えばこんな話を聞いたことがある。

ヤマトタケルの話だ。

ヤマトタケルノミコト(日本武尊または倭建命)は

古事記や日本書紀など古代史に登場する英雄で

熊襲(くまそ)や東国蝦夷(えみし)を征伐し

国を平定したことで知られている。

そのヤマトタケルが最後の戦いとして伊吹山の神に挑んだ。

数々の敵を打ち破った慢心からか、素手で立ち向かったとのことだが

荒ぶる山の神が降らせた雹(ひょう)に打たれ気を失ってしまう。

その後、熱病にも冒されたヤマトタケルは

居醒めの清水(醒ヶ井の湧き水)で病を癒し

大和へと帰還しようとしたが

能煩野(のぼの:三重県亀山市)であえなく落命。

死の間際、遠のく意識の中で故郷大和を詠んだ歌が

 倭は国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し麗し

 やまとはくにのまほろば たたなづくあおかき やまごもれる やまとしうるわし

 

ヤマトタケルは大和朝廷による日本統一を象徴化した人物だろう。

東奔西走の活躍はおよそ一人だけの功績とは思えないし、

そもそもヤマトタケルの存在すらも怪しいと思える。

おそらくは諸国を平らげた大和古代人の強さへの自信が

ヤマトタケルの伝説を生み出したのだろうが、

一方で、その英雄の命を奪うほどの荒々しさを

ある時に見た伊吹の姿に映したのかもしれない。

そうだとするなら、それは冬の伊吹だったのではないだろうか。

古代人も畏れた何者にも屈しない自然の驚異と気高さ。

この朝の伊吹に「神」を感じずにはいられなかったのである。

 

 

 

 

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初めての雪景色 湖北菅浦

2020-12-26 | 近江憧憬

 

2020年冬、菅浦。

初めての雪景色。

 

 滋賀県長浜市菅浦 2020.12.19  10:35    Sony α7S2  Vario-Sonnar  24-70㎜/f2.8 (35㎜  f/3.2,1/200sec,ISO100)    

 

琵琶湖の湖面は波立ち、横殴りの風と共に冷たいみぞれが吹き付けてくる。

車から降りることさえできず、撮影をあきらめかけたその時。

厚い雨雲が逸れたのか、急に風がおさまり、

落ちてくる雨粒もまばらになった。

その時、雪と立ち昇る霧が作る白い背景の中に

葛籠尾崎の紅葉が浮かび上がってくるのが見えた。

四季折々に訪れている菅浦だが雪景色は初めて。

後で思えば、写真の神様がくれた数分の機会。

菅浦で見つけた新しい景色に心を躍らせつつ

シャッターを切ったのだった。

 

 

 

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置き去りにできなかった街角 By空倶楽部

2020-12-19 | 語りかける街

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで


空倶楽部。

掲載写真に困って過去のフォルダーを覗いていたら

ふと目に着いた一枚。

「置き去りにしないでくれ!」

そんな言葉が聞こえたような気がしたのだ。


 東京 銀座 2017.11.25 Sony α99  Planar 50㎜ (f/5.6 , 1/100sec , ISO100) 

 

朝方の空に映えるクリスマス飾りが

「いかにも都会の風景」と、印象に残ったのだが...。

それでも、その時は街角写真の一枚くらいにしか思わなかったか、

そのまま素通りしてお蔵入りに。

それが今回目についたのは...。

月に2,3回は訪れていた東京もコロナ騒ぎで3月以来ご無沙汰。

そろそろ、都会の風景が恋しくなってきたせいかもしれない。

 


そして、12月に「置き去りにできない」といえばこの人も。

 
 JEALOUS GUY- John Lennon and The Plastic Ono Band

あれから40年。

年だけで言えばとっくに彼を追い越してしまったが

兄貴と呼べる存在感はいまだに変わらない。

 

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お化け煙突の話

2020-12-13 | 折にふれて

前の記事に続き「煙突」の話。

広い空に立つ煙突を見ると決まってある光景を思い出す。

遠い昔の光景だが、実際に目の当たりにしたものではない。

小学校の低学年だった頃のこと、

子供向けの科学雑誌に紹介されていた写真、

「お化け煙突」の光景だ。

 

東京のどこか。

広く開けた空に4本の煙突がそびえ立っている。

煙突は異様に大きく、子供心には恐ろしいほどの光景に思えた。

また、見る場所を変えながら紹介しているのだが

4本の煙突はある場所では1本に見え、

また別の場所では2本、3本に見えたりもする。

何のことはない、菱形に配置された4本の煙突が

見る場所からの重なり具合で、

本数が変わったように見えるだけなのだが

異様な大きさと「お化け」という形容が

芽生えたての好奇心を掻き立てるには充分だった。

 

それから10年以上も後のこと。

大学受験で上京する新幹線の車中。

東京に近づくと都会の風景を目を凝らして眺めていた。

「お化け煙突」の本当の名前や場所など肝心なことは覚えていなかったが、

雑誌で見た光景だけは長く心に残り続けていて

当時まだ空の広い東京のどこか

あの巨大な煙突なら見えるはずだと思ったのだ。

そして、それからの4年間。

東京タワーや貿易センタービルなど

高い建物に昇ると煙突を探したものだったが

結局見つけることはできず、

そのうちに「お化け煙突」の記憶すらすっかりと忘れてしまっていた。

 

さらに時を経て、建築の仕事に携わるようになってからのこと。

ふとしたきっかけで「お化け煙突」が内藤多仲氏が設計した千住火力発電所だったことを知った。

内藤氏は構造設計の大家で、東京タワーや名古屋電波塔、通天閣など

日本のタワー建築の草分けとしてもよく知られた建築家だ。

内藤多仲氏の略歴に「千住火力発電所」の名を見つけた時、

子供心に刻んだ「お化け煙突」の記憶が蘇り

その著名な建築家の作品だった偶然に感動すら覚えた。

 

昭和20年代の千住火力発電所(wikipediaより)*1

 

 

千住火力発電所は大正15年に稼働開始。

戦時中も空襲の被害を受けることなく稼働を続けたが

施設の老朽化、豊洲に新しい火力発電所が建設されたことを理由に

昭和38年に稼働を停止、翌39年に解体された。

「煙突とお別れの会」が開催されるなど惜しまれての解体だったという。

昭和39年(1964年)というと先の東京オリンピックが開催された年。

当時の私は8歳、つまり大学受験で上京した時すでに、

「お化け煙突」は記憶の中の光景でしかなかったのだ。

 

ずいぶんと味気ない顛末となってしまうのだが

さらに調べてみてわかったことがある。

今も跡地にはモニュメントが残されていること、

さらには、両さんでおなじみの人気漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」にも登場していたというのだ。

見ることができなかった光景の記憶。

けれども、その記憶を今も大切にしている人が他にもいる。

そのことを知って少しうれしく思ったりもした。

 

追記

記事を見返しながらさらに思ったことがある。

お化け煙突の跡地にはモニュメントが残され

解体から半世紀以上も経つというのに多くの方に親しまれている。

このことはかなり奇異なことだ。

なぜなら今日、火力発電所はその使命はともかく

近隣住民にとっては「迷惑施設」のひとつだからだ。

それを許すおおらかさ。

それが「昭和」という時代、

それも30年代の特長なのかもしれない、と思えてきたのだ。

 


 
 The Platters - Smoke Gets In Your Eyes

 

*1 掲載にあたり日本での著作権保護が満了していることを確認しました

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煙突のある風景 By空倶楽部

2020-12-09 | 抒情的金沢

「9」のつく日は空倶楽部の日。

     ※詳しくは、発起人 かず某さん chacha○さん まで


 

金沢市大野、冬晴れの空。

 

 金沢市大野 2020.12.02 11:36AM     RICOH GR DIGITAL3   F5.6, 1/180SEC , ISO64

 

大野は日本海に面する漁港で

古くは北前船の往来で大いに栄えた町でもある。

そして、大野のもう一つの顔が醤油の町。

冒頭の写真は醸造蔵が建ち並ぶ路地から見上げた空だ。

金沢に住みながら知らなかったが

大野は銚子、野田、小豆島、龍野に次ぐ醤油五大産地のひとつに数えられるそうだ。

とは言え、

関東や関西など大都市圏を抱え

近代的な工場で大量生産する他の産地に比べると

大野の生産量はずいぶんと小さい。

ほとんどが地元で消費される大野醤油の醸造元は

いずれも家内工業的な規模でしかないからだ。

 

大野醤油の歴史は約400年。

醤油発祥の地、紀州湯浅から醸造技術を学び

加賀前田家の庇護のもと発展したとある。

「どんな特長?」と尋ねられても

他の醤油を知らないので答えようもないが

大野醤油をPRするホームページで調べてみると...

大野には今も18社もの醸造元があり、

それぞれの味に個性があるとのことだが

大野醤油を概して表現するなら

「濃口醤油ながらその色は比較的に淡くほどよい甘さとまろやかさが特長。

 それが、素材そのものの味や香り、色をひき立たせる。」

ひいては、「加賀百万石の食文化と共に発展してきた。」のだとか。

刺身によし。煮物によし。「金沢うどん」や「金沢おでん」にもよし。

石川県民にとっては万能の調味料として発展してきたということか。

 

あらためて大野の風景。

  金沢市大野 2020.12.02 11:36AM     RICOH GR DIGITAL3   F5.6, 1/620SEC , ISO64

 

建ち並ぶ黒瓦屋根の上に冬晴れの空が広がる。

その空に向けて「どうだ!」とばかりに突き出る煙突。

これまでは長閑な風景としか思ってこなかったが

醤油造りの歴史と蔵元の誇りを示す

象徴的な風景に見えてきたのだった。

 

 

 

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