どうしても触れることができないアチラ側のジュルがいる。
コチラもアチラもないというヒトもいるけれど、
わたしは、あると思う。特にネコには。
子ネコの頃、母ネコだった頃は、どんなだったのだろう?
イエネコになったことを本当は、どう思っているのだろう?
わたしのことを本当は、どんなふうに見ているのだろう?
そんなこと、わからなくていいのだ。
アチラ側があってあたり前なのだから。
ヒトのことでもわからないのだから、ネコのことならなおさらのことだ。
ネコにとって、ヒトのことなんていったら、わからないことだらけだろう。
ネコでもヒトでも、アチラ側を認めることを、“信頼”というのだと思う。