
写真左上がロッコソルシエ遺跡、右上がラスコー壁画、下がアルタミラ壁画。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1万年以上 昔に描かれた彫刻遺跡が公開されるそうですが、修復に半世紀をかけたというのも気の長い話しですね。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「”彫刻版ラスコー” 初公開=1万5,000年前の動物が鮮明に 仏」(3月19日 時事通信/パリ) __ ※追加1へ
ウィキペディアから … ラスコー洞窟 Grotte de Lascaux とは、フランスの西南部ドルドーニュ県、ヴエセール峡谷のモンティニャック村の近郊に位置する洞窟である。 先史時代 (オーリニャック文化) の洞窟壁画で有名である (※追加2へ)。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
これらは、大概 狩猟の成功を願って作られたと解説されますが、古代の人はどういう気持ちでこれらの彫刻や絵を描いたのでしょうか。
想像するだけでも、歴史へのロマンを感じますね __ 部族の長が絵のうまい者に描くよう命じ、祈祷師には 動物が部族の獲物となるよう 神か何か超自然的なものに対して祈らせた?
狩猟がいつもうまくいくとは限らず、その成功確率は低かったことでしょう。 獲物がとれるまでは腹を空かせて 慢性的に飢餓状態だったのでしょうから、切実な思いで描いたのかも。
農耕を知らず、自然に植わっているものを取っていた時代でしょうから、冬など果物や穀類がとれない時期に蓄えが無くなり、獲物がとれないと、餓死者が多数出たと想像します。
獲物がとれても保存方法を知りませんから、多めに獲物がとれたら、食べられるだけ目一杯食べたことでしょう。 でも秋にたらふく食べて、冬の間中 持つかというと持ちませんから、その間は食うや食わずの日々が多かったのではないでしょうか。
中年に出腹となる人が多いのは、出腹中年のほうが生き延びた人が多く、我々はその子孫だからで、やせた人は体の内部に栄養を蓄えられなかったので、餓死する人が多かったと勝手に推理しています。
ですから中年以降 出腹氏が普通で、痩せ中年はカッコいいですが 食べるもの食べてないの?と想像しちゃいます。
………………………………………………………
私は20年ほど前、マドリードの博物館でアルタミラ壁画のレプリカを鑑賞しました。 暗い部屋で、天井に描かれた絵で、写真左下のようだったと記憶しています。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
ウィキペディアから … アルタミラ洞窟 Cueva de Altamira は、スペイン北部、カンタブリア州の州都サンタンデルから西へ 30km ほどのサンティリャナ・デル・マール近郊にある洞窟。 ユネスコの世界遺産であるアルタミラ洞窟壁画で知られる。 洞窟の長さは約 270m ほど (※追加3へ)。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
以上
※追加1_ フランス西部のアングラン川沿いの岩壁に、約 1万5,000年前の旧石器時代後期の動物や人間が浮き彫りで表現され、「彫刻版のラスコー」とも呼ばれるロッコソルシエ遺跡のフリーズ (帯状装飾) が21日、一般公開される。 1950年の発見後、保存作業に58年を要した謎の彫刻がベールを脱ぐのは初めて。
現場はビエンヌ県アングルシュルラングランの川岸で、パリ南西約 300km。 ほぼ同時代のラスコー洞窟の壁画からは 100km ほど北方に位置する。 フリーズは長さ約 20m で、ヤギ、野牛、馬、猫、人間の女性の足や横顔など約50のモチーフが鮮明に刻まれている。
………………………………………………………
※追加2_ ラスコー洞窟の壁画は、アルタミラ洞窟壁画と並ぶ先史時代 (フランコ・カンタブリア美術) の美術作品である。 これは1940年9月、ラスコー洞窟近くで遊んでいた近くの村の子供たちによって発見された。
地下に長く伸びる洞窟は枝分かれし、壁画が集中している大空間などがいくつかある。 洞窟の側面と天井面 (つまり洞窟の上半部一帯) には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が 500点 もあった。 これらは15,000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれていた。
材料として、赤土・木の炭を獣脂・血・樹液で溶かして混ぜ、黒・赤・黄・茶・褐色の顔料を作っていた。 顔料はくぼんだ石等に貯蔵して、こけ、動物の毛、木の枝をブラシがわりに、または指を使いながら壁画を塗って描いたと考えられる。 この壁画には、古い絵の上に新しい絵が重ねて描いてある。 絵画の空間としてはあまり意識せずに描いてある。
無数の壁画がある内の1つ、黒い牛の絵の角に遠近法が用いられている。 手前の角が長く描かれ、奥の角は手前の角より短く描かれている。 そのほかの人・動物にも、遠近法が用いられている。
かつては大勢の観客を洞窟内に受け入れていたが、観客の吐く二酸化炭素により壁画が急速に劣化したため、1963年以降から、壁画の外傷と損傷を防ぐため、洞窟は閉鎖された。 現在は壁画修復が進む一方、一日に数名ごとの研究者らに応募させ入場・鑑賞させているほかは、ラスコーの壁画は非公開とされている。
………………………………………………………
※追加3_ アルタミラ洞窟壁画は、先史ヨーロッパ時代の区分で主にマドレーヌ期 (約 18,000年〜10,000年前) と呼ばれる旧石器時代末期に描かれた野牛、イノシシ、馬、トナカイなどの動物を中心とする壁画である。 ユネスコの世界遺産 (文化遺産) に登録されている。
壁画は、ソリュトレ期に属する約 18,500年前頃のものと、マドレーヌ期前期頃の約 16,500年〜14,000年前頃のものが含まれる。 約13,000年前に落石によって洞窟の入り口が閉ざされたと考えられ、これにより幸運にも壁画を封印することになった。
そして、これらの壁画は1879年にこの地の領主ソウトウラ (Marcelino Sanz de Sautuola) の5歳の娘マリアによって偶然発見された。 ソウトウラはこれらの絵が旧石器時代のものであると考え、1880年に発表したが、当時は旧石器時代の絵が知られておらず 荒唐無稽な話と思われたため、しばらく学界からは否定された。 その後、20年ほどの間に、他の地でもいくつかの洞窟壁画の事例が報告されたが、これらの絵にも当初は否定的な見解がなされた。 1900年代に入ると旧石器時代の絵と認識されるようになり、各地でも洞窟壁画の発見が相次いで報告されるようになった。
しかし、アルタミラ洞窟の中の絵は、痛みがひどくなっているので、現在は公開されていない。
全世界に下記の3箇所にレプリカがある。
・ アルタミラ博物館 (現地)
・ 国立考古学博物館 (スペイン、マドリード)
・ ハビエル城博物館 (三重県志摩市の複合リゾート施設「志摩スペイン村」のテーマパーク「パルケエスパーニャ」内)
以上
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1万年以上 昔に描かれた彫刻遺跡が公開されるそうですが、修復に半世紀をかけたというのも気の長い話しですね。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「”彫刻版ラスコー” 初公開=1万5,000年前の動物が鮮明に 仏」(3月19日 時事通信/パリ) __ ※追加1へ
ウィキペディアから … ラスコー洞窟 Grotte de Lascaux とは、フランスの西南部ドルドーニュ県、ヴエセール峡谷のモンティニャック村の近郊に位置する洞窟である。 先史時代 (オーリニャック文化) の洞窟壁画で有名である (※追加2へ)。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
これらは、大概 狩猟の成功を願って作られたと解説されますが、古代の人はどういう気持ちでこれらの彫刻や絵を描いたのでしょうか。
想像するだけでも、歴史へのロマンを感じますね __ 部族の長が絵のうまい者に描くよう命じ、祈祷師には 動物が部族の獲物となるよう 神か何か超自然的なものに対して祈らせた?
狩猟がいつもうまくいくとは限らず、その成功確率は低かったことでしょう。 獲物がとれるまでは腹を空かせて 慢性的に飢餓状態だったのでしょうから、切実な思いで描いたのかも。
農耕を知らず、自然に植わっているものを取っていた時代でしょうから、冬など果物や穀類がとれない時期に蓄えが無くなり、獲物がとれないと、餓死者が多数出たと想像します。
獲物がとれても保存方法を知りませんから、多めに獲物がとれたら、食べられるだけ目一杯食べたことでしょう。 でも秋にたらふく食べて、冬の間中 持つかというと持ちませんから、その間は食うや食わずの日々が多かったのではないでしょうか。
中年に出腹となる人が多いのは、出腹中年のほうが生き延びた人が多く、我々はその子孫だからで、やせた人は体の内部に栄養を蓄えられなかったので、餓死する人が多かったと勝手に推理しています。
ですから中年以降 出腹氏が普通で、痩せ中年はカッコいいですが 食べるもの食べてないの?と想像しちゃいます。
………………………………………………………
私は20年ほど前、マドリードの博物館でアルタミラ壁画のレプリカを鑑賞しました。 暗い部屋で、天井に描かれた絵で、写真左下のようだったと記憶しています。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
ウィキペディアから … アルタミラ洞窟 Cueva de Altamira は、スペイン北部、カンタブリア州の州都サンタンデルから西へ 30km ほどのサンティリャナ・デル・マール近郊にある洞窟。 ユネスコの世界遺産であるアルタミラ洞窟壁画で知られる。 洞窟の長さは約 270m ほど (※追加3へ)。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
以上
※追加1_ フランス西部のアングラン川沿いの岩壁に、約 1万5,000年前の旧石器時代後期の動物や人間が浮き彫りで表現され、「彫刻版のラスコー」とも呼ばれるロッコソルシエ遺跡のフリーズ (帯状装飾) が21日、一般公開される。 1950年の発見後、保存作業に58年を要した謎の彫刻がベールを脱ぐのは初めて。
現場はビエンヌ県アングルシュルラングランの川岸で、パリ南西約 300km。 ほぼ同時代のラスコー洞窟の壁画からは 100km ほど北方に位置する。 フリーズは長さ約 20m で、ヤギ、野牛、馬、猫、人間の女性の足や横顔など約50のモチーフが鮮明に刻まれている。
………………………………………………………
※追加2_ ラスコー洞窟の壁画は、アルタミラ洞窟壁画と並ぶ先史時代 (フランコ・カンタブリア美術) の美術作品である。 これは1940年9月、ラスコー洞窟近くで遊んでいた近くの村の子供たちによって発見された。
地下に長く伸びる洞窟は枝分かれし、壁画が集中している大空間などがいくつかある。 洞窟の側面と天井面 (つまり洞窟の上半部一帯) には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が 500点 もあった。 これらは15,000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれていた。
材料として、赤土・木の炭を獣脂・血・樹液で溶かして混ぜ、黒・赤・黄・茶・褐色の顔料を作っていた。 顔料はくぼんだ石等に貯蔵して、こけ、動物の毛、木の枝をブラシがわりに、または指を使いながら壁画を塗って描いたと考えられる。 この壁画には、古い絵の上に新しい絵が重ねて描いてある。 絵画の空間としてはあまり意識せずに描いてある。
無数の壁画がある内の1つ、黒い牛の絵の角に遠近法が用いられている。 手前の角が長く描かれ、奥の角は手前の角より短く描かれている。 そのほかの人・動物にも、遠近法が用いられている。
かつては大勢の観客を洞窟内に受け入れていたが、観客の吐く二酸化炭素により壁画が急速に劣化したため、1963年以降から、壁画の外傷と損傷を防ぐため、洞窟は閉鎖された。 現在は壁画修復が進む一方、一日に数名ごとの研究者らに応募させ入場・鑑賞させているほかは、ラスコーの壁画は非公開とされている。
………………………………………………………
※追加3_ アルタミラ洞窟壁画は、先史ヨーロッパ時代の区分で主にマドレーヌ期 (約 18,000年〜10,000年前) と呼ばれる旧石器時代末期に描かれた野牛、イノシシ、馬、トナカイなどの動物を中心とする壁画である。 ユネスコの世界遺産 (文化遺産) に登録されている。
壁画は、ソリュトレ期に属する約 18,500年前頃のものと、マドレーヌ期前期頃の約 16,500年〜14,000年前頃のものが含まれる。 約13,000年前に落石によって洞窟の入り口が閉ざされたと考えられ、これにより幸運にも壁画を封印することになった。
そして、これらの壁画は1879年にこの地の領主ソウトウラ (Marcelino Sanz de Sautuola) の5歳の娘マリアによって偶然発見された。 ソウトウラはこれらの絵が旧石器時代のものであると考え、1880年に発表したが、当時は旧石器時代の絵が知られておらず 荒唐無稽な話と思われたため、しばらく学界からは否定された。 その後、20年ほどの間に、他の地でもいくつかの洞窟壁画の事例が報告されたが、これらの絵にも当初は否定的な見解がなされた。 1900年代に入ると旧石器時代の絵と認識されるようになり、各地でも洞窟壁画の発見が相次いで報告されるようになった。
しかし、アルタミラ洞窟の中の絵は、痛みがひどくなっているので、現在は公開されていない。
全世界に下記の3箇所にレプリカがある。
・ アルタミラ博物館 (現地)
・ 国立考古学博物館 (スペイン、マドリード)
・ ハビエル城博物館 (三重県志摩市の複合リゾート施設「志摩スペイン村」のテーマパーク「パルケエスパーニャ」内)
以上