見もの・読みもの日記

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雑な歴史談義/習近平と永楽帝(山本秀也)

2017-09-08 22:39:09 | 読んだもの(書籍)
〇山本秀也『習近平と永楽帝:中華帝国皇帝の野望』(新潮選書) 新潮社 2017.8

 タイトルに惹かれて、期待して読み始めたのだが、あまり得るところはなかった。明の永楽帝と習近平には意外なほど共通点がある、というのが本書の見立てである。具体的には、(1)権門の出身という血統、(2)権力掌握前における苦節の経験、(3)政治実績の誇示に対する突出した執念、(4)「法」を掲げた苛烈な政敵排除や国内統制、(5)アジア秩序の構築をはじめとすう旺盛な対外拡張の意欲、が挙げられている。もちろん差異があること、たとえば権力掌握前の苦節(都を離れて地方行き)の経験にしても、燕王として任地の北京に赴いた永楽帝と、父の失脚によって陝西省に下放され、百姓仕事に明け暮れた習近平の境遇が、天と地ほども異なることは、著者も注意深く指摘している。

 両者に最も共通するのは「突出した功績を欲し続けるある種の『焦慮』」だと著者はいうのだが、これは中国史に登場する偉大な皇帝の多くに共通する性質である。いや、よく知らないけど中国だけではないかもしれない。習近平と永楽帝に限定する意味を、あまり見いだせない。

 永楽帝のことをよく知らない読者には、それなりに面白い読み物かもしれないが、普通に知られている話ばかりで、特に新しい話題や新鮮味のある切り口はなかった。習近平についての記述も平板で面白くない。まあこれは、習近平自身が面白い人物でないせいかもしれないので、著者を責められないが。

 それでも私は、永楽帝ほどには習近平のことを知らなかったので、いろいろ新しい知識を得ることができた。気になったのは、文革時代に青年期を過ごしたため、正規の教育をほとんど受けていないという指摘。1953年生まれって、そういう世代なのか。1975年に清華大学化学工程部に入学するが、「正規の教育レベルとはかけ離れた授業しか行われていなかった」という。まあそうだろう。しかし、そのこと(指導者として必要な教養を身につけたのかどうか)を気にしすぎる論調には、やや違和感を持った。

 加えて、習近平の「国際教養の徹底した欠如」も著者は問題視している。2017年4月、訪米してトランプ大統領との夕食会で、シリアへのミサイル攻撃を告げられ、暫し沈黙したあと「もう一回言ってくれ」と頼んだことについて、「機転の利いた反論は一切できなかった」と批判的に語っているが、このシリアスな局面で、どんな当意即妙な応答があり得るというのか。なお比較に取り上げられているのが江沢民で、外国好きで外国語も堪能だっという一面を初めて知って、ちょっと驚いた。それで江沢民に、政治家としての国際的センスがあったと言えるんだろうか。

 また、『明史』の愛読者だった毛沢東は、初代の洪武帝(朱元璋)とならび息子の永楽帝も「字を知らなかった」と述べています、と著者は言うのだが、これはかなり疑問である。本当に毛沢東が言っているとしたら、中国語の誇張表現をそのまま紹介していると思われ、あまり誠実なやりかたではないと思う。

 永楽帝が洪武帝を慕ったように、習近平が毛沢東を重視しているという見立ては、一見、納得できる。しかし、それなら私は高島俊男さんの見立てのほうが好きだ。毛沢東は太祖朱元璋である。しかし、市場経済への転換という英断を下したのは、(華国鋒に続く)第三代皇帝の鄧小平で、これは永楽帝が、創業皇帝の遺志に背くことによって成功し、国家を(ただし、全く別の国家として)生きながらえさせたことに似ている、というもの(『中国の大盗賊・完全版』)。何年も前に読んだのに、いまだに思い出してくすりとする。歴史への深い理解と愛情があるからだと思う。
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