見もの・読みもの日記

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罠の多い書物世界/書林の眺望(井上進)

2006-12-10 22:30:56 | 読んだもの(書籍)
○井上進『書林の眺望:伝統中国の書物世界』 平凡社 2006.11

 中国の書物が織りなす大森林を、時には鳥瞰し、時には樹木一本一本に近寄って細かく観察するなど、ざまざまな方法で「撫でまわしみた報告」である、という。

 分量としては、1点ものに焦点を絞った論考が多い。それも、三重県立図書館とか金沢市立図書館など、日本の地方図書館の有する漢籍が、多く取り上げられている。文章は平易なのだが、語られている事柄がマニアックなので、フツーの読者が着いていくのは、容易なことではない。私は半分くらいは読み飛ばしているが、それでも、いろいろ有用な知識の断片を聞きかじることができる。

 たとえば、日本には2、300年以上の歴史をもつ文庫がいくらでもあるが、中国ではほとんど絶無(例外は寧波の天一閣くらい)であること。死ねば蔵書が散逸するのが常であったために、「売るな」「守り伝えよ」と必死に訴える蔵書印が目立つ、とか。もとの印面を切り取って、裏から1字分だけ紙を貼り付ける修正法を「挖補(あつぼ)」という。中国の印刷本では非常に稀だが、雍正銅活字本の『欽定古今図書集成』にはこれが見られる、とか。

 長い出版文化を持つ中国では、書物は「文化財」であると同時に、早くから売買の対象であった。それゆえ、中国の書物には、さまざまな罠が仕掛けられている。著者が購入した『養一斎集』は、目録と巻数(13巻)が合っているので、完全本だと思ったら、目録末葉の裏は空白葉を張り合わせたもので、実は20巻本の一部でしかなかったそうだ。あるいは「剜改(わんかい)」といって、版木の一部を削り取って、文字を差し替えてしまう手法がある。これによって、たとえば、先人の著作に別の題名を冠して、自分の著作に見せかけ、さらに念を入れて当代の著名人の序文をせしめている書物もあるという。

 それほど悪質でなくても、封面や序だけを取り替えた後修本というのは、よくあることで、和刻本の清修本(返り点や送り仮名は削ってある)というのもあるそうだ。ひぇ~そんなものが!

 私は、漢籍の目録法というのが、西洋の近代的な目録法と違って、「原本に書いてあるとおりに転記する」ことを原則としないのが、素朴に不思議だったのだが、なるほど、こういう例があると分かると、機械的に転記しただけでは目録の体を為さない、ということが理解できる。専門家や有名大学の蔵書にも、刊行年代の判定を誤っているものは、多々あるらしい。

 もうひとつ、怖いと思ったのは、民国期までの影刻や影印では、補写や改字が当たり前だったということ。だから『四部叢刊』なども、テキストを鵜呑みにしてはいけないのだそうだ。 

 こういう罠を避けながら、中国古籍の林を渉猟するには、文献学(版本学)の知識と、テキストを読む力の双方が必要であると著者は説く。なかなか、専門家のようにはいかないけれど、肝に銘じておきたいものだと思う。

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