○入江曜子『紫禁城:清朝の歴史を歩く』(岩波新書) 岩波書店 2008.7
北京オリンピックを意識した便乗企画なのかもしれないが、それはどうでもいいことだ。中国史好きにはありがたい本が出た。北京、いや中国のシンボルともいうべき紫禁城(故宮)。その広大な敷地に立ち並ぶ宮殿群を、現代の参観コース順にたどりながら(→ここがすごい!)同時に、清朝280年の激動の歴史を、生き生きと語りつくす。手軽で贅沢なガイドブックである。おそらく今後、長年にわたって参照し続ける価値があると思う。
私が初めて紫禁城を訪れたのは、1981年の早春だった。初めての海外旅行、学生ばかりのツアーで、ほとんど何も分からないまま、ガイドさんに従って、南から北へ通り抜けた。2回目は1995年の夏、友人2人と個人旅行を敢行。広い構内には飲食施設が無く、歩き疲れて途方に暮れた記憶がある。3回目は2002年の晩秋。スターバックス故宮店(2007年に撤去)に入ったのが思い出である。
3度も行っているわりには、紫禁城の印象は薄い。その理由は、私も日本人の常にもれず、中国といえば、三国志やシルクロードが興味の中心で、近代史は全く不得手だったためだ。しかし、この数年で、私の関心は大きく変わった。今では、清朝くらい親しい歴史は他にないくらいである。だから本書を読んでいても、些細な記述に、たびたび反応してしまった。「軍機処」ってこんな簡素な建物だったのか、とか。書物の編纂・刊印を行った「武英殿」ってここか、とか(背後の浴徳堂は、もと武官の浴室だったが、清代には書物の燻蒸に使われた)。
清朝史の魅力は、その「振れ幅」の大きさにあると思う。世界の富の3分の1を占めたといわれる盛期(加藤徹『西太后』)から、西欧列強に蚕食され、苦渋の近代化のスタートを切るまで。登場人物も、理想の名君から、稀代の悪人・悪女まで、実に多彩である。あまりに複雑すぎて、まだ評価の定まらない人物も多い。
これまでよく知らなかったが、同治帝というのも面白い人物だなあ。少年時代から街歩きや屋台の買食いを楽しんだ(長じては悪所通いも)って、どこまで本当なのかしら。私は、日本の徳川将軍ならともかく、中国の皇帝のスケール(庶民との隔絶性)からいうと、「お忍び」なんてありえないと思っていたのだが。古典の学習は大嫌いで、家庭教師に匙を投げさせた同治帝だが、死の床で皇后に「あなたは午門を通ってきた皇后なのだから(成り上がりの実母・西太后一派に臆せず、堂々と生きよ)」と遺言しているあたり、馬鹿ではなかったと思う。この言葉、病床の侍医が聞き伝えたものだ。
このほか、嘉慶帝の時代、紫禁城内に怪盗があらわれたり、皇帝自身が刃物をもった暴漢親子に襲われたり、咸豊帝の秀女選考の際、ひとりの少女が「南京が陥落し天下の半分は奪われたのに(=太平天国の乱)女色に熱心な皇帝なんて」と非難の声をあげたとか、目を疑うような「まことしやか」なエピソードが多数、採録されている。『清史稿』とかに載っているのかなあ。読んでみたいなあ。
読んでみたいといえば『韃靼漂流記』も。越前の商民が、たまたま台風に遭い、清朝建国初期の中国大陸に漂着して、北京に送られ、摂政王ドルゴンにも対面したという貴重な見聞録である。おお、すごい! 平凡社の東洋文庫に収めるというが、原本はどこに伝わっているんだろ?
紫禁城の屋根を、全て黄瑠璃瓦で葺き替えさせたのは乾隆帝である。「あとがき」によれば、2006年、北京を訪れた著者は、2年後のオリンピックにむけて、故宮の大屋根の黄瑠璃瓦がすっかりはぎとられた姿を目にしたという。まことに、乾隆盛世にタイムスリップしたように思われたというのも同感できる。順治帝が太和殿に掲げさせた満州文字の殿額を外したのは袁世凱だが、果たしてこれも、漢字の殿額の隣りに復活なるか? 紫禁城は、今なお現役で、中国の歴史の中心地であると思う。
■清史稿
華東師範大学のページで全文(中国語)が読める。ありがたい。
北京オリンピックを意識した便乗企画なのかもしれないが、それはどうでもいいことだ。中国史好きにはありがたい本が出た。北京、いや中国のシンボルともいうべき紫禁城(故宮)。その広大な敷地に立ち並ぶ宮殿群を、現代の参観コース順にたどりながら(→ここがすごい!)同時に、清朝280年の激動の歴史を、生き生きと語りつくす。手軽で贅沢なガイドブックである。おそらく今後、長年にわたって参照し続ける価値があると思う。
私が初めて紫禁城を訪れたのは、1981年の早春だった。初めての海外旅行、学生ばかりのツアーで、ほとんど何も分からないまま、ガイドさんに従って、南から北へ通り抜けた。2回目は1995年の夏、友人2人と個人旅行を敢行。広い構内には飲食施設が無く、歩き疲れて途方に暮れた記憶がある。3回目は2002年の晩秋。スターバックス故宮店(2007年に撤去)に入ったのが思い出である。
3度も行っているわりには、紫禁城の印象は薄い。その理由は、私も日本人の常にもれず、中国といえば、三国志やシルクロードが興味の中心で、近代史は全く不得手だったためだ。しかし、この数年で、私の関心は大きく変わった。今では、清朝くらい親しい歴史は他にないくらいである。だから本書を読んでいても、些細な記述に、たびたび反応してしまった。「軍機処」ってこんな簡素な建物だったのか、とか。書物の編纂・刊印を行った「武英殿」ってここか、とか(背後の浴徳堂は、もと武官の浴室だったが、清代には書物の燻蒸に使われた)。
清朝史の魅力は、その「振れ幅」の大きさにあると思う。世界の富の3分の1を占めたといわれる盛期(加藤徹『西太后』)から、西欧列強に蚕食され、苦渋の近代化のスタートを切るまで。登場人物も、理想の名君から、稀代の悪人・悪女まで、実に多彩である。あまりに複雑すぎて、まだ評価の定まらない人物も多い。
これまでよく知らなかったが、同治帝というのも面白い人物だなあ。少年時代から街歩きや屋台の買食いを楽しんだ(長じては悪所通いも)って、どこまで本当なのかしら。私は、日本の徳川将軍ならともかく、中国の皇帝のスケール(庶民との隔絶性)からいうと、「お忍び」なんてありえないと思っていたのだが。古典の学習は大嫌いで、家庭教師に匙を投げさせた同治帝だが、死の床で皇后に「あなたは午門を通ってきた皇后なのだから(成り上がりの実母・西太后一派に臆せず、堂々と生きよ)」と遺言しているあたり、馬鹿ではなかったと思う。この言葉、病床の侍医が聞き伝えたものだ。
このほか、嘉慶帝の時代、紫禁城内に怪盗があらわれたり、皇帝自身が刃物をもった暴漢親子に襲われたり、咸豊帝の秀女選考の際、ひとりの少女が「南京が陥落し天下の半分は奪われたのに(=太平天国の乱)女色に熱心な皇帝なんて」と非難の声をあげたとか、目を疑うような「まことしやか」なエピソードが多数、採録されている。『清史稿』とかに載っているのかなあ。読んでみたいなあ。
読んでみたいといえば『韃靼漂流記』も。越前の商民が、たまたま台風に遭い、清朝建国初期の中国大陸に漂着して、北京に送られ、摂政王ドルゴンにも対面したという貴重な見聞録である。おお、すごい! 平凡社の東洋文庫に収めるというが、原本はどこに伝わっているんだろ?
紫禁城の屋根を、全て黄瑠璃瓦で葺き替えさせたのは乾隆帝である。「あとがき」によれば、2006年、北京を訪れた著者は、2年後のオリンピックにむけて、故宮の大屋根の黄瑠璃瓦がすっかりはぎとられた姿を目にしたという。まことに、乾隆盛世にタイムスリップしたように思われたというのも同感できる。順治帝が太和殿に掲げさせた満州文字の殿額を外したのは袁世凱だが、果たしてこれも、漢字の殿額の隣りに復活なるか? 紫禁城は、今なお現役で、中国の歴史の中心地であると思う。
■清史稿
華東師範大学のページで全文(中国語)が読める。ありがたい。