見もの・読みもの日記

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飼い慣らされる主体/インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?(森健)

2006-10-16 06:14:34 | 読んだもの(書籍)
○森健『インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?:情報化がもたらした「リスクヘッジ」社会の行方』 アスペクト 2005.9

 『グーグル・アマゾン化する社会』に続いて、森健さんの本2冊目。本書の存在に気づいたのは、ずいぶん前のことだったと思う。しかし、バッカなタイトルだなあ、と思っただけで、すぐに手に取ってみようとはしなかった。

 これには説明がいる。インターネットは我々に、想像もできなかったほどの「便利」で「快適」な生活をもたらしてくれた。しかし、私は「便利」や「快適」だけが「幸せ」の要件だとは思わない。だから、「インターネットは『僕ら』を幸せにしたか?」というタイトルを見て、「ンなわけないじゃん。そもそも設問自体が無意味!」と反発したのである。

 だが、本書は、私のような人間こそ読むべき本だった。インターネットの恩恵に日々どっぷり浸かりながら、ふと感じる居心地の悪さ。まあ、仕方ないか、とか、いや、これはインターネットとは無関係だろう、と思っている社会の変化が、本当に許容していいもの・無関係なものなのか。モヤモヤした居心地悪さの正体が、本書によって、少しずつ像を結んでいくように感じた。

 第1部は、メール、ブログ、検索エンジンについて考察したもので、近著『グーグル・アマゾン化する社会』の主旨に近い。同じ意見・趣味・嗜好を持つ者どうしの間で閉ざされたスモールワールド、偏った情報経路によって生ずるサイバーカスケードの怖さを論じ、「ウェブの進化が民主主義を衰退させる」と説く。

 第2部はユビキタス社会とICタグ、第3部は監視カメラとバイオメトリクス(生体認証)を取り上げ、「安全」「便利」の謳い文句の影で、我々の個人情報が企業と国家に吸い上げられている状況を明らかにする。

 吸い上げられた個人情報が、悪意ある使われ方をする恐れは十分にあるが、それ以上に著者が恐れるのは、「プライバシーへの介入」や「監視」が一般化した社会で、我々の内面に起きる「道徳面での微妙な変容」である。人々は、目に見える強制がない場合でも自然と「リスク回避」的になり、抑制された行動を選択するようになる。さらに、技術が提供する客観的な証拠が、人間どうしの「信用」を作り出すようになると、証拠のない人間関係は全て「不信」に置き換わってゆく。

 本書は、国内外の法令・訴訟・市民運動など、具体的な事例を多数あげていて、非常に勉強になった。実際のところ、監視カメラやICタグは、私のような普通の仕事をしている人間にも、否応なく身近になっている問題である。「安全」「便利」「快適」と引き換えに、我々は、思考と行動の主体を売り渡そうとしているのか。流れはもう止まらないのかも知れないが、せめて、しっかり目を開けて、起ころうとしている事態を見きわめておきたい。

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