見もの・読みもの日記

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膨らむ大学院/高学歴ワーキングプア(水月昭道)

2008-09-11 22:28:11 | 読んだもの(書籍)
○水月昭道『高学歴ワーキングプア:「フリーター生産工場」としての大学院』(光文社新書) 光文社 2007.10

 昨年、本書を見たときは、高等教育が大衆化すれば、そりゃあ高学歴ワーキングプアだって出てくるよ、と思って、あまり関心を払わなかった。けれども、雑誌『現代思想』2008年9月号「特集・大学の困難」を読んで、どうも高学歴(=大学院卒)ワーキングプアの大量発生には、構造的要因があるらしい、と悟り、本書を読んでみた次第である。

 話は、平成3年(1991)、大学院重点化のスタートにさかのぼる。従来の国立大学は、学部を基礎に教育研究組織が作られ、大学院は学部に付属するものとされてきた。これを逆転し、学部は大学院に付属するものとみなす、というのが大学院重点化である。表向きは、教育研究の高度化という理念が掲げられたが、実際のところ、各大学が飛びついたのは、大学院重点化を行うと、国から支給される校費が増える(最大25%)という役得であった。かくして、本来、大学院が必要ではなかった大学にも、次々と大学院が設置され、定員を満たすために、大学院に行く必要になかった学生の囲い込みが行われるようになる。その結果、平成3年(1991)には10万人だった院生が、平成16年(2004)には24万人に達したという。

 著者は推理する。平成3年(1991)は、翌年に18歳人口のピークを迎え、急激な人口減が後に続こうとする年だった。進学率が上昇しているため、大学・短大の進学者数はゆるやかな減少に留まるが、それでも、このままでは、多くの大学の経営が立ち行かなくなる。それなら、学部進学者の減少分を大学院進学者によって補填すればいい。要するに、大学院重点化とは「文科省と東大法学部が知恵を出し合って練りに練った、成長後退期においてなおパイを失うまいと執念を燃やす”既得権維持”のための秘策だった」と著者は結論する。そのために使い捨てられたのが若者たちというわけだ。

 ただし、本書の記述には納得できないところもある。非常勤と専任の格差を説明して「(専任教員の場合)授業準備に使用する資料や書籍代は、大学の経費ですべて賄われる」とあるが、専任の教授・助教授といえども、そんなに優遇されているのはごく一部の大学ではないか(少なくとも、私の知る国立大学の実態とは合わない)。それから、若手研究者の発言として「50代なのに私よりも論文の発表数が少ない先生も少なくありません」というのもどうか。博士号取得が必須化し、研究業績の可視化を強いられている若手研究者たちが、旧世代にウラミをつのらせる気持ちは分かるが、論文の本数では測れない学識・研究があることも事実だと思う。

 法人化以降、国立大学は盛んに「サービス」を言うようになった。けれども、多くの場合、大学が提供するサービスの対象は、正規メンバー(メンバーシップを持っている間)に限られる。だが、博士号を取っても就職待ちという状況が、ここまで一般化した今日、卒業生に対しても、在学生と同程度の継続的なケア(たとえば、研究資源の提供)を、大学は本気で考えるべきではないか、と思った。

 そもそも、院と学部の入学者数が逆転しているという現状にさえ、私には初耳だった。東京大学のホームページを見に行ったら、平成19年(2007)の学部入学者は3,150名、大学院修士課程・専門職学位課程の入学者は3,431名(東大出身者と他大出身者がほぼ半々)である。大学院生が増えたとは聞いていたが、ここまで事態が進行しているとは気づいていなかった。この変化に即応して、既存の学生サービスをどう組み直していくかという問題は、学内で議論されていたんだろうか。寡聞にしてよく知らない。

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