見もの・読みもの日記

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専門職という生き方/天地明察(冲方丁)

2010-05-02 23:55:46 | 読んだもの(書籍)
○冲方丁『天地明察』 角川書店 2009.12

 2010年本屋大賞受賞作。ニュースを聞いたときは、え?と耳を疑った。私はあまり小説を読まないほうだが、今、何が売れているかくらいは把握しているつもりだった。ところが、全くノーチェックだった作品が大賞に決まり、その内容が、天文学者・渋川春海を主人公にした時代小説だという。シブい。シブすぎる。一体どうして、そんな設定から、全国の書店員を魅惑する作品が生まれたのか? 読み始めて、謎はすぐに解けた(ような気がした)。

 物語の始まり、渋川春海(別名、二世安井算哲)は、22歳の「まだ何者でもない」青年として現れる。囲碁の家元・安井家に生まれ、御城碁(将軍御前での対局)にも出仕を果たしているが、形式化した上覧碁に飽き、算術や暦術に、ふらふらと定まらない関心を寄せている。気のやさしい春海は、正面切って不満を述べたり、他人に鬱屈をぶつけたりはしない。しかし、胸の底には「退屈でない勝負」への渇望を抱えている。このモラトリアムぶりが、なんとも、いまどきの若者っぽいのである。

 あるとき春海は、渋谷の金王八幡社に捧げられた算額絵馬を媒介に、関孝和という人物を知り、算術勝負を挑むが、答えのない「病題」を出題してしまい、大失敗をする。しかし、天運は彼を見捨てない。老中酒井忠清の命によって、全国を巡る北極(星)出地の観測隊に加えられた春海は、建部昌明、伊藤重孝という二人の老人に出会い、測地・天文の学の奥深さと楽しさを教えられることになる。

 この二人の造型がいい。今の若者が出会いを求めている師匠は、正にこういう人たちなんじゃないかと思う。社会の標準的な評価軸(地位とか収入とか)からは外れたところで、しかし、自分の好きなことに真剣に打ち込み、年齢を度外視して精進を続けている。春海もまた、彼らの生き方に従っていくわけだが、「専門職」という生き方が忘れられて、のっぺりした「キャリア」「リーダー」ばかりが語られる時代だからこそ、本作が新鮮な感動を呼ぶのではないかと思った。あと、この二人が春海の「大失敗」を慈しむ姿勢にもほっとする。

 ただし、その青年期は、職業選択に悩む普通の若者として、読者の共感を呼ぶ描き方をされている春海だが、本当は、とんでもない大天才なのである。その成し遂げたことのすごさは、本作を最後まで読むと理解できる。何と言っても、地球の公転軌道が楕円であり、しかも近日点が移動することを発見する下りは白眉である。他人から聞いたり、本から学ぶ学問ではなくて、数理を究め、計算し尽くすことによって、たった一人で、誰も見たことのない「真理」に達するって、どんな気持ちなんだろう。文系の人間には、生涯分からない感覚だろうなあ…。

 保科正之、水戸光国、山崎闇斎など、登場人物はいずれも魅力的。読後感のさわやかさは、悪人が出てこないせいもあるかもしれない。それから、こんな小説を見出す日本の書店員の眼力にも拍手。

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2 コメント

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良書、ご紹介感謝 (renqing)
2010-05-05 16:15:52
またしても、よい本をご紹介戴き感謝です。
Amazon.co.jpに、著者の自著紹介ビデオがついてました。十六歳から渋川春海について考えていたそうです(う~ん、渋すぎ)。既にご存知かと思いましたが、念のため。
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renqing様 (jchz)
2010-05-05 22:00:00
情報、ありがとうございます。
若い世代の書く時代小説っていいですね。
著者の新作『光圀伝』も気になってます。
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