見もの・読みもの日記

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秘仏と書画の旅(3):文人たちの東アジア

2006-10-01 08:00:31 | 行ったもの(美術館・見仏)
○大和文華館 『文人たちの東アジア-詩書画がつなぐ中国・朝鮮・日本-』

http://www.kintetsu.jp/kouhou/yamato/index.html

 東アジア文人の書法と絵画を、国際性と交流の視点から見直すという展覧会である。中国・朝鮮・日本の作品を中心に、少数だが、沖縄(琉球)の絵画やベトナム(安南)人の書も展示されている。

 初めは、これは日本人の作だ、という「和臭」を嗅ぎ分けようと思っていたが、途中で馬鹿馬鹿しくなってやめてしまった。呉俊卿の『葫蘆図』(中華民国時代)と富岡鉄斎の『歳朝図』なんて似てるなあ。画風だけでなく、字体まで似ている。

 印象に残った作品のひとつは、李継祜筆『葡萄図』(朝鮮中期)。大きく弧を成す蔓状の枝と、やわらかなレースのような葉が、薄墨で描かれ、ところどころに小さな房がのぞいている。つややかな実の熟れ具合は、何段階かの墨の濃淡で表現されている。

 すぐに伊藤若冲の『葡萄図』を思い出した。先日のプライス・コレクション展で見た『葡萄図』というより、承天閣美術館にある、鹿苑寺大書院襖絵の『葡萄図』である。いや、本質的には、そんなに似ていないのかもしれないが、私は、初めて若冲の襖絵を見たとき、へぇー葡萄なんて、ずいぶんモダンなもの(もしくは、日本の伝統離れしたもの)を描くなあ、と思ったのだ。しかし、本展の解説によれば、「墨葡萄(←テクニカルタームらしい)は、梅竹蘭菊と並んで、文人画の重要なジャンルとして、朝鮮初期よりしばしば描かれた」のだそうだ。初めて知った。

 『台湾征討図巻』は、乾隆帝の武功を讃えるためにつくられた銅板画である。誇張された軍船と海の表現が面白い。もとは由緒正しい清朝貴族の家に伝わったものが、義和団事件以降、売りに出されたのだろう。明治維新の後、没落した大名家の家宝が、次々と市場に出たのに似ている。1枚ものを継いで巻子のかたちに仕立てているが、一部錯簡があるそうだ。以上、日曜講座の塚本さんの話。

 『閻相師像』は、朗世寧(カスティリオーネ)筆と伝えられ、西洋画ふうの写実的な筆致で、巨大な画幅に、精悍な武人像が描かれている。乾隆帝は、周辺民族との戦闘における功臣を讃えて、中南海(紫禁城の西側)にある紫光閣という建物に百幅の肖像を懸けさせたそうだ。

 以下も塚本さんの受け売りだが、1900年、八国連合軍の北京侵攻の際、兵士たちは「抜け駆け」を禁止するため、「紫禁城内の文物は持ち出さない」という紳士協定を結んだそうだ。その結果、紫禁城内の文物は、比較的散逸を免れたが、それ以外の地域にあったものは、あらかた略奪されてしまった。中南海の紫光閣も例外ではなく、この功臣像は、世界各地の美術館に散らばっているという。

 それから、方士庶の『山水画冊』にも惹かれた。初めて見る名前だと思うが、雍正年間の人らしい。点描のような、たどたどしい、神経質な筆の運びで、現実とは隔絶した幻想的な山水を描いている。画冊には、内藤湖南の題字、羅振玉、長尾雨山(→”支那ハイカラ”と呼ばれた。私と同様、この名前を初めて聞くという人は、こちらを必読)の跋あり。

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