○江戸東京博物館 『江戸の学び:教育爆発の時代』展
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
いま、ちょうど教育史関係の読みものにハマっているわけだが、それと符丁を合わせたように、江戸の教育事情に焦点を合わせた展覧会である。キャッチフレーズは「今こそ寺子屋に学べ!」。
江戸時代の教育事情というのは、本当のところ、よく実態が分からない。寺子屋制度のおかげで、初等教育の普及は世界に冠たる水準を誇り、文盲はほとんどいなかった、という話も聞くが、これはどうも胡散臭い。確かに、江戸時代には様々な娯楽読みものが出版され、浮世絵の中では、女性も本を手に取っているし、街の看板は文字だらけである。しかし、農村では、文字の読めない人のために「めくら暦」という絵暦も作られていたし、山本武利の『新聞と民衆』によれば、明治期の調査で、自分の姓名を書けない者が3~5割いたと言う。地域差が大きかったのか。あるいは男女差、階級格差というのはどうなのか?
真実はどのあたりにあるのか、訝りながら、この展示を見に行った。会場に入るとすぐ、雛壇のような展示ケースに150冊ほどの和本が並んでいる。壮観! 全て「往来物」といって、寺子屋で使用された初等教科書である。
最初のセクションは、寺子屋教育を主題にしている。浮世絵には、意外なほど、女性の手習い教師や女子生徒が描かれていることに驚く。ふぅーん。初等教育では男女の別って、あまり意識されなかったのかな。ただし、女性教師というのは江戸だけの風俗だったそうだ。
面白かったのは、埼玉の寺子屋教師、大野雄山が残した『文吉行作日記帳』。文久3年、数えの10歳で入門した文吉という少年が、どうしようもない不届き者で、朋友と喧嘩し、机の上を駆け歩いたり、机の下で昼寝したりのやりたい放題。雄山の日記には「この日も一字も習わず」「この日も本を読まず」という、困惑と愛情の混じった文言が並ぶ。展示を食い入るように見入っていた初老のおじさんは、もしかしたら現役の教師だろうか。
寺子屋を描いた絵画資料では、多くの子供たちが、机の上に飛び乗り、筆を振り回して、のびのびと遊んでいる。もちろん絵画的誇張はあるにしても、当時の日本人が「理想の子供」をどのように考えていたかが窺えて、興味深い。渡辺京二の『逝きし世の面影』にも、外国人から見た日本は「子供の王国」だった、という記述があったことを思い出す。
次に、江戸時代の庶民と文字のかかわりを示す、様々な資料が並ぶ。読み本、引き札(広告)、看板、暦、俳諧などはともかくとして、桐生市の旧家に伝わった「放火の予告状」にはびっくりした(桐生市図書館蔵)。実際に商家の門だか軒先だかに、貼り付けられたものらしい。たどたどしさが、かえって怖い。一揆の直訴状というのもすごいものだ。命懸けの気迫が書面から立ち上がってくる。これも違った意味で「書の至宝」と言えるかも知れない。
さて、18世紀末に行われた松平定信の「寛政の改革」といえば、緊縮財政と風紀取締りが主眼だと思っていたが(日本史には弱いのである)、「学問吟味」と称して、旗本・御家人層を対象に漢学の試験を実施し、成績優秀者を登用することが構想されたと言う。ちなみに、大田南畝はこの学問吟味に及第し、戯作者をやめて役人になった。かくて、この展示会の結びは、生活のため、勤勉を強いられる社会が始まり、「学びを楽しむ文化」が失われたことを惜しむ文言で終わっている。
そうか。「立身出世の近代」は、明治維新から、いきなり始まるものではなく、少なくとも武士階級においては、江戸時代の後期から準備されていたのだなあ。
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
いま、ちょうど教育史関係の読みものにハマっているわけだが、それと符丁を合わせたように、江戸の教育事情に焦点を合わせた展覧会である。キャッチフレーズは「今こそ寺子屋に学べ!」。
江戸時代の教育事情というのは、本当のところ、よく実態が分からない。寺子屋制度のおかげで、初等教育の普及は世界に冠たる水準を誇り、文盲はほとんどいなかった、という話も聞くが、これはどうも胡散臭い。確かに、江戸時代には様々な娯楽読みものが出版され、浮世絵の中では、女性も本を手に取っているし、街の看板は文字だらけである。しかし、農村では、文字の読めない人のために「めくら暦」という絵暦も作られていたし、山本武利の『新聞と民衆』によれば、明治期の調査で、自分の姓名を書けない者が3~5割いたと言う。地域差が大きかったのか。あるいは男女差、階級格差というのはどうなのか?
真実はどのあたりにあるのか、訝りながら、この展示を見に行った。会場に入るとすぐ、雛壇のような展示ケースに150冊ほどの和本が並んでいる。壮観! 全て「往来物」といって、寺子屋で使用された初等教科書である。
最初のセクションは、寺子屋教育を主題にしている。浮世絵には、意外なほど、女性の手習い教師や女子生徒が描かれていることに驚く。ふぅーん。初等教育では男女の別って、あまり意識されなかったのかな。ただし、女性教師というのは江戸だけの風俗だったそうだ。
面白かったのは、埼玉の寺子屋教師、大野雄山が残した『文吉行作日記帳』。文久3年、数えの10歳で入門した文吉という少年が、どうしようもない不届き者で、朋友と喧嘩し、机の上を駆け歩いたり、机の下で昼寝したりのやりたい放題。雄山の日記には「この日も一字も習わず」「この日も本を読まず」という、困惑と愛情の混じった文言が並ぶ。展示を食い入るように見入っていた初老のおじさんは、もしかしたら現役の教師だろうか。
寺子屋を描いた絵画資料では、多くの子供たちが、机の上に飛び乗り、筆を振り回して、のびのびと遊んでいる。もちろん絵画的誇張はあるにしても、当時の日本人が「理想の子供」をどのように考えていたかが窺えて、興味深い。渡辺京二の『逝きし世の面影』にも、外国人から見た日本は「子供の王国」だった、という記述があったことを思い出す。
次に、江戸時代の庶民と文字のかかわりを示す、様々な資料が並ぶ。読み本、引き札(広告)、看板、暦、俳諧などはともかくとして、桐生市の旧家に伝わった「放火の予告状」にはびっくりした(桐生市図書館蔵)。実際に商家の門だか軒先だかに、貼り付けられたものらしい。たどたどしさが、かえって怖い。一揆の直訴状というのもすごいものだ。命懸けの気迫が書面から立ち上がってくる。これも違った意味で「書の至宝」と言えるかも知れない。
さて、18世紀末に行われた松平定信の「寛政の改革」といえば、緊縮財政と風紀取締りが主眼だと思っていたが(日本史には弱いのである)、「学問吟味」と称して、旗本・御家人層を対象に漢学の試験を実施し、成績優秀者を登用することが構想されたと言う。ちなみに、大田南畝はこの学問吟味に及第し、戯作者をやめて役人になった。かくて、この展示会の結びは、生活のため、勤勉を強いられる社会が始まり、「学びを楽しむ文化」が失われたことを惜しむ文言で終わっている。
そうか。「立身出世の近代」は、明治維新から、いきなり始まるものではなく、少なくとも武士階級においては、江戸時代の後期から準備されていたのだなあ。
近代社会の胎動まで理解していただければ、今回の展示はある意味成功といえます。
今日も別の特集展示を見に行ってきました。
閉館すれすれの1時間しかなかったのですが、楽しめました。
帰りは雨に降られちゃいました。売店でビニール傘売ってほしいです。