○湯浅邦弘『諸子百家:儒家・墨家・道家・法家・兵家』(中公新書) 中央公論新社 2009.3
近年、近代中国史の面白さにすっかりハマった感があるが、もともと私は古代哲学や古代文学から、中国びいきになったのである。本書の標題を見たときは、ほのかな懐かしさを感じて手に取った。本書は、副題のとおり、儒家(孔子、孟子)・墨家(墨子)・道家(老子・荘子)・法家(韓非子)・兵家(孫子)の思想を解説したもの。興味深いのは、近年の考古学的発見と研究の成果が、多数紹介されている点だ。
私が中国の古代哲学に興味を持った頃、それはもちろん1970年代以降の話だが、当時、気軽に手に取れた本は、吉川幸次郎とか金谷治とか「大家」の校註で、20世紀の初め、敦煌で発見された古写本の衝撃が「最新」の話題だった。
ところが、1970年代以降、中国では「まとまった古代文献がほぼ完全な姿」で出土するという発見が相つぐ。代表的なものは、1972年、山東省臨沂県で発見された「銀雀山漢墓竹簡」。『孫子兵法』『孫臏兵法』『六韜』などの古代兵書がまとまって発見された。読みながら、あ、この竹簡博物館へは行ったぞ、と思い出した。山東省ツアーは、2002年くらいだったかなあ…。さらに1973年、湖北省の長沙馬王堆漢墓からは前漢時代の『老子』の写本2種が、1975年、湖北省の雲夢県睡虎池秦墓からは秦帝国の法治の実態を示す文書が見つかり、90年代に発見された郭店楚簡・上博楚簡には、戦国時代の「知られざる思想文献」が大量に含まれていたという。紀元前の思想研究が、まだこんなふうにダイナミックに動揺する余地を残しているのだから、すごいものだ。
「新出土資料」から分かったことは、たとえば孟子の再評価である。「亜聖」孟子は「先聖」孔子に直結する思想家ではなく、多くの刺激的な思想に触れながら、彼の思想体系を形成したと考えられる。また『老子』が魏晋以降の偽作とする説も完全に否定されたし、諸子百家の時代には、『老子』『荘子』以外にも豊かな道家系の思想が生み出されていたことも分かってきた。
原テキストを面白いと思ったのは、初めてその一端に触れた『墨子』と『孫子』である(語孟・老荘はむかし全文を読んだ)。ただし、著者も言うように『墨子』の文章は、恐ろしくくどい。これじゃあ、どんなに内容が独創的でも、失われなかったのが奇跡みたいなものだ。対照的に、『孫子』は美文だな~。『韓非子』も乾いた散文の名篇だが、『孫子』は流麗な詩文に近い。「戦わずして勝つ」を最善とする『孫子』であるが、しめくくりに置かれているのは「火攻篇」であり、火攻めという特殊技術が重視されていたことが分かる。そして「火を発するに時有り、火を起こすに日有り」という文言で、火攻めにおける自然条件の重要性を説いている。本書を読んだあとで、映画『レッドクリフ Part2』を見ると、孫子もびっくりだろうなあ、と苦笑させられるが。
近年、近代中国史の面白さにすっかりハマった感があるが、もともと私は古代哲学や古代文学から、中国びいきになったのである。本書の標題を見たときは、ほのかな懐かしさを感じて手に取った。本書は、副題のとおり、儒家(孔子、孟子)・墨家(墨子)・道家(老子・荘子)・法家(韓非子)・兵家(孫子)の思想を解説したもの。興味深いのは、近年の考古学的発見と研究の成果が、多数紹介されている点だ。
私が中国の古代哲学に興味を持った頃、それはもちろん1970年代以降の話だが、当時、気軽に手に取れた本は、吉川幸次郎とか金谷治とか「大家」の校註で、20世紀の初め、敦煌で発見された古写本の衝撃が「最新」の話題だった。
ところが、1970年代以降、中国では「まとまった古代文献がほぼ完全な姿」で出土するという発見が相つぐ。代表的なものは、1972年、山東省臨沂県で発見された「銀雀山漢墓竹簡」。『孫子兵法』『孫臏兵法』『六韜』などの古代兵書がまとまって発見された。読みながら、あ、この竹簡博物館へは行ったぞ、と思い出した。山東省ツアーは、2002年くらいだったかなあ…。さらに1973年、湖北省の長沙馬王堆漢墓からは前漢時代の『老子』の写本2種が、1975年、湖北省の雲夢県睡虎池秦墓からは秦帝国の法治の実態を示す文書が見つかり、90年代に発見された郭店楚簡・上博楚簡には、戦国時代の「知られざる思想文献」が大量に含まれていたという。紀元前の思想研究が、まだこんなふうにダイナミックに動揺する余地を残しているのだから、すごいものだ。
「新出土資料」から分かったことは、たとえば孟子の再評価である。「亜聖」孟子は「先聖」孔子に直結する思想家ではなく、多くの刺激的な思想に触れながら、彼の思想体系を形成したと考えられる。また『老子』が魏晋以降の偽作とする説も完全に否定されたし、諸子百家の時代には、『老子』『荘子』以外にも豊かな道家系の思想が生み出されていたことも分かってきた。
原テキストを面白いと思ったのは、初めてその一端に触れた『墨子』と『孫子』である(語孟・老荘はむかし全文を読んだ)。ただし、著者も言うように『墨子』の文章は、恐ろしくくどい。これじゃあ、どんなに内容が独創的でも、失われなかったのが奇跡みたいなものだ。対照的に、『孫子』は美文だな~。『韓非子』も乾いた散文の名篇だが、『孫子』は流麗な詩文に近い。「戦わずして勝つ」を最善とする『孫子』であるが、しめくくりに置かれているのは「火攻篇」であり、火攻めという特殊技術が重視されていたことが分かる。そして「火を発するに時有り、火を起こすに日有り」という文言で、火攻めにおける自然条件の重要性を説いている。本書を読んだあとで、映画『レッドクリフ Part2』を見ると、孫子もびっくりだろうなあ、と苦笑させられるが。