見もの・読みもの日記

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律儀な「中心の空虚」/明治天皇(笠原英彦)

2006-08-09 23:36:58 | 読んだもの(書籍)
○笠原英彦『明治天皇:苦悩する「理想的君主」』(中公新書) 中央公論新社 2006.6

 この1年ほど、明治マイブームが持続している。おかげで、「高校で日本史を習わなかった」ことが、もはや信じられないほど、明治の人々が身近になってしまった。文学者、ジャーナリストから、政治家、軍人まで。かつては、お札の肖像や教科書のゴチック体活字でしかなかった人々が、それぞれ機知と人情に富み、理想を追ったり絶望したり、泣いたり笑ったりしながら生きていたということが、分かるようになった。

 そんな中で、どうもよく分からないのは、明治天皇という人物である。昭和天皇については、多すぎるほどのエピソードが語られているし、大正天皇も、原武史さんの『大正天皇』(朝日選書, 2000)のおかげで、かなり人間的なイメージが描けるようになった。しかし、明治天皇については――ほとんど何も思い浮かぶことがない。体は大きかったのか、挙措に特徴はあったのか、どんな声をしていたのか。もしも顔を合わせたら、好きになれる人物かどうか。そんな、つまらないことが知りたくて、本書を手に取ってみたのである。

 しかし、期待はあまり満たされなかった。本書は、明治という時代を知る概説書としては悪くないと思う。しかし、舞台前面で八面六臂の活躍をするのは、やっぱり大久保利通であり、伊藤博文であり、あるいは、立憲制の立役者、井上毅である(著者の「逸材」井上に対する評価は非常に高い)。それに引き換え、明治天皇は、あたかも舞台の背景に据えられた「書割り」のようだ。相変わらず、肉声を発するどころか、瞬きひとつしない肖像画のイメージを超えるものがない。

 そんな中で、わずかな手がかりに感じられたのは、明治天皇の侍補(じほ=天皇の補佐・指導役)をつとめた儒学者、元田永孚の影響である。元田らは、天皇の親裁体制の確立を目指し、伊藤博文ら政府と対立した。たとえば、政府の頭ごなしに起草・発布された教育勅語とか(この対立軸においては、伊藤は、きわめて開明的なリベラリストに見える)。

 明治天皇が、政治にかかわることを君主の務めと考え、晩年まで精励したのは、元田に学んだ儒学的素養が大きいのではないかと思う。日清戦争の開戦時、「今回の戦争は朕素より不本意なり」と明言したことに対し、著者が「儒学の国と事を構えることを忌避したのではないか」と推測しているのは興味深い。その一方、神事には意外なほど不熱心で、大事な年中行事も、しばしば代参で済ませたという。

 しかしまた、明治天皇は、新政府に不満を抱いていた元田永孚らが期待したような「天皇親政」を目指しはしなかった。彼は彼なりに「立憲制」というものを理解し、能動的な(専制的な)君主であることを抑制し、「よき立憲君主」の立場を模索していたように思われる。誠実というか、律儀というか。さぞストレスもあっただろうなあ、と、いくぶん同情を感じてしまった。

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