見もの・読みもの日記

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漢籍からたどる中国の伝統文化/慶応義塾図書館展示会

2007-01-29 21:54:41 | 行ったもの2(講演・公演)
○『義塾図書館を読む』講演会~井上進「漢籍からたどる中国の伝統文化」

http://www.maruzen.co.jp/home/tenpo/keio/keio_index.html

 丸善・丸の内本店ギャラリーで開かれている、慶応義塾図書館貴重書展示会に連動した講演会シリーズ。この貴重書展示会は、毎年開かれており、今年が第20回に当たる。しかし、会期が短いので、行き逃してしまうことのほうが多い。

 土曜日の朝、たまたまネットで「『華厳経』全60巻、唯一不明の巻14を発見」というニュースを見て、今年の展示会が始まっていたことを知った。そう言えば、昨年、『論語の世界』を見に行ったのもこの時期だったと思い出した。しかも、この日(1/27)は、最近読んだ『中国出版文化史』と『書林の眺望』の著者である井上進先生の講演があるらしい。急遽、講演会の時間に合わせて、出かけることに決めた。

 講演の内容は、著書に重なるところが多かったが、平易な語り口で、ときどき自由に脱線するところが面白かった。たとえば、唐代の典型的な書物は、上質な料紙に堂々とした楷書で筆写(1行17字が規範)された巻子本だった。時代が下っても、我々(東アジアの人間)にとって、書物の原初的な「聖性」は、巻子本という形態に結びついている。「だから、忍者が咥えるのは巻子本でしょ」というのは可笑しかった。なるほど。富の象徴として、銭や宝玉と一緒に描かれるのも巻子本だなあ。

 巻子本は、検索ができないし、途中から開くことができない。それは、元来、書物とは(学問とは)「読んで記憶するもの」であったためである。この伝統は、日本では急激に潰えてしまったが、中国では根強く残った。その実例として、講師は、留学当時、中国の大学生が、マルクスの大部な著作を「覚えてしまえばいいのさ」とこともなげに言っていたことを思い出すという。

 「日本の天平写経の質のいいものは、唐代の写経と見分けがつかない」とか「朝鮮版は明初の印本の雰囲気によく似ている(肥字、黒々とした版面)」とか、実物に即した話も面白かった。宋末~元~明初の刊本は正確な識別が難しいと聞いたときは、そんなものか、と思った。出版印刷史の教科書では、とりあえず分けているのに。内藤湖南は、宋末~元~明初を「ひとつの時代」と捉えているそうである。

 明末の商業出版の隆盛は、清代において途絶し、衰退してしまった。これは「必ずしも一般的見解ではない」が、前掲の著書で繰り返し述べられている講師の立場である。講演では、さらに興味深い指摘があった。すなわち、本国において衰退した明末の出版文化を、順調に発展させたのが日本だったのではないか。そのことが、近代以降の両国の運命を分けたのではないか――たぶん講師の胸の内でも、まだ整理し切れていない直感の断片を語ってくれたのではないかと思う。いつか、日中の出版文化史を俯瞰する著作を書いてほしいなあ、と思った。

 ふらりと出かけた会場だったが、偶然、知人に会って、講師の井上先生にお引き合わせいただけたのは望外の喜びだったことを付記しておく。なお、今年の展示品は、和書・洋書・漢籍が取り揃えられている。普通には、墨一色の和書や漢籍よりも、洋書の彩色写本の美しさに目を奪われるだろう。

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