見もの・読みもの日記

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モノとしての書物/中国明末のメディア革命(大木康)

2009-04-22 20:58:56 | 読んだもの(書籍)
○大木康『中国明末のメディア革命:庶民が本を読む』(世界史の鏡. 情報4) 刀水書房 2009.2

 中国の書物史を平易に語った楽しい1冊。年代順の格式ばった解説ではなく、東大文学部の「漢籍コーナー」で、本に囲まれて過ごした学生時代の思い出から始まる。なぜ、文学部に「漢籍コーナー」が必要か。それは、中国学では、儒学者・歴史家・文学者といった区別が不可能だからだ。ドイツ文学を学ぶ学生がドイツ哲学の本を参照したり、フランス史の学生がフランス文学の本を必要とすることは少ない。けれども中国の伝統的な学問にとって、ヨーロッパ流の学問の区分(哲学、史学、文学)は「身の丈に合わない」のである。

 漢籍コーナーでは、明代嘉靖元年(1522)以降に出版されたものは、自由に手に取ることができる。冷静に考えてみるとすごい話だ。日本で言えば大永2年、柴田勝家が生まれた年だという。西洋ではインキュナブラ(15世紀本)のほんのちょっと後だ。けれども東大に限らず、一般に中国書に関しては、嘉靖元年をもって貴重書かどうかの判断基準とする図書館が多いのだそうだ。もしも基準を引き下げて、たとえば明王朝の終わり(1644年=寛永21年/正保元年)としたら「貴重書庫はあふれかえってしまうだろう」という。

 私たちは、世界中の情報を一律に扱うことに慣れすぎてしまって、近代以前、世界の各地域には、それぞれ固有の「メディア革命」があったことを忘れてしまっている。加えて、何でも西欧が先陣を切って進んできたような思い込みも根強い。だが、「出版」に関しては、間違いなく中国こそが先進地域だった。

 著者は、『中国版刻綜録』(中国の主要な図書館が所蔵する漢籍の総合目録)を母集合として、刊行年代ごとの点数を数えてみた。すると、宋元から明末(960~1644)の700年間のうち、嘉靖期以降のおよそ100年間に、刊行点数の65%が集中しているという。明末以降、科挙受験生、中規模商人などの「中間層」が書物を購読するようになり、新刊書、通俗書、大規模な叢書など、出版物の種類も多様化した。

 「多・大・速」の出版ニーズに合わせて、書物の形態も変化した。宋版は、手間のかかる胡蝶装(粘葉装)が一般的だったが、明代半ばから、印刷面を外側にして折る「線装」が登場し(え、そんなに遅いのか)、版彫刻を効率化するため、「縦画を彫るものと横画ばかりを彫るものとを別人が行って、専門的に分業化する」体制がとられた。つくづく中国人って徹底している。そして、原稿用紙のマス目を埋めるような、没個性的な書体「明朝体」が誕生したのである。さらに、氾濫する図像、長編小説の誕生、士君子(知識人)の関与、評点の意味、歴史を遡って、出版と仏教の親近性など、漢籍の実物を目にしたことのある人間なら、膝を打つような面白い指摘が続く。いや、具体的な図版を多数収録しているので、実物を見たことがなくてもわかりやすいと思う。

 橋口侯之介さんの『和本入門』と『続・和本入門』と、あわせておすすめ。一生に何度出会うか分からない稀覯本のウンチクよりも、こういう大衆化した古書について知っておくほうが、何かと有用だと思う。日本の「メディア革命」(やっぱり化政期かな)との差異と類似点は、考えれば考えるほど面白い。中国の絵入り本は、挿絵と本文が隔絶している(分業?)のに対して、日本は一体化している、とか、中国では、日本の瓦版・錦絵のような摺りもの(1枚もの)はあまり発達しなかったのかなあ、とか。もっと知りたいこと多数。

 

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