○山下裕二、橋本麻里『驚くべき日本美術』(知のトレッキング叢書) 集英社インターナショナル 2015.10
いま日本美術をめぐって八面六臂の活躍を続けている、美術史家の山下裕二先生と美術ライターの橋本麻里さんの本。対談だと思って読み始めたら、ちょっと違った。あとで書店で付けてもらった包装を剥いでみたら、表紙(カバー)には、山下裕二「講師」・橋本麻里「聞き手」と、お二人の役割が小さく添えてあった。読みやすい対談スタイルで書かれているが、主に講義を受け持つのは山下先生である。
第一部では、日本美術に出会うためのポイントが示される。大事なのは「実物を見る」こと。印刷図版から受け取るイメージを裏切る大きさや色味を体験して驚くこと。障壁画であれば空間構成や光の変化も含めて体感すること(難しいけど)。そして、日本美術にアクセスするキーワードとして「生理的曲線」「筆ネイティブ」「美しい畸形」「泡沫」が示される。実際には、こう要約するとこぼれ落ちてしまうところに示唆に富むコメントがあり、具体的な作品と著者の体験が生き生きと紹介されている。カラー図版が豊富に掲載されているのもありがたい。しかも色味の再現にかなり気を使っていると感じられる。
長澤蘆雪の『白象黒牛図屏風』について、「屏風は真ん中から開いていくのです」という発言にはハッとした。そうすると、最初に目に入るのは中央の二扇(二面)なんだな。これからは「開ける」動きを想像して画面を見るようにしよう。また茶碗は飲んでみなければ分からないという話もよかった。長次郎の茶碗は「手の隙間」に合わせた造形だから手にぴったりくる。これに対して、光悦は「俺様茶碗」(笑)。好きだけどね。「音楽は何も経験がなくても、聴いた瞬間にすごいと思える。(略)でも美術は何の経験もなくて、いきなり感動できるものではないんです」と言いながら、知識や体験の蓄積を棚上げして虚心坦懐に作品に向き合うことの大切さを説く。なんだか禅の心得みたいだけど、共感する。
第二部は、山下先生の経験に寄り添いながら日本美術との出合い方を考える。これが非常に面白い。切手収集に熱中した少年時代から、『少年マガジン』で横尾忠則に出会い『ガロ』でつげ義春を知る。大学では授業に出ず、琴ばかり弾いていた。(音楽史学科がないので)美術史学科に進み、辻惟雄門下となる。大学院で、先行研究の少なかった式部輝忠についての論文を書き、これがアメリカでの『韃靼人狩猟図』発見につながる。のち出光美術館が購入し、現在は九州国立博物館の保管になっているという。出光美術館所蔵の能阿弥筆『四季花鳥図屏風』にもかかわる。美術史って、全く超俗的な研究に見えて、ある作品が美術館に所蔵される契機になるというかたちで、けっこう生々しく社会とかかわっているのだな。
1996年、赤瀬川原平さんと初めて会って「日本美術応援団」シリーズが始まる。この本の刊行が2000年。橋本麻里さんが触れているけど「こう見てヨシ!」という帯のコピーは強く印象に残っている。実は没になった回があるそうで、激怒させた相手は三十三間堂。ええ~その対談の記録、残っていないんだろうか。こっそり読みたい。ちなみに、みうらじゅん&いとうせいこうのお二人も、「見仏記」の取材で激怒させた相手があると話していたなあ。山下先生はみうらじゅん氏と同い歳で、若い頃から「まぶしい存在」として仰ぎ見てきたと語っている。
2002年に東博・京博で開催された「雪舟展」の開催準備が1996年から始まる。私はこの頃、朝日カルチャーか何かで山下裕二先生の講義を受講して「雪舟展では『慧可断臂図』をどーんと中央に置きたい」みたいな話を聞いた記憶がある。ところが「2002年が近づくにつれ、東博・京博の官僚的なところから僕にプレッシャーがかかって」「ああいう反国立博物館的な発言を繰り返しているような人間ははずせ」ということで、雪舟展の準備委員会から外されてしまう。へえ~国立博物館の裏側って、こういう政治的な闘争があるのか。気持ち悪い。
山下先生が自由にプロデュースしたという2000年の「GENGA」展、2002年の「雪村展」もよく覚えている。水墨画に全然興味がなかった私が、だんだんこのジャンルに引き入れられていったのは、これらの展覧会を通して、自由な楽しみ方を学んだことが大きい。2000年には京博で若冲展もあって、「日本美術に対する需要が決定的に変わった年」と位置づけられている。確か、若冲展が開かれる(でも東京に巡回はしない)という情報も、私は開催の1、2年前に山下先生の講義で聞いたはずだ。まだインターネットが日常化していなくて、口コミが重要だった時代。
最後は、空前の日本美術ブームの中で、誰も見に来なくていい、好きな作品だけを並べて解説も一切なし、という展覧会をやりたいという宣言で結ばれる。それって、近代の実業家コレクションのありかたが、かなり近いような気がする。本文には岡本太郎、会田誠、山口晃など現代美術にも言及あり。
いま日本美術をめぐって八面六臂の活躍を続けている、美術史家の山下裕二先生と美術ライターの橋本麻里さんの本。対談だと思って読み始めたら、ちょっと違った。あとで書店で付けてもらった包装を剥いでみたら、表紙(カバー)には、山下裕二「講師」・橋本麻里「聞き手」と、お二人の役割が小さく添えてあった。読みやすい対談スタイルで書かれているが、主に講義を受け持つのは山下先生である。
第一部では、日本美術に出会うためのポイントが示される。大事なのは「実物を見る」こと。印刷図版から受け取るイメージを裏切る大きさや色味を体験して驚くこと。障壁画であれば空間構成や光の変化も含めて体感すること(難しいけど)。そして、日本美術にアクセスするキーワードとして「生理的曲線」「筆ネイティブ」「美しい畸形」「泡沫」が示される。実際には、こう要約するとこぼれ落ちてしまうところに示唆に富むコメントがあり、具体的な作品と著者の体験が生き生きと紹介されている。カラー図版が豊富に掲載されているのもありがたい。しかも色味の再現にかなり気を使っていると感じられる。
長澤蘆雪の『白象黒牛図屏風』について、「屏風は真ん中から開いていくのです」という発言にはハッとした。そうすると、最初に目に入るのは中央の二扇(二面)なんだな。これからは「開ける」動きを想像して画面を見るようにしよう。また茶碗は飲んでみなければ分からないという話もよかった。長次郎の茶碗は「手の隙間」に合わせた造形だから手にぴったりくる。これに対して、光悦は「俺様茶碗」(笑)。好きだけどね。「音楽は何も経験がなくても、聴いた瞬間にすごいと思える。(略)でも美術は何の経験もなくて、いきなり感動できるものではないんです」と言いながら、知識や体験の蓄積を棚上げして虚心坦懐に作品に向き合うことの大切さを説く。なんだか禅の心得みたいだけど、共感する。
第二部は、山下先生の経験に寄り添いながら日本美術との出合い方を考える。これが非常に面白い。切手収集に熱中した少年時代から、『少年マガジン』で横尾忠則に出会い『ガロ』でつげ義春を知る。大学では授業に出ず、琴ばかり弾いていた。(音楽史学科がないので)美術史学科に進み、辻惟雄門下となる。大学院で、先行研究の少なかった式部輝忠についての論文を書き、これがアメリカでの『韃靼人狩猟図』発見につながる。のち出光美術館が購入し、現在は九州国立博物館の保管になっているという。出光美術館所蔵の能阿弥筆『四季花鳥図屏風』にもかかわる。美術史って、全く超俗的な研究に見えて、ある作品が美術館に所蔵される契機になるというかたちで、けっこう生々しく社会とかかわっているのだな。
1996年、赤瀬川原平さんと初めて会って「日本美術応援団」シリーズが始まる。この本の刊行が2000年。橋本麻里さんが触れているけど「こう見てヨシ!」という帯のコピーは強く印象に残っている。実は没になった回があるそうで、激怒させた相手は三十三間堂。ええ~その対談の記録、残っていないんだろうか。こっそり読みたい。ちなみに、みうらじゅん&いとうせいこうのお二人も、「見仏記」の取材で激怒させた相手があると話していたなあ。山下先生はみうらじゅん氏と同い歳で、若い頃から「まぶしい存在」として仰ぎ見てきたと語っている。
2002年に東博・京博で開催された「雪舟展」の開催準備が1996年から始まる。私はこの頃、朝日カルチャーか何かで山下裕二先生の講義を受講して「雪舟展では『慧可断臂図』をどーんと中央に置きたい」みたいな話を聞いた記憶がある。ところが「2002年が近づくにつれ、東博・京博の官僚的なところから僕にプレッシャーがかかって」「ああいう反国立博物館的な発言を繰り返しているような人間ははずせ」ということで、雪舟展の準備委員会から外されてしまう。へえ~国立博物館の裏側って、こういう政治的な闘争があるのか。気持ち悪い。
山下先生が自由にプロデュースしたという2000年の「GENGA」展、2002年の「雪村展」もよく覚えている。水墨画に全然興味がなかった私が、だんだんこのジャンルに引き入れられていったのは、これらの展覧会を通して、自由な楽しみ方を学んだことが大きい。2000年には京博で若冲展もあって、「日本美術に対する需要が決定的に変わった年」と位置づけられている。確か、若冲展が開かれる(でも東京に巡回はしない)という情報も、私は開催の1、2年前に山下先生の講義で聞いたはずだ。まだインターネットが日常化していなくて、口コミが重要だった時代。
最後は、空前の日本美術ブームの中で、誰も見に来なくていい、好きな作品だけを並べて解説も一切なし、という展覧会をやりたいという宣言で結ばれる。それって、近代の実業家コレクションのありかたが、かなり近いような気がする。本文には岡本太郎、会田誠、山口晃など現代美術にも言及あり。