見もの・読みもの日記

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鉄道梁山泊/日本初の私鉄「日本鉄道」の野望(中村健治)

2011-03-15 23:41:40 | 読んだもの(書籍)
○中村健治『日本初の私鉄「日本鉄道」の野望:東北線誕生物語』(交通新聞社新書) 交通新聞社 2011.2

 先々週、東京駅から奈良に向けて旅立つ際、手持ちの本がもうすぐ読み終わりそうなので、「保険」をもう1冊買って、新幹線に乗ろうと思った。構内のインフォメーションで「本屋はありますか?」と聞いたら、丸の内サウスコートの「HINT INDEX BOOK」を教えてくれた。小さな書店で、めぼしいエモノはないなあ、と思ったとき、眼に入ったのが本書。街の書店では見たことのない新書である。へえ、さすがエキナカの書店、と思って、買ってみた。

 標題にある「日本鉄道」の名前には覚えがあった。昨年秋に読んだ竹内正浩著『鉄道と日本軍』に出てきて、ええー近代日本には、そんなに早く”私鉄”があったの?とびっくりしたのだ。日本鉄道(にっぽんてつどう)は、1881(明治14)年に設立された日本初の私鉄である。東京から陸奥青森まで、つまり現在の東北本線を、10年かけて敷設したのはこの会社であった。本書は、その創立前夜から東北線全線開通までを、いくぶん小説仕立てに描いたものである。

 登場人物は、華族から鳶職人まで、多士済々である。そもそも東京~青森間の鉄道を構想したのは高島嘉右衛門という若い商人であったが、その願い出を聞き入れ、日本全土に鉄道網を建設するという野望のもと、日本鉄道設立の中心となったのは、岩倉具視。欧州視察で鉄道を見て以来、自分の鉄道会社を持つことが夢だった、というのは本当かどうか知らないが、こんなに鉄道に熱意を持った人物とは知らなかった。食えない策略家のイメージだったのに。しかも、このとき、既に政府の要職にあった50代というのがいいなあ。高島嘉右衛門も、実業家であると同時に易断家で、高島易断の祖という不思議な人物である。進歩派なんだか、好古家なんだか。

 まだ技術者養成が間に合わない中、鳶職出身の小川勝五郎は、外国人技師から独力で橋梁工法を盗むように研究し(すごい!)「鉄橋の小川」の異名を取るまでになる。利根川橋梁の完成時、行幸になった明治天皇はご満悦で、勝五郎らがお祝いに鉄橋から飛び込むのを笑顔で眺められた。…ほんとなのかな。いや、事実は小説より奇なり。

 仙石貢は面白いねえ。帝国大学出の工学士様なのに、むちゃくちゃな奇行と猛者ぶり。逆に現場叩き上げから、のちに工学博士になった長谷川謹介も。梁山泊の好漢たちみたいだ。日本の鉄道は、結局「酒とバクチの勢いで作られた」というが、欧州列強の帝国主義を最前線で主導した人々も、あんまり変わらないような気がする。

 敵役のポジションで登場するのが、鉄道は国有でなければならない、を信念としていた井上勝。ドラマにしたら、きっと面白いだろうなあ、と何度も妄想した。最後は、軌間(ゲージ)の統一が国益にかなう、という理由で、西園寺公望が「ヤミ討ち」的に鉄道国有法案を通し、日本鉄道会社は解散に至る。

 けれども、彼らの「夢の跡」は、今なお東北線のあちこちに残っている。東京近郊であれば、荒川鉄橋、利根川鉄橋。大宮がなぜ鉄道博物館の地に選ばれたかも了解した。東北線が仙台駅直前でC字型にカーブを切るわけ。盛岡駅前と旧市街を結ぶ開運橋。井上勝が、鉄道用地接収の「せめてもの償い」に発案した小岩井農場など。

 本書を読んでいる最中に、東北地方太平洋沖地震(東北関東大震災)が起き、甚大な被害状況が次第に明らかになってきている。しかし、必ず復興はするだろう。落ち着いたら、本書を手に東北線に乗りに行きたい。頑張ってくれ、東北。

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