見もの・読みもの日記

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老境に入る/月とメロン(丸谷才一)

2009-05-10 00:05:20 | 読んだもの(書籍)
○丸谷才一『月とメロン』 文藝春秋 2008.5

 雑誌『オール読物』2006年6月号から2007年9月号に連載されたもの。『双六で東海道』の続き。文中、歴史学者・服部之総のエッセイを紹介する段で、「戦前の随筆は無内容であったが」「戦後のそれは内容がなければ読んでもらへなかった」と書いている(正確には、むかし、そのように書いたことがある)という箇所を読んで、にやりとしてしまった。上記の引用の間には「ただし内田百間のそれは無内容の極を内容に変じた恐るべき芸」というカッコ付きの注釈が入る。

 私は「無内容の極」内田百間のエッセイが大好きだが、同時に「内容(知識)の極」みたいな丸谷エッセイも大好きである。丸谷エッセイのネタは、ほとんど読書から成っているが、その博捜ぶりも「恐るべき芸」と言っていい。今回、感銘を受けたのは、音楽学者・小泉文夫の『人はなぜ歌をうたうか』。首狩り族の音楽を調査するため、その部族を訪れる一部始終が書かれてる。この本を、怖がりながら紹介する著者の筆致が絶妙。もうひとつ、出版社の社史を紹介した段も面白い。引用されている、和田芳恵の書いた『筑摩書房の三十年』はすごい。ほとんど小説の文体である。

 1925年生まれの丸谷さんは、今年で84歳になられる。当然のことながら、丸谷さんと同時代を生きてこられた文筆家の多くが、既に鬼籍に入られている。本書によれば、「わたしには、ときどき本を肴に亡友と一杯やりたくなるといふ奇癖」があるそうだ。この本、向井敏ならどういうかしら、篠田一士なら…という具合。また、本書には、加藤周一と安部公房の在りし日のエピソードなども織り込まれている。

 そういえば「無内容」の内田百間も、自分より先に逝った友人(芥川龍之介とか宮城道雄とか)のことを書いたエッセイが多くて、珠玉作も多かった。全然スタイルは違うけれど、老年を生きるって、そういうことなのかもしれない。

 付記。このブログを書き始めて、まもなく5年が満了するが、これが「読んだもの」500件目のエントリーとなった。狙ったわけではないが、20代の頃から愛好している丸谷さんのエッセイで500件を達成するのも、きっと何かの縁で嬉しい。しみじみと祝杯。

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