見もの・読みもの日記

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アテネ民主政の経験に学ぶ/民主主義の源流(橋場弦)

2016-01-26 00:38:17 | 読んだもの(書籍)
○橋場弦『民主主義の源流:古代アテネの実験』(講談社学術文庫) 講談社 2016.1

 私が習った高校の世界史の先生は、ものすごいギリシア好きだった。神話、哲学、美術に文学、そして民主政治の歴史について、どんな受験参考書よりも詳しい講義をしてくれた。そんな過去もしばらく忘れていたのだが、昨年、高橋源一郎+SEALDsの『民主主義ってなんだ?』を読んだ。高橋源一郎氏が、心底うれしそうに古代ギリシアの民主制度について語るのを読んで、もう一度、ギリシアについて知りたいと思っていたところで、本書に出会った。

 本書はアテネ民主政の草創から廃止に至る約190年間の歴史を物語るもの。一般読者向けなので、センセーショナルな弾劾裁判に注目したり、「民会の一日」を具体的に描いてみたり、飽きない工夫が凝らされている。1997年刊行の『丘のうえの民主政:古代アテネの実験』(東京大学出版会)を改題・文庫化したものだが、これに先立つ1992年が、アテネに初めて民主政が樹立された前508年から数えて2500年目の節目であったことが冒頭に記されている。

 時系列順にまとめておくと、アテネに最初の政治的まとまりができたのはミケーネ時代(前16~12世紀)。専制的王政→暗黒時代を経て、前8世紀半ばに貴族政に移行し、前7世紀後半から平民層が力を得て民主化の歩みが始まる(ソロンの改革)。前561年、ペイシストラトスの僭主政の開始。アテネ市民は「一人の支配者の意のままに市民全員の生命が翻弄される恐怖政治」をいやというほど味わったあげく、二代目の僭主ヒッピアスを倒し、民主政を樹立した(クレイステネスの改革)。アテネ市民は、ふたたび僭主政の世の中に戻ることを警戒し、特定の個人に権力を集中させないシステムを作り上げた。オストラキスモス(陶片追放)では、罪状のあるなしにかかわらず「勢力が集まりすぎて僭主になる恐れのある者」として一定数の投票を集めた人物は追放された。これは…徹底した民主制度と呼ぶべきなんだろうか。

 前5~前4世紀、アテネ民主政の盛期を代表する指導者がペリクレスである。彼は選挙で選ばれた「将軍」で、軍事的専門職の最高位であると同時に、事実上、政治的な最高指導者でもあった。ペリクレスは計数に明るく、公私の区別に厳格だった。政敵のキモンは、親分肌で大衆に人気があったが、著者によれば「ギリシア人は一般的にこのような(注:親分子分的な)従属関係を嫌う」「貧しくとも独立自営を尊ぶのがポリス市民の生き方であった」そうで、日本社会の伝統カルチャーとは大きく違うなあと思った。

 ペリクレスはキモンの勢力をそぐため、「国家に流入する冨を、ある政治家個人の名においてではなく、国家の名において永続的に市民団に分配する」システムを整備する。裁判員の日当、民会の日当、さらには各種の公共事業など、国家による冨の再分配は健全な民主政を成立させる必須の条件であるのだ。

 ペリクレスは、不肖の息子に悩まされるなど、私生活はあまり恵まれなかった。最晩年にはペロポネソス戦争(スパルタとの戦争)を指揮する最中、伝染病の流行などの不運に見舞われ、公職者弾劾制度によって民衆裁判にかけられている。本書を読むと、古代ギリシアには晩年不遇に終わった政治家が多いように感じた。民衆の審判の厳しさは、暴君に劣らないのかもしれない。

 ペリクレスの死後、ペロポネソス戦争は泥沼化し、世界史の教科書には「デマゴーグの扇動によって、アテネ民主政は衆愚政に堕した」と説明されている。しかし、仔細に見れば寡頭政と民主政は一進一退で、前403年以降、民主政の再生が図られたことに著者は注目を促す。ペリクレスのような偉大な指導者の下、アテネ繁栄の日々のほうが、絵にも文学にもなりやすいが、本当に私たちが(今の日本の現状で)学ぶべきは、むしろこういう衰退の中の粘り腰かもしれない。

 民主政を立て直すために、アテネ市民が確認した原則のひとつは「法というものの地位を、そのときどきの民会の判断によっては容易に左右されない次元にまで高める」ということであった。ここは何度も読み返した。やっぱり民主政は立憲主義と相携えなければいけないのだと思う。

 それでも前4世紀の後半から、アテネ民主政は変質していく。評価は分かれるが、軍事や財政の専門家の登場。また、市民の公共意識の低下によって、「民主政転覆罪」という最大級の罪状が、どこにでもある軽犯罪の弾劾に用いられるようになる。悪口雑言を言い放ちながら「言論の自由」をたてにする人々の存在も記録されており、「このような人格にとって、民主主義とは人を誹謗中傷するための口実にすぎない」と著者は厳しい(昨今のヘイトスピーチみたい)。前322年、マケドニア軍の進駐によってアテネ民主政は滅ぶ。民主政はそれ自体に内在する欠陥によって自滅したというよりも、外部からの圧力を受けて崩壊したという説明が正しいのではないか、というのが著者の見解である。

 最後に著者も述べているが、古代ギリシアの民主政を、そのまま現代社会に当てはめることはできない。前提条件がいろいろと違いすぎる。しかし、現代の民主政を考え直すヒントもたくさん盛り込まれていると感じた。

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