見もの・読みもの日記

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震災と苦しみを超えて/語り出す奈良(西山厚)

2016-05-03 13:24:40 | 読んだもの(書籍)
○西山厚『語り出す奈良:118の物語』 ウェッジ 2015.10

 近所(茨城県)の書店で見つけて買った。京都の本は全国どこでも売っているけど、奈良の本は少し珍しいように思った。著者の名前にはもちろん覚えがあった。奈良国立博物館の学芸部長として、数々の特別展を企画された方である。本書を読んで、2014年春から帝塚山大学教授になられたことを知った。

 本書は毎日新聞奈良版に連載中のエッセイ「奈良の風に吹かれて」(2010年10月6日~2015年9月9日)に加筆修正したものとある。奈良の歳時記、懐かしい人々、博物館やマスコミの仕事、歴史上の人物や事件について、おおらかですがすがしい、奈良の風土そのままのような文章が綴られている。

 意図しないアクセントとなったのは、2011年3月の東日本大震災の体験を含むこと。本書は完全な時系列順でなく、内容によって編集し直されているので、その日が明確にどこだったかは知ることができない。ただ著者はあとがきで「書くことの意味をすっかり変えてしまうような事が起きた」と言い、震災の二日後、「風の谷のナウシカ」に触れた文章「大地との絆」を書いたことを明らかにしている。著者はテレビの報道を見続けながら、「大地との絆が失われた時代に、たったひとりで世界を救おうとする女の子の物語」である「風の谷のナウシカ」を思い出していたという。

 不思議だ。赤坂憲雄さん(1953-)も、確か震災の直後に「ナウシカ」を見たことを書いていた。調べたら、西山厚さんと同い年のようだ。1984年公開の「風の谷のナウシカ」は、この世代に強い哲学的な刻印を残しているのかもしれない。西山さんは、ナウシカからの連想で、大仏をつくった聖武天皇を思い、光明皇后を思い出す。悩み苦しみ、悲しみながら精一杯の人生を送った人々の物語と彼らの残した宝物が、奈良にはたくさんある。ああ、奈良の寺院や仏像の見方が少し変わるかもしれないと思った。

 西山さんは聖武天皇と光明皇后が本当に好き。あと鑑真和上も好きで、本書にはその「好き」な気持ちがあふれている。源頼朝が以仁王の令旨によって挙兵を決意したとき、観音菩薩の縁日である十八日には挙兵できないと思って悩む話は知らなかった。西山さんは「頼朝は武士ではない、と私は思う」と書いている。東大寺大仏殿再建の援助も、本当に心から願ってしたことなのだろうな。修二会の「過去帳」で頼朝の名前が読まれることにも納得。しかし、娘の大姫の幸せを願って果たせず(後鳥羽院に嫁がせようとして失敗)、京都の親幕勢力を失い、寂しい人生の幕切れを迎える。「頼朝のそういうところに、私は心ひかれる」と西山さんは語る。

 東大寺の修二会は、天平勝宝4年(752)以来、一度も途絶えることなく伝えられていることから「不退の行法」と呼ばれている。修二会に行くと、境内のアナウンスが必ず繰り返すキャッチフレーズで、本当か?と実はちょっと疑っていた。本書によると、何度も危機はあったのだそうだ。特に治承5年、前年暮れに平氏の焼打ちに遭ったあと、東大寺は全ての仏事を取りやめた。しかし、寛秀ら一部の僧侶が「お水取りだけは」と存続を主張し、「寺が復興した時、また始めればよいではないか」と考える執行部と対立。結局、十五人が「寺とは関わりなく」行法を執り行った。嘉禎二年(1236)は、その前年に興福寺と石清水八幡宮の間で相論が発生し、興福寺と東大寺は朝廷に圧力をかけるために仏事をとりやめた。しかし修二会だけはこっそり行われた。

 こういう記録を読んでいると、危機に及んで「歴史」や「伝統」を守れるのは、やっぱり現場の力しかないんだと感じる。そして、時の権力に抵抗する振舞いが、結果的に「伝統」として残ることもあるのだと。昭和20年3月13日の大阪大空襲の夜にも修二会は行われた。そして、2011年の東日本大震災の日も。私はあの年、震災の1週間前の3月4日に修二会を聴聞しており、震災が起きたあとも、たびたび東大寺のことを思っていた。本書には、震災の翌日、東大寺の北河原公敬別当が数万人の参詣者に対し、亡くなった人々のために祈ってほしい、と涙ながらに語りかけたことが記されている。練行衆にとっては、本当に深い苦悩の修法だったろう。2013年のETV特集「仏教に何ができるか」で、被災地を訪ねて歩く僧侶の活動が取り上げられたという話も興味深かった。僧侶というのは、私たち以上に苦しまなければならない人々なのだな。

 本書には、著者が博物館の仕事を通じて触れ合った子供たちの話も多い。その中には、肢体不自由児や言葉を解さない子供たちもいる。それでも著者は出かけて行って、一生懸命話をする。東大寺には障害をもつ子どもたちのための施設「整肢園」があって、東大寺の上司永照さんが語る「整肢園がダメになったら、東大寺はダメになると思っています」という言葉がある。ああ、こういう方がいらっしゃるから東大寺は好きだし、奈良は好き。

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