○羽田正『東インド会社とアジアの海』(興亡の世界史15) 講談社 2007.12
昨年12月に刊行された本ではあるが、たぶん今年読んだもののベスト3に入ると思う。そんな確かな手応えを感じた1冊である。
東インド会社はヨーロッパで生まれたが、その活動範囲は、インド洋、南シナ海、東シナ海に及ぶ。17~18世紀の間、この海域では多数の人とモノが行き交った。アフリカや新大陸を含め、初めて地球が一体化し、真の意味の「世界史」が生まれた時代だった。しかし、従来の歴史研究は、ヨーロッパ各国の東インド会社を単位とするか、アジア各国における東インド会社の影響を著述するというかたちでしか行われてこなかった。本書は、その枠を取り払って、200年間の世界全体の変化を書いてみようと志している。
この、あまりにも野心的な(無謀すぎる!)宣言を目にしたとき、私は胸のつまるような不安を感じた。しかし、著者は最後まで妥協のない記述を貫いている。その結果、地域の枠を超えた「世界史」の面白さを、私は初めて知ったように思う。
記述は、1498年3月、ヴァスコ・ダ・ガマの船団が、喜望峰を越えて東アフリカ海岸に到達したところから始まる。武力行使と暴力的な商取引によるポルトガル海上帝国(エスタード・ダ・インディア)の成立。しかし、1590年代、オランダ人は自ら東方航海に乗り出す。この動きは他国にも伝播し、イギリスに東インド会社が作られる。遅れてオランダ東インド会社、フランス東インド会社が発足する。この3社の経営形態(資本の集め方・国家の関与の度合い)は少しずつ異なった。
ポルトガル人は、マラッカを足がかりに東アジア海域に進出し、オランダ人、イギリス人もこれに続いた。しかし、ここはインド洋海域と異なり、陸上の帝国に支配された「政治の海」だったため、ヨーロッパ人の活動は、限定的なものに留まった。
17世紀の終わり、ムガル帝国の衰えによって政情不安が増したため、各国は軍事力を増強し、ついには東インド会社自体が、インドの政治・軍事に関与せざるを得なくなっていく。私は「東インド会社=アジア侵略の先兵」という悪玉イメージを強く描いていたのだが、どうもそうではないらしい。貿易会社本来の、利潤追求の立場からは避けたかったにもかかわらず、はからずも、インドの主権者の地位を獲得することに「なってしまった」のである。
このように、本書には、私の認識を覆す記述がしばしば見られた。たとえば、徳川政権下の日本は、「国」の内外を峻別し、主権を有する政府が貿易と対外関係に責任を持つという点で、北西ヨーロッパで誕生した「主権国家」にきわめて近い、という指摘もそのひとつである。
強い感銘を受けたのは、「近代ヨーロッパ」の捉え方。近代ヨーロッパとは、地理的な意味でのヨーロッパとそこに住む人々が独力で生み出したものではなく、地球規模で一体化した人々の活動、資源と産品の交流が総体として生み出した「世界全体の子供」であると著者はいう。いいな、この考え方。その後の100年いや200年を、われわれは近代ヨーロッパと対峙しながら生きている。その対峙相手を、全く異質な他者と認識する(→読んでないけど『文明の衝突』的認識)よりは、「われわれ、世界全体の子供」と認識するほうが、世界に希望を持てるように思った。
もっと細かいところでは、17~18世紀のヨーロッパでは肉の消費が減少した(原因は解明されていない)とか、イギリスでもオランダでも長きにわたって紅茶より緑茶が好まれたとか、江戸の粋をあらわす唐桟(とうざん)はインド産の平織縦縞の織物であるとか、興味深い話題に事欠かない。
著者の羽田正氏は東京大学東洋文化研究所教授。東アジアから西アジアまで、広範な地域研究の伝統を持つ同研究所から、生まれるべくして生まれた1冊とも言えよう。
昨年12月に刊行された本ではあるが、たぶん今年読んだもののベスト3に入ると思う。そんな確かな手応えを感じた1冊である。
東インド会社はヨーロッパで生まれたが、その活動範囲は、インド洋、南シナ海、東シナ海に及ぶ。17~18世紀の間、この海域では多数の人とモノが行き交った。アフリカや新大陸を含め、初めて地球が一体化し、真の意味の「世界史」が生まれた時代だった。しかし、従来の歴史研究は、ヨーロッパ各国の東インド会社を単位とするか、アジア各国における東インド会社の影響を著述するというかたちでしか行われてこなかった。本書は、その枠を取り払って、200年間の世界全体の変化を書いてみようと志している。
この、あまりにも野心的な(無謀すぎる!)宣言を目にしたとき、私は胸のつまるような不安を感じた。しかし、著者は最後まで妥協のない記述を貫いている。その結果、地域の枠を超えた「世界史」の面白さを、私は初めて知ったように思う。
記述は、1498年3月、ヴァスコ・ダ・ガマの船団が、喜望峰を越えて東アフリカ海岸に到達したところから始まる。武力行使と暴力的な商取引によるポルトガル海上帝国(エスタード・ダ・インディア)の成立。しかし、1590年代、オランダ人は自ら東方航海に乗り出す。この動きは他国にも伝播し、イギリスに東インド会社が作られる。遅れてオランダ東インド会社、フランス東インド会社が発足する。この3社の経営形態(資本の集め方・国家の関与の度合い)は少しずつ異なった。
ポルトガル人は、マラッカを足がかりに東アジア海域に進出し、オランダ人、イギリス人もこれに続いた。しかし、ここはインド洋海域と異なり、陸上の帝国に支配された「政治の海」だったため、ヨーロッパ人の活動は、限定的なものに留まった。
17世紀の終わり、ムガル帝国の衰えによって政情不安が増したため、各国は軍事力を増強し、ついには東インド会社自体が、インドの政治・軍事に関与せざるを得なくなっていく。私は「東インド会社=アジア侵略の先兵」という悪玉イメージを強く描いていたのだが、どうもそうではないらしい。貿易会社本来の、利潤追求の立場からは避けたかったにもかかわらず、はからずも、インドの主権者の地位を獲得することに「なってしまった」のである。
このように、本書には、私の認識を覆す記述がしばしば見られた。たとえば、徳川政権下の日本は、「国」の内外を峻別し、主権を有する政府が貿易と対外関係に責任を持つという点で、北西ヨーロッパで誕生した「主権国家」にきわめて近い、という指摘もそのひとつである。
強い感銘を受けたのは、「近代ヨーロッパ」の捉え方。近代ヨーロッパとは、地理的な意味でのヨーロッパとそこに住む人々が独力で生み出したものではなく、地球規模で一体化した人々の活動、資源と産品の交流が総体として生み出した「世界全体の子供」であると著者はいう。いいな、この考え方。その後の100年いや200年を、われわれは近代ヨーロッパと対峙しながら生きている。その対峙相手を、全く異質な他者と認識する(→読んでないけど『文明の衝突』的認識)よりは、「われわれ、世界全体の子供」と認識するほうが、世界に希望を持てるように思った。
もっと細かいところでは、17~18世紀のヨーロッパでは肉の消費が減少した(原因は解明されていない)とか、イギリスでもオランダでも長きにわたって紅茶より緑茶が好まれたとか、江戸の粋をあらわす唐桟(とうざん)はインド産の平織縦縞の織物であるとか、興味深い話題に事欠かない。
著者の羽田正氏は東京大学東洋文化研究所教授。東アジアから西アジアまで、広範な地域研究の伝統を持つ同研究所から、生まれるべくして生まれた1冊とも言えよう。
消印所沢と申します.
唐突にメールさせていただくご無礼をお許しください.
さて,このたび拙作サイト
「軍事板常見問題&良レス回収機構」
におきまして以下のQ&Aを作成する際,
貴ページを参考にさせていただきましたので,
報告させていただきます.
http://mltr.ganriki.net/faq11l.html#18404
引用の範囲内かと存じますが,
もし差支えがございますようでしたら,
遠慮なくお申し出いただければ幸いに存じます.
それでは今後ともよろしくお願い申し上げます.
草々