○竹内洋『丸山真男の時代:大学・知識人・ジャーナリズム』(中公新書) 中央公論新社 2005.11
昨年11月に刊行されて3刷。けっこう売れてるんだなあ。嬉しいことである。本書の内容は、先日読んだばかりの『大学という病』(中公叢書, 2001)と重なる点が多い。ただし、重点の置き方は明らかに異なる。前著の主題だった、戦前の右派勢力による帝大粛正運動は、本書では「おさらい」程度にとどまり、逆に前著では「補遺」的に扱われていた(でも十分示唆的で面白かった)丸山真男と戦後知識人の問題が、本格的に論じられている。
本書の意図は、「あとがき」の次の一文によって明確である。「丸山の言説を個人のものとして分析する(せまい意味での)思想研究ではなく、戦後の大衆インテリの世界の中で丸山の言説を読み解く知識社会学あるいは社会史的アプローチによって戦後日本論を書いてみたいと思ったのである」。いや、おもしろかったな~。私は面白い箇所に遭うと、心覚えにページの端を折っておくのだが、あんまり折り過ぎて、何がなんだか分からなくなってしまった。
本書が主に扱う時代は、戦後、丸山が「超国家主義の論理と心理」(『世界』1946年5月号)で鮮烈な論壇デビューを飾り、日本の知識人界の「参照の極」に押し上げられながら、60年代後半、全共闘学生による糾弾を受け、1971年に東大法学部を辞職、1996年に亡くなるまでである。半分くらいは、私が生まれて以降の同時代史なので、微かな記憶を刺激されるところが多々ある。「丸山真男」が日本の知識人を代表する名前だったことは、かなり幼い頃の記憶にある(小学生の頃?マンガを描くことが好きだった私は、知的でオシャレな女の子を描く小道具に、「丸山真男」の本を持たせていた。本当の話)。華やかだった学生運動も、もちろん覚えている。だが、本書を読んで初めて、それらの記憶に解釈の座標軸を得たように思う。
終戦直後の丸山は、1930年代に日本ファシズムが跋扈した原因の1つを、知識人と大衆の文化的断層に求め、ジャーナリズムを通じた大衆啓蒙戦略(在家仏教主義)をとる。それは60年安保闘争において成功(大衆の市民化)を収めたかに見えた。しかし、高度経済成長とともに、高等教育のインフレーションによる「知識人のプロレタリアート化」が始まる。大学教授に罵声を浴びせる学園闘争の根底には、「大学を卒業してもサラリーマンにしかなれない」世代の、知識人グループにおけるアウトサイダー意識、言葉を換えれば、既に特権を享受している大学知識人に対するルサンチマンがあったと言える。
同時に、戦後日本のアメリカ像は、初期の圧倒的な肯定から、次第に否定的なものに変わっていく。いわば、戦後日本の「養父」アメリカから「父離れ」を起こした日本は、「実母」日本の文化や価値観を再評価しようとする動きが起こる。「西洋人よりも西洋的」と言われた丸山が、「日本社会の病理」として否定した「思いやり」や「気がね」の論理が、すぐれた日本的システムとして賞賛されるようになる。
それでも、晩年の丸山は、長い間、生理的な嫌悪の対象だった日本的なるものと格闘し続け、日本の歴史意識の古層にあるものを「執拗な持続低音(バッソ・オスティナート)」という比喩で捉えた。私は大学生のとき、哲学科の学生でもないのに「日本倫理思想史」を聴講に行って、このタームを教わった記憶がある。当時も卓抜で美しい比喩だと思ったが、本書を読んで、丸山がこの一語に托した執念とも怨念ともつかないものを、強く肌身に感じるようになった。
丸山真男という思想家には、不徹底さも傲慢さもある。しかし、”下司(げ)びた心情があったからこそ、卓抜な日本社会論が書けた”という本書の指摘は、たぶん正しいと直感的に思った。この他にも、いろいろ面白い読みどころがあって飽きない。
昨年11月に刊行されて3刷。けっこう売れてるんだなあ。嬉しいことである。本書の内容は、先日読んだばかりの『大学という病』(中公叢書, 2001)と重なる点が多い。ただし、重点の置き方は明らかに異なる。前著の主題だった、戦前の右派勢力による帝大粛正運動は、本書では「おさらい」程度にとどまり、逆に前著では「補遺」的に扱われていた(でも十分示唆的で面白かった)丸山真男と戦後知識人の問題が、本格的に論じられている。
本書の意図は、「あとがき」の次の一文によって明確である。「丸山の言説を個人のものとして分析する(せまい意味での)思想研究ではなく、戦後の大衆インテリの世界の中で丸山の言説を読み解く知識社会学あるいは社会史的アプローチによって戦後日本論を書いてみたいと思ったのである」。いや、おもしろかったな~。私は面白い箇所に遭うと、心覚えにページの端を折っておくのだが、あんまり折り過ぎて、何がなんだか分からなくなってしまった。
本書が主に扱う時代は、戦後、丸山が「超国家主義の論理と心理」(『世界』1946年5月号)で鮮烈な論壇デビューを飾り、日本の知識人界の「参照の極」に押し上げられながら、60年代後半、全共闘学生による糾弾を受け、1971年に東大法学部を辞職、1996年に亡くなるまでである。半分くらいは、私が生まれて以降の同時代史なので、微かな記憶を刺激されるところが多々ある。「丸山真男」が日本の知識人を代表する名前だったことは、かなり幼い頃の記憶にある(小学生の頃?マンガを描くことが好きだった私は、知的でオシャレな女の子を描く小道具に、「丸山真男」の本を持たせていた。本当の話)。華やかだった学生運動も、もちろん覚えている。だが、本書を読んで初めて、それらの記憶に解釈の座標軸を得たように思う。
終戦直後の丸山は、1930年代に日本ファシズムが跋扈した原因の1つを、知識人と大衆の文化的断層に求め、ジャーナリズムを通じた大衆啓蒙戦略(在家仏教主義)をとる。それは60年安保闘争において成功(大衆の市民化)を収めたかに見えた。しかし、高度経済成長とともに、高等教育のインフレーションによる「知識人のプロレタリアート化」が始まる。大学教授に罵声を浴びせる学園闘争の根底には、「大学を卒業してもサラリーマンにしかなれない」世代の、知識人グループにおけるアウトサイダー意識、言葉を換えれば、既に特権を享受している大学知識人に対するルサンチマンがあったと言える。
同時に、戦後日本のアメリカ像は、初期の圧倒的な肯定から、次第に否定的なものに変わっていく。いわば、戦後日本の「養父」アメリカから「父離れ」を起こした日本は、「実母」日本の文化や価値観を再評価しようとする動きが起こる。「西洋人よりも西洋的」と言われた丸山が、「日本社会の病理」として否定した「思いやり」や「気がね」の論理が、すぐれた日本的システムとして賞賛されるようになる。
それでも、晩年の丸山は、長い間、生理的な嫌悪の対象だった日本的なるものと格闘し続け、日本の歴史意識の古層にあるものを「執拗な持続低音(バッソ・オスティナート)」という比喩で捉えた。私は大学生のとき、哲学科の学生でもないのに「日本倫理思想史」を聴講に行って、このタームを教わった記憶がある。当時も卓抜で美しい比喩だと思ったが、本書を読んで、丸山がこの一語に托した執念とも怨念ともつかないものを、強く肌身に感じるようになった。
丸山真男という思想家には、不徹底さも傲慢さもある。しかし、”下司(げ)びた心情があったからこそ、卓抜な日本社会論が書けた”という本書の指摘は、たぶん正しいと直感的に思った。この他にも、いろいろ面白い読みどころがあって飽きない。