見もの・読みもの日記

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見巧者のみた近代史/西太后(加藤徹)

2005-10-29 23:36:14 | 読んだもの(書籍)
○加藤徹『西太后:大清帝国最後の光芒』(中公新書)中央公論社 2005.9

 著者は、「真の意味での中国史は清朝に始まる」という。現代中国人の歴史意識の原点は清朝にある。たとえば領土問題。尖閣諸島、台湾、香港、チベットなどを中国固有の領土と主張するのは、それらの地域が清の版図だったからだ。「明の時代にはチベットも台湾も中国領ではなかったのだから、とか、元の時代にはバイカル湖あたりまで領土だったのにどうしてロシアにそれを主張しないのか、などと言っても無駄」なのである。

 また、中国の経済発展の目標も、清朝が心情的基準になっている。19世紀初め、中国の推定GDPは、全世界の三分の一を占めていた。これは、現在のアメリカ合衆国が世界経済で占めるシェアにほぼ等しい。中国は、21世紀末までに、自国の経済規模を、全世界の33パーセントまで「戻す」ことを目標としている、という。

 おもしろい。おもしろいが、これは、すごくよく分かる。中国人の大多数を占める漢民族にとって、清は征服王朝であり、近代中国は「滅満興漢」の掛け声とともに生まれた、と、むかし高校の世界史で習った。だが、衛星放送で、中国の通俗時代劇ドラマを見るようになって、どうやら現代中国人は、清朝が大好きらしいということが分かってきた。

 しかし、残念ながら、日本人にとって中国といえば、3世紀の三国志か、7-8世紀の唐の時代である。邪馬台国や奈良時代しか知らない外国人が、現代日本を理解できるだろうか? 我々は、現代中国の原点である清末という時代に、もう少し関心を持っていいのではないか。このような問題意識のもとに、西太后という、1人の象徴的な人物を通して、「清末という時代」を描いたのが本書である。

 まあ、あまり堅苦しく構える必要はない。清末という時代、舞台上は、実に役者揃いである。しかも、(中国共産党の公式見解にもかかわらず)善玉・悪玉に分類しがたい、複雑な陰影と魅力に富んだ人物が多い。また、中国史は、どの時代のどの人物についても、具体的なエピソードが豊富に残っている。本書にも、おもしろい話(清朝の后妃はおおむね不美人であったとか、咸豊帝は死の直前に延々京劇を見続けたとか)がたくさん紹介されているので、「三国志」や「史記」を読むつもりで、読んでみるといいと思う。

 「現代中国人の西太后に対する評価は、おおむね低い」と著者は言う。たぶん、多くの日本人が持つ、西太后のイメージも、無知でわがままで残酷、権力闘争と浪費に明け暮れ、清朝の屋台骨をガタガタにした張本人、というところだろう。しかし、中国のテレビ時代劇を見ていると、西太后の描かれ方は、必ずしも極悪人ではない。

 熾烈な帝国主義の時代に、ムガル帝国やオスマン・トルコのように消滅することなく、領土の大半を保持し、現代中国に伝えた清朝は(実質的に最後の権力者だった西太后は)「よく頑張った」とも言える。2003年に制作されたドラマ『走向共和』の西太后像は、こうした評価の線に沿っていた。

 西太后が”頑張る”過程で弄した手段は、時に苛烈、残酷、陰険である。それらは、中国の政治の伝統に従っているものもあるのだが、単純明快を好む日本人には、なかなか本質が分かりにくい。本書は、その点を要領よく解説している。著者は中国演劇の研究者であるが、近代政治史についても”見巧者”ぶりを発揮していると言えよう。

★加藤徹氏のホームページ。「京劇城」がおすすめ。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/cato/
コメント (1)
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