草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

葦津珍彦に学ぶ日本保守主義の原点

2024年03月18日 | 祖国日本を救う運動
 日本保守主義の原点は「日本土民」たるところにある。葦津珍彦のその定義は正鵠を得ている。外国を礼賛したインテリではなく、日本の絶対的多数を占める大衆は、日本特有の気風、感情、思想を信仰を持ち続けており、能弁ではなく、華々しい理論の展開はできない。しかし、柳田国男がいう「目に一丁字ない」者たちであっても、祖国の行方を憂いているのである。
 そうした者たちこそが、声なき声であり、サイレント・マジョリティなのである。大東亜戦争に敗れた我が国に乗り込んできた米国などの連合国は、一方的に自分たちの「民主主義」を押し付けて、日本人が愛着を持っていた思想も断罪され、一時は靖国神社も更地にされようとした。
 文明人を自称する欧米人からすれば、日本人についてもまた、全てに劣った土人として蔑んだ。そして、愚かにもそれに迎合する日本人が現れ、反日であることが尊ばれる風潮が蔓延し、未だにそこから脱却できないでいる。
「日本土民」が最後まで抵抗したのは「天皇制」解体の目論みであった。それに同調する日本人は、共産党などわずかながらいたが、それを阻止したのは「日本土民」の無言の圧力であった。
 日本国憲法「第一条 天皇は、日本国の象徴であり、日本国民の統合の象徴であって、この地位は日本国民の総意に基く」と書かれているのは、国民主権によってその都度信任を受けなければならないというのではない。
 葦津は「『総意に基く』との語は、事実を解釈し説明した語であって、新たに選出した意味ではない」(「土民のことば」)と明確に述べている。
「神話時代と呼ばれる遠い古代から、日本には天皇が君臨された。実証史学の立場からは、それがいつ始まったか分からないほど古いことだ。その血統は天照大神に発し天皇はその直系であると信ぜられてきた。この信仰によりて、天皇は日本民族に対する無限の信頼感をもって君臨され、国民は忠誠の念をもって天皇を仰ぎ、君と民との関係は深い『信頼と忠誠』の縁をもって結ばれて来た。皇統とは皇祖天照大神の直系であるとの信仰をもって、終始して来た血統である、と」
 その考え方に立脚するのが日本の保守主義なのである。マイホーム主義のような微温的なものではなく、いざとなったならば、身を捨てる「大君の辺にこそ死なめかえり見はせじ」の精神とも結びつくのである。そのことを理解しなければ、保守主義を名乗る資格などないということを、私たち日本人は心に刻んでおくべきなのである。
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