草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

尖閣諸島の問題がこじれたのは海部首相のせいだ

2024年03月03日 | 安全保障
 尖閣諸島の領有権が問題になったの、米国が明確な態度を打ち出さなかったからである。それに輪をかけて、日本が中国との国交正常化交渉において、それを持ち出さなかったことで、結果的に日本が不利になってしまったのだ。そして、それ以降も日本政府は中国への配慮を最優先したのである。
 もともと日本の領土であるにもかかわらず、実効支配できないことに反発したのが、政治結社「日本青年社」である。彼らは自費で魚釣島に灯台を設置した。昭和53年のことである。
 その時点で日本政府がこれを灯台として認めていれば、海図と灯台表に掲載されていれば、国際的に尖閣諸島は日本領として認知されるはずであった。日本青年社のメンバーは、魚釣島に住民票を移したほか、10年後には、太陽電池を利用して10キロ先にまで光が届くようにした。
 これを受けて政府や自民党内にも積極的に対応しようというムードが生まれたが、最終的にそれが見送ることを決定したのは、平成2年の海部内閣においてであった。三木派に所属し、ハト派を自称していた海部首相は、中国側の圧力に屈してしまったのである。
 この経過を多くの日本国民は知らないのではないだろうか。日本が輸入する原油の9割、そのほかの物資の6割が南シナ海のバーシー海峡を通過する。まさしく台湾のすぐ近くである。中国が台湾を海上封鎖する事態にでもなれば、日本は首根っこを押さえられるだろう。尖閣諸島も先島諸島も戦渦に巻き込まれる可能性が大なのである。それ以前に尖閣諸島に中国軍が攻めてくることが危惧されているのだ。
 海部首相が勇気ある決断をしていれば、我が国は尖閣諸島を含めて防衛ラインをつくることができた。こちらが譲歩すれば、逆につけあがるような国家には、弱腰外交は通用しないということを、私たちは肝に銘じるべきなのである。
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