ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
HPは http://www.ibuchan.com/

ばばが自分を「山猿」と認めた日

2008年02月19日 13時59分16秒 | Weblog
2月19日(火)

じじと結婚して、しばらく経った頃から、じじはばばに向かって

「山猿!」と言うようになった。

ばばも負けずに「海猿!」と言い返す。

「山猿」と言っても悪意はなさそうだが、

ばばは「田舎者」と言っているんだと勝手に解釈している。

事実、じじの住む亀津から見れば、ばばの実家は田舎?かな?

ばばの家の3方は畑だし、直線距離で3百メートルも行けば海だしね。

でも、今、亀津にある役場だって昔はばばの実家のあるKにもあったんだよ。

合併したから、役場も亀津に移されたし、亀津の方がお店も多かったし・・


亀津は今や徳之島3町の中心と言っても良いほど発展している。


じじとばばの会話はどこまでが本気か、

冗談か分からないすれすれの所でいつも交わされる。

年に何回かじじの口から、ばばに向かって「山猿」と言う言葉が出る。

ばばは負けずに「海猿」と迎え撃つ。

ばばが、じじに言う「海猿」に深い意味はない。

(山に猿はいるけれど、海に猿がいるのかなあ?)

現在じじとばばの住む家から海が見えるくらい海が近いから

「山猿」に対し「海猿」と言ってるだけだ。

そう言えば、数年前、同じ題名の映画があったよなあ・・・・



ばばは、自分の実家のある地域を田舎と認めているし、大好きである。

それこそ自然いっぱい・人情が厚い・・・

言葉が柔らかい(丁寧)と言われたこともあるなあ・・・

そんな中、明治生まれの両親のもとで、「野生児ばば」は育った。

学校から帰ると勉強は二の次で家の手伝い。

遊ぶ時は集落の先輩後輩、入り交じって薄暗くなるまでいろいろな遊びをした。

おしゃれとか考えたこともなく、おやつはばば母手作りの団子・小魚佃煮・

芋・黒砂糖など・・サトウキビの刈り取り時期は、

サトウキビもおいしいおいしいおやつであった。

それで充分満足していたし、最高に幸せだった。

「井の中の蛙」だったんだなあ、ばばは。
(「井の中の蛙」の方が幸せなこともあるかもしれない)


実は、昨年末じじ母が白内障の手術をで入院した時、

じじ妹が隣の島からわざわざ帰ってきてくれてじじ父の世話をしてくれた。

夜など時間ができると、じじ妹・ばば姉・ばばの3人で

コーヒーを飲みながら、小さい頃の話や、とりとめのない話をしては

夜遅くまで笑い転げていた。

じじ妹は、ばばと1才しか年は違わないが物知りで、料理も上手で

いろいろなことをばばにも教えてくれる頼りにできる、尊敬できる存在だ。

その妹の話の中で、分かったことは

ばばが裸足で野山を駆け回って遊んでいた頃、

じじ妹は少女雑誌「りぼん」を読み、鯛焼きを食べ、夏の暑い日には

アイスキャンデーも食べていたそうな。

さらには、じじ叔父が映画館やパチンコ屋さんを経営していたので、

じじ・じじ妹は小学生の時からパチンコもし、

さらにはパチンコの景品もいっぱいもらっていたそうだ。


その上、映画なども好き放題・・・とは行かなかっただろうが、

じじ母と一緒によく観ていて、ヒーローが登場すると

手が痛くなるほど拍手喝采したと・・・

その頃ばばは・・・と言うと、年に何回かやってくる旅回り浪曲師の

「浪花節」を集落の公民館でじじ両親と聴いていた・・・
(まだ小学生だったのに、浪花節の意味など分かっていたのか、いなかったのか。 単に、夜、両親と出かけるのが楽しかっただけなのか?)

(その影響で、後日、三波春夫さんの「浪曲歌謡」が
 大好きになったのもしれないな)





文字を読むことが大好きだったけれど、雑誌など入手するお店も近くになく

道に落ちている雑誌の切れっ端などを拾っては

食い入るように何回も何回も読んでいたばば。

ばば母の作るふくれ菓子などが最高のおやつだったばば。

小学生時代パチンコとかアイスクリームいう言葉さえ知らなかったばば。

小学校に入学する時、6才違いのばば姉のお下がりの制服を

あちこち縫い込んで補正して着せられ、それでも文句も言わないばばに

胸が締め付けられるようだったと、ばば姉は言った。

ばばは、今日まで、このことは全く記憶にもなく、知らなかったので

ばば姉からの50余年目の衝撃の告白だった。

ばば姉のこの話に切なくなったばばだったが、じじ妹の話を聞くにつけ

ばばの実家のあるKと、この亀津では暮らしぶりに

天と地くらいの差があったんだなあと改めて思った。


たまたまじじ叔父が優秀な経営者でいろいろな事業も手広くやっていたので、

じじ・じじ妹もその恩恵に預かって、パチンコは

こぼれた玉を拾って持って行くとキャラメルや景品などもらえたのだと

じじは言うが、やはり、あのころも貧富の差は大きかったんだなあ・・・


ばばは今、この亀津に住んで何不自由なく暮らしている。

病院・学校・役場・スーパー・コンビニ・郵便局、

どこへでも歩いても5分内外では行ける。欲しい物もすぐ買える。

でも、(今は無人の)実家に行くと感じるあの安らぎは何だろう。



じじや、じじ妹が、ばばから見ると「お坊ちゃま・お嬢様」の暮らしをしていた頃

ばばは確かに「野生児・山猿」だったと認めざるをえない。



でも、幼かった頃の自分が無性に愛おしく感じられる昨今のばばである。