ばばの日記

団塊世代 仲良し夫婦の暮らし
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ばばの頭はカチン・コチン

2008年02月29日 18時55分59秒 | Weblog
2月29日(金)時々

ばばは、理数系・機械系大の苦手。

コンピューターが教育の現場に入って久しいが、10数年前までは

ワープロを使っている同僚も多かった。

しかし、ばばはワープロを一度も使ったことがない。

5年ほど前からボツボツとパソコンも触るようになった。

今でこそ何とかインターネットを覗いたり、

ワープロ機能を使って文を書いたりだけはできるようになったが

これもじじの厳しい指導あってこそ。

じじは、ばばにパソコンの使い方を教える時

「メモは取るな。きちんと覚えろ」と言った。

それでも、ばばは走り書きでメモをしたが・・・・

「コツコツ」、「繰り返し繰り返し」、「丸暗記」がばばの覚え方。




こんなばばが、車の免許を取ったのが今から40年近く前。

学科は、自動車の仕組みとか、動く仕組みとか、全く分からないから

すべて丸暗記した。

実技の方は?

路上教習では、絶対スピードを上げず、ひたすら道路の端っこを走った。

だから、指導教官の評価はいつも「車輌感覚C」だった。

教習所内での「車庫入れ」や「幅寄せ」の練習の時は、

いつも車庫になってる近くの石ころや、生えている草を目印にハンドルを切った。

そのことを知人に話したら、

「もし、台風が来て目印の石ころが吹き飛ばされて位置が変わったり、

草が引き抜かれてなくなったらどうするの?」と大笑いされた。

そう言われてみたらそうだよなあ・・・

ハンドルを切るタイミングを感覚的にしっかり覚えなくてはと改めて思った。


いつも仕事が終わってからバスに乗り1時間近くかけて

教習所まで通った。仮免許試験では、練習の時と同じように

「車輌感覚が悪かった」という理由で2回も落とされた。

本試験は絶対一回で合格するぞと固い決意で臨んだ。

ばば母は、試験の日、仏壇にお線香を立てて合格を祈ってくれた。

結果は、合格!!!!!


さて、試験に合格したら車を買わなくちゃ・・と言うことになったが、

明治生まれのばば両親は車のことなど全然分からない。

ばばも、当時はどこから買えばいいのか、

どんな車を買えばいいのかも分からず、知り合いのお兄さんに相談して、

その知り合いから買うことになった。

「免許取り立てだから、最初は中古車が良いだろう」と言うことも決まった。

ばば父の手伝いで時々、荷物も積みたいと希望を言って、

その車屋さんが持って来た車と言えば・・・・・・・

色は白、軽のライトバンだった。

今だったら、絶対拒否するんだけど、

当時はわざわざ遠くから持って来てくれた物を断っては悪いと思い、

そのまま買ってしまった。

ばばの家は集落の一番はずれにあり、家が密集していて道は極端に狭く、

おまけに曲がりくねり、車1台が通れるんだけど、離合もできない、

対向車が来ようものなら、バックもままならないという具合だった。

当時は集落でも車を持っている人が数えるほどしかいなかったので、

何とかばばの腕でも運転できたのかも知れない。

でも、その車は今の軽乗用車より、とてつもなく大きく思えた。

免許を取って車は買ったもののちっとも嬉しくはなかった。

気に入らないとなると、ふだん気にしないことも気になりだす。

あろうことか、車のナンバーが「4269」だった。

昔から語呂合わせが好きだったばばは一瞬にして「シニムク」と読み取り、

くらーい気持になった。

まだ、二十歳そこらの女の子が大きな軽のバンに乗り通勤する・・・・

おまけに「死に向く」と言うナンバーの・・・・

ああ、ヤダヤダ。気になり出すと、どこまでも気にするばば。

ある日の夕方、ばばが車を止めてあったら、

その後ろを青白い光が「ヒュ~~~ッ」と飛ぶのを目撃した。

たまたま、車屋さんを紹介してくれた

知り合いのお兄さんも一緒に見ていたので、両親にも話した。

すると、まだ買って間もないというのに、両親も「縁起が悪い」と言って、

その車は手放し、今度は女の子らしい小さい軽乗用車の新車を買った。

先の車に比べ、とてもかっこいいし、乗り心地も良い。

狭い道でも、車が小さい分走りやすい。

毎日ルンルンだった。


しかし、ここで、またしても、ばばは「ばばしかやらない」と

いつもじじにも言われるような「常識では考えられないこと」をしてしまった。

そのこととは、新車なので、とてもとても丁寧に扱って、

走る時もゆっくりゆっくり・・・

何と家から職場まで約20㎞近い距離をギアチェンジすることなく

「ローギア」で走り通したのだ。

今思えば、なんて、おバカな・・と思うけど、あの時は本当に真剣だった。

ばばより早くから車を乗っていた先輩同僚に話すと、

大いに呆れ絶句。瞬く間にばばは職場の有名人になってしまった。



それから何日か後に、朝の通勤途中、

ガソリンスタンドで給油してもらっていたら、

後から来たタクシーが、ばばの新車に「後ろから追突」してしまった。

車から降りてみると、顔見知りのおじさんだった。

本当ならガンガン文句を言うべきなのだろうが、

その時ばばが思ったことは(自分も車を乗っているんだから、

いつ他人様の車にぶつけて迷惑をかけるかも知れない。)ということだった。

おじさんが「ごめんなさい、ごめんなさい」と言うので、

ばばは「いいですよ」と答え、職場へ向かった。

でも、内心は泣きたい気持だった。

大事な新車の後ろがへこんでしまったのだから・・・


その日帰って両親に話すと、両親もばばと同じような考えで

「いつか、あなたも人の車にぶつけて迷惑かけるかも知れないから、

○○さんを責めるのはやめなさい」と言った。

車は板金屋さんに持って行き、自腹で修理してもらった。

職場でこのことを話すと、みんなから

「何で、タクシーの運転手から修理代取らないの」と怒られた。

「止まって、給油している車に後ろからぶつかってきたんだから、

100%相手が悪いんだよ」とばばの代わりにみんなが憤慨した。

しかし、ばばは、当時は自分のしたことを後悔していなかった。

この車は、じじと結婚して加計呂麻に渡るまで乗っていた。

あれから、何台車を替えただろう。

若い頃のことを思い出すと、なんて世間知らずだったんだろうと

反省することばかりである。

あまりにも単純な、反面コチンコチンの若い頃の自分が懐かしい。



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ばばは心配性

2008年02月28日 14時19分51秒 | Weblog
2月28日(木)

昨夕、いつものようにじじと散歩に出かけたものの、

300メートルくらい歩いたところで、「ガスの元栓締めたっけ?」と思った。

じつは、家を出る直前に、じじ両親に

(今日は寒いから、温かいうどんでも届けよう)と、

うどんを作って持って行ったのだ。

じじ両親は、早い時は夕方4時過ぎから夕食を始めることもあるので、

ちょうど良いタイミングだと思い、4時少し前に熱々のうどんを届けた。

そして、すぐ散歩に出かけたのだが、うどんを作った時、

コンロは二口とも使った。

うどんを茹でた方は、笊にうどんを移して湯切りをしたので、

その時ちゃんと火は消したと確信していた。

問題は、スープを作った鍋の方だ。

じじ両親の分注ぎ分けた後も、まだ、一人分くらいスープが残っていた。

そのコンロの火を消したのか記憶が曖昧だった。

じじに、「私、コンロの火消したかなあ」と話しかけた。

しかし、じじが分かるわけないよね・・・。

「心配なら、引き返してみてきたら?」とじじ。

今なら引き返しても、すぐじじに追いつけると判断したばば。

すぐ家に引き返し、室外にあるガスボンベの元栓を閉め、

すぐさま、じじの後を追い始めた。

ところが歩きながら、また心配になってきた。

(はたしてガス栓ちゃんと締めただろうか?

もしかして閉めたつもりで最大限まで開けたのでは?)とまた心配になってきた。

再び引き返そうか?と思ったが、そのまま前進、前進。

息を切らせながら坂道を上がり、やっとじじに追いついた。

じじはわざとスピードを落として待っててくれたらしい。

じじに追いつくと、「ちゃんと火消えていた?」と聞かれたので、

「家の中まで入らなかった。外で元栓閉めてきた。

でも・・・閉めたつもりで開けたかも?」と言うとじじが、

「こう、回せば開けるで、こう回せば閉めるだよ」と手を動かして見せるが、

ばばがしたのは、どうもその反対に思えた。

やっぱり、元栓全開にしてきたか?しばし、悩んだが

「まっ、いいか。約1時間散歩して帰っても。うどんのスープ鍋の方も、

きっと、とろ火にしてあるはずだから」と勝手に信じ込むことにした。

そして、じじに「じじ、ばばは今日もパンや刺身を買って帰るから、

じじより帰り遅いよ。だから、家に帰り着いたら、ガスの元栓

開けておいてちょうだいね」と頼んだ。

99.9%開けておいてはくれないだろうと思いながら。

いつものように散歩は続き・・・・じじは直行家へ、

ばばは途中から、夕食と明朝の分の買い物に別れた。

時折小雨がぱらつき、強風も吹きすさぶ中、

ばばはいつもより長いコースを歩き買い物も済ませて帰った。

家に上がる前にプロパンガスの設置されている場所に回った。

ばばが思ったとおりと言うか、案の定と言うか・・・

やっぱり、じじが触った形跡はない。

ばばは、元栓をひねり、部屋に上がった。

洗い片づけたりしながら、ふと気づきガスコンロを見ると、

なあんだあ、ちゃんと火は消してあるじゃない。

やっぱり消してあったんだあ・・・と一安心。

いらぬ心配したなあ・・でも、やっぱり引き返して元栓閉めてよかった、

だから、安心して散歩続けられたんだ。

まてよ、元栓全開にしたって心配したのはどこのどなたでしたっけ?などと、

ひとりで反省したり安心したり。

考えてみたら、「ガスの元栓閉めたっけ」という心配は、

用事で家を出て、しばらく経ってからよくする。

仕事をしていた時もしょっちゅうあった。

いつも、ばばの方がじじより早く家を出ていたので、

「元栓閉めたっけ心配症候群」が起こると、すぐじじに電話をした。

出勤途中のこともあれば、職場に着いてからのこともあったが・・・

そんな時、携帯電話を持っていないばばはとても不便を感じていた。

携帯電話の普及と共に、あちこちに設置されていた公衆電話が

ほとんど撤去されていたから・・・

今まで「元栓閉めてある?コール」をすると、

「ちゃんと閉まってるよ」の返事が100%だったけど。


ばばは、旅行に出る時などは必ず指さし確認をしている。

「電気OK」「ガスOK」「戸締まりOK」「財布・免許証・保険証OK」と・・・。



これから加齢と共にますます忘れっぽくなるだろうし、

その上、心配性という性格が加わり、

「○○したっけ?心配症候群」もひどくなるだろう。

でも、いいんだ、何かが起こってから後悔したり悲しむよりは。


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我が家のミステリー

2008年02月27日 09時35分24秒 | Weblog
2月27日(水)

ここ2年ほど、ばばが不思議に思っていることが二つある。

それは、家の中の2カ所から不思議な音?とも声とも知れぬものが

聞こえるのである。

目で見て確かめることができないだけに真相追求ができないでいる。

初めに気づいたのは、じじが旅行中のこと。

昼の3時頃だったか、じじの部屋から「ピピッ・ピピッ・・・・・」という音が

規則的に聞こえるのだ。

ばばは、「じじ、なんのタイマーかけたの?」と思いながら

じじの部屋に行ってみた。音はすれども、

どこから聞こえるのか全く分からない。

広さ3畳足らずの狭い空間から聞こえるのだ。

ばばが、あちこち覗いたり触ったりしているうちに音はパタッと止んだ。

その音は約1分ほど鳴り続けていた。

そして、次の日も、また次の日も、その音は鳴り続けた。

じじの3畳ほど部屋は、数知れない無線機と、パソコンと、得体の知れない

たくさんの機械部品と、様々な太さ長さのコード類が存在を主張しあい、

ばばには、何が何だかさっぱり訳の分からない空間になっている。

何日経っても、「ピピッ・・・・」の発信源がばばには分からず、

旅行から帰ってきたじじに報告しても「ああ、ぁ」と関心なさそう。

そのまま日は過ぎっている。


そしてあと一つ。

これは、冷蔵庫と風呂場の間にある板張りの空間から聞こえる。

「ミミミミミミ・・・・・」「ジジジジジジ・・・・・」

何とも表現できない虫の声のような音だ。

最初は、冷蔵庫の音かとも思ったがそうではない。

あまりにうるさいので、ばばが手で「ドンッ、ドンッ」と叩いたら

一瞬音は止んだ。

しかし、しばらく後、また同じ音が。

「ミミミミミミ・・・」「ドンッ、ドンッ」「シィ~~~~ン」

「ミミミミミミ・・・」「ドンッ、ドンッ」「シィ~~~~ン」

を何回繰り返したか。

この壁の中に何かいるらしい。何者?

しかし、壁板を剥がして見るわけにはいかない。

音(声)からして、大物ではないようだ。

あまり気にしないようにした。まあ、平和共存といこう・・・・と。

今年の正月、娘達が帰省した時、3女がこの音(声)に気づいた。

「お母さん、これ、何の音?」と娘。

「さあねえ、知らないけど、壁をドンッと叩いてごらん」とばば。

娘も、正体不明の奴としばらく遊んでいたが、原因究明までは至らなかった。



じじの部屋からも、未だにあの音は聞こえることがある。

じじは原因が分かっているようないないような・・・・

先日、タイマーか何かの元を切ったらしいがそれでもたまに聞こえるしなあ・・・


壁からの音(声)は、季節限定なのか

2月になってからはほとんど聞こえなくなった。

暖かくなったらまた聞こえてくるのだろうか?楽しみでもあり、

ちょっぴり不安でもある。


音出し開始(活動開始)は、じじ在宅期間中であって欲しい。

じじがいると、ばばもやたら気が大きくなるが、

じじが不在の時は、極めて小心者のばばになってしまうから。

身近なところにもミステリーは存在するものだなあ。


ばばが、ここに書いたようなことを話すと

「ミステリー小説の読み過ぎ」という友人もいるけれど。

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じじの料理・アバシャ鍋

2008年02月26日 09時32分38秒 | Weblog
2月26日(火)

新婚以来?じじがひっさしぶりに台所に立った。

と言うのも・・・・・

一昨日の昼、ばばの友達が遊びに来てくれ、

その時に「ハリセンボン」を持って来てくれたのだ。

方言で「ハリセンボン」のことを「アバハ」とか「アバシャ」とか言う。

じじが大病をしたことを知っている友人は、じじに元気になって欲しいと、

いろいろな物を届けてくれてる。

友人は、じじとばばに「アバシャ汁好き?」と聞いた。

好きも何も、ばばは食べたことがないと言うより、

ハリセンボンが食べられるとは知らなかった。

じじは、「それは珍しい!おいしいよ、高級食材だよ」と言う。

食べたことあるのかなあ?

「肝も入っているから、おいしいよ」と友人。

(肝?)ばばは一瞬フグのことが頭に浮かんだ?

ハリセンボンって、フグの仲間?

体型は似ているよなあ・・・など。肝って毒はないの?

早速、夜「ハリセンボン鍋」にしようとじじとばば衆議一決。

しかし、昼に水炊き食べたよなあ・・・

とにかくハリセンボンは冷蔵庫に入れず、夕食に食べよう・・

友人は「まず、ハリセンボンをぶつ切りにして、お湯を沸かしてかけて、

臭みを取っ、鍋に入れる時も沸騰した所へ入れるように」と

何回も念を押して帰った。

じじは、ハリセンボンのことをインターネットで調べた。

「大丈夫。毒はないんだって」と言う。

さて、夕方の散歩から帰ってもカチンコチンに冷凍されたハリセンボンは

チラとも解けていない。

仕方がないので、もう一回冷蔵庫に入れて明日の晩使おうと、

またじじとばば衆議一決。



そして、今日。夕方、冷蔵庫からハリセンボンを出してみた。

ハリセンボンという名に似つかわしくなく、

千本とも言われる棘は一本もなく、綺麗に抜かれてピンクのツルツル肌だ。

たくさんの棘を抜くのはさぞや重労働だっただろうなと、

捌いてくれた人の苦労を思う。肝は別に分けられている。

しかし、見れば見るほど不思議な格好をしているなあ、

棘なしのハリセンボンって。頭部はヤケに大きく、

肝を抜かれた胴体は尻尾の方に行くに連れ細くなっていて、

その形は、なんとなく凧と似ていなくもない。



ばばは、加計呂麻時代、

水槽で小さくて可愛いハリセンボンを飼ったことがあるが、

今目の前に横たえられたハリセンボンは、その何倍も大きい。

ばばは、生の魚を扱うのは正直得意ではない。だから、じじに頼むことに。

じじは腕まくりをして、台所に立ちビニル袋から出したハリセンボンを

筒切りにしようと奮闘するが、なかなか包丁の刃が立たない。

包丁の刃が折れてしまうかも知れない。

そこで、ばばは刃が欠けても良い包丁を出してあげた。

悪戦苦闘するじじの横でばばは何回も何回も

「ねえ、肝食べて大丈夫?もしも、二人とも死んだらどうする?」と脅かす。

じじは、「フグじゃないから大丈夫」と自信満々。

「本当に100%大丈夫?」とばばもしつこく聞く。

この時点では、ばばも食べる気満々。


ばばは、離れたところから見守ることに。

じじ、やっと頭と胴体は切り離したが、頭を二つに割ろうとしてもとても無理。

肝を抜いた胴体は空っぽ。

仕方がないので頭と胴体と肝と3分割で煮ることに。

網笊に入れた上から熱湯をかけて・・・・その後煮たたせた鍋に投入、

沸騰させる。

ハリセンボンは体長30㎝以上もあったので、鍋の一杯になった。

そしてびっくりしたのは、体に比べ頭がとても大きかったこと。

ばばの拳二つ分くらいもある。

煮ている時の臭いもすごい。生姜やニンニクを入れた方が良かったのか?



じじ、ここまで大奮闘。



しばらく煮た後、野菜を入れるのはばばがしようと、

鍋の蓋を取ると、「ウェエ~~~~~」

ハリセンボンが鍋の中からばばを恨めしそうに睨んでるうううう!

つぶらな瞳で・・・ここでばばの食べる気は、すっかり失せてしまった。




「じじ!ダメッ~~~ハリセンボンが睨んでる!」

じじは「じゃあ」と言ってハリセンボンの顔の向きを反対に向けてくれた。

その横で白菜・人参・シメジ・豆腐などを切りつつも

ばばは匂いが嫌でたまらない。

切った物を投げ込んで、味噌も適当にぶち込んでじじに味見を依頼。

「ちょっと辛いかな?」と言うので、

水をカップ一杯ぐらいジャーと継ぎ足しておしまい!

後はもう、ばばは、しーらないっ。




ばばは他のおかずで夕食。

じじは刺身と野菜でほぼ満腹。

けっきょく数十年ぶりにじじが台所に立ち、

材料を切ったり霜降りにしたりして作った「アバシャ鍋」は

今夜は誰の口にも入らず・・・明日は・・・・・???????





それにしても、じじが台所に立って料理をするなんてことは滅多にないことだ。

新婚時代は加計呂麻で、ばばの体調が悪い時、みそ汁や野菜炒めも作ってくれた。

じじの料理は、ばばのように野菜でも何でもチマチマ残して

次のメニューに使おうなんてケチなことをしないし、豪快に材料を使うので

とてもおいしかった。

そのじじが、いつ頃からか全く台所に立たなくなった。

ばばが単身赴任中には、じじ母に頼りっぱなしの3年間であったらしい。

ばばが徳之島に帰って来て、じじがばばより1年早く退職した時は、

昼だけは「じじスープ」なる野菜の具てんこ盛りのみそ汁を作っていたらしい。

しかし、残念ながらばばは一度として味見させてもらったこともない。



今夜の「アバシャ鍋」、あの強烈な匂いさえなければ・・・

ハリセンボンが、鍋の中から、あの愛くるしい目で

ばばの方を見さえしなければ・・・・・・

ばば、大喜びで食べただろうに。

じじ、ごめん!!!!

一人で「アバシャ鍋」完食して下され。
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ニョロ・ムニュ大嫌い

2008年02月25日 10時22分56秒 | Weblog
2月25日(月)久しぶりの


ばばが子どもの頃一番嫌いだった仕事、それは芋掘り。

ばば母や、ばば姉と一緒の時は、ばばは母や姉が掘った芋の土を落とし

ひげをむしりポイポイとカゴに投げ込むだけだから、

そんなに嫌だとは思わなかった。

しかし、ばば一人で家から約2㎞離れた畑に行き、芋づるを切り、芋を掘り、

綺麗にしてカゴ一杯の芋の上に、さらに芋づるを束ねた物を乗せて運ぶのは

大嫌いだった。

なぜ、こんなにも芋掘りが嫌かというと、あのニュルニュル芋虫のせいである。

大きい物は5㎝くらい小さい物は1㎝内外で、

その色たるや何とも形容しがたい気味の悪い色をしている。

芋掘りは、まず芋づるを切ることから始めなければならないが、

芋の葉を餌とする芋虫があちこちの葉っぱについていてニュルニュル動いている。

見るからに気持ち悪く悲鳴を上げたいのを我慢して、

「エイヤア、エイヤア」と鎌を振り回して芋づるを切る。

芋づるは家で飼っていた牛や豚の貴重な餌だから捨てるわけにはいかない。

なるべく芋虫を見ないように芋づるを縄で束ねるのだが、

奴は突然くねった体をばばの前に表す。

時には土の上に、時には葉っぱの上に・・・そしてばばの手に!

ばばは悲鳴を上げるのをこらえるのに必死だ。

でも、束ねてしまわねばならない。

あの色、ムニュッとした体・・・書いていても吐き気を催すほどだ。

芋づるを切り終わると、次は芋掘りだ。

三つ又を使って畑の土を掘り起こしていく。

大きな芋・小さな芋がごろごろ出てくる。

必死に三つ又をふるって畑を耕していく。

目見当で、カゴいっぱいあるかな?と判断すると掘るのをやめて

芋を綺麗にしてカゴへ投げ込んでいく。

芋がカゴの一杯になると、その上に、

もしかして奴が潜んでいるかもしれない芋づるを乗っけて背負って帰る。

帰る途中、祈ることはただ一つ。

(どうぞ、奴がニュルリとばばの髪の毛や洋服に付きませんように・・・・)

一刻も早く家に帰り着いてカゴを降ろしたい一心で、

芋の重さも気にならないくらいだった。

やっとの思いで家に着き、カゴを降ろしたとたん、ホオ~~~ッとする。

しかし、次の瞬間、「ウェエ~~~~」と悲鳴を上げることがよくあった。

ばばの肩のあたりとか、ウエスト当たりに

奴らがぶら下がっていることがあるのだ。

泣きたいくらい気持ち悪いのを我慢して「お母さあ~~~~ん」と

思いっきり大声で叫んでばば母の所に走っていって取ってもらう。

こんな嫌な芋掘りの仕事、なるべくならしたくはなかったが、

分担上、ばばに回ってくることがよくあった。

小さい頃のあの体験のせいか、大人になっても

ニュルッ・ムニュッ系はどうしても苦手だ。



菜っ葉に付く青虫も苦手。

ブロッコリーは好きだが、たまたま無人市場から買ったブロッコリー、

買ったその日は使わず、冷蔵庫に入れた。

2日ほどたって「さあ、使おう」と冷蔵庫から出したとたん、ばばは

「ウワア~~~」と叫んでブロッコリーを放り投げた。

びっくりしたじじが「どうした!」と、すっ飛んできた。

「虫、虫、青虫があ~~~」と叫んだばばは台所から飛び出した。

じじは、冷静に「なんだ、虫?もう大丈夫だよ」って言ったけど、

手でブロッコリーを触る気になれず、

ばばは箸で挟んで沸騰したお湯の中に入れた。

するとどうしたことだろう、プカッ、プカッっとお湯の表面に

小さな青虫の死体が数匹浮かんでくるではないか!

うぅひゃあ~~~~~

ばばは、とてももう見る気にも触る気にもなれない。

「後はじじ頼んだよ、任せたよ」で、もうおしまい。

ばばは、あれ以来ブロッコリーが怖くなった。

知人に話すと

「青虫がいるってことは、農薬をあまり使ってないと言うことだから

良いことじゃない?」って言われたけど・・・・

やっぱり野菜を洗っていて虫が出てくると悲鳴ものだ。

考えてみると、今食べている食品の原型をいちいち考えたりはしていない。

ばばの好きなエビだってじい・・っと見ると?

チキンの手羽元の唐揚げだって、もとは・・・?

いちいちじいっと見たり、考えたりすると食べられない物が

どんどん増えそうな気がする。

ばばの食べ物の好き嫌いは、精神的な物が大きく影響しているような気がする。

若い頃、ウナギを「ヘビ!」と誰かが言ったのをきっかけに

ウナギも全く食べられなくなってしまった。

生魚はその匂いが嫌で刺身は食べられない。焼いたり煮たりしたら大好物なのに。


以前、大きなナメクジに塩をかけたあの勇気はどうしたんじゃ、ばば!
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大好き!

2008年02月24日 12時02分55秒 | Weblog
2月24日(日)

「うちの子、本読まないんです。子どもに本を読ませるためには

どうしたらいいんでしょうか」

ばばが仕事をしていた時、多くのお母さんから質問された。

子どもが本好きになるきっかけって何だろう。



じじとばばは、長女の誕生と共に幼児向けの本をシリーズで買った。

また、ばばの家から歩いて1分もかからないところに書店があり、

暇つぶしは娘達と一緒に本を見ることだった。

お菓子とかはあまり買ってあげなかったが、

絵本は何冊も買ってあげたり親子で読んだりした。

ばばは、3人の娘達をじじ両親の元へ預けて仕事をしてきたが、

娘達をを寝かしつける時などは、じじ父が徳之島の昔話などを

よくしてあげていたそうだ。

じじ母と、じじ叔母もいろいろなお話をしてあげたし、

1週間に1回、娘達をばばに実家に連れて行くと、

ばば両親もケンムンの話や、昔の話などをして聞かせてくれた。

お話を聞かせると言うことも、読書への意欲づけになるのだろうか?



ばばは、今まで何回かブログにも書いたが、小学生の頃は地域的にも経済的にも

雑誌や絵本を買って読める環境ではなかった。

ばばも両親から昔の偉人のことや、両親の小学校時代の教科書に

載っていた物語などおもしろおかしく聞かされていたせいか、

本を読むということにはとても関心があった。

しかし、読む本と言えば教科書だけ・・・だから登下校中、歩きながら

雑誌や本の切れっ端でも落ちていよう物ならすぐに拾って

宝物のように大事に大事に読んだ。

中学校まで自分で本や雑誌を買ったことはない。

高校生になって同居する高校教師だった兄が「高校コース」か「高校時代」という

月刊誌を毎月、買ってくれた時は嬉しくてたまらなかったことを覚えている。

自分ではなかなか本が買えないので図書館の本を片っ端から読んだ。

司書の先生が「高校3年間で、この図書館の本を全部読破しなさいね」と、

声をかけてくれた。図書館丸ごと読破することはできなかったが、

相当の本を読んだ。

しかし、どんな本を読んだのか題名も内容もほとんど頭に残ってはいない。

大学に行くと、ひたすらレポート作成用の本を読み、

就職すると仕事関係の本を自分で好きなだけ買ってを読んだ。

洋服など買う時は「高すぎる!もったいない!」と躊躇するのに、

本を買う時は威勢よく大枚はたいて買うもう一人の自分がいる感じだった。



結婚直後じじと加計呂麻へ赴任した時に、松本清張のミステリーと出会った。

読み出すと止まらない。松本清張を読破した頃、

森村誠一の「人間の証明」と出会った。今度は森村誠一漬けだ。

新書は高いので、文庫化されるのを待って片っ端から買って読んだ。

加計呂麻勤務を終え次に赴任した職場の事務職員から

西村京太郎を紹介され、これまたはまってしまった。

それから内田康夫・夏木静子・宮部みゆき・・・と

ミステリーにどっぷりつかっていたが、そのうち東海林さだおの本に興味をもち、

佐藤愛子・阿川佐和子・池波正太郎・・・と変遷してきた。

その間、他の作者の随筆とか小説等も数多く読んだが、

本ってどうしてこんなにおもしろいんだろうといつも思う。

美容院や病院へ行く時、旅行の時も退屈しのぎに

本を1冊持って行くことにしている。

ミステリー本の他に料理の本・編み物の本・折り紙の本・手芸の本等々、

ばばの興味が尽きることはない。

書店に行くと読み尽くせないほど本が並んでいる。

最近は読みたい本が書店にない時はインターネットで注文すると

1週間もかからずに手元に届く。ありがたい世の中だ。

ばばは、小さい子達が家に遊びに来た時、散歩に連れ出したりするが、

スーパーの書籍売り場に必ず連れて行く。

そして、お菓子の代わりに好きな本を選ばせて買ってあげるようにしている。


ばばが買って読んできた数多くの本。

しかし、一回読んだ本は2度と読むことはほとんどない。

倉庫に入れておくと梅雨時はじめじめしてカビも生える。

考えた末、小さな本立てからあふれた分の本は、

さっさと町立図書館に持って行くことにした。

ばばと同じ本を好きな人も何名かはいるはずだから、

少しでもその人達の役に立てたらと思って・・・


「本は頭と心の栄養」と聞いたことがあるけれど、まだまだ栄養が足りないのか

ばばの頭はスッカラカンだ。おまけに読んだ本の内容もどんどん忘れている。



さあ、栄養補給。

今日はどの本を読もうかな?
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10円得るために

2008年02月23日 11時06分26秒 | Weblog
2月23日(土)

ばばが子どもの頃は、学校に行っている時間以外は

ほとんど親と一緒に農作業の手伝いだった。

親と一緒に働くことでいろいろな実体験を通し勉強になることがたくさんあった。

親のやることを見ながらいろいろなことを覚えてもいった。

休みの日など朝から晩まで親と一緒に働いた。

でも、お小遣いとかもらった覚えはない。

ばばが小学校中学年の頃だったか、今で言うアルバイト?をしたことがある。

よその家のピーナッツの殻むきである。

一升マスの一杯剥いて10円であった。

ずっと硬い殻を剥き続けると特に力を入れる右の親指には大きなマメができた。

すると今度は青竹のの細いのを切って来て20センチぐらいの長さに切り、

真ん中から曲げたのでピーナツを挟んで殻を剥いた。

力のいれ加減では豆が割れてしまうことがあるので

気を遣いながらの作業であった。

一日中働いて何十円ぐらいもらっただろう?



他には桑の実の種を集めるアルバイト?(小遣い稼ぎ)もした。

これは、桑の実を集めて笊に入れ水の中で揉んで種を出す。

その種が盃1杯で10円だったような気がする。

ゴマ粒よりも小さな桑の種を盃の一杯集めるのは大変なことだった。




中学校の頃も別のアルバイトをしたことがある。

家から4㎞くらい離れた山裾にあるパイン畑の草取りだ。

大手の本土資本がパイン工場を造ったので、

缶詰にするパインを近くの山裾や畑にたくさん植えていたのだ。

朝、車が迎えに来てパイン畑に行き1日中草を抜く。

そして夕方になると、また車で家の近くまで送ってくれた。

たくさんの同級生が同じようにアルバイトをしていた。

今の子どもたちには信じられないかもしれないが、

その時の日給が100円くらいだったような気がする。

もしかして、10円?とも思うが、そんなに安くはなかっただろう・・・


こんなに苦労して得た10円・100円だったから

それは、それは大事に使った。


今の子どもたちはいとも簡単に多額のお小遣いをもらっているのではなかろうか?

ばばの娘達は、小学校で300円・中学校で500円~1000円・

高校生になって3000円の小遣いを上げていたような気がする。

その小遣いに見合うように交代で茶碗洗いや布団敷きなどをさせていたなあ。

たくさん小遣いをもらう友達をうらやましがるようなこともあったが、

少ないお小遣いをよくやりくりして使っていたと思う。



ばばは小さい頃、ばば母から「働かざるは、食うべからず」と

耳にたこができるくらい言われた。

ばば母からお使いを頼まれて叔母の家などに行くと、

お芋とか黒砂糖とかもらった。家に帰ってばば母に報告すると、

「ほらね、あなたがお使いに行ったからご褒美もらえたのよ。

もし行かなければ、おいしいおやつもらえなかったでしょう。よかったね」

というふうに、ばば母は言った。

するとばばは、そうかあと素直に信じ込んだ。



ばばは、買い物にもよく行かされた。

ばばが子どもの頃は、お酒や油も量り売りで瓶を持ってお店に行っていた。

1デシリットルマスくらいの木製のマスに長い柄がついたような物で

お店の人が大きな樽?缶?から油などをすくって瓶に入れてくれるのを、

ばばはじいっと見つめていた。油一滴と言えど、外へこぼれませんように・・・

たまあに、お店の人が少しだけおまけしてくれることがあり、

何か得をしたような気持で足取りも軽く家に帰り、ばば母に報告していた。



高校生になってからはバイトをしたことはないが、大学生になって冬休みに

鹿児島の山形屋デパートでバイトをしたことがある。

その時は日給3000円くらいだったか・・・

その時のバイト代は、無二の親友K子ちゃんと二人で

鈍行に乗って山口県の秋芳洞を見に行った。

自分で働いたお金での初旅行だった。

つい先日じじと二人で同じ秋芳洞へも行った。

数十年の時を超えて何とも言えない感慨深いものがあった。



今、財布の中に1万円札が1枚あっても、

いつの間にか使ってしまっている。

働いていた時は決まった日にはお金が入るという安心感があったが、

無職となった今、たった10円を得るために何時間も豆を剥き続けた

幼い頃のことをたまに思い出し、

もっとお金を大事にしなくてはと思うばばである。
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好きな色は何ですか?

2008年02月22日 22時06分43秒 | Weblog
2月22日(金)

ばばは小さい頃、なぜか紫色が大好きだった。

小学校3,4年生の頃だったか、紫色好きが高じて

鉛筆・下敷き・短い物差し・筆箱など、紫色(藤色)で統一した。

靴も、紫のビニル靴を買ってもらい、セーターも紫色のを買ってもらった。

なんで、紫色が好きだったのだろう。

そのわけとしては・・・・今、分析してみると、

ばばの通う小学校は4つの集落から子どもたちが通っていた。

運動会も集落ごとに色分けがされていて、集落対抗で競争意識はとても強かった。

その色分けとは、M川集落・・ピンク  S村集落・・緑 

T木集落・・赤 そしてばばの実家のあるU花徳集落・・紫だった。

きっと、ばばは自分の集落の色がこよなく気に入っていたのだろう。

何かにとりつかれたように「紫・紫・・・」と追い求めていた


ばばの「紫病」は、いつの間にか治っていた。

今でもあの時、なぜあれほど紫という色に執着したかわからない。

その後、一つの色に執着したことはない。

しかし、仕事柄、どうしても白・黒・紺・茶・・という色の服を

着ることが多かった。

外国では年をとるほど明るい色の服を着て、派手になるという。

ばばの周りでも、自分にぴったり似合う色の装いの人を見ると

「美しいな」と思う。

ばばは、この年になっても、まだ、自分に似合う色が分からない。



娘達がまだ小・中学生だった頃だと思う。

休日の昼、ばばがシャワーを浴びて出て行くと

「お母さん、何で裸なの?」と娘から言われた。

「えぇ~~~ちゃんと服着てるよ」と答えると娘が

「服とお母さんの顔の色が同じだから裸かと思ったがねえ」と言うので

母子して笑い転げた。

あの日から、なるべくベージュ色は着ないようになった。

ベージュと言ってもいろいろなトーンの色があるけれど・・・・


うちの長女は、子どもの頃なぜか青い色が好きだった。

Tシャツとかズボンとかみんな青い色が好きで、

ついには雨靴まで青いのを買った。幼稚園にも青い雨靴で通園したはず。

母となった今は、いろいろカラフルな洋服を着ているようだ。

今でも青い色が好きなのだろうか?????

その長女の5才になる男の子が大の赤色好きだ。

「レッド」「レッド」を連発。折り紙なども赤から使い切ってしまうそうだ。

そういえば、布団カバーも赤だったなあ。

再来年は1年生に入学するのだが、息子の赤好きで娘は頭を痛めているようだ。

息子は、赤いランドセルを買うと張り切っているらしい。

最近はランドセルもカラフルになり、形も縦型・横型ある。

ばばが勤めた学校では、全員がおきまりのように男の子は黒・

女の子は赤いランドセルであった。

最後の年に担任したクラスで初めて青いランドセル、

濃いベージュ(黄土色)のランドセル、ピンクのランドセルの子がいた。

いずれも女の子だった。

ランドセルの色や形を学校で決めてはいなかったが、

ランドセルと言えば男の子は黒・女の子は赤と

暗黙のうちに決まっていたのだろうか?

さて、長女の息子、来年は入学するわけだが、

その時まで赤いランドセルにこだわり続けるのだろうか?

娘としては何とか(大人の)常識的な黒か青系の色にして欲しいと言うのが

本音のようだ。

だから、ひそかに登下校するお兄ちゃんやお姉ちゃんの

ランドセルの色を意識させるようにし向けていくそうだが・・・

うまくいくかどうか・・・


ばば自身の経験から言うと、色の好みは年と共に変わる可能性が強い。

だから、孫は入学の時は赤いランドセルで嬉しいかもしれないが、

学年がすすむにつれて赤以外の色が好きになるかもしれないし、

その可能性が大きいと思う。

ばばが心配するのは、周囲の反応だ。

「なんで、赤いランドセルなの?」と言われ、

「好きだから」ですめばいいけれど、いじめにつながったりしないだろうか?

実際、ばばが担任した子どもたちも先輩や同級生からランドセルの色について

何回か聞かれていた。

でも、彼女たちは自分の好きな色のランドセルだったし、

ひるむことはなかった。ばばも3人のランドセルの色、いいなあと思っていた。

と同時にこれからはいろいろな色のランドセルを背負う子が

増えていくだろうなと思っている。

今の時期、テレビでも、カラフルなランドセルのコマーシャルが

毎日のように流れている。

ランドセルは、6年間は使い続ける前提で買う物だし、値段も結構高い。

孫の色の好みがどのように変わるか、ちょっとヤキモキしているばばである。





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あれもしたい、これもしたい

2008年02月21日 21時34分52秒 | Weblog
2月21日(木)

退職後のばばは、時間はいくらでもある。

毎日、あれもしたい、これもしたいと思いながら、

思うことの半分もできない。

今日は「ゴミ出しの日」。

まずゴミを出したら廊下と台所の掃除をしようと計画。

まずは、段ボールの大きな箱をゴミに出そう。

箱をばらしてガムテープで束ね、さらに紐で数カ所縛る。

あっ、廊下にも段ボールがあったっけと思い廊下へ。

そこで、ばばはあちこちからいただいた、たんかんが箱に入っているのが

気になり「そうだ、娘に送ろう」と思い立った。

じじのために買ってあったビールの入ってた箱に入れようと決め、

ビールを出した。

それから、その箱にタンカンを詰めた。

送り状を貼って、9時までにばばの家の隣の小さな店に持って行くと、

今日のうちに東京に届き明日配達になる。

「急げ、急げ」と自分で自分を急かせる。

荷作っているうちに、ゴミ収集車の音が・・・・

ばばは、ますます焦ってしまった。

「苦しい時のじじ頼み」!。

「じじ、ごめん、ばば、ゴミ出すから荷物お店に運んでくれる?」

「OK」と、じじの二つ返事が嬉しい。

ばばはゴミをまとめ、じじは荷物を送りに。

やっとの事で段ボールをまとめ、生ゴミは袋に入れ、家の車庫前に・・

と思ったら、何と!!!そこには「おおっ!懐かしの野良猫「殿」が。

じじに教えなきゃ・・・とゴミはいつもとは別の場所へ置いて階段を駆け上り、

「じじ、じじ、殿がいたよお~~~」と外から呼ぶ。

ひげそりを始めていたじじは途中でやめカメラを手に階段を駆け下りた。

ばばも気になってじじの後を追う。

何とか静止画と動画を撮ったと言う。

去年末、偶然ゴミ出しの日に見つけ、帰省していた三女が

「殿」と名付けた野良猫。じじとばばの「心のペット」にしていたが

最近ずっと姿が見えず気になっていたのだ。元気でよかった、よかった。

家の中に入ったばば、今度は洗濯機を回し始めた。

台所の洗い片づけもまだだった。

バタバタしているうちに、じじは確定申告の書類を揃えたりするために

役場や郵便局へ行ってくると出かけた。

小包の荷作った後を掃除していると、

洗濯機も「終わりましたよお~~」とブザーが鳴る。

今度は洗濯物を干しに走る。

干し終わるとじじが帰ってきた。

もう、お茶の時間だと、二人でティータイム。

お茶を飲みながら確定申告について話す。

ばばは、今までは職場でまとめて申告していたし

個人で確定申告なんてしたことがない。

じじは、じじ両親の分と自分の分を申告するが、

ばばも自分の分は自分で申告しなければならない。

急に不安になってきた。書類は何が必要だろう?

今まであちこちから送られてきた証明書を引っ張り出す。

そうだ、郵便局へ行って保険料の支払い証明ももらうんだった・・・

印鑑も必要か?身分証明のため免許証も持って行かなくちゃいけないのかな?

早く昼ご飯を作って食べて、役場へ行こう。

もう、何が何だか分からない。



二時頃なら役場も郵便局も空いているだろう・・・と車で出かけた。

郵便局で証明書をもらった後役場の税務課へ。

ばばの前にも三名の方が待っておられたが、

その方達が終わってばばの番が来た。

係の方の前に座ると、とても優しく教えて下さった。

計算もして下さり、ばばは言われるままに書くだけ。

30分くらいかかって書き終えた時、課長さんがいらして書類を覗いていたが、

ばばに教えていた方と何か話している。

源泉徴収のところが間違っているらしい。

係の方は慌ててばばの印鑑で訂正印を6カ所くらい押して数字を書き直した。

そのあと「ごめんなさい、計算間違えちゃって。

もう一回書き直していただけますか」と言う。

ばばは、素直に新しい用紙に書き直した。

書き終わると「少しは還付金があると思いますよ」と言う。

今まで還付金なんてもらったことがないばば、ラッキー。

・・・・と言うわけで家を出てから約1時間くらいかかったけど

初めての確定申告はあっけなく終わった。

家に帰って、また午後のティータイム。

そして、夕方の散歩。

あっという間に1日が終わった。

今日の計画は何だったっけと改めて思った。

廊下と台所の掃除じゃなかった?両方とも全然手を付けてないじゃない?

ばばの仕事はいつもこんなふう。

あっちをつかみ、終わらぬうちに、こっちをつかみ、

迷走を続け夕方にはふぅぅぅ~~~となる。


何か一つのことを始めたら終わりまでやればいいものを、

途中でよそ見したり、いらぬ所に手を伸ばしたり、

二つのことを一度にしようとしたりして初めの目的を忘れてしまう。

だから、退職後1年経っても家も片づかないし、いつもセカセカしている。


明日こそ廊下と台所の片づけきちんとしよう!!!!
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身近なところで・・・

2008年02月20日 14時27分00秒 | Weblog
2月20日(水)

ガソリン・小麦粉・インスタントラーメン等が値上がりしている。

値上がりしたと言っても、ガソリンはカードで支払いをしているので、

値上がりがピンと来なかった。

しかし、はっきりと値上げが実感できる商品が・・・

それは、ホテル食パンだ。

販売しているコンビニでは、切り方を巡って

ばばとは何回も、すったもんだがある曰く付きのパンである。

じじの「このパンが一番美味しい」の一言で

ここ数年、週に2回の割で買い続けているパンである。



じじとばばが長期休暇をとるまでは、368円であった。

しかし、16日間の休暇を終えて帰ったその足で同じパンを買いに行くと、

何と450円になっていた。82円の値上がりだ。

びっくりした!

そこで、今日は他のパン屋さんで同じ大きさのパンを買ってみた。

268円であった。

明日の朝のパンの味が楽しみだ。

「やはり、ホテル食パンがおいしい」となれば、少々高くても

おいしい物を食べようねと、じじと話している。

毎日の主食だもの・・・


さて、今朝、食べ慣れたホテル食パン以外の食パンを食べてみた。

いつものようにチーズをのっけてトースターで焼いて・・・

一口食べただけで感じた。

これは違う!と。

じじとばば意見一致。

昨日買ってきたパンを食べ終わったら、またホテル食パンに戻そうと。

やはり、おいしい物を食べる幸せって大事だと思う。

ささやかだけど、じじとばばにとって「ホテル食パン」を毎朝食べることが幸せ。

値上がりは仕方ないけれど、他のことで食パンの値上がりした分

浮かせる工夫をするのがばばの使命かな?


ばばは、何にでも興味を持つとすぐ飛び付く悪い癖がある。

料理・園芸・収納・食べ物・読書・・・・・・等々。

テレビや本で節約料理とか出てると興味津々。

ノートやチラシにすぐメモ。
(その料理が食卓に上るのはごくごくまれなのに。
 いつの間にかメモしたことさえ忘れてしまうことが多いのに)

先日も、とても笑えることがあった。

料理に使ったあとの大根と人参の皮があまりにも綺麗だったのと、

確かこれでキンピラを作ればおいしいと、以前テレビで出ていたっけ・・・と

思い出したばば。

すぐ実行すべく、大根と人参の皮を新聞紙の上に広げて

陽当たりの良い玄関先の縁側?に出してあった。

そこへ、たまたまお手製の料理をばばに、お裾分けすべく、じじ母が訪問。

真っ先にじじ母が目にした物は・・・

そう、新聞紙に広げられた大根と人参の皮。

ばばは、内心(あちゃ~~~しまった)と思ったけど、時すでに遅し。

次の瞬間じじははとばば、同時に大声で笑い出した。

ひとしきり笑い終わると、じじ母曰く、

「これで、キンピラ作ったらおいしいよ」と。

ばばのしようとしていることなんか簡単にお見通し。

人生の先輩はやはりえらい!

ばばは言い訳がましく「私も試してみようと思って」と答えた。

今まで、何回、大根・人参の皮を切り干し状に乾かしただろう・・・

でも、一度として生かして使ったことはなかったなあ。



じじ母訪問から、何日過ぎただろう。

じじとばばが長期休暇から帰った日に、じじ母のテーブルの上には

懐かしいような・見慣れたような一品が。

「ばばちゃんの真似して、大根と人参の皮でキンピラ作ってみたよ。

これが一番美味しいよ」と微笑むじじ母。



ばばが、あの日新聞に広げた大根と人参の皮は・・・・・・・・・

休暇に入る前に大地に返してあげていた。



ばばの、軒先には今、洗濯物を干すピンチいっぱいに

大根の切り干し予備軍が下げられている。

作った3日前は、みずみずしく水分があり

ピンと張った大根だったのに、今は・・・・

色白のまま、水分はすっかり抜け落ちている。

(切り干し人参と炊き合わせたら彩りも綺麗でおいしいだろうな)と

思ったばば。

そうだ、今、新鮮な地場産の人参がお店にも出回っていて

一袋100円だったと思考は飛び・・・




しなびた大根の横に人参がつり下げられるのは時間の問題だろう。
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