11月30日 (金)
去年の今頃、ばばは、危うく親指の付け根あたりに
メスを入れられるところだったが、ばばの臆病さが幸いして、
メスを入れられることなく今日に至っている。
そもそもの発端は去年の9月半ば頃から、親指の関節が「カックン・カックン」と
ばばの意志に反して曲がるようになってしまったからだ。
あれっ、とは思ったものの、小学生の頃、
友達が指の関節をカックン、カックン鳴らすのに
ばばはできずに、友達をうらやましいと思っていた。
それが、よりにもよって、仕事を辞める前になって、一番大将の
親指の関節が鳴るようになったものだから、
ばばは、同級生より50年遅れの「関節カックン」かあ・・・
なんて勝手に思っていた。
しばらくは気にも留めなかったが、
そのうち一度曲がると痛くて元に戻らなくなったばかりか、
元に戻そうとすれば飛び上がるほど痛みを伴うようになった。
3週間くらい経っても治らないばかりか痛みはひどくなる一方なので、
のんびり屋のばばもさすがに心配になってきた。
思い切って日頃からお世話になっている診療所に行ってみた。
先生の触診やレントゲン撮影の結果、
先生から「骨折です」と言われた。
大げさに金属の副え木と包帯でぐるぐる巻きに・・・
えーっ信じられないと言うのが本心だった。
自覚しなくて親指を骨折?ばばって鈍感!
右手の親指だけに、日常生活でも職場でも、いろいろな支障が出てきた。
翌日は運動会で、先頭に立って「ワイド節」を踊らなければならなかったのに、
それもできなくなって後輩にピンチヒッターを頼んだ。
たかが指1本と思っていたが・・・
骨折という事がどうしても信じられず、他の病院へも行ったが、
専門の先生が2日後いらっしゃるということで、出直すことにした。
運動会の翌日、病院へも行ってみた。
すると、そこで下された診断は「バネ指です」と
初めて聞く病名にばば、キョトーン。
骨折と言われたことも告げてあったので、
もう一回レントゲンも撮ったが、「骨折はしていません」と改めて言われた。
原因とかは分からないが、一種の老化でしょうと・・・ガアァァァン。
どうして、わずか2日の間に「骨折」と「バネ指」と全く違う診断が下されるの?
同じようにレントゲンも撮ったのによ。
親指をいたわって、いたわって、なるべく動かさないように、
刺激を与えないように勤めていたのに・・骨折でなくひとまず安心。
(でも、この診断は信じていいのかなあ?)
痛みが去ったわけでもなく、症状は依然として変わらない。
「骨折ではないけれど、なるべく急激な刺激を与えず安静にして下さい」
と言われ、又、指は副え木と共にぐるぐる巻きに。
さらに「そのままでは完治はしないが、
手の平の筋をちょっと切れば治ります」とのこと。
「手術自体15分もあれば終わります。」と言うが、
ばばは「期末整理もあるし、とても手術は・・・」と固辞した。
(本当は自分の体にメスを入れるのが怖くて、とても手術なんて・・)
すると先生はばばの心を見透かしたかのように
「手術と言っても、今すぐとか、
1週間後とか言うことではありません。早くてもひと月後くらいですよ」
と言われた。
(どうしても、ばばの手の平を傷つけたいのかあ?)と
内心ぶつぶつ言っていると、
「今日は痛み止めの注射をしておきましょう、
でも、痛いですよ。覚悟して下さいね」と怖いことをのたまう。
その後も「痛いですよ、痛いですよ」と呪文のように言う。
(何で、この先生は・・・?普通、お医者さんは患者さんに
不安を与えないような言葉遣いをするもんじゃない?)と思いつつも
注射を拒否するわけにいかず右手を差し出すと、
親指と人差し指の間に「グッ」と注射針を入れられた。
こんな場所への注射なんてもちろん初めてのばば、目をしっかり閉じて耐えた。
注射しながらも、先生は「痛いですよ、痛いですよ」と繰り返す。
痛いのは充分感じていますから!分かっていますって。
ばばのメン玉飛び出しそうですう。
なるほど、その痛みは先生が何回も「痛い」と言われた意味が
納得できるほどの痛みであった。
数日間、その注射の痕が痛かった。
「2週間後くらいに来て下さい。又もう一回注射をして、
その時、手術の日程などについて話し合いましょうね」
と先生からは言われたが、誰が行くもんですか!
ばばは、2週間経っても、3週間経っても2度と病院へ行かなかった。
相変わらず金具で親指を支え、
包帯でふだんの3倍ぐらいの太さになるくらい巻いていた。
1日で真っ黒に包帯は汚れ、手を洗うたびに濡れるので
1日何回も包帯を替えなくてはならない。
面倒くさいったらありゃしない。
ばばが行きつけの美容室でこのことを話すとオーナーが、
「ファインテンのチタン#*$*テープを巻けばいいんじゃない?」
と言うので、確か長女が腰が痛かった時、
同じ会社のネックレスの長いのを腰に巻いてたら良くなった」と
聞いた記憶があったので、値段も聞かず即購入。
値段は4000円余。わおーーーーっ。最初値段を聞くべきだった。
でも、これで治るなら、安いもんだわ。
このテープは使い終わっても捨てずに、木の幹などに巻き付けると
その木が元気になるんですって。チタンの力ってすごいんだなあ。
・・・・と感心しつつ、毎日せっせとテープを巻き付けて仕事をしていた。
11月、たまたま加計呂麻からばばの知人20名くらいが
観光で徳之島にいらした。
その中に、お医者さんの奥様がおられ、その方は
「私はね、薬指がバネ指になって、手術したら良くなったんですよ」
と話された。やっぱり・・・完治には手術しかないのかあ。
ばばの気は重くなる一方。
しかし、絶対手術はしないもんねえ。
ばばは改めて誓い、いっそう真面目にチタンテープを巻き続けた。
指の異常を感じたのが、9月。
時間は流れ、お正月が終わる頃、ばばは気づいた。
「あれっ、指が正常に動く!!!!!!}やったあ!!!!!」
なあんだあ、治ったじゃない!
手術しなくても良かったじゃない!
よくぞ、手術を拒否して良かったあ。
と喜んでいたら、何と退職後の5月頃のある日、又同じ指に同じ症状が!
ショックだった。泣きたかった。叫びたかった。
今度こそもう手術しか治る道はないのかと思った。
しかし、頑固な迄に恐がり屋のばばは、じいーっつと痛みに耐えた。
すると、3ヶ月くらい経ってまたしぜんに治った。
この「バネ指」とは手術しない限り、
ずっと、つきあっていかなければならないのかなあ。
考えてみると、痛み出しても3ヶ月か4ヶ月我慢すれば治るふりをする。
そして忘れた頃、又またひょこっつと頭をもたげ、
ばばを苦しめ、痛めつけるサイレント、デビルだ。
切るべきか、切らざるべきか、ばばは今後も悩み続けるであろう。
去年の今頃、ばばは、危うく親指の付け根あたりに
メスを入れられるところだったが、ばばの臆病さが幸いして、
メスを入れられることなく今日に至っている。
そもそもの発端は去年の9月半ば頃から、親指の関節が「カックン・カックン」と
ばばの意志に反して曲がるようになってしまったからだ。
あれっ、とは思ったものの、小学生の頃、
友達が指の関節をカックン、カックン鳴らすのに
ばばはできずに、友達をうらやましいと思っていた。
それが、よりにもよって、仕事を辞める前になって、一番大将の
親指の関節が鳴るようになったものだから、
ばばは、同級生より50年遅れの「関節カックン」かあ・・・
なんて勝手に思っていた。
しばらくは気にも留めなかったが、
そのうち一度曲がると痛くて元に戻らなくなったばかりか、
元に戻そうとすれば飛び上がるほど痛みを伴うようになった。
3週間くらい経っても治らないばかりか痛みはひどくなる一方なので、
のんびり屋のばばもさすがに心配になってきた。
思い切って日頃からお世話になっている診療所に行ってみた。
先生の触診やレントゲン撮影の結果、
先生から「骨折です」と言われた。
大げさに金属の副え木と包帯でぐるぐる巻きに・・・
えーっ信じられないと言うのが本心だった。
自覚しなくて親指を骨折?ばばって鈍感!
右手の親指だけに、日常生活でも職場でも、いろいろな支障が出てきた。
翌日は運動会で、先頭に立って「ワイド節」を踊らなければならなかったのに、
それもできなくなって後輩にピンチヒッターを頼んだ。
たかが指1本と思っていたが・・・
骨折という事がどうしても信じられず、他の病院へも行ったが、
専門の先生が2日後いらっしゃるということで、出直すことにした。
運動会の翌日、病院へも行ってみた。
すると、そこで下された診断は「バネ指です」と
初めて聞く病名にばば、キョトーン。
骨折と言われたことも告げてあったので、
もう一回レントゲンも撮ったが、「骨折はしていません」と改めて言われた。
原因とかは分からないが、一種の老化でしょうと・・・ガアァァァン。
どうして、わずか2日の間に「骨折」と「バネ指」と全く違う診断が下されるの?
同じようにレントゲンも撮ったのによ。
親指をいたわって、いたわって、なるべく動かさないように、
刺激を与えないように勤めていたのに・・骨折でなくひとまず安心。
(でも、この診断は信じていいのかなあ?)
痛みが去ったわけでもなく、症状は依然として変わらない。
「骨折ではないけれど、なるべく急激な刺激を与えず安静にして下さい」
と言われ、又、指は副え木と共にぐるぐる巻きに。
さらに「そのままでは完治はしないが、
手の平の筋をちょっと切れば治ります」とのこと。
「手術自体15分もあれば終わります。」と言うが、
ばばは「期末整理もあるし、とても手術は・・・」と固辞した。
(本当は自分の体にメスを入れるのが怖くて、とても手術なんて・・)
すると先生はばばの心を見透かしたかのように
「手術と言っても、今すぐとか、
1週間後とか言うことではありません。早くてもひと月後くらいですよ」
と言われた。
(どうしても、ばばの手の平を傷つけたいのかあ?)と
内心ぶつぶつ言っていると、
「今日は痛み止めの注射をしておきましょう、
でも、痛いですよ。覚悟して下さいね」と怖いことをのたまう。
その後も「痛いですよ、痛いですよ」と呪文のように言う。
(何で、この先生は・・・?普通、お医者さんは患者さんに
不安を与えないような言葉遣いをするもんじゃない?)と思いつつも
注射を拒否するわけにいかず右手を差し出すと、
親指と人差し指の間に「グッ」と注射針を入れられた。
こんな場所への注射なんてもちろん初めてのばば、目をしっかり閉じて耐えた。
注射しながらも、先生は「痛いですよ、痛いですよ」と繰り返す。
痛いのは充分感じていますから!分かっていますって。
ばばのメン玉飛び出しそうですう。
なるほど、その痛みは先生が何回も「痛い」と言われた意味が
納得できるほどの痛みであった。
数日間、その注射の痕が痛かった。
「2週間後くらいに来て下さい。又もう一回注射をして、
その時、手術の日程などについて話し合いましょうね」
と先生からは言われたが、誰が行くもんですか!
ばばは、2週間経っても、3週間経っても2度と病院へ行かなかった。
相変わらず金具で親指を支え、
包帯でふだんの3倍ぐらいの太さになるくらい巻いていた。
1日で真っ黒に包帯は汚れ、手を洗うたびに濡れるので
1日何回も包帯を替えなくてはならない。
面倒くさいったらありゃしない。
ばばが行きつけの美容室でこのことを話すとオーナーが、
「ファインテンのチタン#*$*テープを巻けばいいんじゃない?」
と言うので、確か長女が腰が痛かった時、
同じ会社のネックレスの長いのを腰に巻いてたら良くなった」と
聞いた記憶があったので、値段も聞かず即購入。
値段は4000円余。わおーーーーっ。最初値段を聞くべきだった。
でも、これで治るなら、安いもんだわ。
このテープは使い終わっても捨てずに、木の幹などに巻き付けると
その木が元気になるんですって。チタンの力ってすごいんだなあ。
・・・・と感心しつつ、毎日せっせとテープを巻き付けて仕事をしていた。
11月、たまたま加計呂麻からばばの知人20名くらいが
観光で徳之島にいらした。
その中に、お医者さんの奥様がおられ、その方は
「私はね、薬指がバネ指になって、手術したら良くなったんですよ」
と話された。やっぱり・・・完治には手術しかないのかあ。
ばばの気は重くなる一方。
しかし、絶対手術はしないもんねえ。
ばばは改めて誓い、いっそう真面目にチタンテープを巻き続けた。
指の異常を感じたのが、9月。
時間は流れ、お正月が終わる頃、ばばは気づいた。
「あれっ、指が正常に動く!!!!!!}やったあ!!!!!」
なあんだあ、治ったじゃない!
手術しなくても良かったじゃない!
よくぞ、手術を拒否して良かったあ。
と喜んでいたら、何と退職後の5月頃のある日、又同じ指に同じ症状が!
ショックだった。泣きたかった。叫びたかった。
今度こそもう手術しか治る道はないのかと思った。
しかし、頑固な迄に恐がり屋のばばは、じいーっつと痛みに耐えた。
すると、3ヶ月くらい経ってまたしぜんに治った。
この「バネ指」とは手術しない限り、
ずっと、つきあっていかなければならないのかなあ。
考えてみると、痛み出しても3ヶ月か4ヶ月我慢すれば治るふりをする。
そして忘れた頃、又またひょこっつと頭をもたげ、
ばばを苦しめ、痛めつけるサイレント、デビルだ。
切るべきか、切らざるべきか、ばばは今後も悩み続けるであろう。