北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【M-5撮影特報】中部方面混成団創設17周年記念大津駐屯地祭,自衛官候補生たちの初記念行事(2024-04-27)

2024-04-30 20:00:54 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■大津駐屯地祭二〇二四
 土曜日に撮影して参りました今年度の大津駐屯地祭の様子を速報の形でしょうかいしましょう。

 中部方面混成団大津駐屯地創設記念行事、行って参りました。大津駐屯地、中部方面隊の教育訓練総本山であると共に即応予備自衛官部隊の教育訓練も一手に担う駐屯地です。第2教育団、旧称はこのように呼ばれていまして善通寺駐屯地から移駐してきました。

 指揮官入場、各部隊の指揮官が入場します。特に中部方面混成団隷下には第109教育大隊と第110教育大隊が隷下にありまして、自衛官候補生、昔は新隊員と呼ばれていましたが最近はすんなり自衛官にはなれずに自衛官候補生と呼ばれる、その教育を担います。

 野崎混成団長の巡閲、昔はすごい人数であったのですが、第110教育大隊が善通寺駐屯地から大挙式典に参加していましたので、二個大隊ずらりと並んだ様子は壮観でした、けれども現在は大津に駐屯しています第109教育大隊と陸曹教育隊だけが整列しています。

 第47普通科連隊と第49普通科連隊も混成団隷下に在りまして、連隊旗が2振り並んでいますが、こちらも連隊幹部だけの参加となっていまして、前は一個中隊位は並んでいたのになあ、と日曜日に部隊を動かさないのはこれ、働き方改革、なのでしょうかねえ。

 観閲行進の開始、今回のEOS-M5には15-45mmSTMレンズだけを装着していましたのでちょっと望遠が厳しい、PowerShotG3XとEOS-7DmarkⅡの写真は現在整理中となっています。この混成団隷下の普通科連隊は即応予備自衛官を招集し能登地震にも派遣された。

 第109教育大隊が本田大隊長を先頭に観閲行進、戦車乗りであった大隊長さんは後方や地本勤務なども長く、考えてみると戦闘職種でも最先鋒を担う戦車乗りから様々な任務にあたったかたで、こういう人材をたくさん練成してきたのが陸上自衛隊の強みなのかも。

 教育大隊長という任務は、多くの自衛官にとり昔風に云う軍隊生活において初めて接する大隊長、2士には2佐というのは遥か高みというところですが、その人となりは自衛官生活では長く印象に残りまして、例えば陸曹昇進や部内から幹部に任官しても影響はおおきい。

 自衛官候補生の観閲行進、女性自衛官の教育中隊となっています。大津駐屯地は撮影適地が多く、観閲行進をこの側面から観閲台とともに撮影する事も出来ますし真正面から撮影する事も出来ますし、椅子席も一部が一般に開放されていますので其処からも撮れます。

 第4陸曹教育隊の観閲行進、今年ちょっと残念であったのはスタンド席が準備されなかった事です、いや、スタンド席は全て関係者用なのですが、ここは新隊員、じゃない自衛官候補生、その部隊なので父母の方が観覧に来られるのですね、その為のスタンド席という。

 スタンド席はどの駐屯地祭で利用しましても、眺望は良いものでして、最前列でなくとも行事の様子というのはりっかり見えるものなのですけれど、今回はテントとなっていまして、いや小雨の際には濡れないのですが、その反面ちょっと見えにくいのですよね。

 陸曹教育隊をみますとちょっとほっとします、こういうのも陸曹に昇進しますと、漸く定年まで勤められるという事になるからです、それまでは曹候補学生ですと7年以内に昇進して陸曹教育隊を出ないと退官、任期制自衛官は2任期4年で狭き門をくぐらねば。

 幹部自衛官は終身雇用なのですけれども、自衛隊へ就職するという視点で見ますと昔の曹候補生のようにいつかは陸曹に昇進できる事実上の終身雇用制、公務員の安定した身分というものが過去のものになってしまっていますので、募集広報は苦労が続いているのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都発幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌-岐阜羽島,これが鶏チャンだ!変人のサラダボウル賑わう岐阜で愉しむ郷土料理

2024-04-30 18:29:39 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 今回のお店は実はコロナ禍の最中に初めていったお店なのですが今日も元気に営業している名店の一つで何故かいろんな人が薦めてくる名店で、たぶん一度行ってみてきてみてという意味か。

 岐阜、岐阜基地、岐阜城、大垣城、郡上城、最近は“変人のサラダボウル”という作品で有名になっているところ。そのうち実車化されるのだろうか、しないほうがとも。さて、岐阜には鶏チャンという、郷土料理があるそうでして、有名だ、と。

 鶏チャン、これが鶏チャンだ!。六角精児の呑み鉄本線日本旅という番組で、六角さんが郡上八幡を旅した際に食べているのがちょうど再放送されていまして、それならばわたしも食べてみようではないか、と勢い立ったのですが、これ、鶏チャンなの。

 変人のサラダボウル、僕は友達が少ない、のうりん!、氷菓、聲の形、星空にかける橋、ストラトスフォーOVA、岐阜っていうのは意外とアニメに出る場所なのですが、鶏チャンというのはアニメにも出てこない、食べたことがない、とおもっていた。

 ちんちん、というここは岐阜県羽島市の、新幹線岐阜羽島駅からちょっと北上した当たりに在りますお店なのですが、鶏チャンが名物だという。そこで注文しつつ、あわせてビールもお願いしまして。鶏チャン、NHKの番組で六角精児さんが食べていたもの。

 ホタルイカの刺身を合わせて並べまして、というのもこの鶏チャンというのはコンロで暫くじうじうやる必要があるようでして時間もかかるようですからその幕間にちょっとビールと仲良くできそうな子をと、箸休めといいますかなんといいますか。

 固形燃料が良い音を立てている。これ、ろうそくの固形燃料は昭和初期に元自衛官の方が退官後に思いついて開発したものなんだ、とまえに大津駐屯地で、なんとご本人、お教えいただきました。確かに強い火力と手軽さ、軍用蠟燭の蝋燭炊飯の流れ。

 白雪、清酒は伊丹の銘酒白雪をあつかっているということで、そうお刺身にはビールよりも清酒なんだよなあといただく。徳利は千代菊酒造というここ、ちんちんと同じ羽島市の酒造会社さんのものですが、中身は白雪、私が一番好きな日本酒なのです。

 霧の榛名とか、比叡桜とか、好きな清酒は色々ありますが、これおいしいな、と清酒で最初に思ったのは白雪でして、それも伊丹駐屯地祭の帰路という。わたしがはじめて痛み駐屯地祭に行きましたのは2002年ですのでもう20年以上前、昔ばなし。

 千代菊酒造さんは蔵開き、という行事にお邪魔した事がありましたが、それが2020年春、こんどは広島の有名な蔵開きに行ってみようと思い立ったものの、その十日後あたりにCOVID-19の日本上陸が始まりまして、実現できていない。海田市の近く。

 鶏チャン、出来上がりました。初老の大将さんが時折様子を見に来てくれて箸でかき混ぜてくれたので無事完成です。鶏チャンというよりも呉で聞いた鳥すきのような感じで、しかし榛名山のふもとは高崎で頂いた鳥すきとは全く違う、歯ごたえと味が。

 鳥のたたきを。いろいろ考えたのだけれども今晩は鳥尽くしで行こう、とさっきホタルイカで美味しいねえと思わずつぶやいたことはあとにしまして、京都や佐世保でいただくことのおおい鳥の珍味をちんちんで。そして時折鶏チャンをお酒とはさむ。

 しかし鶏チャン、ご飯が欲しくなるよね、というのはNHKの番組で六角精児さんと同じ流れ。でも、たしかNHKの番組では回鍋肉の日本版の様な味噌野菜炒め鶏肉付きのような感じのものが出ていたと思うのだけれども、羽島市ではこれが鶏チャンなのか。

 ちんちん。榛名さんちんちんのお店に行きました、といいますと、榛名さんのエッチ、といわれるかもしれない。まあ護衛艦はるな種別のヘリコプター搭載護衛艦はDDにHをつけてDDHだ。ここは竹鼻丸の内という、昔の城跡的な地名の居酒屋さんです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】松本城-観桜,金華山城の支城としての歴史と小笠原氏狙う武田氏の信濃侵攻

2024-04-30 07:01:20 | 旅行記
■松本城は深志城
 城郭はその細部もさることながら歴史を辿りますと既知の知識と新しい知識の邂逅と体系化が面白いのです。

 松本城はもともと別の城郭の支城に過ぎなかった、というのは今の巨大な城郭を見上げますと驚きまして、ニセコ要塞や琵琶湖要塞のような巨大軍事施設でもあったのか、と訝るところですが、実は当初の松本城は深志城と呼ばれた、小さな城でした。

 深志城と呼ばれた時代にはスミノフ軍、じゃない武田信玄の脅威がありました時代でして、しかしその築城はもう少し時代を遡りまして、永正年間、これは16世紀初頭の西暦1504年から1520年頃の築城となっていました、築城は府中小笠原氏によるもの。

 府中小笠原氏が信濃守護を与った際に造営されました城郭は、しかしいまの松本市の市域でも少し離れた金華山城というところにあります。岐阜城とは凄い離れているなあ、と歴史好きは思われるでしょうが美濃の金華山ではなく松本の城郭の地名でして。

 金華山城とはもう一つ林城ともいい、ここで供されていた陣中飯がハヤシライスであったわけではないのですが、天文年間に武田信玄と小笠原長時との戦いで府中小笠原氏は林城に籠城の構えを見せますが、支城犬甘城陥落とともに防衛線が瓦解してしまう。

 林城跡、としていまも土塁など遺構が現存しているのですが、隣接して井川城跡という遺構が並びましてこの二つで小笠原氏城跡というものを構成している、この立地は松本駅から南方に1㎞程の立地ということで、行こうと思えば行けたのですが。

 足利尊氏、府中小笠原氏が当地を拝領しました際には当主小笠原貞宗が、室町幕府開府前の足利尊氏に付き従い、建武の新政などに際し功績を残したことで信濃守護を任され、その信濃を拠点に筑摩や安曇に勢力圏を広げていった、という歴史がある。

 居館としてこの際先ず井川館を構築、これは発掘作業により伝櫓台跡などが発見されていて、今は水路の縄張りが残る程度なのですが六田川という近隣河川の水源を利用した掘割など、かなり大きな城郭であったらしい、その支城として今の松本城を、と。

 信濃侵攻では、城郭の支城を防衛線とする構えで小笠原氏は迎え撃ちますが、結果は上記の通り、ただ、林城は使用に適さないとして廃城にしたうえで、この松本城を利用するわけです。もっとも、地形を見るとそう離れていないわけで、理由は気になる。

 林城の戦いでは武田信玄と直接戦火を交える前に落ち延び、しかし色々あった上で当主は上杉家に救われるものの後に織田家などの庇護を転々、その最後は会津という、ここ信濃とは縁もないような遠い地にて、戦国乱世の末期に天寿を全うしているもよう。

 武田信玄はこの勝利を以て筑摩平定を完了し、一方で小笠原長時は落ち延び、上杉景勝の配下を経て織田信長に重用、そして奇しくも三男小笠原貞慶は織田信長の配下として有名な長篠の戦に参陣し、一応は武田家への復仇を果たすという歴史があります。

 上杉謙信への備え。松本城は、その始まりが林城の支城ではあったのですが当地一帯を併合した武田信玄が越後の上杉謙信への防衛体制確立を期して大きく拡張した城郭といい、武田四天王の一人である馬場信春を城代として配置していました。

 小笠原貞慶、色々あって織田信長の配下に参陣したという事ですが、実際色々ありまして、しかし実際あったいろいろな先に、最終的には此処松本城を取り戻すという、なかなかに歴史情緒といいますか機運と数奇が交わる歴史が広がっているようです。

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【防衛情報】アメリカ海兵隊ハリアー活躍とオランダ海軍防空フリゲイト,イギリストライデントⅡD5ミサイル実験失敗

2024-04-29 20:24:44 | インポート
■防衛フォーラム
 今回は海軍関連の話題を集めましたが懐かしのといわれる海兵隊航空機の活躍の話題から。

 アメリカ海兵隊のハリアーが紅海海上で無人機迎撃に意外な活躍を続けています。ハリアー攻撃機はアメリカ海兵隊でのF-35B戦闘機配備進展により徐々に退役が進んでいますが、イエメンの武装勢力フーシ派による紅海海上での弾道ミサイルや自爆用無人機を用いた商船攻撃が拡大するとともに艦載機として紅海へ進出し防空作戦を展開中です。

 ハリアーは現在、強襲揚陸艦バターンの艦載機が対応しており、ハリアーは7機の無人機を撃墜したとのこと。バターンはワスプ級強襲揚陸艦、この艦はF-35Bの運用にも対応していますが竣工時からハリアーの運用を念頭とした設計を採用している。自爆用無人機はコスト面で10万ドル前後、各国海軍は艦対空ミサイルでの対応を余儀なくされる。

 スタンダードSM-2ミサイルを使用した場合の一発当たりの費用は220万ドルであり、数十発単位で無人機を使用されている現状ではスタンダードミサイルはあまりにそのコストが高くつきますが、ハリアーであれば機関砲や短距離空対空ミサイルによる無人機制圧でも可能、また超音速飛行に対応しない性能が逆に有利に機能するのかもしれません。
■AS-532-ASuW
 ピューマシリーズは固定翼哨戒機なみの武装を搭載できるということで昔から話題です。

 ルーマニア海軍はAS-532-ASuWクーガー対艦戦闘ヘリコプター2機を導入します。エアバス社はヘリコプター部門の前身であるユーロコプター社時代からシュペルピューマヘリコプターシリーズの対艦攻撃型を提案しており、もともと大型のピューマシリーズの機体規模を活かし、強力なエクゾセ空対艦ミサイル2発の搭載を提案してきました。

 AS-532-ASuWクーガー対艦戦闘ヘリコプターについては、ルーマニア自身が1月19日にEU欧州連合へ導入を通知したことで明らかとなりましたが、詳細は示されておらず、ただ、AS-532-ASuWクーガー対艦戦闘ヘリコプター2機の取得費用は1億7907万ドルであると示されています。エアバス社はこの導入について具体的な情報を開示していない。

 エアバスヘリコプターズ社が製造するAS-532-ASuWクーガー対艦戦闘ヘリコプターですが、過去に示されたエクゾセミサイル搭載型であるかは明らかにされていません、ただ、今回の調達はルーマニアの防衛企業IARインダストリアアエロノーティカロマーナ社が対応するとのこと。ルーマニアは黒海沿岸諸国でありロシア黒海艦隊と対峙している。
■ヴィアナドカステロ級
 満載排水量ですと護衛艦いしかり同程度ということか。

 ポルトガル海軍はヴィアナドカステロ級哨戒艦6隻を増強するとのこと。ヴィアナドカステロ級哨戒艦は現在ポルトガル海軍に4隻が装備されている外洋哨戒艦で、NPO2000計画としてポルトガル海軍の大西洋戦略の一環として2011年から2018年にかけて順次、建造されたもの、建造はポルトガルの西海造船所が担当しています。

 ヴィアナドカステロ級哨戒艦は満載排水量1850t、全長は83.1mで全幅12.95m、ディーゼルエレクトリック方式により21ノットで航行可能であり、武装として30mm機関砲と機銃4丁、また中型ヘリコプターの発着用甲板を有しており、乗員は35名で必要に応じ海兵隊員など32名が乗艦可能、必要に応じてパワープロジェクションシップとなる。

 ヴィアナドカステロ級哨戒艦は今回の建造により10隻体制となりますが、ポルトガル海軍によれば今回増強される6隻については後期型という位置づけとなり、前期型の4隻と比較した場合で、ASW対潜戦闘用モジュールシステムの搭載能力やVTOL-UAV垂直離着陸型無人航空機の運用能力を付与しISR情報収集能力等を付与する計画とのことです。
■デゼーヴェンプロヴィンシェン級
 デゼーヴェンプロヴィンシェン級の後継艦にかんするもの。

 オランダ海軍は防空フリゲイト4隻を建造する計画とのこと。これはオランダのクリストフファンデルマート国防相が3月1日に議会に提出した書簡により示されたもので、その費用として4隻で35億ユーロ以上の費用を見込んでいるとのこと。建造はオランダのダーメン社が担当し兵装システムについてはフランスのタレス社を想定し交渉する。

 デゼーヴェンプロヴィンシェン級フリゲイト、オランダ海軍には現在4隻の防空フリゲイトが配備されていますが、デゼーヴェンプロヴィンシェンの就役は2002年で相応に老朽化が進んでおり、4番艦エヴァーツェンも竣工は2005年、このため2030年代半ばには老朽化により退役の時期を迎えることとなります。新型艦はこの4隻を置き換えを期す。

 新型防空フリゲイトは極超音速兵器など新しい脅威に対応する性能を目指すとのこと。デゼーヴェンプロヴィンシェン級フリゲイトは満載排水量6200t、そしてオランダ海軍にフリゲイトは同級4隻のほか、カレルドールマン級フリゲイトの1993年就役であるヴァンアムステルが現役、乗員不足で保管中のファンスパイクを含めても6隻となっています。
■AW-159をガンシップ化
 重要な一歩です。

 フィリピン海軍はAW-159哨戒ヘリコプターをガンシップ化しました。長らく潜水艦を探知する手段がなかったフィリピン海軍はこのところの水上戦闘艦整備と共に対潜能力を高めており、併せて導入したのがAW-159ワイルドキャット哨戒ヘリコプターです。そしてTIAC海軍技術検査受入委員会はその武装化の試験をこのほどおこないました。

 AW-159哨戒ヘリコプターに新しく搭載されたのは航空機搭載用の12.7mm重機関銃でドアガンとして搭載し、巡航飛行時は機外に装着される方式のもの。ホセリサール級フリゲイトの艦載機として2機が配備されるAW-159は哨戒ヘリとしては母艦の捕捉した目標へ魚雷を運搬する航空機ですが、グレーゾーン事態に対応すべく機銃を搭載しました。
■マサチューセッツ
 先日横須賀に来ました攻撃型原潜も戦艦の名前を冠していましたが。

 アメリカ海軍の新しい攻撃型原潜マサチューセッツが進水式を挙行しました。ハンティントンインガルスインダストリー社のニューポートニュース造船所において行われた進水式ではドックから進水ではなく建造ドックから浮きドックに船体を移したうえで浮きドックを進水させタグボートにより潜水艦桟橋に移動させる方式が用いられました。

 マサチューセッツは2004年に竣工したヴァージニア級攻撃型原潜の25番艦であり、ヴァージニア級攻撃型原潜のblockⅣに区分される潜水艦です。そしてマサチューセッツはアメリカではじめてバーチャル起工式を行った潜水艦です。こういうのも起工式は2020年12月19日、COVID-19感染拡大により起工式を開けず、この程無事進水式を迎えた。
■FREMMフリゲイト
 いつか日本でも見たいものだ。

 イタリア議会はフリゲイト2隻と戦車132両などに関する国防省装備取得計画を承認しました。これは議会国防委員会が2月21日に提出した計画案で、ロシアウクライナ戦争を受けての緊急国防計画の一環だ。戦車はドイツ製レオパルト2、建造される2隻のフリゲイトはカルロベルガミーニ級として知られるFREMMフリゲイトの改良型です。

 カルロベルガミーニ級フリゲイトはイタリア海軍が10隻を計画している新型艦で、既に8隻が就役しています。今回の増強により保有数は12隻となり、また、建造期間が延長されるため、エジプトに採用の実績がある輸出型の更なる建造も期待されています。カルロベルガミーニ級2隻の建造費は20億ユーロ、米貨換算で22億ドルにたっします。
■ユーリティ1700
 日本ならば意外とはやく量産してしまいそうな印象がある水準の。

 アメリカ海軍は関連労働者解雇を理由にスウィフトシップ社との契約を停止しました。スウィフトシップ社は海軍のユーリティ1700機動揚陸艇計画における主契約企業となっていますが、同社は2024年1月以降短期間でユーリティ1700機動揚陸艇計画関連工員を少なくとも100名解雇しており、海軍が契約不履行に繋がるとして警告していたもの。

 ユーリティ1700機動揚陸艇計画は新型のLCU建造を目指すもので2018年に競合他社の案を差し置き海軍に選定されたもの。既に設計費用と一番艇建造費として1800万ドルの契約を、続いて2019年に2隻の建造費2670万ドル、2020年には5隻で5010万ドルの契約をむすび、スウィフトシップ社は最大で32隻が建造される計画となっていました。

 スウィフトシップ社は建造能力はあるとして海軍との間で和解プロセスの開始を望んでいますが、元々2023年に竣工予定であった最初の2隻は未だ建造中だ。他方でアメリカ国内のインフレは厳しく、同じく海軍のLCUを建造するオースタルUSA社は2023年にスウィフトシップ社と同規模のLCU建造契約を3隻で9150万ドルにて結んでいます。
■トライデントⅡD5
 アメリカのコロンビア級戦略ミサイル原潜の建造費が二兆円を超えるようですが維持の難しさをイギリスの話題から。

 イギリス海軍はトライデントⅡD5潜水艦発射弾道ミサイル実験に失敗しました。これは1月30日に戦略ミサイル原潜ヴァンガードがアメリカ本土フロリダ州沖において実施したもので、イギリス国防省は詳細を発表していませんがイギリスのサン紙は発射管からは圧縮ガスにより発射されたものの第一段ブースターが不作動であったと報じた。

 ヴァンガードから発射したトライデントⅡはそのまま潜水艦付近に落下、海面付近で破損したとのことですが、ヴァンガード艦内には2016年以来の潜水艦発射弾道弾試験視察に第一海軍卿ベンキー提督やジェームズカートリッジ国防調達担当閣僚が乗艦していたとのことで、ヴァンガードも今回の発射試験へ7年間の調整をしていた後の失敗という。

 トライデントⅡミサイルそのものの不具合化といえばそうではなく、同じミサイルを2023年9月にアメリカ戦略ミサイル原潜ルイジアナがサンディエゴ沖で発射試験を行った際には正常に飛行しています。他方で、ヴァンガード級戦略ミサイル原潜は前回の2016年にもミサイルが正常に飛行しない試験失敗を起こしており、二回連続の失敗です。
■セントオールバーンズ
 海軍力を支えるのは造船業だ。

 イギリス海軍は23型フリゲイトセントオールバーンズの定期整備完了を前倒ししました。これはバブコック社により定期整備を行っていたセントオールバーンズについて、予定を3か月間前倒しし艦隊に再就役できたとのこと。セントオールバーンズは16隻が建造された23型フリゲイトの最終艦として2003年に竣工しています。

 シーウルフミサイルの廃止とより射程の長いシーセプターミサイル搭載、ソナーシステムの後身とディーゼルエンジン4基全てと推進モーターの交換や戦闘システム近代化などが行われました。セントオールバーンズの定期整備は2019年よりデボンポートのハブコック社施設において開始され、作業時間は延べ120万時間ということでした。

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【京都発幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌-岐阜鷺山,モーニングの紅茶は斉藤道三城跡ちかくにて愉しむ

2024-04-29 14:47:19 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 飲み物代を支払うだけで頂ける朝食のような岐阜モーニングは量も内容も香辛料も実際凄かったのです。

 岐阜に来たんだから朝はモーニングを愉しまないと、とは岐阜の方が毎回のように言うところ。岐阜基地を撮影していてもモーニングの話題で盛り上がる、ところは実のところ数回しかなかったのだけれども、モーニング娘よりは話題に上っている感じ。

 モーニング、岐阜のモーニングはコーヒーや紅茶を注文しますと、追加料金なしでいろいろなサービス、マッサージとかゴルフ打ちっぱなしとかのサービスではなく、スープやパンがついてくるというもので、お茶一杯の料金で色々楽しめる醍醐味という。

 ここのモーニングは紅茶か珈琲か中国茶を選んで、そして豆乳中華粥か火鍋の豆腐鍋かを選ぶという方式で、なるほど確かに、京都の喫茶店でここまでコーヒーや紅茶一杯でサービスしてくれる店というのは聞かないもので、岐阜モーニング、すっごい。

 祁門紅茶という中国茶を注文しまして、そうこの祁門紅茶ってどうやってよむのか、祇園とにているのでというか漢字を見た直感でギモンコウチャと読んだのですが疑問形になってしまった。日本と中国は同じ漢字圏なのに大陸のは読みが難しいよね。

 毎回茶をお願いしますという注文を別のお店で隣の方が店員さんに行っていて、成程茶葉のボトルキープか流石高級店はちがうなあ、とおもっていたら、玫瑰茶という銘柄であったりしますので、大陸風の、ここは台湾風というけれど、奥深いお茶の愉しみ。

 火鍋。実は初めて食べるのかもしれないもので、赤い麻辣火鍋という、山椒がものすごくよく利いた、けれどもその大前提として唐辛子のもっとよく利いた、小鍋料理です。粥を入れることも春雨をいれることも出来ますが、今回はお豆腐仕立て。

 春雨もいいかなあ、とおもいつつ麻辣火鍋は、正直に白状しますと麻婆豆腐のような印象のものという感じで、いや春雨や粥にして万一想定以上に辛かった場合は、と激辛の場合でもお豆腐だけならば掬って食べられるよね、という一歩引いた。

 揚げパンが添えて供されていますので、スープに浸してどうぞ、という事でした。ちょっとここまで辛いスープにパンを浸すのは初めての経験なのかなと若干好奇心と不安が混ざっていたのですが、砂糖で味付けしない純粋な揚げパンというのも初めて。

 美味しい、という印象がまず最初に来まして一拍子おいて、でもこれ朝に頂くにしては香辛料利いてるなあ、という感じ。でもこれ、胃の腑をきゅっと朝であると教えてくれるとともに合間に頂く祁門紅茶とあわせて、よく考えてあるなあ。

 火鍋には牛蒡と南瓜とが入っていまして、これスープとお茶の値段が別々なのでは、と少々考えてみたのですが、お会計の時には中国茶のお値段だったものですから、お茶一杯の値段で火鍋がついたわけだ、岐阜のモーニング、こんな感じで堪能しました。

 鷺山城という、戦国のまむしこと斎藤道三の城郭跡の方へ向かう途中にフジヤマ55という、これ御殿場駅前で何度も行っているつけ麺屋さんで、朝一で富士学校祭や富士総合火力演習を撮影しました帰路に、ここで五合目とか七合目を掻き込んだもの。

 フジヤマ55NEO XO醬、岐阜市北島に在り、御殿場のフジヤマ55系列なのだとおもう、御殿場駅前のフジヤマ55は火鍋を朝だしてくれなかったというか、こちらのように朝0800時の時間帯にはまだ暖簾を掲げて、いやもう0800時は戦車の前に居た。

 モーニング、火鍋がつくところはほかにあまりないように思うのですが、すし屋がコーヒーと寿司のモーニングをやっていたり、パン屋さんがコーヒーにお替り自由をつけてみたり、いやそんな物凄いことを、という店が案外多く、面白いですね。

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ウクライナ情勢-アメリカ軍事援助再開概要とロシア軍ノヴォミハイリフカ占領とチャシブヤール攻防戦

2024-04-29 07:01:17 | 防衛・安全保障
■防衛情報-ウクライナ戦争
 日本はゴールデンウィークではあってもウクライナ情勢は動いているという現実があります。

 アメリカのウクライナ援助再開に関する概要について、ISWアメリカ戦争研究所4月24日付ウクライナ戦況報告によれば、最初の軍事支援は10億ドル相当になるとの事でRIM-7シースパロー対空ミサイルとAIM-9Mサイドワインダー空対空ミサイル、スティンガー携帯地対空ミサイル、HIMARS用GMLRS精密誘導ロケット弾、60mm迫撃砲、このほか。

 M-2ブラッドレイ装甲戦闘車とハンヴィー高機動車にMRAP耐爆車輛、105mm砲弾と155m砲弾、TOW対戦車ミサイルとジャベリン対戦車ミサイル、AT-4個人対戦車弾、そして輸送車両などが供与されるとのこと。アメリカ議会での混乱を受けほぼ半年に渡り援助が滞っていた状況でしたが、既にM-2装甲戦闘車などは搬入準備に入っています。
■ノヴォミハイリフカを占領
 ゆっくりとではあるも確実に進行しているロシア軍の概況です。

 ロシア軍は4月22日にノヴォミハイリフカを占領したと発表しました、イギリス国防省ウクライナ戦況報告4月23日付発表によればノヴォミハイリフカはドネツク地方マリンカ南方のウフレダール近郊にある村落で、ドネツク南部のスヒヤリ川付近に所在、ロシア軍は2月9日に村落に突入し3月22日には中心部を占拠、掃討戦を展開していたとのこと。

 ウクライナ軍第79独立空中強襲旅団司令部の報告では、ロシア軍はノヴォミハイリフカ攻撃に3万名規模の部隊を投入しており、5kmを73日間かけ占領したという。ノヴォミハイリフカ占領の背景にはロシア軍はウクライナ軍が構築したウフレダール防衛線を迂回しようとしており、今後は2km先のコスティヤンニウカを攻撃する可能性が高いようです。
■チャシブヤール攻撃
 いよいよ攻防戦が開始されるのか。

 ロシア軍のチャシブヤール攻撃は緒戦の段階で撃退されているもよう、ISWアメリカ戦争研究所4月24日付ウクライナ戦況報告によればウクライナ軍のチャシブヤール守備隊司令官の発言としてロシア軍はチャシブヤール近郊のイヴァニフスケに攻撃を集中しているが攻撃が失敗した事から部隊を一旦後方に引いたうえで再編成中とのこと。

 ロシア軍は無人機の運用出来ない時間帯を選んでおこう激しており、ウォールストリートジャーナルの取材をISWが引用したところによれば、市販ドローンのカメラが認識できない薄暮の時間帯に攻撃を加えるという。この時間帯には暗視装置は不要であるとのことで、無人機に部隊行動を把握されない努力と、また市販無人機の限界を示しています。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【日曜特集】第1特科団創設62周年記念北千歳駐屯地祭-反撃能力整備とマルチドメイン戦略を考える(1)(2014-06-28)

2024-04-28 20:24:03 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■北千歳駐屯地62周年祭
 今年は第1特科団72周年を迎えますが今回のゴールデンウィークに日曜特集掲載再開に併せこの北千歳駐屯地祭の様子を紹介しましょう。

 北千歳駐屯地創設記念行事、10年前の行事の様子を今回から数回に分けて紹介してゆきます。北千歳駐屯地は第1特科団司令部などが駐屯していまして、そう2014年の行事から10年後の2024年には九州に第2特科団が創設されましたので、時節柄とおもう。

 特科を示す黄色い部隊旗が延々と並んでいます部隊整列の時点で、これだけの兵力と火力があれた敵をその上陸地点において存分に叩ける、という映画の有名な台詞を思い出してしまうわけです。実際砲兵火力はロシアウクライナ戦争でも主力となっている。

 梶原直樹陸将補が団長兼ねて北千歳駐屯地司令で、第32代第1特科団長となっていましてあれから10年後の今日には第38代第1特科団長として香川賢士陸将補が現在補職されています。特科団という編成は諸外国の砲兵旅団にあたる部隊となっています。

 特科団編成は、第1特科群、第4特科群、第1地対艦ミサイル連隊、第2地対艦ミサイル連隊、第3地対艦ミサイル連隊となっています。ただ、これは当時の編成であり2024年3月の部隊改編により第4特科群は廃止され今日に至ります、在りし日の姿ですね。

 団本部が置かれている駐屯地となっていまして、隷下部隊は美唄や上富良野など北海道に広く配置されているのですが、その創設以来の任務は創設当時の1952年以来一貫して強力な火砲とのちに加わるミサイルなどを用いて北海道への大陸からの攻撃の阻止だ。

 北千歳駐屯地、このほかには第71戦車連隊と第302高射特科中隊などが駐屯していまして、今は既に廃止されている203mm自走榴弾砲なども多数そろえています。第71戦車連隊は当時5個戦車中隊編成、のちに4個中隊編成へと縮小改編されていますが。

 自衛隊関連行事、働き方改革により行事という事で訓練以外に人員や装備を動かす事への限界があるのでしょうけれども自衛隊行事は2024年度に開催されるものは幾つかいきましたが行事内容が大幅に縮小されていまして、これが防衛の現実なのかな、と。

 北海道の北千歳駐屯地、千歳市には自衛隊施設がいくつもありますが、戦車師団として有名な東千歳の第7師団祭は混雑するのですけれども、多数の火砲が、今年はもう砲からミサイルとロケットに切り替わりましたが、重装備がそろう行事となっています。

 北千歳駐屯地はかなり山奥にあるような印象を与える構図なのですけれどもJR千歳駅から駐屯地の敷地まで直線で1.5kmほどしかなく、駅よりも千歳空港に隣接しているほど若干距離がある東千歳駐屯地と比べますと、けっこういきやすい行事といえまして。

 混雑していない行事ということで2014年に東千歳駐屯地ではなくあえてここ北千歳駐屯地へといきました次第です。そしてそれほど広すぎるわけでもありませんので撮影しやすいという印象と、限られた会場での撮影の難しさなどを感じるのですけれども。

 湯布院駐屯地にこの春、第2特科団が新編されました。今回の日曜特集は、従来の写真24枚編成から当面36枚編成としまして、特に自衛隊行事の紹介を前半12枚分おこないますとともに、後半の24枚分は防衛備忘録の話題をあわせて日曜特集といたしましょう。

 反撃能力整備とマルチドメイン戦略、こうした話題を7回に分けて紹介する予定です。勿論これは公式な自衛隊の見解ではなく反撃能力について、2014年には考えられなかった視点を、当時の写真を振り返りながらという形で紹介しますのでごらんください。

 専守防衛、日本国憲法九条の平和主義とともに我が国の安全保障と戦争放棄を両立させるため、国軍とはことなる実力組織として我が国は1950年に警察予備隊を創設し1952年には保安隊、そして1954年には自衛隊へと改組、今日も自衛隊は安全保障の主軸にある。

 しかし現代、90式戦車など優秀装備をそろえて野戦の訓練だけを十分に行っていれば国が守れる時代ではなくなってしまいまして、いや冷戦時代には考えられなかった新しい緊張、装備による攻撃の様相が転換してしまい、現代ではそれに備えねばなりません。

 安全保障と防衛というものは我が国では微妙な線引きがあり、ここには予防外交と解釈されるものを含むために所管官庁に外務省などがくわわるのですが、外務省と防衛省、この線引きは我が国の憲法独特の解釈故に明確さを求められるものの、同軸とする国は多い。

 防衛、軍隊、公務員と軍人の線引きに、死んでこい、という命令が合理的に受け入れられるかという問いへの可否を含む、こうした解釈があるようですが、ともあれこの歪な制度とともに、ある種のコモンセンスとして専守防衛、という概念が受け入れられてきました。

 戦車と普通科に特科、専守防衛という概念の定義は、しかしこれも曖昧なものなのですから、直接国土が攻撃された時点で防衛に着手する、という、まあその時点ではかなり国民の生命財産は失われ、着手した後もその状況は続くこととなったのでしょうけれども。

 平和憲法という理念を、少なくとも新しいものにかえようという動きへの消極的もしくは、反対と言うものがそれなりにあるものでしたから、平和憲法というものを守ることによって平和が失われた場合のリスクは、ある程度考えて受容していると思っていたのです。

 国家防衛戦略、2020年代に反撃能力という概念が盛り込まれ、我が国は少なくとも隣国すべての全域をとはいわないものなのですが、かなり射程の長い装備を保有する方針で進められています、地対地誘導弾が射程2400km、空対地誘導弾が1000km、あとは。

 トマホークミサイルを海上自衛隊が導入しますので、陸海空自衛隊がそれぞれ反撃能力を整備することとなります。専守防衛、それは装備の射程延伸とともに概念は変わるものと言われていたのですけれども現実のところは、上陸した敵を海岸線で、だけではない。

 マルチドメイン戦略という概念と接近拒否領域阻止という概念、前者はアメリカの戦略概念で後者は中国の防衛概念なのですが、これらで用いられる装備の射程がふつうに数千kmの大台に乗っているために、国土だけにこだわる防衛では国民の生命財産が、という。

 しかし、90式戦車をそろえてMLRSで全般支援を行い普通科が近接戦闘を、地対艦ミサイルが上陸と補給を遮断する、という概念そのものが伝統的な防衛であると、なにしろ1954年の自衛隊創設以来の基本戦略をその延長線上に考えてきた故、動きは急すぎるようにも。

 日本国憲法の平和主義とは、平和的生存権の具現化への手段として結果としての平和よりも手段としての平和、話し合いだけでは解決できない小規模な紛争の危機でも話し合い以外の手段を放棄し、結果的に全面戦争になっても仕方ない、という理念でした。

 平和を結果としてのものではなく手段としての平和として、それによって最後の結果として大量の国民の生命財産が失われることとなっても、それを受け入れて、八月十五日の続きに臨む、こういう覚悟があって平和憲法を遵守しているとおもっていたのですが。

 関心がない、防衛に関心がないと言うよりも平和の内容に関心がない、この現状が、しかし個人には進学して就職して結婚し子供を授かり家を建てて教育を施し老後に云々、と個人には生命とともに財産も生命を支える基盤となるわけで、平和と財産の天秤は難しい。

 個人主義といいますか、個人の価値観というものが相応にありますから、平和的生存権というものは、国が戦争の覚悟をしようとどのような装備を持とうとも国民が巻き込まれないことを重視する時代になっている、これが平和主義の価値観の変容ともいえます。

 しかし、日本の安全保障議論はゼロサムベースで、自衛隊は必要でしょうか必要ないのでしょうか、という入り口の議論を未だに後者の支持率がわずかとはいえ残るほどですので、接近拒否領域阻止への対応を具体的にどうするかまでは、すすみません。

 入り口で議論が止まることは危険なもので、COVID-19を例に挙げれば、そもそもウィルスというものは存在するのか祟りなのか、という議論で停止しているようなものです。しかし実政治は現実の問題に対応する必要がありますので、そのまま進まざるを得ない。

 安全保障で入り口にてとまっている別の事例を挙げますと、意外に思われるかもしれませんがイスラエルなどでもにた事例があります、それはユダヤ教団体でイスラエルの平和が守られているのはIDFイスラエル国防軍によるものではなく神への祈りだという。

 イスラエルの場合は良心的兵役拒否の問題と宗教が複雑に絡み合い、結果的に安全保障理念の分断を生んでしまっていますが、分断したままIDFは必要な軍事作戦を行っています。すると日本のように現実世界が大丈夫ならば問題はないのかというと、しかしそこは。

 挙国一致内閣など戦時内閣をくむ場合には宗教政党を含めて挙国一致内閣がくまれますので、2000年前の価値観をそのまま2020年代の政治に含めてしまう。日本の場合も、自衛隊反対の社会党は村山内閣時代に自衛隊合憲論に転向しましたが、入り口到達が1993年だ。

 90式戦車などを十分そろえて、進行してくる敵対勢力を全部劇はしたとしても、それは第二次世界大戦が本土決戦前の段階で末期戦になっていたものとおなじことなのですから意味がない、けれども憲法という制度を角に政治は無視できない、ここがジレンマといえる。

 同床異夢が生じる、防衛に関して考えさせられるのは、自衛隊は必要という議論はたんなる防衛議論の入り口、無政府主義か民主主義かを結論づけただけにすぎません、しかしその具体的防衛政策を考えるには、議論と実情を知ることから始めなければ。

 一方、戦車というわかりやすい防衛力も必要と考えるのは、結局のところ国家、民主主義国家であるとともに日本の防衛政策を国民が理解して指示しているからこそ成り立つものがあり、ミサイルが多数並んでいるだけで安心できるようなものなのか、とも。

 戦車カッコイイ、と純粋に行事を楽しむことができましても、レジャーを考えるならばもう少し費用対効果の高いものがあるわけでしてそもそもそういうもの国がそろえて広報として展示する背景というものに関心を持ちますと、沼、といわれるようになる。

 自衛隊関連行事は、こう、新隊員といいますか候補生の応募者をふやしたいという安直な目的があるにしてももう少し議論を進めるための政治への関心につながるような背景まで間口をあけて展示しているのだなあとも考えて、並ぶ部隊のようすをみるのです。

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【京都幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌:京都-祇園,高台寺八坂神社界隈は静かなビストロの話題

2024-04-28 18:11:41 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 暖かくなってきた寒さが戻ってきた熱くなってきた急に冷たい風が温かい一日になっている、さて今日はどっちなのだろう。

 祇園の、といいますとビストロの話題ですとお値段的に急に身構えてしまう方がいるようですが、八坂神社の近くといいますとお手頃な印象に切り替わるという話を聞きました。今回は八坂神社楼門を少しだけ八坂の塔の方へ行きましたお店の話題です。

 ATOUT, 東山区下河原町の八坂神社のほかには高台寺や安井金比羅宮のある当たりに、小さなビストロが、隣は観光客向けの貸衣装屋さん、文字通り佇んでいまして、時間帯にもよるのでしょうが静かに美味しいランチタイムを過ごすことができる。

 カブのポタージュスープからランチコースは始まりまして、ポタージュといいますとコーンやカボチャの印象があるものですから、一口目で思うのは勉強になるなあという事、そう初めての物を頂くというのはそういう出会い、というものなのでしょうね。

 サラダには生ハムが添えてありまして切り落とし、そう此処一応ビストロなのですから夜にワインの時間帯にはここでワインにも添えられるのだろうなあ、今日はバゲットがありましたので生ハムを添えて頂く、ランチタイムはディナーへの名刺という。

 ポークロースのグリルにワインソースで彩を添えた者、ポークさんは鹿児島産とのことでしたが、柔らかくそのうえピンクペッパーの弾ける香辛料の香りが噛むほどに面白い個性を添えてくれる。そして大事なことですが、すごく美味しい、という事だ。

 エゾジカのロースというようなオプション料金でメインはいろいろと選べるのですが、鹿児島産のポークさんのグリルも中々という。ただ、時間帯もあるのだろうけれども、ちょっと遅めでした、故に混雑していないので時間を独り占めできてうれしい。

 コーヒーを食後に嗜みつつ。ランチタイムで名店に有名店というのは数あることは承知しているのだけれども、食事というのは味も大事なのだけれど、良い時間を過ごしているのだ、という快適さが満足感に繋がっているような気がする、こう実感しました。

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【京都幕間旅情】松本城-観桜,信州信濃の国は壮大城郭の背景に歴史あり-いまふたたび旅に出よう

2024-04-28 07:02:22 | 旅行記
■信濃国筑摩の国宝天守閣
 いまふたたび旅に出ようというような台詞がひところ流行りましたが今回は遠出した先のお城の話題です。

 城郭、と言えばどこの城郭を思い浮かべるのだろう、といいましたらば筆頭に先ず数えきれないくらい再放送されている時代劇の影響などで国宝姫路城を挙げます方が多いでしょう、此処に国宝天守閣という存在を思い浮かべたうえで現存十二天守閣、と。

 松本城、そう松本城です。ここは国宝天守閣であり、現存天守閣に在っても歴史は古くまた戦災を免れている事でも名高い。そして比較的高い標高の長野県松本市にあって澄んだ空気が快晴の際には抜けるような青空をなによりもの借景としてくれる城郭だ。

 城郭はぐるり一周をまわるだけでも、確かに巨大ではないものの天守閣は凛として五重六階の威容を誇りまして、山城というよりは山間部の盆地の平城ゆえに通常山城にはない掘割はともすれば空や城郭の色彩を鮮明に移す故に、一見して絶景と印象ぶかい。

 歴史と共にしかしこの城郭を振り返りますと、そう不思議というほどの群雄割拠と戦国乱世に遭い揉まれた鮮血と謀略の不協和音の先の調和として現存した歴史がありまして、いや明治と昭和の動乱を経て今も奇跡のようにその姿を探訪者に指し示している。

 信濃国筑摩、何か帝国海軍のような響きの地名が二つも重なる松本は、中央本線が東京と名古屋を結ぶその中間にありまして、それは言い換えれば江戸時代においても重要な街道に位置する城郭となっていました。故にこの壮大な城郭が整備されたわけです。

 中央本線松本駅から城郭へは、時間に余裕があるときは徒歩で、そうでないときはバスやタクシーを利用するのですけれども、やはり時間がない時でもどうにか他の時間をやりくりして、一回だけでも松本の町を歩いてほしいと思うのは、その街の風情ゆえ。

 城下町然としている、こう紹介しますと小京都というような花見小路の一角に影響されたような、いかにもそれっぽいのを新築に近い感じで修繕して維持しましたよ的な観光地ではなく、近代的な市街地なのだけれども都市計画に歴史を感じられるのですね。

 文化的、というところなのでしょうか、近代都市と共に長野県では長野市と並ぶ都市でもありますから、歴史を求める方の好奇心に迎える書店と教育関連、明治維新後の都市計画と城下町の連環性、観光地としての美味の追求、なるほどなあ、と感じるもの。

 深志城とも呼ばれた城郭は、その先に在ります。松本城は、松本市の標高が610mと、そして3000m級の峰々が連なる本州中央山岳地帯の中心にあるのですが、しかし構造上は山城ではなく平城、それでも実は多くの山城よりも標高が高いところに位置する。

 キングギドラに一度瓦屋根を吹き飛ばされる以外にはサスペンス劇場などで目にする程度という、ともすれば歴史映画などからは一歩引かれている城郭という印象はあるのですが、目の前にしますとそれは雄大さに驚かされるものです。そしてそれはしかしですが。

 蕎麦が名産の、と説明される信州では先ず駅前から名店と謳われるらしい軒先が城郭まで点々と伸びていますが、言い換えればそれは米作に向かない地形であることの裏返しでもあり、蕎麦しかとれぬ、訳では無いにしろ穀倉ではない当地には城は際立って。

 壮大城郭の背景には歴史あり、というところなのですが、狭いニッポンと称されるわが国、実際は日本列島を欧州地図に併せてみると北は北欧で南はアフリカに来て驚く、そんな国土でも群雄割拠の歴史ありというところでして、信濃の地もその一幕でした。

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【G3X撮影速報】練習艦隊江田島出航二〇二四【2】近海練習航海部隊・外洋練習航海部隊(2024-03-16)

2024-04-27 20:23:45 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■幹候学校を背景に出航
 練習艦隊は江田内から近海練習航海と外洋練習航海のその第一歩を踏み出しました。

 かしま、出航に向けて準備が進むところですが、幹部候補生学校卒業式は交通船や練習船、こんなにいろいろな支援船があったのかと驚くような種類の支援船で候補生課程修了者たちが練習艦に乗り込んでゆくのですがいままさに舷門に横付けし乗り込んでいる。

 自衛隊のフネでしょうか、と隣で望遠レンズをのぞき込んでいた同好の方が怪訝な、いまはどのフネですと迷うことなくホラこれとカメラの画像データで見せてくれる、昔は現像してみせるまで現像液準備とか大変でしたが、いや、あれは堅気のフネじゃあない。

 ルパーンまてー、というような描写ではないのですが、後ろの支援船は海上自衛隊の練習船で基本的な航行などを修得するための小型船なのですが、これ、どうみても航路上で邪魔な一般船を追い立てているという構図にしかみえないのですね。

 かしま出航、おお動き出したと声が挙がりまして直ぐこちらも望遠レンズをのぞき込みますと、艦尾からもう白い航跡がみえていまして、ゆっくりと動き始めています、ルパーンまてー的な様子を見過ぎていたならばその最中にもう出航を始めていたもようで。

 幹部候補生学校の施設を背景に出航する練習艦、卒業、という瞬間はいずれの場合でも心に残るものですが、案外ここはそのなかでももっとも心に残る瞬間なのでしょうか。幹部候補生学校に対して高級幹部を養成する幹部学校の修了式をみてみたいものだが。

 新任幹部たちのご家族でしょうか、岸壁に並んでいるようすがわかります。昨今は軍事をシステマティックに考えすぎている方がいるようで、理系の公式をそのまま軍事力に当てはめる、あたかも1960年代のアメリカ軍のような風潮の方が論者を気取るようですが。

 軍隊と言いますか軍事機構も結局のところ人間の集合体ですし、ギデンズ社会学ではないのですが人間は社会的な動物という、そして政治学のイーストンでさえも文化というものを主要な要素として含めるべきという視座をきょうしているのですから。

 うらが出航、掃海母艦うらが型1番艦うらが、もうすこし標高の高い位置で撮影していたならば、こうした茂みに視界をはばまれることもなかったのかなあ、とおもいつつ。そしてこの距離を隔ててなお、卒業生たちの登舷礼の陰影が象徴的なように際だつ。

 さわぎり出航、護衛艦あさぎり型の1隻です。ミサイル護衛艦はたかぜ型の護衛艦はたかぜ、護衛艦しまかぜ、その練習艦移管が行われていますが、なぜか練習艦は旗艦かしま一隻のみとなっていまして、はたかぜ型練習艦をみたかったような気もします。

 あさぎり型護衛艦、今後護衛艦もがみ型量産とともに消えゆく護衛艦なのですが、これ、そのうちフィリピン海軍やヴェトナム海軍などに貸与するというような議論も出てくるのでしょうか、それなりに大型で、もちろん運用は大変ですが数は8隻とそろっている。

 かしま、江田内から出航するべくこちらに向かって航行してきます。この岩風呂山は、まるで真正面のような、完全な真正面ではないのですけれども、艦隊航行を正面から撮影することができる撮影位置、まさにこの構図は真骨頂を描いているといえるでしょう。

 練習艦隊出航、考えると、というまでもなく護衛艦が多数参加しての展示訓練などは艦艇の任務増大でほとんど行えず、昨年は唯一計画されていた佐世保の展示訓練、いせ一隻のみ開放しての訓練は悪天候で中止、その緊張と多忙の海へ、出航してゆくのですね。

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