北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【M-5撮影特報】久居駐屯地創設72周年記念行事,新年度最初の行事紹介は第33普通科連隊(2024-04-07)

2024-04-11 20:17:51 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■久居駐屯地祭二〇二四
 今年度最初の駐屯地祭はお伊勢さん近くの此処に行きました。

 久居駐屯地祭、日曜日に行ってまいりました。旧陸軍歩兵第33連隊の兵営を継承した第33普通科連隊、三重県ということで3を重ねた駐屯地、とともに中部方面隊では最初に軽装甲機動車を受領した部隊の様子を、片手間に撮影したEOS-M5の写真にて。

 EOS-M5,本格的なレンズが出そろう前にCANONがEF-Mレンズ規格を廃止してしまった故に取り残されたユーザーの一人なのですけれども、ぼやいても仕方ないので15-45mmSTMレンズにて久居駐屯地祭を撮影、もちろんサブのサブカメラですが。

 金子洋幸連隊長、2022年補職の連隊長さんで昨年、コロナ禍下でも国民の方々へ部隊を見てもらおう、と全国に先駆けて完全一般開放を再開した部隊の一つとなりました。前職は東北方面総監部情報部情報課長、妙に遠いところですが、若く見える方ですね。

 近鉄久居駅前の久居駐屯地、現在は津市久居となっていますが前は久居市、ここは駅前ロータリーに隣接して駐屯地があるという、第10師団管内では一番駅に近い駐屯地です。守山駐屯地でさえ守山自衛隊前から信号を渡って坂を上るのですから数分かかる。

 第33普通科連隊、今年2024年は対戦車中隊廃止から10年となりました、僅か10年間ではありましたが2004年の第10師団改編に際し第10対戦車隊が廃止され各普通科連隊に対戦車中隊が新編される改編を受けましたが、それも10年、そらから10年だ。

 師団改編、毎回のように思うのは2004年の改編を最後に第10師団の改編はその都度装備が減らされ、火力も打撃力も低下してゆきまして、大丈夫なのかなあ、というところ。この春の師団改編ではとうとう第10戦車大隊が廃止され、戦車の無い師団に。

 偵察戦闘大隊が、今津駐屯地の第10戦車大隊と春日井駐屯地の第10偵察隊を編合し新編されたのですが、人員は200名ちかく減っていまして、戦車30両を置き換えるのは一個中隊の16式機動戦闘車という。しかも今年の行事には機動戦闘車は来ません。

 師団普通科連隊の編成で、4個普通科中隊と重迫撃砲中隊に本部管理中隊、という編成です。ただ、昨今の燃料価格上昇を受け、昔は高機動車化された3個中隊のうち幾つかの中隊は高機動車で観閲行進に参加していたのですが、現在は徒歩行進のみ。

 高機動車も、ここ久居駐屯地は駐屯地祭を駐屯地ではなく隣接する久居訓練場にて執り行う為、観閲行進参加車両が訓練場にずらりと並ぶのが恒例でして、高機動車が十数台加わるかどうかというのは、意外と重要な情景だったのですが、そんな時代だ。

 部隊整列、参加規模は280名といいまして参加車両も27両、田舎の普通科連隊ですとそんな感じと思われるかもしれませんが、昔は対戦車中隊が加わり、そして後ろに車両が並ぶとともにV-107輸送ヘリコプターの用廃機も置かれ、雰囲気があったのに。

 V-107輸送ヘリコプターとUH-1H多用途ヘリコプターの用廃機は、航空学校が近い関係でしょうか、これも撤去されている。駐屯地のモータープールには輸送小隊のトラックや施設作業小隊の建機が並ぶ様子が駅から見えているだけに、ちょっと寂しいなあ。

 ロシアウクライナ戦争の緒戦を見ると軽装備の部隊でも粘り強く戦うことは出来ます、しかしその結果、自国民がブチャのように虐殺され、戦争が数週間ではなく数年単位となり、徴兵制まで必要となる、こうした戦訓を日本は活かせていないようで残念です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】大覚寺-観桜,嵯峨野のこの静けさと観光過多下京都の忙中有閑は数多市中寺社仏閣に在り

2024-04-11 07:00:54 | 写真
■この静かな観桜と拝観
 静けさというものこそが情感を実感に置換えて思考と哲学と日々の精神の清涼剤とするには重要な要素だとおもうのです。

 大覚寺、観光過多が叫ばれる京都なのですが何故かここは静けさが保たれている。なぜだろうか不思議なのです。多宝塔と大沢池の情景は、多宝塔の造営は確かに戦後なのだけれども、大東亜戦争と太平洋戦争の犠牲者鎮魂という寺院らしい所以がある。

 嵐山駅から距離があるからかとも考えたのですが、距離があるとはいっても知れている距離ですし市バスも頻繁に運行されている。すると歴史の短さがあるのかと追われれば創建は平安初期、ここよりも歴史の長い寺院は京都でもそれほど多い訳ではない。

 応仁の乱の戦火には見舞われていますが、寛永年間には復興を終えている、というよりも先ず門跡寺院でしたので多くの建物を京都御所から賜るなど、寺院に流れる宮廷文化という日本独特の風情と情感を湛えていますし、なによりもここ大沢池があるのだ。

 大沢池は、人工池泉としては日本最古のものだといいます、記録されていないだけで実はあのため池は二千年前の土木工事で、というものは実はあるのかもしれませんが記録がはっきりしているものはない、ここはかつて舟遊び、いまは農業用として現役で。

 高雄と愛宕を借景として池の向こうに見えます風景というものも、そう水面に映る情景といいますと宇治の平等院を思い出すかもしれないのですが、池泉の規模は寺院としては京都でも最も広い水面と峰々の借景なのではないか、するとますますわからない。

 観桜の季節、それはもう京都旅行を思い立つ距離が遠ければ遠いほど、なにせ観梅と違って観桜は一瞬で散ってしまいますので、京都探訪の最中に咲いている保証はないのですけれども、すると一点豪華集中の様な構図が成り立っているのかもしれません。

 天龍寺、は一応混雑しているらしい、それは嵐電への帰路の際にここには人は居るのだなあと感じた故に。あとは、金閣寺も混雑しているのかもしれない、バス停を見るだけでは如何は落ち着いたのちに使用、と感じる故に。清水寺も、まあ混雑しているか。

 東寺は日曜日にもそれほど混雑していない、此処ほど疎らという訳ではないのですが混雑という印象はありませんでした、それも先日といえばまさに満開という頃合いですので、入れないほどの混雑を覚悟していましたが、穴場なのか運がいいのか、さてさて。

 清水寺は混雑しているのでというのですが具体的には、火曜日の高台寺界隈は仕事の関係でいった話ですが、それはもう凄い混雑であったものといい改めて二年坂を通じて高台寺界隈と清水寺は直結しているのだ、と。バス駐車場の有無という関係もあるのかな。

 日曜日の夕方に、ちょっと帰路に就く前にお洒落なお店で一杯やろうか、と考えますとここではオーバーツーリズムが凄いのです、チェーン展開の焼き鳥屋もラーメン屋さえも場所によっては長蛇の列でして、いっそ此処起業しようかしらん、とおもうほどに。

 日本観光、エキゾチックなジャパニーズカルチャーにフレッシュナブルでサステマチックにシステムエラーのオリエンタルなゴージャスの、というのかもしれませんが、数ある街並みから京都を選ぶのですから、もう少し来ていてもよいと思う場所があるのだ。

 京都はオーバーツーリズムで混雑している、というのは残念ながら事実ではあるのですが、混雑しているようだから行くのはやめよう、というほどには、大覚寺のように静けさを保ち拝観の時間を過ごすことのできる場所もあるのです。そう、ここも嵐山なのです。

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