北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【映画講評】War of the Worlds/宇宙戦争(2005)【2】第3師団は如何に勝利したか

2020-04-30 20:00:01 | 映画
■大阪でトライポッド多数撃破!
 新型コロナウィルス対策緊急事態宣言一カ月延長が政府検討の昨今、今外に出るとこちらがヤラれるの精神で皆様もう少し頑張りましょう、そんな時は映画鑑賞だ。

 宇宙戦争、昨日放映されました作品はスティーブンスピルバーグ監督による2005年の映画です。そして火星人の地球侵略兵器“トライポッド”について、“大阪では何体か倒した”という劇中台詞がありましたが2005年といいますと、大阪を防衛警備管区とする陸上自衛隊第3師団、2020年の今日から見ますと近代化の過渡期といえる状況でもあったのです。

 2005年、どんな時代だったでしょうか、なにしろ15年前のはなしですから、ね。福知山7連隊の連隊長さんが佐藤さんの時代でした、そして伊丹駐屯地や千僧駐屯地のグラウンドが芝生、薄っすらと芝生が残っていた時代なのですね。映画を見る限り、例えば白兵戦に持ち込めば、下車した火星人などは銃剣で喉笛を狙えば一発のような印象がありますが。

 64式対戦車誘導弾やM-3短機関銃、ぎりぎり60式自走無反動砲と106mm無反動砲が現役で、ぎりぎり軽装甲機動車の配備準備が進められていたという。いや、1998年までは第3戦車大隊に僅かに61式戦車が残っていたのが漸く74式戦車に置き換わりましてまだ7年というもの、しかし戦車大隊本部には60式装甲車がまだ現役という、そんな時代という。

 ガメラⅢイリス覚醒、この公開時に漸く戦車大隊が74式戦車に完全に置き換わったものでして、第3師団はそもそも1995年防衛大綱改正に際して政経中枢師団へ、練馬の第1師団とともに位置付けられ重装備の近代化は後回しとされた師団です。もっともその分、87式対戦車誘導弾やL-16/81mm迫撃砲に120mmRT重迫撃砲は比較的早く導入されましたが。

 89式小銃が導入開始されていますが、特科部隊や施設科部隊、そして偵察隊はまだ64式小銃であり、機関銃は悪名高い62式軽機関銃、いうこと機関銃、として知られる難しい機関銃が活用されていまして、訓練展示では一発か二発で排莢不良か装填不良若しくはこれが同時に、という事もありました。あんな装備でどうやって勝ったのでしょうか、いやいや。

 ジャベリンを使え!、という台詞は宇宙戦争終盤のボストン市内に侵入したトライポッドがシールド装置が故障して防御力が無い状態となっている事に主人公が気付き、付近で避難誘導していた州兵に知らせますと、即座にFGM-148ジャベリン対戦車ミサイルで地形や遮蔽物を活かして慎重に接近し、一斉射撃で撃破しました。普通装甲換算で500mm以下か。

 01式軽対戦車誘導弾、通称軽MAT,陸上自衛隊にはジャベリンミサイルと同程度のミサイル、こちらは川崎重工が国産したものがありまして、要するに01軽MATがあればシールドさえない状況で撃破できるのですが、シールドがありますと効果が無い、そして第3師団には2005年当時、01軽MATは無い。するとこの他の装備を活用するほかありません。

 トライポッドと74式戦車、攻撃力で戦車砲と熱線を比較した場合はトライポッドが遙かに上回り、防御力でもほぼすべての攻撃を正面から受け止める、74式戦車よりも頑強です。機動力は74式戦車が54km/hですので同程度ですが、ここで並んだところで全く意味がありません。すると第3師団はどのようにしてトライポッドへ立ち向かったのでしょうか。

 弱点。トライポッドの防御力は高いようにみえるのですが、少なくともシールドは透明であり、ポリカーボネイトのような強靱な透明樹脂を装着しているようではありません、すると、可視光線は通っているのですね。実際、トライポッドは索敵に際し探照灯を用いていました。光は通すのです、そして探照灯という点で一つ気づかされる点があります。

 探照灯で探すトライポッド、実は74式戦車にも探照灯のようなものが搭載されています、赤外線アクティヴ照準装置という強力なサーチライトに赤外線フィルターを装着し非可視化した暗視装置です、フィルターを取り外せば5km先で新聞を読めるほどの明るさ、しかしそのまま照らすと自車位置が暴露するために赤外線フィルターを通すのですね。しかし敵の可視光なんて旧式だ。

 赤外線アクティヴ照準装置は結局赤外線を照射するために探知されやすく、第3世代戦車では全て熱線暗視装置、相手が発する熱を感知する照準機となっています。逆に考えるならばトライポッドは暗視装置が搭載されていない、ということになります。サーチライトで照射して戦闘するなど、第二次世界大戦の時代の話でして、敵は戦争のやり方を知らない。

 トライポッドには暗視装置が搭載されておらず、そして夜間に探照灯を照射する、自己位置が暴露し、目標である人間に逃げられてしまう難点を是認しているからには、暗視装置のほかにレーダーのようなものを索敵に用いることも出来ないのでしょう、これは重大な弱点です。つまり白リン弾や発煙装置で煙覆されるとなにも見えなくなる、ということ。

 宇宙戦争の舞台はニュージャージー州のベイヨン、というのは前述の通りですが、ニュージャージー州と日本では時差が13時間あります、すると世界で同時に攻撃を開始したとして、日本は夜間ですので、ベイヨンでは白昼に攻撃を開始し、その弱点が曖昧にしか見えませんでしたが、日本の場合は時差の関係から、夜間攻撃で先端を切った構図となります。

 夜間攻撃。まともな暗視装置を持たないトライポッドは恐らく大阪平野で索敵に相当苦労させられたのでしょう、もっともそのあたりの正確な描写がないのは残念ですが。もう一つ、2005年には武力攻撃事態法が整備され、自衛隊の即応体制は比較的高い水準にありました、ここが、火星人には不利に、自衛隊にはここが有利に作用した可能性があります。

 FH-70榴弾砲などで白リン弾による攪乱射撃を受けた場合、容易に視界不良に陥る、トライポッドには重大な弱点があります。そしてもう一つ、轟音で威嚇するように攻撃を開始していましたトライポッド、劇中で幾度かトライポッドが攻撃を開始する際には例外なく音響で合図を送っていました、すると可能性として、あの音響は意志疎通用ではないか。

 無線機を搭載していない可能性がある、トライポッドは、あの轟音で相互に意思を疎通しているものであり、データリンク装置はもちろん、無線機さえも搭載していない可能性がある、劇中では世界規模で攻撃を開始したものの各個機動が基本、視程外のトライポッド同士で連携がとれている描写がありませんでしたが、もともと出来ないのかもしれません。

 自衛隊にそうした装備はありませんが、相手が音響で意志疎通するならば通信傍受は容易、軍団ごとに心理戦旅団を有しているアメリカ軍であれば、例えばトライポッドの意志疎通用音響を分析し、同じ音程の音を心理戦用拡声器、本来は住民宣撫や敵対勢力への広報用、こうしたもので発することで、トライポッドの誘導も可能なのかもしれません。弱点だ。

 そして強力な熱線を放射できるトライポッドは、その熱線の威力に驚かされるのですが、言い換えれば熱線は直進します、貫通力は相当強そうですが、地形、山間部を山ごと破壊できるほどではないようで、すると放物線を描いて30km以遠から攻撃する砲兵火力にたいしては、無傷であっても相手を捕捉する索敵手段が無く、一方的に撃たれるだけです。

 特科火砲、FH-70榴弾砲が投射するM-107榴弾や03式多目的砲弾はシールドを貫徹できない可能性が高いのですが、白リン弾で煙覆できることは確かです、無線通信が出来ない以上、煙覆で敵は前進さえできずパニックに陥るでしょう。しかし問題は、シールドを貫徹する方法が無いという。見えるのだから可視光は透過している、弱点の一端は此処でしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】上御霊神社,疫病鎮撫の御霊信仰と六所御霊鎮定神事の地は応仁の乱開戦の地

2020-04-29 20:02:26 | 写真
■春には桜咲く戦乱勃発の地
 京都と云えば今でこそ平安の地ではありますが、その首府としての永い歴史と共に悲喜交々様々数多な出来事を経て今日に至ります。

 上御霊神社。上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町に所在しています社殿です。創建は貞観5年の西暦863年、この社殿は地下鉄烏丸線鞍馬口駅から烏丸通を少し上り、そして鴨川の方へ閑静な住宅街をしかし確かに存在感ある鎮守の森の木々へと少し進んだところ。

 新型コロナウィルス肺炎が世界中に広がる勢いはとどまるところを知らず、感染者数が100万を越え更に200万に達するまで僅かに数日、死者は10万を越え実に一割近くが死亡する病魔が驚くほど世界を早く蹂躙、疾病の恐ろしさを改めて痛感しない訳には、参りません。

 御霊信仰。実はこの上御霊神社が創建された当時にも日本国内には疫病が溢れ、これを人々は御霊の怒りだとの畏れから桓武天皇の御世にその御霊を鎮める為の社殿がこの地に創建されたものです。しかし、御霊信仰はそもそも平安遷都が長岡京の疫病蔓延が要因でした。

 緊急事態宣言へと進む京都ですが、ここ上御霊神社には三月には早咲きの桜花が静かに参拝者を迎え、そして世界を包む暗黒の機運はありますが、暗黒がつつむ静寂ではなく実は観光名所の本線から若干隔てた此処境内には元来より祈りの静寂が参拝者を迎えています。

 桓武天皇は平安遷都為された延暦13年の西暦794年5月に先の早良親王こと崇道天皇の御霊を鎮める神事を朝廷の鬼門に当るこの地で営み、洛中北辺のこの地は云わば平安遷都の頃からの祈りが続けられた場で、その後七十年を経て新しい祈りの場が此処に造営される。

 神泉苑、京都遷都への水源であった現在の二条城隣接の地にて863年、御霊会が開かれ、崇道天皇と伊予親王そして藤原吉子藤原夫人と観察使藤原仲成と橘逸勢とを文屋宮田麿の六所御霊鎮定神事となり、併せてこの六所御霊鎮定の社殿がこの地に造営されたのですね。

 上出雲寺御霊堂。平安遷都の時代に御霊信仰の寄る辺として此処に造営された社殿は元々こう親しまれていたのですが、御靈神社、こう貞観年間に改められた際に上御霊神社と改められています。上出雲寺御霊堂とはその名の通り、出雲大社への基点にあった所縁が。

 出雲路とは出雲大社と京都を結ぶ街道の始まりであり、現在は京都駅から山陰本線にて日本海側に進む経路が一般的ですが、平安朝の時代には洛中の中心から高雄山の麓、今の山陰本線を少し山手に廻る経路から道程が広がり、この地を経て出雲へ結んでいたようです。

 御霊合戦。御霊鎮守を期した社殿ですが、ここはもう一つ歴史の転機、その分基点そのものでもありました。応仁元年の西暦1467年、御家騒動が室町幕府により鎮定された後の齟齬が原因で畠山義就と畠山政長の軍勢、その斥候同士が長年摩擦を経て遂に激突しました。

 応仁の乱開戦の地。上御霊神社は京都の文化財を根絶やしとした最大の戦乱、応仁の乱における最初の武力衝突が繰り広げられた場所でもあったのです。直ぐ下ったところにあります同志社大学今出川キャンパス一帯が花の御所、室町幕府の本営であった事と関係が。

 開戦の地ではある上御霊神社、最初の戦闘は小規模に終り、幕府の介入もあり一旦は危機が回避されたかに見えましたが、この終戦処理を御霊合戦に限定し大本の問題解決に至らなかった事が四か月後の上京合戦へ繋がり最大の激戦地は隣接する相国寺となりました。

 花御所八幡宮が境内社としてありこれは数少ない花の御所の名残り。こうした歴史を湛える境内は、安土桃山時代以降に再度祈りの場としての回帰し、毎年五月に開かれる御霊祭は上御霊神社の例祭であるとともに洛中屈指の歴史を有する祭事として、今に至ります。

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【映画講評】War of the Worlds/宇宙戦争(2005)【1】米国防総省がUFO画像を公開

2020-04-28 20:09:58 | 映画
■宇宙戦争,BSテレ東明日放映!
 アナログ放送地上波時代は映画と云えば木曜洋画劇場等で限られたものしか視聴できなかったものですがデジタル放送時代のBSは映画好きには良い時代となりました。

 アメリカ国防総省。驚くべきことにアメリカ海軍機が撮影した未確認飛行物体UFOについて、三本の動画を公開しました。エイリアンエアクラフトを意味するものではなく、いやエイリアンには異邦人が含まれるので外国人が操縦している期待も含まれるか、まあ、要するに宇宙人の乗り物ではなく正体はわからないが飛んでいるもの、を示すようですが。

 CNNやNHKでも報道されましたアメリカ国防総省が発表したUFO画像、この動画そのものは2017年頃から出所不明だが米軍が撮影したUFO動画、としまして同じCNN等で報じられたものです。撮影したのは三本とも海軍機によるもので、撮影場所などは公表されていませんが、動画などを秘匿しているとの疑いを払拭する為に今回公表した、という。

 現実を見ますと、宇宙人より新型コロナウィルスCOVID-19の方が脅威であり、さてさて明日から始まるゴールデンウィークは自宅に引きこもり感染防止を目指すステイホームウィークとなります。そんな自宅にこもりきりの連休が始まるのですが、なんと明日BSテレ東にて1940時から映画“宇宙戦争”が放映されるということ。これは中々楽しみですね。

 宇宙戦争。HGウェルズの歴史的SF古典をもとに2005年に公開されたスティヴンスピルバーグ監督のSF超大作です。主演はトムクルーズ、超人的な役回りではなく、妻と離婚した港湾労働者という、どこにでも居そうな面もち。舞台はニュージャージー州のベイヨンで典型的なアメリカの地方都市、其処に訪れた恐怖、というかたちで物語は進みます。

 トライポッド。宇宙戦争における火星人の侵略兵器です。その展開は有史以前と考えられ、劇中では市街地にトライポッド本体が埋設、具体的にはトライポッドが埋設されていた真上に都市部が形成された、という構図でしょうか、そこに操縦士とおもわれる火星人のみが宇宙から展開し、地表を突き破り攻撃を開始しています。地球へ展開した数も多い。

 火星人の地球侵略兵器は圧倒的な印象をもって表現されていました、トライポッドとは三脚を意味し、文字通り三脚構造の脚部により機動しますが、全高は優に40mを越えており、その上部には魚類のエイを巨大化させたような砲塔部を有しており、ここから極めて強力な熱線を放射、小隊規模の第三世代戦車でも一撃で全滅させる描写が、これは羨ましい。

 熱線は連射性能が極めてたかい、地中から突如出現した瞬間から、威嚇するような音響を響かせるとともに周辺に集まった人々を無差別に射撃し、射撃は正確で、人体に命中した場合には瞬時に破裂し灰を残すほどの高熱を、極めて短時間で全周囲に放射していました。また補助的に三脚の脚部も中層建造物を一撃で圧壊させるに充分な威力を有している。

 特筆されるのは防御力で、原理は不明ですが戦車砲や航空攻撃、ミサイルなどが本体付近で透明の壁のようなもので全て弾かれてしまい、現用兵器が全く通用しません、これは戦車砲が発射する音速の五倍ものAPSFDS弾、圧延均一鋼板ならば優に900mmを貫徹する戦車砲弾はもちろん手榴弾の投射のような極めて遅い投射物にも即座に反応し防護します。

 機動力、水陸両用能力を有しており、地上での移動力は必ずしも高速ではありませんが、三脚に支持され前進する状況が描写されており、最高速度は明示されていないものの50km/h程度で巡航します。40mの全高を有する故に地上に存在するほぼ全ての障害物を踏破するとともに、不整地突破は現用兵器が苦手とする森林地帯でも前進速度は鈍りません。

 恐るべき兵器だ、こう考えたのは戦車を始め多くの兵器が車高を抑えている背景に暴露を避けて生存性を確保することにあります、が、アメリカ軍が誇るM-1戦車の戦車砲弾、運動エネルギー弾の最たるものですが、この直撃を受けた場合も、またAH-64D戦闘ヘリコプターのAGM-114ヘルファイア対戦車ミサイル、化学エネルギーの最たる打撃にも耐える。

 主人公がなんとか郊外に避難し、夜の河川フェリー乗り場にたどり着いた瞬間、山の稜線から複数のトライポッドが現れる展開には一種絶望感を感じさせるものであり、複数のトライポッドが探照灯で避難民を照しつつ接近し、音響を合図のように轟かせたのちに、一斉に避難民を横一列に熱線で照射し殺戮しながら前進する様子はやはり、鳥肌が立ちます。

 しかし。劇中で主人公とその家族が避難した先で意外な情報を得ます、大阪では何体か倒したという。日本人に出来たのだから俺たちにもやれる、という発言が。大阪と言えば我が地元、第3師団の管区ではありませんか、そう、実際強力に見える装備であっても弱点はあるのです。劇中ではアメリカを攻撃した機体は病原菌に冒され自滅していましたが。

 大阪では何体か倒した、凄い。しかし、作品世界の2005年といえば第3師団は現在のような強力な装備は有していません、普通科部隊に軽装甲機動車などは配備されておらず、60式自走106mm無反動砲がまだ残っていましたし、64式小銃や信頼性に問題がある62式軽機関銃が現役、辛うじて戦車は74式戦車となっていましたが、対戦車ミサイルは旧式64式です。

 第3師団は、あの装備でどうやって打ち勝ったのでしょうか。唯一の強みは第3師団は大阪の師団、機転の利く現代の若者が数多く集い、個人的な印象ですが優秀といいますか、世界最強ではなく警備管区である大阪、京阪神紀州地区で戦う限りは最強の部隊、と自負しているところでしょうか。しかし、トライポッドが強敵であることに変わりない。

 74式戦車で戦う場合、アメリカがM-1戦車の120mm戦車砲で対抗できなかったのですから74式戦車の91式105mm徹甲弾で貫通できるとは思えません、また、第三世代戦車であるM-1戦車は複合装甲により圧延均一鋼板換算で1000mm近い防御力がありますが、74式戦車は第二世代戦車、防弾鋼140mm程度を傾斜、M-1戦車よりも遙かに防御力は低い。

 しかし、大阪は道頓堀とかが汚染されているので、という安直な発想では面白くありません。実際には自衛隊が撃退した、と考えるべきでしょう。すると、考えてみますと強そうに見える宇宙からの侵略者の兵器も、数多い弱点が垣間見えるのです。詳細は次回、そして皆様もステイホームウィークの一時、別の角度からご覧になっては、如何でしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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松本群発地震-長野県中部で地震多発,焼岳安曇野地区震源で最大震度四など有感地震48回

2020-04-27 20:17:06 | 防災・災害派遣
■気象庁緊急地震速報発令
 長野県を管区とする第12旅団はGW期間中も気を抜けなくて大変だとは思うのですが、実際問題気になる地震の情報です。

 長野県で群発地震、北大路機関が松本市の四柱神社を特集しました翌日に発生し、不気味なほどに続いています。これは中々無いことで、過去には2009年に静岡市の駿府城を特集しました直後に静岡県沖地震が発生し石垣が崩落、なんという偶然か、とほかの方にネタとして頂きましたことを思い出します。しかし群発地震だけならば、稀有でははない。

 松本市で震度4、これは23日の1344時に発生しました地震です。マグニチュード5.5、震源は長野県中部で震源の深さはごく浅く、しかし気象庁により緊急地震速報が発令され、関東甲信越地方と北陸及び東海地方の広い範囲に震度1が観測されました。そして1400時まで16分間で震度3地震だけで2回発生、余震にしては大きな規模だったのですね。

 安曇野と焼岳周辺が震源、気象庁の発表では本日27日1700時までに震度1以上の揺れを観測した地震は48回となっています。この地域の地殻は薄いとのことで、太平洋プレートの影響が顕在化する地層であるとのこと、一方で活火山である焼岳については直ぐに大きな噴火に繋がる兆候は見られないとのこと。群発地震は今後も、長引く可能性もあります。

 群発地震。震源は長野県中部の岐阜県県境近くであり震源はごく浅いということもあり、そして震源付近には活火山である焼岳があります、1907年から1939年に掛けてと戦後も1962年から1963年にかけ火山活動が続き、大規模な噴火、山体崩壊のような噴火は発生していませんが、火山泥流や水蒸気爆発を引き起こし、現在も火山注意情報1が継続中だ。

 日本漂流。SF小説で日本沈没と並ぶ怪作がありまして、ここでも描かれていたのが松代の群発地震でした、長野県の松代周辺で群発地震が発生し、地質学者が地元民の反対を押し切って無理な調査を行った結果に北海道を除く本州四国九州と沖縄まで全域で巨大地震が発生する、という。そして巨大地震で日本人九割が海外に避難し欧州とソ連が壊滅する。

 日本沈没よりも大変なことになりますが著者は日本沈没でおなじみの小松左京氏、しかしマントル対流の影響で日本列島が海に水平移動し没する科学検証を徹底した日本沈没とは対照的に、日本漂流は原因がアレでして、原子力空母エンタープライズが追いかけ回されたり、国連軍が日本本土上陸を敢行したりで、シッチャカメッチャカの超大作でした。

 小松左京氏のSF怪作、詳細は是非読んでいただくとしまして、注目したいのはこの日本漂流で最初に出てくるのが長野県の松代、武田信玄と上杉謙信の川中島合戦古戦場近くなのですが、この松代が信玄いや震源として発生しました群発地震なのですね。そして実際、過去に松代では群発地震があり、1965年から5年間、丁度日本沈没執筆中起こっています。

 群発地震は、日本地学史と理科年表を見れば意外と多く、近年でも伊豆諸島群発地震は1993年に伊豆諸島南部群発地震として、2000年に伊豆諸島北部群発地震として発生していますし、伊豆半島群発地震が1978年と1993年に発生しており、上記の通り松代群発地震は1965年から3回空白期を挟んで5年間断続的に発生しています。北海道や山陰地方に九州でも。

 地震原因は、そもそも地震の事象は地殻変動という点で一致しているのですが、海溝型地震や活断層による直下型地震と火山性地震、原因は複数に分けられるものであり、そして群発地震の原因も複数あります。留意するべき点は、松代群発地震のように震度4程度を最大震度として終わるものもあれば、実は大きな変動の前兆、ということもありました。

 伊豆諸島北部時群発地震、2000年6月26日から発生した群発地震は9月までに1万4100回、しかも震度6弱を含む震度5弱以上の地震が30回発生しました、6月26日の地震、気象庁は緊急火山情報を発令、実際翌日に三宅島西方海域で海水変色が確認、海底火山の噴火が考えられました。しかし火山はそこだけでなく7月8日に三宅島雄岳が小噴火する。

 三宅島雄岳、8月10日に山頂から大規模なマグマ水蒸気爆発が発生し18日と29日には火砕流が発生、火砕サージの一部は住宅街に到達し住民が巻き込まれましたが、住民が巻き込まれたのは火砕サージの灰神楽であり温度が高くなく死傷を免れました。大規模な火砕流と火山ガス流入の懸念があり東京都は全域避難を決定、9月2日から全島避難が始まる。

 伊豆諸島北部群発地震は、この三宅島火山災害の前兆であったのですね。火山周辺に限りますと群発地震は平成時代だけでも雲仙普賢岳噴火前や北海道有珠山噴火前に発生しており、また今回の松本群発地震にほど近い焼岳でも過去、火山噴火の前に群発地震が発生しています。そしてもう一つ、大規模な海溝型地震の前駆地震という事例もあったのですね。

 東北地方太平洋沖地震。3.11東日本大震災を引き起こしたマグニチュード9の超巨大地震も前兆となる地震は発生していまして、これが群発地震であったのですね。平成二三年三陸沖地震、2011年3月9日に発生したマグニチュード7.3の地震です、宮城県沿岸で震度五弱、大船渡市で55cmの津波が観測、翌10日にマグニチュード6.8の余震がありました。

 三陸沖地震は、10日のマグニチュード6.8を最大として多数のマグニチュード4規模の地震が群発していまして、数日間大きな余震が発生するために気象庁も注意喚起を繰り返し、三陸地方はもちろん日本全国で防災の大切さと防災備蓄を確認しました、そして11日1446時、東北地方太平洋沖地震が発生、防災へ認識の甘さを痛感したのは記憶にまだ新しい。

 焼岳付近の地震、松本市への揺れとともに群発が続いています。気象庁によれば焼岳は火山注意情報1が継続中ではありますが、群発地震については特段巨大噴火の前兆と考えられる状況は発表していません。2018年11月から火山周辺の地震が増大し、1995年2月11日には水蒸気爆発が中部縦貫道工事現場を襲い死者4名が出ています。そして過去に一つ。

 焼岳は1570年に爆発的噴火が発生し、信濃ではなく飛騨に村落被害などが発生しています。少なくない被害であったようなのですが、残念ながら詳細な資料は残っていません。もっとも気象庁が緊急火山情報を発令しない事は、山体膨張などの噴火の予兆が無いことを示します。小規模噴火でも付近に人がいれば御獄山のように大規模な被害となりますけれども。

 群発地震は、長野県に限れば松代群発地震という記憶が経験論として残るだけに、神経を逆なでされるが重大な危険はないという認識もありえますが、焼岳近くの震源から東京都島嶼部の方が経験論から考えるならば油断するべきではないという認識もあり得るでしょう。確かな事が云えない現状は隔靴掻痒の印象が拭えないのですが、心構えは必要です。

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【日曜特集】観艦式2009-守る!この海と未来-【11】航空自衛隊戦闘機部隊(2009.10.23)

2020-04-26 20:09:30 | 海上自衛隊 催事
■F-2戦闘機&F-15戦闘機
 EOS-40Dで広角とEOS-50Dで望遠を撮影する故に撮影番号が混合する不思議な幕間の写真です。

 F-2戦闘機祝賀飛行。F-2戦闘機三機が海洋迷彩で観閲艦上空を飛行します。前回は航空部隊祝賀飛行の航過を終えて一斉回頭する様子を紹介しましたが、撮影機材がEOS-50DとEOS-40Dに二分されていますので、少し写真が前後する事もあります。そんな情景ですね。

 F-1支援戦闘機後継として日米共同開発されたF-2戦闘機は第4.5世代戦闘機として1995年10月7日に初飛行を迎え、試作機を含め98機が生産されています。当初はブルーインパルスへの配備を含め141機の調達が見込まれていましたが、最終的に98機となりました。

 支援戦闘機とは開発当時の区分で、近接航空支援や航空阻止と対艦攻撃を任務とし、実際F-2は空対艦誘導弾4発装備した状態で戦闘行動半径450海里を有し、短距離空対空誘導弾と中距離空対空誘導弾をそれぞれ2発乃至4発装備する事が開発時に要求されました。

 三沢基地の第3航空団に第3飛行隊と第6飛行隊、九州の築城基地第8航空団に第8飛行隊、教育訓練用に松島基地第4航空団の第21飛行隊へ配備されます。ただ、2019年より第3航空団へ最新のF-35A戦闘機が配備開始、第6飛行隊は第8航空団へ転属しています。

 第3航空団の所属航空機で青森県三沢基地を拠点としています。ただ、1958年から1978年まで愛知県の小牧基地に居ました。実は長い事、第3航空団は小牧基地創設と思っていたのですが最近、新編は1957年に松島基地で、翌年小牧基地に移駐した、と知りました。

 F-2戦闘機は運用費用がF-15よりも低く、実際使い勝手は相応にある機体なのですが要撃第一主義の航空自衛隊では異色の存在であり、2006年に政府が生産縮小を決定しています。今思えばこの時点でF-2を海上自衛隊に移管し対艦戦闘と艦隊防空に充てるべきでしたね。

 F-15戦闘機三機編隊、白梅マークが眩しい第305飛行隊の所属機です。第305飛行隊は現在、宮崎県の新田原基地に展開していますが、この当時の第7航空団は第204飛行隊と第305飛行隊、共にF-15戦闘機の飛行隊で構成され、首都防空の重責を担っていました。

 第7航空団は1961年に松島基地で創設されました、当時の松島基地はF-86戦闘機のマザースコードロンという位置づけでしたが、航空団は1962年に入間基地へ移駐、1965年にF-104戦闘機へ機種転換の上で現在の百里基地へ移駐したのです。1967年に移駐は完了へ。

 ファントムの航空団という印象の百里基地第7航空団ですが、実はその通りで1972年に航空自衛隊最初のF-4戦闘機飛行隊が創設されたのは百里基地、航空自衛隊のファントム飛行隊のマザースコードロンという位置づけで全国のファントム飛行隊新編に寄与しました。

 F-15戦闘機の時代、航空自衛隊にとってのイーグルマザースコードロンは新田原基地にありまして、第7航空団も1985年よりF-15戦闘機の運用を開始、F-4は原型の初飛行が1959年と古い機体です、首都防空、太平洋岸に南下するソ連爆撃機東京急行へ新型が必要です。

 首都防空、しかし21世紀に入り南西諸島へ中国空軍の脅威が顕著化する事となり、この観艦式が執り行われた2009年に第204飛行隊は沖縄那覇基地へ移管され、代わって那覇基地のファントム飛行隊第302飛行隊、当時の第83航空隊から第7航空団へ移管されています。

 九州防空、中国空軍の近代化は凄まじく、南西諸島に及んだ脅威は数年を経て九州に延びるようになり、南九州新田原基地のファントムを運用する第301飛行隊と交代で第305飛行隊が百里から移管、首都防空は旧式のファントム飛行隊二個が担う事となったのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【G3X撮影速報】DDH184かが-呉基地.江田島-呉船上から望む日常風景(2020-03-14)

2020-04-25 20:15:30 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■かが-とわだ,洋上補給を再現
 第4護衛隊群のヘリコプター搭載護衛艦かが、補給艦とわだ並列に沖留される情景は昨年中止となった自衛隊観艦式での訓練展示のよう。

 かが、とわだ。海上自衛隊最大の護衛艦であるヘリコプター搭載護衛艦と建造当時は一個護衛隊群の護衛艦全てに補給を行えたという総合補給艦の並びです。風向きから二隻が並んで航行しているような情景となっていまして、あたかも、洋上補給しているようだ。

 F-35B戦闘機の搭載改修が決定している全通飛行甲板型護衛艦です。F-35Bは第五世代戦闘機としての性能を有すると共に搭載するAPG-81レーダーの収集した情報はニフカ海軍先進情報網により共有する事が出来、AMRAAM空対空ミサイル以外を武器と出来るもの。

 ヘリコプター搭載護衛艦からF-35Bを運用した場合、AMRAAMを使用しますと発射により位置が暴露してしまうのですが、情報共有するならば、こんごう型、あたご型、まや型、海上自衛隊の保有するイージス艦からスタンダードSM-6艦対空ミサイルで対処可能です。

 イージス艦とF-35Bの連携は、スタンダードSM-6の射程が370kmから目標高度によっては450kmと非常に長大である事から、イージス艦の見通し線外へ対処する事となります。その為に目が必要ですが、安易な目、無人機では敵防空艦の脅威下では活動が出来ません。

 広域防空艦。X-47B無人機のようなステルス性を有する航空機であればF-35Bのセンサー機能を置き換えられるのかもしれませんが、垂直離着陸が不可能であり運用にはニミッツ級規模の空母か陸上基地から運用する必要があり、結局F-35Bしか選択肢が無いのですね。

 長射程化。自衛隊は専守防衛の原則からミサイル等の射程を大きく自制してきたのですが、各国の地対空ミサイルや戦術ミサイルが数百kmかた一千km以遠に延伸しているため、想定戦域が年々広域化しており、自衛隊もこれに併せて変革を強いられた、結果が本型です。

 ぶんご、おおすみ。呉は坂の街、こう呼ばれる所以はこの写真が全てを物語っているように思えます、そして海上自衛官として長く奉職された方々は佐世保や横須賀に舞鶴と並び呉に住居を構えるというお話を聞きまして、なるほど先輩方が見守る構図なのでしょうか。

 上陸五分前。上陸用舟艇のような情景です、5.5kmの船旅といいますか、下手な軍港めぐり遊覧船よりもこうした情景の方が、遊覧船は間近に寄れるのですけれども、ここからは護衛艦に近すぎず密集した迫力ある情景を撮影できるのだな、と妙に感心したりしました。

 いなづま。むらさめ型護衛艦の5番艦です。ジャパンマリンユナイテッドにて定期整備中の情景でして、しかし呉基地に入港する護衛艦は艦首を内陸へ向ける為、こちらに正面を向けてくれます情景は貴重です、やはり護衛艦は正面から撮影したいというのが本音です。

 むらさめ型、平成初期から9隻を量産しまして余裕ある設計は改良型である護衛艦たかなみ型5隻、防空強化型あきづき型4隻、そして集大成といえる最新の護衛艦あさひ型2隻とともに護衛艦隊中枢を担っていまして、恐らく2030年代一杯延命を経て活躍しましょう。

 ジャパンマリンユナイテッドにてもう一隻、こちらはドックに入渠しています。流石に此処からでは艦名までは判別しません、ただマストに司令旗が掲げられていますので同時期に重整備、いなづま、と同じ第四護衛隊群第四護衛隊の護衛艦さみだれ、なのでしょうか。

 大和のふるさと。ここでは日本海軍が決戦戦力として建造した大和型戦艦一番艦大和、が建造されました。海軍工廠から変遷は重ねましたが戦後も造船の街として存続し、自衛隊創設後は海上防衛要衝として今に至る、そんな様子をフェリーから眺める事が出来ました。

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COVID-19,中国武漢ウィルス研究所への疑惑と新しい危機“サイトカインストーム”懸念

2020-04-24 20:20:05 | 国際・政治
■日本の長期化と医療自壊顕在化
 我が国では国家緊急事態宣言と共に感染は横ばい、しかし間もなく迎える大型連休が大袈裟ではなく国家の運命さえ左右しかねない状況です。

 世界270万4934名が感染、ロイター通信が23日までの感染状況を纏めました。日本国内の感染者数は1万2724名、NHKが本日1755時に報道した数字です。日本全土へ国家緊急事態宣言が発令中ではありますが、よく抑えている方だとは思う、一日の感染者数は4月11日の719名が最大で昨日23日は436名、まさに横ばいといえるきわどい状況が続く。

 武漢ウィルス研究所、中国科学院武漢病毒所、アメリカはこの研究所への疑惑の目を向けています。武漢市山間部に置かれる研究所はCCVCC中国国家ウィルス培養物保存センターがおかれており、中国政府によれば施設には1500種を越えるウィルスを研究用に培養保存しており、その規模でアジア最大、2015年にはレベル4病原菌管理施設が完成しました。

 BSL-4,レベル4病原体とはバイオセーフティレベル4の極めて危険な病原体を示し、エボラウィルス、マールブルグウィルス、クリミアコンゴ熱ウィルス、天然痘ウィルスなどを示します。レベル4ウィルスは研究室から研究資材はもちろん換気扇排水溝から漏洩しないよう徹底した安全策が求められ中国ではレベル4ウィルス用施設はこのほか一カ所のみ。

 農業科学院ハルピン獣医研究所と武漢ウィルス研究所のみがレベル4施設です。しかし、研究所があれば即座に漏洩するほど甘いものではなく、日本にもレベル4施設は新宿の国立感染症研究所、筑波の理化学研究所筑波研究所、長崎の長崎大学感染症共同研究拠点、三カ所があります。しかし、管理厳重で新宿や筑波に長崎で漏洩事故は過去にありません。

 中国が生物兵器として開発していた新型ウィルスが武漢近郊の研究施設から漏洩し武漢市内で蔓延した、これは発生当初から陰謀論として一部オカルト愛好家の間では囁かれていました。しかし、アメリカではワシントンポストとFOXニュースが匿名情報源の情報として報じ、最初の感染者は武漢ウィルス研究所所員で、ここから住民へ広がったと報じた。

 中国政府はこの報道を強く否定しています。武漢ウィルス研究所副所長兼レベル4ウィルス実験室長がアメリカの科学専門誌サイエンティフィックアメリカン誌のインタビューに応じた際、今回のCOVID-19はこれまで収集したどのウィルスとも異なる、としています。そしてこの施設は容易に漏洩するものではなくフランス企業の支援で建設されています。

 コウモリのウィルスが先ずセンザンコウ、絶滅危惧動物のセンザンコウへ感染拡大し、センザンコウを中国では漢方薬原料として用いていることから漢方原料を扱う武漢海鮮市場にてセンザンコウより人間へ感染し爆発的な感染力と致死率を有する事となった、この点は中国が発表し世界も同意しています。しかし上記一部報道は研究試薬が原因としている。

 海鮮市場が原因ではない可能性が。これはイギリスの医学専門誌ランセット誌に中国科学者チームが発表した論文に記されており、其処には武漢にて世界で初めて新型ウィルスに感染した感染者41名のうち、13名が武漢海鮮市場や市場関係者と無関係であったことを分析結果として発表しており、研究所漏洩説への憶測を変な形で裏付けてしまいました。

 アメリカ政府の反応は、ポンペイオ国務長官が22日、中国政府に対して武漢ウィルス研究所への査察受け入れを了解するよう、圧力をかけています。中国政府はこの要求に激しく反論しているとしたうえでポンペイオ長官は原子力施設への査察受入を中国が行っている事を引き合いに出した上で、特に初期検体データを中国が発表しないことに懸念を示した。

 実際のところ生物兵器としてコロナウィルスの特性は意味も持ちません、故にこのCOVID-19が生物兵器として開発された可能性は軍事的に考えた場合、遅効性過ぎて軍事的に意味が薄く感染力が強すぎて制御不能、制御不能である兵器には意味がありません、故にCOVID-19が中国が生物兵器として極秘開発されたものでは、ないと考えるのですが。

 トランプ政権は、しかしポンペイオ国務長官の発言をみた場合でも、研究所から漏洩した可能性は示唆していますが、生物兵器として開発された可能性には言及していません。一方で、ウィルスにより生じた世界の混乱に対して、ウィルスの実態を隠すともとれる行動により、拡散した後の世界の混乱を自国の利益へ転じようとする懸念は示しています。

 米中対立へ展開する懸念、実のところCOVID-19は生物兵器で無いとしても、初期の検体を国際社会に公表せず危険性を曖昧なものとした上で世界の警戒態勢に十分な対応を執らせず感染拡大を誘発した、そして感染拡大の混乱に乗じ世界政治の根幹へ揺さぶりをかけている現状、いわば不信感の醸成というものが、次の事態の懸念ともいえるでしょう。

 新型肺炎、長期戦を覚悟しなければならないようです、こう表現しますとみなさまはどの程度の日数を思い浮かべられるでしょうか。アメリカニューヨーク州のクオモ知事は現在の感染拡大が横ばいになり最悪ではないという意味で峠を越した、との表現を示しています。現在アメリカの死者数は4万7000名、峠を越せば同数程度しか増えない、ということ。

 CDCアメリカ疾病対策センターは、今回のアメリカにおける流行は一段落の道筋が見えていますが、今年秋から感染が再度広がる可能性があり、感染拡大の時期がインフルエンザ流行の時期と重なることからインフルエンザ治療へも影響し現在よりも酷い状況となりうる懸念を示しました。日本も現在の感染拡大とは別の長期戦、考えるべきでしょう。

 サイトカインストーム、新しい懸念です。サイトカインストームとは聞き慣れない言葉ですが二度蜂に刺された場合のアレルギー反応暴走によるショック死と似たもので、世界中でのCOVID-19への治療から判明したのがCOVID-19が肺に付着しますと短時間で免疫系へ攻撃を繰り返し、免疫反応が暴走、肺全体が炎症を引き起こし呼吸不能になるという。

 サイトカインは免疫過剰物質、出ないとウィルスから人体を守れませんが炎症を起こし暴走するとショック死する、サイトカインストームは要するに肺炎がウィルス増殖ではなく免疫反応により一気に不随となるため、このCOVID-19重篤患者で医師がもっとも警鐘を鳴らすのは、サイトカインストームが突発的に発生するため、突如悪化する点だ、と。

 軽症患者が突如重篤化して人工呼吸器装着までの数十分で呼吸不能となり死亡する、中国武漢では通行人が行き倒れのように死亡している映像が報じられ真偽不明となりましたが、日本でも先日、埼玉県で軽症として自宅療養中の感染者の患者が突然死しました。サイトカインストームを考えた場合、軽症者自宅療養原則は危険といえるのかもしれません。

 日本では恐らく医療崩壊は起きません、政府が強制しないかぎり起きない、安心してください。何故ならば医療崩壊しないようになっているからです、軽症ということで重篤患者に種別されるべき患者も引き取り拒否もしくは調整中という言葉で入院まで待ってください、いま満床なので、院内感染が起きそうなのです、医療崩壊は現場が回避するでしょう。

 医療自壊、現在起きているのはこれです、医療次回といっても良い。医療自壊とは、医療崩壊を起こすことを回避するために医療機関が自ら患者受け入れを中止し、患者放棄というべき状況を自ら醸成し医療機能が自壊することを意味します。埼玉県の実例はこれにあたり、感染懸念の患者を救急車でたらいまわしとしているものも、医療自壊にあたる。

 医療次回、医療自壊はこう言い換えられるものでして、現在は受け入れられないので次回に、となるもの。少なくとも上記のサイトカインストーム懸念を考えるならば軽症患者を自宅待機させることは非常に危険なのですが、院内感染懸念、これは防護装備不足によるものだ、こうした観点から絶対安全が確保できない場合、医療が患者を受入れていません。

 国に瑕疵が無いとはいいません、病院統廃合という厚生労働省の政策があるためです。政府は昨年、地方病院統廃合の具体的数字として余剰となる13万床を統廃合で長期的に削減する施策を示していました。これは少子高齢化と地方過疎化を背景にドクターヘリ普及により地方病院を拠点病院に集約した場合でも医療は維持しえる、という見通しにもとづく。

 地域医療構想、政府は2019年9月に官民併せて13万の病床削減を行わなければ長期的な医療崩壊を招くとして特に昨年には公立病院の統廃合を示し具体的病院名を示したことで、特に統廃合対象として挙げられた地方病院周辺住民では大きな不安と反論が示されました、実際、ヘリコプター維持費などを考えますと広域搬送は非常にリスクと費用も大きい。

 感染病床9060床から1869床へ。現在全国に感染症病床は1869床しかありませんが、1998年には9060床あった、しかし医療効率化の影響で厚生労働省は感染症病床を八割削減した構図です。保健所なども平成時代の間に、特に2003年SARS流行時と比較し半減、これがPCR検査態勢の遅れの背景となっていますが、患者を引受ける病床削減も深刻なのですね。

 医療自壊、しかし、院内感染を回避するという意味でも医療崩壊を回避するという意味でも、患者を引き受けないという施策は成り立ちません、医療自壊でも医療崩壊でも、それは医療従事者の視点であって、結果論としての患者の待遇は、治療を受けられない、ここで一致するのですから、人員増強という視点、平時から有事への切替えが不可欠でしょう。

 医療崩壊を回避する為に受け入れられない患者がサイトカインストームでの突然死リスクに晒される、これでは本末転倒です。特に院内感染であっても極論で感染した場合は免疫が形成される為、重篤の場合をのぞき感染した医療従事者であっても、院内全域がウィルス汚染下でも治療を続ける、これは北イタリアとニューヨークの現状です。日本はどうか。

 医療自壊により医療崩壊を回避するという本末転倒となる状況を回避するためには、結局のところ即席で医療従事者を緊急養成する、修業短縮と国家試験免除、そして総力戦で日本国内の製造業を総動員し医療器材、防護服と代用品、人工呼吸器や体外人工肺装置ECMOの量産を進めなければ、長期戦といいつつ今年の冬に第二波が来た場合、懸念が残ります。

 国家緊急事態宣言。日本では現在、法的な国家緊急事態宣言により医療資材の集約に関する接収や私有財産一部の病院転用、そして強制力こそ有しませんが法的な自粛要請を施設使用や外出通勤に対して求められる体制を目下5月6日までの期間、継続する方針です。そして現在、5月6日期限の緊急事態宣言を延長するか否かの判断を五月初旬に行う見込み。

 都市封鎖、欧州各国は都市封鎖により大規模感染を阻止する試みを続けており、それでも感染拡大をくい止められない状況が継続しています。ただ、日本型法的自粛よりは経済への影響が甚大であり、終息前の収束兆候により封鎖解除を行うか、経済破綻が長期化する覚悟で終息まで封鎖維持か、現在欧州では生きるか死ぬか真剣な議論が続けられています。

 治療薬とワクチン、おそらくどちらかが完成したならば、終息の道筋が見えてくるでしょう。治療薬は感染した場合に投与し快復させるもの、ワクチンは予防接種に用いるもので感染させないもの。感染してからワクチン投与した場合、インフルエンザ予防接種を感染後に行っても無意味なように治りませんが、予防により感染拡大を阻止することはできる。

 法的自粛の難点は遮断ではなく拡大防止に重点が置かれているために終息は集団免疫獲得、ワクチンで獲得するか自然感染で生存者が獲得するか、という長期的な展開をまつ必要があり、実のところ今年一杯かかる、というよりもワクチンが普及して季節病に収斂するまで、例えば2021年にめどがつくのか2020年代一杯かかるのか、まったくわかりません。

 ワクチン開発は世界で100の企業や研究期間が実施しています。例えば23日よりイギリスオックスフォード大学での実施など治験が開始されましたが、早ければ9月に結果がでるという。しかし世界数十億の量産は更に先だ。副作用が出る可能性もあれば接種により免疫を獲得できず予防接種でも感染する懸念がある、そのための治験が進んでいる、という。

 アビガン。子供が一部奇形となる深刻な副作用はありますが、新型インフルエンザ治療薬としてフジフィルムが開発した治療薬が現在のところ感染者への一つの選択肢となっていまして、政府は200万名分の量産を急いでいます、ただ、上掲の通り催奇性、胎児の一部が奇形となる副作用があり、大量投与は安全性の面で深刻な薬害となり得る引き替え。

 レムデシビル、これこそ既存薬で画期的な新型コロナウィルス治療薬、と世界保健機関WHOが発表した薬品は中国で158名に試験投与を実施しましたが18名が深刻な副作用で治験中止となり、治験者のCOVID-19致死率は13.9%、対して別の対照薬を投与した治験者の致死率は12.8%であったため、極論で治療薬投与は致死率を高めただけ、とのこと。

 長期的対策は政治の準備や医療体制の転換も必要ですが、個々の企業でも感染対策を思い切って転換させる必要があります。感染拡大防止には結局のところ、企業活動一つとっても来月には沈静化する前提でのテレワーク導入見送り、という期待先行の消極的対策では、収拾不能の感染爆発が各所で発生し都市封鎖が行われますと事業存続も不能となります。

 長期戦となります、治療薬は効果なしか副作用、ワクチンは開発から治験に移る段階であり、日本国内でのワクチン治験は感染者が先進国の中でも少ないために限界があり、一回で免疫を獲得できるのか二回接種が必要なのか、風疹ワクチンのように三回接種が必要なのか、三回必要ならば全国民分で5億回分必要だ。故に長期戦は年単位の覚悟、必要です。

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令和二年度四月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2020.04.25-04.26)

2020-04-23 20:18:34 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 本日は艦これ七周年ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。今週末は新型コロナウィルス肺炎蔓延に伴う国家緊急事態宣言日本全土発令により自衛隊行事は行われません。

 COVID-19,アメリカCDC疾病対策センターは今年冬に到来する第二波が現在よりも深刻な結果をもたらす可能性がある事を警告しました。我が国では国家緊急事態宣言が早ければ来月の5月6日にも解除か延長かの期限を迎えますが、イギリス保健省が警告した世界4000万の死者懸念と共に日本は僥倖で感染拡大が抑えられていますが、油断は致命的です。

 艦これ七周年。本日は人気オンラインゲーム艦隊これくしょん、そのサービス開始から七周年を迎えました。そして自衛隊関連行事などでは、特に海上自衛隊が後方へ積極活用している当たり、成程時代も変わったものだなあ、と思うところです。ソマリア沖から帰ってきたら横須賀駅と俺の護衛艦が大変な事に、と乗員の方のお話しを聞いたのが七年前だ。

 自衛隊関連行事、しかし自衛隊川柳に“イベントに-たくさん来るのに-志願なし”と嘆かれたような状況、そして南西諸島の中国軍監視と北朝鮮弾道ミサイル警戒にソマリア沖海賊対処任務、実任務がどんどん増加する中で広報を行おうにも艦艇を確保出来ず、地方隊展示訓練等は2014年を最後に実施出来ない状況で、コラボしやすかったのかもしれません。

 さて冒頭に示しました通り世界は現在、深刻な世界的流行禍の最中にあります。自衛策は人と接触しない事に限られますが、仕事に私事とどうしても接触しなければならない事もあるものでして、だからこそ、休日を中心に在宅で過ごす選択肢を広めたいものです。敢えて、ゲーム、という選択肢も、アウトドア派の方であっても、あるのかもしれませんね。

 今週末は自衛隊行事ありません、そうした週末には手早く地方に飛ばされる友人の引越し手伝いを要請されないようサウナあたりに疎開したいところですが、軍用家具を調べてみてはどうでしょう。防衛好事家といえば室内照明を赤色にして窓は全て塞いで外の様子を潜望鏡で調べ出勤を上陸といい帰宅を艦に帰る、と言い換えていたのは最早昔のはなし。

 軍用ベッド。折り畳み式でして、短期間の単身赴任で家具の無いマンション等に飛ばされる際には一つの選択肢といえるかもしれません。中古のものが案外安価に放出されていまして、京都では寺町で時折見かけました。案外と快適で、唯一の困りどころは通気性が良すぎて冬場には隙間風か寒く難渋する点なのですがこの点、自衛隊の方に聞いてみました。

 陸上自衛隊では折り畳み式ベッドを演習場に持ち込む際には、ベッドの下からの隙間風を防ぐために衣嚢、着替えを入れた布袋を敷き詰めてしまうとのこと。これならば隙間風はありません。なにしろ単身赴任となりますと、家具を全部持ち歩くのは意外と大変で行くのは勿論撤収も大変ですが、半年程度でしたら、こうした快適な過ごし方があるのですね。

 さて機材の話題を。WOOLRICH,カメラマンベストではありませんが、撮影に長く愛用した機材の一つとしてWOOLRICHタクティカルエリートシリーズを紹介しましょう。あからさまに響きが個性的な製品ですが、WOOLRICHはもともとキャンプ用品メーカーです。しかし、そこでキャンプや釣りなどの一式や登山装備を収容するアウトドア用品か、と問われれば実は違う。

 WOOLRICHのタクティカルエリートシリーズは2003年のイラク戦争を契機に有名となった、悪名をはせたというべきかもしれませんが、民間軍事会社PMCの現地要員が武器などを携行するために開発されたものです。各国が軍縮により余剰となった要員がPMCに転職し、各国が軍縮で不足していた後方支援要員や警備要員をPMCに依存し有名となりました。

 PMCは国際法上の位置づけが微妙という事で、近年はPSC民間保安会社として名称を変えていますが、WOOLRICHの製品は弾薬や大型拳銃と無線機や飲料水に衛生器材とその他一式を携行する事が可能、頑丈な縫合となっていました。非常に重宝していたのですが残念な事に新会社移行後、エリートシリーズは廃版となってしまい、現在入手できませんのが残念です。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・今週末の行事なし

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【京都発幕間旅情】四柱神社(長野松本)明治の創建社殿は廃藩置県うたかた筑摩県都松本の夢

2020-04-22 20:02:32 | 旅行記
■桜吹雪の信州松本を巡る
 信州、島国にこれほどの高山が山脈を延々伸ばす日本の屋根というべき本州内陸には美しい情景と重厚な歴史を湛えています。

 四柱神社、長野県松本市大手町三丁目に位置します神社です。四柱神社は“よはしらじんじゃ”と呼ぶのが正式との事ですが、“よんはしらじんじゃ”と当方は読み間違えていまして、しかし、正しい読み間違い方は“しはしらじんじゃ”が松本周辺では主流だ、という。

 松本と云えば松本城、長野県の山間に広がる美しい盆地の街並みを散策する際に筆頭に思い浮かべるのは勇壮な国宝天守閣の趣きではありますが、中央線松本駅、その改札から市街へ繰り出す際に、城郭へバスタクシーで直行するには、少々勿体ないかもしれません。

 大手町三丁目、この地名の通り江戸時代には此処には松本城の郭が広がりまして、実際この神社がこの地に創建されましたのも明治時代に入って、という。四柱神社その創建は明治12年の西暦1879年、神道中教院として明治5年の1872年に造営された社がはじまり。

 城郭、こういわれますと松本城の城郭、現在は美しい天守閣とその周りを市街地が広がる城下町の典型という古今折衷の情景が美しいものですが、この神社の周りを往く水の恵み、女鳥羽川の流れと石垣も一種の惣構えというような情感を湛えている様にも思えてきます。

 天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照大神を祭神としていまして、祭神は四柱となっています故に四柱神社となりました。しかし創建の地はもう少し離れたところに在りまして明治12年にこの地に遷座されたのは明治時代に頻発した大規模火災が原因だという。

 筑摩県松本、四柱神社はこの明治時代廃藩置県に揺れる本州中部の山岳地帯に在って、筑摩県の中心を期して村社という位置づけにより社殿を拓きました。なにしろ廃藩置県は諸藩と天領を単純に県へ置き換えたのですから行政区分としては余りに多すぎたものでした。

 信濃国の伊那県と高島県に高遠県と飯田県及び松本県、飛騨国は高山県、明治4年の1871年に第1次府県統合が執り行われまして、県庁は筑摩郡松本の神社現在地からほど近い松本城、長野県松本市丸之内に設置されまして、支庁を飯田城と高山陣屋へと置いています。

 第1次府県統合では、ここ内陸部に美しい山国を広げ明示ニッポンを盛上げるという機運が満ちていたようですが、なにしろ高山は江戸時代の天領飛騨、無理に統合した印象が無いでもありません、そして第2次府県統合として多すぎる府県の整理、迫っていたという。

 明治9年1876年6月19日、一つの転機が在りました、筑摩県庁が火災で全焼してしまったのですね。そして県庁無き最中の明治9年1876年8月21日に第2次府県統合が執り行われ、信濃国は長野県、飛騨国は岐阜県へ統合され、同日付で筑摩県は廃止されました。

 明治21年の1888年、松本大火が市街地を焼き尽くしました。十年を経ずして生じた大火は、前回の県庁火災と同じく幸いにして美しい松本城は難を逃れていますが、松本駅に掛けての広い市域、江戸時代からの城下町の街並みは悉く焼失し、そこに社殿も含まれる。

 二度の大火に社殿の再建は中々思うようにはかどらず、日清日露戦争を経て大正13年の1924年に漸く再建を迎える事となりました。しかし幸いその後は第二次世界大戦の戦災に巻き込まれる事ともなく、大正浪漫、とは若干趣を異にしますが今日へと至るのですね。

 女鳥羽川、神社からは清水が絶えることなく川面へと注ぎ込まれています、新時代到来と共に筑摩県への夢を広げつつ、しかし繰り返される火災により難しい分岐点を乗越えねばならなかった、明治の暗中模索を経て、今は水の響きが参拝者を清らかに迎えています。

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おうりゅう就役!新潜水艦に軽巡洋艦艦名継承を【2】瑞祥動物艦名から日本河川名へ転換を

2020-04-21 20:08:24 | 防衛・安全保障
■画期的リチウムイオン潜水艦
 戦史を知り旧海軍軽巡洋艦の活躍と悲劇を回顧しますと、現在の海上自衛隊艦名基準に少々思うところが出てくるのですね。

 おうりゅう。世界初のリチウムイオン電池潜水艦となりまして、要するに燃料電池方式やスターリング機関方式といったAIP推進方式、非大気依存方式潜水艦へ、従来の鉛電池とディーゼル発電器をあわせたデイーゼルエレクトリック推進方式潜水艦からAIP潜水艦への転換という世界的な潮流への日本初の潜水艦における技術革新を提示したかたち。

 そうりゅう型潜水艦はAIP潜水艦として開発され、実は新潜水艦おうりゅう、がリチウムイオン電池を搭載すると聞きました当時、AIP区画をそのままに鉛電池を、その区画のみをリチウムイオン電池方式とするように理解していたのですが、AIP区画そのものをリチウムイオン電池区画に改める、という情報に接した際、AIPもか意外だ、と驚きました。

 AIP潜水艦に代わるリチウムイオン電池潜水艦は、AIP機関を有さずとも大きな水中航行能力を有していまして、続き建造される3000t型潜水艦は水中排水量で4200tに達し、その作戦能力は環太平洋地域全域やインド洋海域まで延伸する、文字通りグローバルな作戦能力を有するわけで、それ故に新しい艦名の領域に転換するべきではないか、と思う。

 潜水艦と伝統艦名について。海上自衛隊は現在の2900t型潜水艦として建造された潜水艦そうりゅう型に続いて新たに3000t型潜水艦の建造を開始します。そこで新型潜水艦について、旧海軍の勇名を馳せた殊勲艦の艦名で、海上自衛隊創設以来護衛艦名へと踏襲されつつ、しかし昨今採用されていない艦名を再度踏襲させる事は出来ないものでしょうか。

 そうりゅう型潜水艦、瑞祥動物、敢えて瑞祥動物を艦名に冠した点は何故なのでしょうか。ここで考えてみますと世界各国では、といいましても海軍史を継承している海軍は海上自衛隊と共にアメリカ海軍やイギリス海軍とフランス海軍やイタリア海軍にロシア海軍と限られますが、アメリカ海軍オハイオ級戦略ミサイル原潜には戦艦の艦名が充てられる。

 戦艦の艦名を潜水艦が踏襲している、合衆国連邦各州は第二次世界大戦中に戦艦が冠していた艦名ですが、現在は戦略ミサイル原潜、そして改造された巡航ミサイル原潜の艦名に冠せられており、それだけ期待も大きい、そして蒼龍、雲龍の艦名を潜水艦に冠したのも海上自衛隊の期待の現れ、という見解を海軍に詳しい方にお教えいただいた事があります。

 イギリス海軍も原子力潜水艦にラミリーズやレゾリューション、ヴァリアントといった第二次世界大戦中の海戦史に少しでも知識があれば思い浮かぶ殊勲艦の艦名が踏襲されています。ボストンはじめ、アメリカ海軍ロスアンゼルス級攻撃型原潜の艦名は第二次大戦中の重巡洋艦の艦名を踏襲しています。無論、海上自衛隊も潜水艦に駆逐艦名を付けた事が。

 そうりゅう、うんりゅう、はくりゅう、けんりゅう、ずいりゅう、こくりゅう、じんりゅう、せきりゅう、せいりゅう、しょうりゅう、潜水艦そうりゅう型は今年も8126号艦が進水式を控えています。雲龍、海軍史を俯瞰したならば蒼龍ほど武勲に恵まれた艦名であったかには見解が分かれる事となるでしょうが、若干感じなくもないのは気のせいでしょう。

 そろそろ、ネタ切れ、といいますか艦名が払底しているのではないか、と。旧海軍の歴史に残る殊勲艦の瑞祥動物艦名は、瑞鶴や鳳翔に飛龍と隼鷹や大鳳、と瑞祥動物は多々ありますが、海に棲む瑞祥動物というより海上に在る印象、少々潜水艦には厳しいもの。潜水艦に河川名を冠する事はできないか。河川名とは日本海軍が軽巡洋艦に冠した艦名です。

 空母の艦名が途中から地名に切り替わったように、もう一つの殊勲艦、そして現在海上自衛隊では建造されていない、河川名を冠した艦名へ転換する時機が、来ているのではないでしょうか。河川名が冠せられた旧海軍の水上戦闘艦、それは軽巡洋艦です。水雷戦隊旗艦として各国の嚮導駆逐艦的な運用に充てられ、後には空母部隊直衛等も担っていました。

 そうりゅう型の艦名を殊勲艦として空母蒼龍から継承させた、という構図が成り立ちならば、そろそろ使える艦名は使い切っており、そもそも海上自衛隊は潜水艦を16隻から22隻へ増強する一大事業を推進中です、日本海軍は相当な数の空母を、改造空母も含めれば2隻、建造していますが、瑞祥動物ばかりの艦名ではなく、そろそろ転換点が来たのでは。

 実は艦名というものは少なからず乗員の士気に影響を与える、とはOBの方のお話しで、単なる精神論だけではない、と聞いた事があります。その中で軽巡洋艦の艦名、かつては小型護衛艦に冠していましたが、昨今小型護衛艦を建造しない時代となり、軽巡洋艦の艦名を踏襲する自衛艦が現在無い状況下で敢えて潜水艦に冠するべきではないかと思います。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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